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07

「実は、こっちの夢が。起きてからずっと気になっていて。それで今日どうしても行きたいって思ったんです」


 語り手の握る傘の中棒なかぼうを見つめていた目が、上向うわむく。


「……が、あったんです」


 薄暗い木陰こかげの下、枝葉えだはから滴り落ちる雨粒が、われらの傘布かさぬのを乱れ調子に鳴らしていた。


「今、なんと?」


「手鏡です」


 尋ねて返ったその言葉。


「お祈りしてるわたしのすぐ前に、あったんです。手鏡が。いっこ」


 聞き捨てならない言葉であった。


 二日前、ご先祖の手帳を持ち出すために立ち入ったビルヴァの地下神殿。

 そこで目にした一つの先史遺物。

 直径十センチほどの円形をした銀色の鏡が、長さ二十センチほどの杓文字しゃもじ形をした外枠に嵌め込まれてあった。

 その細長いの部分と裏面全体に、花柄の紋様が点々と散りばめられてあった。

 セナ魔法使いの言葉が脳裡に響く。


(あれはほこりまみれだったから、わかりづらかったかも。手鏡の枠の首元と、持ち手の下の部分。そこのところの花の模様だけ、かすれてた。薄くなってたわ。手に持ったとき、いちばん擦れる部分よ。何度も何度も握られたあと


 ……ウニクの手鏡。


 胸騒ぎを覚えつつ、努めて冷静に問う。


「ほう。手鏡ですか。それは、どんな手鏡だったんでしょう」


「ええと。形は、ふつうなんですけど、杓文字しゃもじみたいな。そこにとってもきれいな、まんまるの鏡がついてました。それと手鏡を持つところ、いくつか花びらの模様があって、その模様が少しだけ、消えかけてました」


 おれはしばし、固まってしまった。

 平静を取りつくろって問う。


「一応、確認なんですが。メソルデさんは旧墓地の地下に入ったこと、ないんですよね? 昨日そう言ってましたもんね?」


「はい。一度もないです」


「ですよね。そこにある手鏡も、見たことないわけですよね? 知らなかったんですもんね?」


「はい。それで今日、見てみたいって思ったんです。ご先祖様の手鏡。どんな手鏡なのかなって」


「なるほど。われわれが車でさっき、中止と決めかけた神殿行きに、メソルデさんがこだわった理由。合点がてんがいきました」


 そこの合点は、どうでもよかった。

 彼女が夢で見た手鏡と、ビルヴァに伝わる古代の手鏡。

 造形のみならず……持ち手の部分の擦過痕さっかこん

 なんで固有の形跡までも一致してるんだ?


「あのう。フロリダス様」


 横からチャルが呼びかけた。

 戸惑う顔を振り向けると、そこでかがむ彼の両膝、いつのまにか泥だらけだった。


「わたしもご先祖様の手鏡は、見たことないんです。しかし、今のお尋ね。なんだか」


 引きった苦笑い。


「答え合わせをしているように聞こえたんですが。メソルデが夢で見た手鏡。もしかして……似てるんですか?」


 まともに問うたその眼差しを、見つめ返す。

 頷くほかなかった。


「ええ。形状、意匠、痕跡……。わたしが得ている情報とでは、共通点しかありません」


 答えると、二人は真顔を見合わせた。


 共通点は、しかし。

 手鏡の様相だけではないのだった。

 その夢のメソルデが、祈りを捧げていた場所である。


(青い空が見えてて、とっても明るくって、でも周りには壁があって。屋根のない部屋みたいなところ)


 サリアタ様と入った二日前、居合わせたオズカラガス様が言っていた。


(ああ、天井な。そうそう。ここは筒抜けだった。地面が透けておった。だから見えた)


 死後、地中の小部屋の存在に気づくことができたのは、墓地の一画の地面が透けていたからだと。


(わしらが立ち入った百年前には、その痕跡は欠片かけらも残っとらんかった。ただ)


 当時の天井に、落書きのようなものが書かれてあったらしい。

 それらも結局、発見できなかったとのことだが。


(婆さんのその話しの肝心は、ご先祖がわざわざ、そんな手間をかけている点だ。地中に築いた小部屋の天井を、無いものとした。なんらかの細工でもって、あたかも吹き抜けのような空間をつくりだした。その動機とは?)


