01
うーん、と唸って腕を組む。
獣
⛩
獣 獣
正三角形を成す三か所の頂点に、獣の絵。
その三か所の頂点からの二等分線の交点に、謎の絵。
三匹の獣たち……いったいなんなんだ。
メソルデが、床に三角形を描きながら言う。
「真ん中にあった門みたいな絵が、鍵穴ってことですか?」
「ええ、おそらく。ですので、取り囲んでいる三匹の動物が、鍵穴へ辿り着くための道標……と、言うことになると思うんですが。肝心のその動物たちが、なにを意味しているのか。わたしには、さっぱり」
もうちょっと具体的に教えてくれればいいのになあ。
「なんだけれども。示された四つの絵が、それぞれの位置関係をあらわす配置図だとすると。そこに見て取れた正三角形の規則性が、読み解く手がかりには、なってるんですよね」
獣
⛩
獣―――――獣
⛩
獣
「鍵穴を取り囲んでいる三匹の動物が意味する場所。それらを正確に特定し、そのうちの二匹が結ぶ直線距離を測定すれば、おのず鍵穴の所在地も明らかに。辿り着くために必要な情報は、正三角形の一辺の長さ。だから最低二か所。動物が意味する場所を特定しなければなりません。二か所だけでも判明すれば、その二点間がつくる二等分線の交点は、二つ。鍵穴の該当地点を二か所に絞り込めます。しかし」
言いながら頭の隅で、ちらと思う。
……そんな単純な話しなのか?
「決め手は、三匹の動物の意味。結局そこなんです」
「どれも犬の顔に見えました。ココちゃんに似てた」
犬の存在と、彼の星の神の社。
なにか所縁があったとしたら、獣たちが意味するのは犬が、深く関わる場所……だが。
犬が深く関わる場所って、どこだよ。
「いったん犬から離れたほうがよいかもしれませんね。犬みたいに口鼻が突き出た顔の動物は、たくさんいますからね。馬もそうだし、兎もそうだし、鹿とか羊なんかも」
絵の特徴から獣の居場所を探すより、類似の獣と深い縁をもつ土地柄を探すほうが、当たる率は高いだろう。
「……ココちゃんに似てた」
頑固だな。
「まあ、わたしたちの用事は、もう済みましたが、少し、待ってみましょうか。神様がご不在となったことはサリアタ様もお気づきのはず。こっちに来られるかもしれない。ちょっとサリアタ魔法使いの経験値をお借りしたい。それまで」
角灯を取り、平台の端に載せた。
手鏡の納まる木箱を持ちあげ、傍らの床へ移し置く。
「目の前にあるんだから。観察しない手は、ないですよね」
平らかな台の上をつくづく覗き込むと、その真ん中に、二センチ四方の線状の四角い溝があった。
明かりを寄せて見たそれは、どうやら溝継ぎの接合部。
平台の固定は、中央に空けたその溝穴に、柱の上端の凸部を嵌め込んでいるだけのようだった。
角灯をメソルデに預け、平台の両端をつかんで真上にゆっくり持ちあげていくと……外れた。
取れた台板も傍らの床に置いて、角灯を引き受ける。
そうして見やすくなった一本柱へ、明かりを向けた。
全長約三十センチ、直径約十センチ、円柱の外周に刻み込まれた螺旋状の彫り物が、巧みの陰影を映し出す。
龍の纏繞する様を象った、精緻な浮き彫りの石柱。
あるじ不在となった今やそれは只の物質であり、目的もすでに達せられていたので、おれの心は幾分、穏やかだ。
両手で柱を握り締め、持ちあげるように力を込める。
すると力に従って、ずずっと上へ動くなり。
床に空いた溝穴から、あっさり外れたのだった。
ずしりと感じる、その重み。
「やっぱり持ち出せるんだな」
三百年前の木枯らしの晩。
村屋にてオズカラガス様が……書庫の番人クランチ氏と二人のご子息リンダ氏が眺めたはずのビルヴァ伝承の先史遺物を、落とさぬよう慎重に、矯めつ眇めつおれも眺めた。
波打つような全身の鱗、柱に食い込む短い手足の鉤爪、大きな口から覗く牙と、睨みつけるような鋭い眼力。
神々しく龍巻く姿を石から掘り出す鑿先に一抹の緩みもなかったことが窺える芸術的造形物であり、どの角度から見ても物理的な鍵としての機能はやはりないようだったが、ただ。
浮き彫りの龍頭が柱の上部を向いており、燃え盛るような鬣と、しなやかに伸びた長い鬚と、平たい顔面の突き出た鼻口部の描かれたその造作を正面から――柱の上から眺めてみると、なんだか、犬の顔を彷彿したのだった。
