03
すぐ頭上の踏桟を、一段一段メソルデの靴が踏むたびに、ぱらぱらと錆粉が降った。
こつんごつんと、支柱に当たる手元の角灯で彼女の足元を照らしつつ、真っ暗闇の縦穴を慎重に降っていく。
探り探りの靴底が、まもなく石の固い足場に触れ、おれは地下に降り立った。
「着きました。もう少しですよ」
ひんやりと澱んだ空気のなか、その場に屈んで明かりを梯子の下端へ差し向ける。
そうして無事にメソルデの靴も、じゃりっと底を踏んだのだった。
立ちあがり、角灯をもたげて彼女の様子を窺うと、その腕がすっとこちらへ伸び、おれの上衣の裾をつかんだ。
暗闇のうちに見あげてきたのは、心細げな眼差しであった。
「構いません。そのほうがわたしも安心です。このまま進みましょう」
頷いて横穴へ踏み出すと上衣の裾が強く引っ張られ首が締まったのですぐに振り返る。
「どどどうしました?」
すると彼女が、半身を向けたおれ越しに、横穴をじっと見つめながら。
その暗中を控えめに指差した。
「先生。そっちにちょっとだけ……光りが見えます」
え? 光り?
「明かりが漏れてるみたいなんです。神殿?」
「いや、そんなはずは」
ただちに返り見た横穴は、やはり真っ暗だった。
「わたしには見えません。神殿内にも、光源になるようなものは」
そこでおれは思い当たって、息をのんだ。
まさか……メソルデが見ているその光りって。
神殿の透けた天井から射し込む……太陽の光り?
横穴の闇を指し示す。
「ここから十メートルほど離れたところが、神殿の位置です。先ほど地上で説明しながら、その辺りを指差したとき」
地面に妙な点があったかどうか確認してみると。
「いえ。草の繁ったふつうの地面でした」
やはり彼女も、ご先祖が仕掛けた謎の透過装置は認識できていなかった。
確かに、それを捉える視点は合っていない。
(霊的存在のみが感じる、風通しのよい天窓が設えられた地下室)
そのからくりは、おれにもさっぱりなのだが、しかし。
オズカラガス様は生前、何度も立ち入っているはずの旧墓地に、人工的な地下空間が存在することに気づかなかった。
その証言を踏まえると、ご先祖が地下神殿の天井に施した摩訶不思議な透過装置は、死者の視点が物質を透明化する働きであって、物質そのものを透明化する働きではなかった可能性が高い。
だとすると、仮にそれが今なお機能していたとしても、地上の外光が地下を照らすという物理現象は起こらないのでは。
そもそもそれが陽光ならば、メソルデの目がとらえているのは可視光線であり常人の肉眼の視神経でも受容できる。
だが、いくら目を凝らしても、わずかもおれには見えないのだった。
その状態も、証左としてよいのかどうか、わからないが、理屈としては間違っていないはず。
透けた天井から射し込む太陽の光り……咄嗟にそう思ったのだったが。
「見当外れかな。そうなるとだ」
サオリ降臨の現状で、神殿の異状を感知したのはその神殿への帰還を果たす、メソルデ・クランチ。
しかも彼女は、サオリの神前にあって、折しも魔法使いの呼称にふさわしい存在となった。
その事実はとりもなおさず、神にかしづく聖なる魔女の誕生――地球の巫女が、この星にて復活したとも言えるだろう。
覚醒した巫女の瞳にしか映らない謎の光り。
神殿内を明らめる光源として考えられる、もっとも妥当な線。
この想定下では、おのず一つに絞られよう。
……フンダンサマの御神体。
「行ってみましょう」
おれの上衣の背後の裾が、張り詰める。
だが強い抵抗はなく、従ってともに動いた。
進みゆく地下通路は大人ひとりが立って歩ける程度の幅。
石造であり、空洞にわだかまる闇に足音だけが反響する。
籠もる空気は墓樹の匂いがうっすら混ざり込んではいるものの、思ったよりは酷くない。
長らく封じられたままだった門戸を二日前にすでに一度、開けているからだろうか。
差し掛かった雨水受けの段差の底は溜まりの土が深く泥濘み、踏み込んだ靴がほとんど埋まった。
渡りきったメソルデの靴もふたたび泥まみれになってしまい、憮然とした顔だった。
まもなく到達した門前で、われらは立ちどまる。
角灯の明かりに茫と浮かびあがった五十センチ四方の出入り口。
そこに押し込まれている袋の群れを照らしつつ、振り返った。
「やはり、ここですか?」
「はい。その隙間から、漏れてるように見えます」
おれは頷き、柔らかい布袋の一つをつかんで抜き取った。
「あっ。光りがちょっと強くなった」
一つ一つ除くたび、光りがどんどん強くなると訴える。
「その光りは例えば、セナ様が発するような魔法的な光りですか? それとも太陽の光りに近い感じ?」
「太陽の光りに近いです」
袋をすべて取り除くと、ぽっかり空いた真っ暗闇の四角い口を覗いてメソルデが、眩しそうに目を細めたのだった。
内部の様子を問うてみたが、外からでは中が明るいということしかわからないようだった。
現場に踏み込む緊張と、だからこその興奮とが綯い交ぜになり思わず、深呼吸。
「わたしが先に入ります。ここも狭いので通るとき頭、気をつけてくださいね」
頷いて出入り口へ前のめりになると上衣の裾が強く引っ張られ首が締まったので突っ込んだ頭をただちに引き抜く。
「どどどうしました?」
するとメソルデが、角灯を向けたおれの足元をじっと見おろしながら。
その暗中を控えめに指差した。
「先生。靴が、また泥だらけになっちゃいました。履いたまま入ったら……神殿、汚してしまいませんか?」