 青い空が見え、とても明るく、周りには壁があり……。


(そこにわたしは一人でいて、一所懸命、祈ってるんです)


 夢中むちゅうのメソルデが祈祷を行っていたという青天井の部屋。

 その部屋の様相も、既知の情報と無理なく符合するのだった。

 旧墓地の地下に築かれ、天井を透かす謎の細工がほどこされた古代ビルヴァの祭祀場さいしば

 そこにのこる手鏡と、酷似する一つの手鏡を前に夢のメソルデが居た場所は、フンダンサマの御神体ごしんたいまつられた神殿内部。

 そう解釈することが、できてしまうのだった。


 あの狭い石室せきしつの中央で、ラズマーフ調の柱に支えられていた石製の薄い台。

 おれは訊ねた。


「部屋の床に、直接?」


 夢で見たその手鏡が、どこに置かれてあったかを。


「いえ。たぶん、ひらべったい台の上。そこにあったように思います」


 へえ……。


「夢のわたしは、その手鏡に向かって、ずっとなにかを祈ってるんです。でも、さっきの夢とおんなじように、そうしていることをあたりまえに思ってるので、夢のわたしは、目の前にある手鏡のことをまったく変だと思ってません。変だと思ったのは、夢からめたあとのわたしです」


 引っかかったその言い方を、確かめたのはチャルだった。


「手鏡が変?」


「うん。まんまるの鏡の上に、青い花が、いっこ置いてあった。瑞々(みずみず)しく見えたから、本物の花だと思って、なんの花だろうって顔を近くに寄せたら、その花が、下の鏡に映ってたの。はっきりと」


 そこで、こちらへ振り向く。


「それなのに……鏡を覗いたわたしの顔が、鏡に映ってなかったんです。花は映ってるのに。夢だから変でした」


 聞いて頷き、ゆっくりとおれは腰をあげた。

 かがんでいた膝裏ひざうらとどこおっていた血行が、にわかに足下そっかへ行き渡りだし、足先が痺れはじめた。

 チャルも立ちあがった。


「どうされます? メソルデのこと。いったん車に戻りますか?」


 雨宿りの傘を叩く音は少なかったが、目をやった林道では小降りながらも、まだ雨が跳ねていた。


「そうですね……」


 ……鏡に、顔が映らない。


 彼女が変と思った手鏡のその不自然も、われわれの知る地下神殿との符合点であった。

 オズカラガス様が、旧墓地の地中に築かれていた小部屋の存在に気づいたのは……死後なのである。

 サリアタ様はこう言っていた。


(霊的存在のみが感じる、風通しのよい天窓がしつらえられた地下室。そこに安置された手鏡よ)


 その鏡を覗き込んだ夢の中のメソルデは、すなわち、鏡に映る肉体を持たない霊的存在。

 だから。


(青い空が見えてて、とっても明るくって、でも周りには壁があって。屋根のない部屋みたいなところ)