「メソルデさん。ちょっとこれ、見てください」
柱の上端を、彼女の目線に合わせて向ける。
「この角度からだと、龍の顔も、犬の顔に見えません?」
窺うと、うん……と頷き、同意は示してくれたものの。
「でも先生、ココちゃんは、こんな怖い顔しないです」
言われ、見返した少女の不満顔と、くすくす笑い合う。
仮に、天井に描かれた三匹の獣の絵が、同空間にあるこの龍柱の象徴化だったとしたら、巫女霊様の御神体の安置された神殿が、ほかにも二か所、存在するという解釈になる。
同一神を祀る神殿が複数、築かれた可能性もなくはないが、オズカラガス様の証言によると番人が受け継いだビルヴァの秘密は、書庫・祭壇・鍵穴の三つであり、そのうちの祭壇が、この地下神殿との見込みが濃厚なのだった。
三つの獣絵と、三つの秘密。
数は同じだが、秘密の一つは鍵穴であり、それを表すと推定される『⛩』によって鍵穴の存在は対照から除かれる。
一致しない。
「お知恵を拝借してからだな……思考を進めるのは。なんにせよ終着点は見えたんだ。急く必要はないですね」
そっと横たえた床を照らす、明かりが延ばす柱の影。
「それは、それとして。メソルデさん」
見おろしながら話しかける。
「あなたをお連れしたこと、大正解でした。お陰で、ビルヴァの過去を辿る道……不確かだった道先が明確になりました」
その道後を振り返る。
「わたしの立場からだと、そういうことになるんですけど。今日この場に至った一連の流れは、ビルヴァに生まれたひとりの女の子を、ひとりまえの魔法使いにするための段取りだったんではないのかなと、思えるんですよね。あなたの守護様サオリ・クラモチが糸を引いていた気配が、濃いですが。その糸の根本におられたのは、ビルヴァの御祭神様だったんです。そしてあなたはその御前で、晴れて魔女となりました。つまり、この道行きの主役はあなたであって、わたしは、その誘い役を担った付き添いなんです。その役回りのお陰で、この星に今ひとり、魔法使いが誕生した瞬間に立ち会えました。光栄に思います。メソルデ・クランチ魔法使い」
笑んで隣へ顔を向けると、恥ずかしそうにうつ向いた。
神殿の底に巫女の声がこぼれた。
「それでもやっぱり、主役は、フロリダス先生です。だって先生が村に来なかったら、なにも起こらなかったと思うから。わたしが魔法使いになれたのも、先生と一緒にいたからだと思う」
仄暗い顔をもちあげて、おれを見た。
「先生が目指す鍵穴の向こうには、なにがあるんでしょうか」
意味深な亡者の集団が現れたビルヴァの旧墓地。
ロヴリアンスに背いた反体制の異端集団。
その彼らが、ネルテサスに築いた潜伏拠点。
パガン台地の地下にひろがる巨大洞窟。
われわれの歴史には存在しない国家組織。
今や失われた、もう一つのビルヴァの村――地球国。
「わかりません」
眼下に横たわる柱を、慎重に手に取った。
「ただ、この土地には、ビルヴァのご先祖様にまつわる足跡が、ほかにもどこかに残されている可能性が高いんです。未だ明らかになっていないその場所が、鍵穴という言葉に置き換えられ、村の代々の子孫に伝えられた秘密なのだとしたら、その場所には、わたしたちが見たことのない世界がひろがっているはずです。なにせ、そこに残る足跡は、遥かなる故郷に思いを馳せた……地球人たちのものでしょうから」
「凄い。それが見つかったら先生、大発見ですね。ううん」
首を左右に小さく振り。
「大大大発見です」
そう言ってメソルデが、嬉しそうに微笑んだ。
一本柱を立て戻し、上端の突起に台板を嵌め込んで、最後に木箱を置いて神殿の安置物を元に復す。
その組み立て作業を、自分の手でやってみて。
今さらながらに気づく違和感があった。
おれは今、龍の柱の上に据えた台に、手鏡を置いた。
人間の持ち物を、神と同義の御神体上に載っけたのだ。
その行為に、収まりの悪さを覚えたのだった。
龍柱の存在をメソルデは夢に見ていなかったが、手鏡は木箱の中にあり、その箱は平らな台に載っていたと言う。
それらがあった青天井の部屋との符合からしても、夢の手鏡の真下にあったのは、サオリの依代たるこの龍柱。
ウニク関与が濃厚な千年前から、この状態だった。
巫女霊様よりも高い位置に、なんでウニクの手鏡が?