確かに。
「脱ぎましょう」
そそくさと裸足になり、通路脇に靴を置くとメソルデの靴も横に並んだ。
ついでに手袋も揃ってはずし、自分の靴の上に置いてのち、あらためて、辞儀するように口に向かった。
立ち入った地下神殿の様子は、おれの眼には、二日前の様子となんら変わりがなかった。
手鏡が納まる木箱と、それが置かれた石製の平台と、それを支える龍の柱。
真っ暗闇の空間で、角灯の明かりに浮びあがったのは中央に設えられているその三点だけであった。
念のため四周を探りながら照らしあげた低い天井にも、オズカラガス様の証言に聞いた落書きの痕跡はどこにもなく。
おれに続いておずおずと、出入りの口から四つん這いで入ってきたメソルデが、狭い室内をぐるり見渡す。
闇の染み入るビルヴァの神殿に帰還を果たした巫女の眼は、しかし、内部に不思議な光りをとらえていた。
「なんでこんなに明るいんだろう」
「なにが光っているのか、わかりますか?」
「それが……中から見ても、よくわかりません。どこもおんなじ明るさなんです」
きょろきょろしながら小首を傾げる。
「と言うことは、影もない?」
「はい。だから隅々まで、はっきり見えるけど」
中央を指差した。
「神殿の中には、これしかないです」
どうやらメソルデとの視界の違いは、光りの有無だけのようだった。
「あなたは先ほど、ご自身のちからが魔法使い足るを証明してみせました。そのあなたの過去生はウニク・ビルヴァレス。地球の巫女。そしてビルヴァの御祭神様は、地球の神様です。メソルデさんが見ている不思議な光り、わたしの目にはこれっぽちも見えません。あなたにしか見えてない。……巫女歓迎の験のように思えます。肌のぴりぴり、まだ、感じてるんですよね」
「はい。凄いです」
こちらへ片腕を近づけた。
角灯を寄せて見ると、暗中に照らされた彼女の肌が、目に見えて粟立っていた。
「でも、やっぱり、わからないんです。神様が、どこにいらっしゃるのか」
おれは頷いて、明かりを台の下へ。
そこの闇に滲み出る、長さ約三十センチの円柱を指し示す。
龍の纏繞する姿を象った石造の柱。
螺旋状に浮き彫りされた龍体の巻きつく上端で、眼光鋭く頭上の台を見つめていた。
覗き込んでメソルデが言う。
「先生が調べたい柱って、これですか」
「ええ。わたしはこの柱を、この神殿の元々のあるじとみてるんです。ビルヴァの御祭神様の、かつての御神体だろうと」
頷きかけ、上体を起こした。
「ですから居どころはわからずとも、実物の御神体と見做すべきでしょうね。出どころ不明の不思議な光りの源は、この柱なのかもしれません。この柱を拠りどころに、樹海の御神木からお帰り遊ばされた」
神木とは、神の依代となった樹木のこと。
この天下に在って、天上に架かる尊樹である。
人は、安易に触れるなかれ。
神と人との気位の格差に、やられてしまう。
いつぞや郷里で聞いた魔法使いの言葉を思い出す。
「神様の宿る御神体を、素手で触る。そんなことは、やってはいけません。罰が当たります」
言いながら龍の彫刻の中央部分を握り締めた。
持ちあげるようにぐっと力を込める。
すると柱が、ずず、と少し、上に動いた。
「抜けそうだな」
手を離した。
……やはりこの柱、なにかある。
おれは即座に後ろへ下がり、背が壁に当たったところで姿勢を正した。
「メソルデさん。神様に謝りたいと思います。その旨わたしが言上しますので、動きに倣ってもらえますか」
お願いすると彼女は頷き、おれの隣へ引きさがった。
暫し、言辞をまとめる。
そうして龍の柱と正対し、揃って平伏した。
「巫女霊様。わたくしは、ラステゴマの地より参りました、マテワト・フロリダスと申します。数奇な星回りの果て、我が過去生のビルヴァとの深き縁を知り、その縁を辿りまして本日、当地へ足を運ぶ次第となった者にございます。共に控えましたる乙女子は、ビルヴァが産のメソルデ・クランチにございます。巫女霊様におかれましては、憶え目出度き魂と思し召されておられることと存じます。過日の巫女同道となりました我が道行きが、御祭神様へと至る参道と化していたとは露、知らず。図らずも、わたくしが御前へ罷り越しました目的は恐れながら。本殿安置の龍柱でございます」
額を床に押しつけた。
「ビルヴァ由縁の内情を、どうか、検めさせて頂きたく存じます。我が、儘のその望み、何卒ご寛恕賜りますよう、どうか、どうか御手、柔らかにお願い申し上げまつ……ます」
最後ちょっと噛んでしまったが、すぐ言い直したから。
低頭したままサオリの反応を窺う。
しかし、待てどもなにも気づけず、ちらと見やった隣では平伏しているメソルデが、おれの挙動を薄目で窺っていた。
とくになにもないようだったので、人事は尽くした気分の頭をゆっくりもたげると、合わせて彼女も身を起こした。
そうして戸惑った口調で、言ったのだった。
「先生。なんだか不思議な気分です。わたし、ここを知ってるような。前にも、今みたく。この床を見たような気が」
「その既視感は、錯覚ではないかもしれません」
頷いて彼女を促し、ふたたび中央の安置物に近づいた。
角灯を持ってもらい、おれが木箱の蓋に手をかけ、慎重に持ちあげる。
そこに納められた……一つの先史遺物。
われらの眼下に姿をあらわす。
「これが、ビルヴァのご先祖様が残された、ウニク・ビルヴァレス所有と推定される手鏡です」