 これはもう、偶然の一致では片づけられない。


 ぎこちない足取りで、傍らの木立の周りをおれは歩いた。


 メソルデ・クランチがみた夢。

 それらの夢は、もう早、ビルヴァの古代に由来していると考えてしまってよいのではないか。

 その村に生まれた少女に宿る魂は、まず間違いなく地球の巫女であり、ご先祖がのこした手鏡の持ち主と推定される。

 可憐な意匠だった手鏡のその様相を知らない現世げんせのメソルデが、酷似する手鏡を夢にみた。

 そしてそれがあった場所はわれわれがすでに得ている地下神殿の情報とも合致する空間。

 この不可解な相似は、その夢を構築した情報源が、現世の記憶ではない可能性を示唆する。

 つまり、先刻のメソルデの豹変が、何者に起因する現象であったかの当事者の解釈の信憑性を、高める状況となった。


 最初に聞いた夢に現れ、光りの中に立っていたという成人女性の魔法使い。

 旧墓地の霊団と対話をし、オキナツ・サワダの魂を守る魔法を行使した存在。

 天井を消す効力が活きていた神殿内にて青い花の添えられた手鏡を前に、祈祷する存在。

 信じ難いことながら、それらの動機と記憶を持って相応ふさわしいと思えるのは……ウニク・ビルヴァレス。


 だとしたら、考え直さねばなるまい。

 彫刻の綺麗な扉、まるい形をした机、その周りを歩く大人の男。

 オキナツ・サワダ邸を思わせるその情景の情報源も、ウニク本人の記憶だった可能性。

 そうなると、円卓の周りを歩く一人の男。

 予知夢と聞いておれの暗示とみたのだったが、その歩く男が誰なのかも、おのず。


 痺れきった足の血流を促す歩行を何周かしたところで、少女の前に立った。

 その場で足踏みするおれを、傘の下から、ちらちら見あげてくる。

 困ったような目遣いだった。

 無理もない。


「メソルデさん」


 足を止めた。


「どうやら、あなたがみた夢には、われわれにとって極めて入手困難な、貴重な情報が含まれていそうです。そこで、いま一度、お訊ねしたい。最初に伺った夢。彫刻の扉と円卓がある家の夢。思い出してみてください。その円卓の周りを歩く成人男性。彼は、歩きながら、話しをしていたそうですね。どんな内容だったのか。とても気になります。話しの内容……憶えてますか?」


 おれの過去生オキナツ・サワダの素性に迫る質問だった。

 問いを受けた彼女の表情が、思案顔になりうつ向いて、すっと傘に隠れた。

 些細なことであっても、まつわる情報が得られればと、しばらく待つ。

 やがて持ちあがった傘の下で、期待に見つめたその顔が、小さく左右に振られたのだった。

 ……だめか。


「もう、どんな話しだったか。話しを聞いてるわたしが、楽しいと思ってる気持ちを、思い出せるだけなんです。あ、でも」


 諦めかけた目線が、ふたたびメソルデに向く。


「ひとつ思い出したことがあります。話しを聞いていたのは、わたしだけじゃない。ほかにもひとがいました」


 え?


まるい形をした机。そこに、たくさんのひとが。わたしも、歩いてる男のひとを止めるまで、みんなと一緒に椅子に座ってた。みんなが誰かはわかりません。顔とか服とか、やっぱり思い出せない。でも、そのうちの一人は、たぶん……夢のわたしの妹でした」


「ちょっと待ってください」


 よぎる。


(オキナツ・サワダ邸とおんなじ間取りの家の、あの立派な円卓にな。何人もの人影が座っとる情景が視えたんだよ)


 メソルデの魂の年輪を透視したサリアタ様の発言。


(それが皆どうも子供のようでな)


 思わず、息をのんだ。


「……妹?」


「はい。そんな感じがするんです。わたしは独りっ子なんですけど、村の子たちをみるときの気持ち。とても気にかけていて、大切な宝物をみるような。その気持ちよりも、夢のわたしは、もっともっと強い気持ちがして。自分の妹だって思うんです」


 今やおれは、メソルデがみた夢を、彼女の過去生が映し出した情景として聞いていた。

 つまり、夢の当事者のその印象は……ウニク・ビルヴァレスの妹……そういうことになる。

 心臓が、早鐘はやがねを打ちはじめた。


「妹と思ったその相手。その人物の姿も、わからない?」


「わかりません。ほかのひとたちとおんなじく、そこにいるって感じがするだけで」


「妹だと思った。ならば当然その人物は、女性ですね」


「そうなんだろうと思います。たぶん女の子ですよね。夢のわたしには、とっても大事にしてる妹が、いたみたいです」


 おれの期待した情報とは、違ったものの。

 それはそれで、新たな視点を獲得したと言えそうだった。

 ただ、彼女は間柄を感じ取れたのみであり、容姿までは認識できていない。

 よって特定は、できないが。

 どうしても、考えずにはいられなかった。

 ……サオリ・クラモチ。

 メソルデに憑いた守護様にとって、ウニクの魂を持つメソルデは、生前のお姉ちゃん。

 古代の両者に窺える親密な結びつきに、姉妹という関係性を与えたなら、無理のない説明がつくのだった。


 これまでその単純な関係性を考慮し得る具体的な情報が一つも出ておらず、可能性を言及するには至らなかった。

 両人は名字が異なっており、氏名の言語圏からも、推定される人物の髪色からも、異人種とみて妥当な二人であった。

 その二人を、血縁の姉妹と仮定した場合。

 考えられる続柄つづきがらは……異父姉妹(きょうだい)

 ビルヴァレス姓とクラモチ姓。

 ビルヴァの村と縁深ゆかりぶかい家名を持った二人の男性と、聖なる姉妹を産み落とした一人の女性。

 神にかしづく巫女たちの母となった女性の存在。


 光りの中に立っていたという成人女性の魔法使い……。

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