01
ビルヴァの祠様の天気予報は、やはり、正確だった。
林道へ出ると、小降り雨はすでに上がっていて、重く垂れ籠めていた暗灰色の曇り空は切れ、晴れ間が見えていた。
陽が射し込むのも時機だろう……そう思って東へ向かって歩きはじめて、まもなくだった。
目標だと言う古びた切り株を通り過ぎ、その斜向かいに当たる道脇で、先導者の足がとまった。
閉じた傘の石突を、三人が突いて立ったそこは薄暗い雑木林を覗く一画。
路端から見て、それと窺える様子のとくにない旧墓地の出入り口であった。
二日前にも来た場所だったが、辺りに漂う匂いは薄く、景色の憶えも薄かった。
看板を立てるような宛ではないですからとの言葉に頷いて、メソルデのあとに続き、おれも枝葉の滴りを潜った。
しっとりとした空気の満ちる疎らな木々の合間を、一列になって進んでいく。
一歩一歩、踏み込むたびに靴底が、雨水をたっぷり溜め込んだ林床に深く沈んだ。
この足の向く先に御座すのは、ご先祖をこの星へと導いた宇宙船の守護神――フナダマサマ。
われわれの祖神とも呼ぶべき地球の神であった。
いよいよ神前に迫っては、もう、なにも考えない。
古代ビルヴァの信仰心に倣い、かつての巫女とともに額づくのみである。
「気分が悪くなったら、遠慮せずに言ってくださいね。我慢はしないでください」
合羽姿のその背に声をかけた。
「はい先生。足もとが気持ち悪いです。靴の中までびっしょりです」
「わたしもです」
笑って応えると先頭でチャルが。
「発火石を濡らさないよう巻いておいた布巾が、確か、三枚ほど」
やがて、行く手の木間の暗がりが、うっすらと明らみだし、つれて芳香も強まった。
周りを確かめると、雑木林のうちに広がるオズカラガスの群生地に入っていた。
そこからはすぐだった。
鈍い逆光に陰った幹を何本か抜けたところで、視界が一気にひらけた。
緑々とした一面は、名も知らぬ草の種々の蔓延り。
あちらこちらの草葉の陰で、丸い墓石はどれも濡れ、黒ずんでいた。
繁った梢から雨つゆを垂らす墓樹が点々と孤立する、ビルヴァの旧墓地。
再訪のその土地を、出外れに立って黙って眺めるおれの目が、木々の彼方にそれを捉えた。
平べったい屋根の古色と、直下にたたずむ濃緑色。
覗けたのはわずかでも、やけに映えて見えたのは、地下神殿に御座す現実を知っているからだろうか。
チャルが呟く。
「ここはさすがに、雨が降っても籠もってますねえ」
頷いて隣へ目をやると、メソルデは、きょろきょろ方々を眺めていた。
彼女も旧墓地を訪れるのは今回が二度目であり、眼前にひろがった独特の風情に興味深げな様子。
そう思ったのだったが、こちらを見あげて言った理由は、違っていた。
「神様が、どこにいらっしゃるのか、わからないんです」
なんでも、この場に立つまではサオリの存在感――曰く、肌のぴりぴりの発信源へ近づいていく感じが濃厚にあったが、いざ来てみると、肌のぴりぴりの感じられる方向がすっかり薄まってしまい、発信源の位置が定まらなくなってしまったと言う。
肌のそのぴりぴり感は、しかし、さっきよりもあきらかに強まっているとのこと。
「だから、いらっしゃるとは思うんです。近くに神様。でも、どこ?」
先生……と、戸惑った眼差しで、答えを求めるようにおれを見つめる金髪の少女。
そんな目で見られても、おれこそ、さっぱりわからない。
「例えば、神の遍在という言葉があります。神様は、どこにでもいらっしゃる、という意味です。もしかしたら、居場所がわからなくなってしまったのはそういうことかもしれませんね。あるいは、わたしたちが、女神様の懐に、入り込んだからなのかも」
完全に当て推量だったが、そう答えるとメソルデは息をのみ、うんうんうんと合点したように頷いた。
……しっくりきてくれたようだ。
「整備箱の中に手綱の予備があったんで持ってきました。使えるかなと思って」
足元に注意しながら旧墓地を歩きはじめると、チャルが正面を指差した。
われらの宛に鎮座する、いかにもな風格を漂わす苔生した一メートル四方の石塊。
地下への口を塞いでいる問題の重量物が、そこにあった。