冷静に考えてみたらこの上下関係、おかしくないか?
なんだろう……おれは、まだなにかを間違えてるのか?
「先生、先生」
その時メソルデの声が耳に入り、はっと顔を向ける。
「サリアタ様が呼んでるみたいです。今、わたしの名前が聞こえました。この音はサリアタ様が鳴らした音です」
「あっ、そうですか。わかりました。では急ぎ戻りましょう」
釈然としない思いを引きずりつつ、地下神殿を出た。
揃って上がった屋根の下でわれらを迎えたチャルの顔。
心底、安堵した表情だったが……引き攣っていた。
旧墓地はすっかり陽が射していて、草木の雨露がきらきら照り返すなか仰ぎ見た大空は、澄み渡る蒼だった。
北の彼方に点々と、白い縁取りの雨雲が残るだけだった。
神殿内での出来事を簡潔に説明し、驚くチャルにサリアタ様からの信号をメソルデが受け取った旨を話す。
問題だったサオリ降臨はすでに解消されているので、緊急避難の連絡ではないと思うが手早く帰り支度を整えた。
地下への口を開けたまま離れる点にチャルが逡巡したところ、名乗り出たのは、生まれたての魔女であった。
ふたたびの共同作業で、寝転がっていた濃緑色の重量物は見事、元通りになったのだった。
「あのちっこかったメソルデがなあ。まさか魔法を使うなんてなあ。おまえ、ほんとにメソルデか?」
「うん。たぶん」
「たぶんって」
「だって自分でも、自分じゃないような気がするんだもん」
「今年の誕生日、おれがあげた物はなんだ?」
「……木刀」
「フロリダス様。間違いありませんメソルデです」
そんな物あげたのか。
「ええ、護身用に」
「お母さんが衣紋掛けに使ってる」
石台の前で拝を奉り、われわれは旧墓地をあとにした。
眩しくなった雨上がりの林道を三人てくてく引き返す。
地下神殿の内部で起こったことを、チャルに詳しく話しながらの戻り道となった。
「その絵がね、ココちゃんに似てたの。可愛かった」
「へえ。三頭の犬の顔ですか。なんでしょうねえ」
獣との縁深い土地柄について心当たりを訊ねてみたが、漠然とした問いなので、わからないようだった。
三叉路に差し掛かったところで北の道を彼は示し、ただ動物がたくさんいる場所ならこの先にと言った。
昨日の会食時に膳を共にした役付きの女性――彼らがタミちゃんと呼ぶ看護婦さんの実家がこの林を抜けた丘にあり、ご両親がそこで牧場を営んでいるとのこと。
「そういえば車でサリアタ様と話してましたね。確か」
コガヤシ牧場とメソルデが答えた。
「ココちゃんはそこのコマちゃんの子供なんです。親子だから顔がそっくりなんです」
「牛のほか色んな動物を飼ってましてね。犬も、何頭も」
「なるほど」
だが……そういうことでは、ないんだよな。
獣の存在自体が、そこに在る必然性を有する場所。
それが犬ではなかったとしても、場所に求める意味合いは同じであり、それは牧場という施設には見いだせなかった。
丁字路のあちらこちらに、青空の漣立つ水溜まり。
「ひとまず戻りましょうか」
避けつつ左折し、駐車帯に向かう南へ踏み出すと、その泥濘の道の彼方に大小二つの人影を見たのだった。
遠目でも、それらが誰か、すぐにわかった。
「あの立ち姿はセナ様と、バレストランド魔法使いですね」
向かっておれが手を振ると……先生と、少年の大声が。
わざわざ車道に出て、われらの戻りを待ち構えているということは、メソルデを迎えるつもりなのだろう。
彼女の事情はサリアタ様から聞かされているはずだった。
考えてみれば、ゾミナ様こそ。
さぞかし驚かれることだろうな。
朝、送り出した未熟の愛弟子が、たった半日後の昼、帰ってきたら立派な魔女になっているのだから。
思いながら傍らに立つ金髪の少女を見おろした時。
「先生ーっ。先生ーっ」
アラマルグの大声がまた聞こえ、すぐさま目をやった。
すると、こちらへ勢いよく走り出す小さな影。
「こっち来たあっ。先生ーっ。こっちに来たんだよーっ」
んん?
「さっき、こっちに来たんだよーっ。メソルデのーっ」
泥道を軽快に跳ねながら、銀髪の少年が駆けてくる。
耳に届いた彼の声音は、差し迫る感じではなかったが、陽気な調子でもなかった。
……こっちに来た?
どうやら、向こうは向こうで、なにかあったようだ。