「あれの立地を考えますと。下が空洞なんで、枕木をかませても折れちゃうと思うんですよね。穴を掘って倒し込む手も使えませんし。そうなると底になんとか綱を通して、それを踏んづけながら上から引っ張って動かすのが、いちばん楽かなと」
「なるほど。確かに押すより引くほうが、いくらか」
作りの丈夫な手綱とは、都合のよい。
有効な機転に感謝を述べると、彼は照れくさそうに微笑んだ。
四本の柱で支えられた方形屋根が間近に迫り、その下へ入る手前で、チャルは足をとめた。
そこの地面に、ながい永い時の移りに曝されてきた過去が偲ばれる、摩滅の酷い石造の小さな台があった。
おそらく拝殿に見立てたのであろうその石台の上には茶碗が一つ置かれてあって、満々と雨水が溜まっている。
塵も浮かぶその雨水を彼は脇へ放り捨てると、背からおろした皮袋から水筒を取り出し、皮袋をメソルデに預けた。
「先にこっちをやらせてください」
水筒の綺麗な水を流し流し、茶碗を丁寧に洗う傍らで、皮袋を抱え持って作業を見つめている少女。
ぴりぴりする、と形容したサオリの存在感は今も肌に感じているはずだが、この場に臨んでも気後れは一切みられない。
かつての巫女の魂は、かつて仕えた神の気配にとうに馴染んでいる可能性を、サリアタ様は推測されていた。
そして実際メソルデから窺える様子は、その推測が、正しく的中であることを示しているように思えるのだった。
……いけるかもしれない。
書庫の在処を聞き出したルイメレクのように、おれも。
聞きたいこと、確かめたいことは、山ほどあった。
だが、欲はかくまい。
サオリに打診するのは、もっとも欲する情報のみ。
ビルヴァ三つ目の伝承――鍵穴につながる情報のみだ……そう思った時だった。
メソルデが、チャルの手元を見おろしていた顔を不意にあげ、辺りへきょろきょろ目をやった。
釣られて旧墓地をぐるり見渡す。
一渡り眺めても、とくに気づいたところはなかったので、視線を戻すと彼女がおれを見あげていた。
口を半ばにひらいたまま、なにか言いたげな表情。
気になって促すと、すぐにその口がうごいた。
「先生。今、声が聞こえたんです。……参りなさいって」
「参りなさい?」
繰り返した言葉がチャルと重なった。
茶碗を洗う手がとまり、振り仰いでメソルデを見る。
「もしや、サリアタ様か?」
すると彼女は首を横に振り。
「ううん。たぶん、女のひとの声だった。一言だけ。参りなさいって」
誰の声だったんだろう、と、それを聞いた本人が、不思議そうに首を傾げたのだった。
おれは、その横で、固まってしまった。
間が、合っていたからだ。
サオリに打診するのは鍵穴に関する情報のみ。
メソルデの反応は、そう考えた直後であった。
女性の声で……参りなさい。
まるで女神サオリからの応答のように感じられ、呆然となった。
棒立ちのまま言う。
「実は今、御祭神様にお伺いしたい事柄について考えていたんです。それで、巫女のちからをお借りできればと。参りなさい。少なくとも意味合いは、通じるんですよね。あたかも返事のような」
「メソルデ。どうなんだ」
「……わかんない。女神様の声だったの? 神様も、ひとの言葉を喋るんですか?」
「あり得ます。あくまで、わたしの経験上ですが」
サオリの子たる森の姫様は、人語を解された。
「しかし、言われてみれば」
必ずしも、サオリからの応答とは言い切れないか。
声のぬしの可能性としては、もうひと方。
メソルデの夢に現れた光りのなかの魔法使い。
「先ほどの憑依現象を引き起こしたと疑われる人物も、女性ですね。メソルデさんの解釈に倣えば、ウニク・ビルヴァレス」
「どうなんだ?」
「……わかんない。ウニクさんの声、どんな声だったか、もう憶えてないもん」
ただ、それが誰の声なのかは、今は、重要ではないのかもしれない。
重要は、メソルデがそれを聞き取ったこの状況。
参りなさい。
おれの思考との脈絡は、いみじくも通じているのだ。
つまり、地下神殿の内部に……鍵穴の答えが?
やはりそうかと思わず身体が、ぶるり震えた。
「いずれにしてもです。チャルさん。ちょっと急いだほうが、よいかもしれません」
わかりましたと頷いて彼が、石台に戻した空の茶碗へ、とくとくとく、と水を注ぐ。
そうしてわれら三人は、恭しく拝を奉った。




