04
飛び込んできた言葉に、耳を疑った。
「わしが感じとるこの風みたいな圧力よ。近づいてようやっとわかったわ。サオリの存在感だ。発信源は旧墓地」
聞き違いではなかった。
「そんな……」
十二歳の少女メソルデ・クランチが示す行動原理の尊い特質と、一歳のメソルデが発した謎の古語の解釈から、彼女の過去生に遡及された素性によって現世の彼女の旧墓地行きが意味する一つの推理……巫女が、神殿に帰還する。
龍の柱を調べたいわれわれの目的に同行し、メソルデが、ビルヴァの神殿へと向かっていたこの状況で……まるで。
示し合わせたかのような……御祭神様のご帰還。
アラマルグが問うた。
「樹海のでっかい木に入ってたサオリが、今は、旧墓地の地下のあのちっちゃい部屋にいるってこと?」
「そうだ。そうとしか考えられん。あそこはよ、婆さんが生きとった当時すでに、もぬけの殻だった。わしらに知れるかぎりでも、三百年以上だ。ずっと空っぽだったんだ」
二日前、そこに保存されてあったご先祖の手帳を持ち出すために、われわれは旧墓地に立ち寄った。
あの時と、この今と、異なる前提が、メソルデの存在。
ウニクの生まれ変わりの魂を伴う条件下の目的地に、ご先祖をこの星へと導いた宇宙船の守護神が舞い戻る。
永らく神様不在となっていた神殿跡が……虚ろな遺跡となっていた古代の空間が、かつての威風を取り戻した時機と、メソルデ来訪とが重なったこの状況は……偶然か?
「こんな偶然あるんかい。何百年もご他行されてた御祭神様が、今日か昨日か、古巣へお帰り遊ばされたと。わしらはそこへ偶々メソルデを連れて参ったと。いくらなんでもよ」
振り返り、みずから走ってきた林道を見やりながら。
「こいつはもう先生の見立てが証明されたようなもんだ」
おれを返り見、頷いた。
「きのう言うとったもんなあ。メソルデを神殿に連れてくんは、巫女が帰ることを意味するかもって。どうやら、そっちが本筋だったようだぞ。いやはや……」
メソルデがその身に宿す魂は、ビルヴァのご先祖が祀った信仰対象――巫女霊様との深い縁をもつ。
そしてその縁とは、彼女の過去生ウニク・ビルヴァレスが千年前、巫女霊様にお仕えした巫女であった真実。
「どうすっか考えねばのう。車に戻ろう。ああ、のど渇いた。バレストランド、ああ肩貸せ」
現代のビルヴァの村に生まれた、一人の少女は。
神にかしづく聖なる乙女。
メソルデ・クランチの本性は――地球の巫女だ。
「風上を探りながら行ったからさあ。もろだよ、もろ」
車内に残っていた三人にサリアタ様が状況説明。
こんなとこに居るとは思わんもん……と面々を見回す。
全員がそれぞれ元の席に戻っていた。
「危うく意識を持ってかれるとこだったわ。あと何歩か、旧墓地のほうに歩いておったら、わしはその場で気絶しとったろう。ぎりぎりで察して、すっ飛んで逃げてきた」
「なら、わたし神殿だめかも。入るの無理かも」
「ぼくも無理かも。ちから隠してもたぶんだめだ」
「なによもう。楽しみにしてたのに」
「してたのにい」
「……仕方なかろう。文句があるならサオリにどうぞ」
魔法使いの方々は、通常、神なる存在に近づけない。
彼らはその鋭敏な意識ゆえ、神と人との気位の格差に中ってしまい、精神に異常をきたす事態に陥るという。
アラマルグが言ったように、ちからを遮断する――おでこの眼を意識的に塞ぐことで中りを避ける方法もあるようだったが、それでも至近距離での接触は、難しい模様。
ただルイメレクは、サオリから書庫の在処を聞き出しており、ちからをひらいた状態でも中りなく接触する方法はあるようなのだが、それには神様との相性が絡むらしく。
「かれこれサオリとは長い付き合いだがよ。女神様の存在感。初めてまともに触ったよ。わしは祈祷場からでしか触れたことがないもんだから、判らんかったわ。死ぬかと思った」
サリアタ様は、女神サオリとは、あまり気が合わないそうで、里帰りの前に立ち寄る予定の祈祷場が、その祈念対象であるサオリの御神木から遠く離れた山の東麓にあるのは、触らぬ神に祟りなしという相性事情からのようだった。
かくなる理由で。
思いがけず神座に寄った三人の魔法使いは皆、神殿は無論、旧墓地への立ち入りすら困難となってしまった。
そこで問題になったのが、ほかならぬ。
「でも、それならメソルデもよね? この子いま、結構ひらいてるのよ。神殿に入るの厳しくない?」
斜向かいに座る少女の首元を見ると紐が掛かっていた。
それは、しかし、おれのお守りと効果が違うのだろう。
おのれの胸元に当てた手に、小袋の感触。
中途半端なおれとは違って彼女は、見習い魔女だった。
神座に寄った四人目の魔法使いであった。
「そうなんだよなあ。そこをいかに看るべきか。うむ」
応じて唸って、サリアタ様が考え込む。
予想外の事態に際し、判断に迷っているご様子だった。
メソルデの神殿行きに関しては、思うところが多々あったが、おれの提案は、やはり白紙に戻すべきであろう。
危険が具体的に案じられる状況では、やむを得ない。
けれども、おれ自身は、懸念される障りは起こらない。
巫女の同伴は叶わずとも、神殿に行くつもりである。
せっかくここまで来たのだから、目的は果たしたい。
鍵穴に通ずる石柱を調査し、手鏡の擦過痕を確認する。
書庫と向かい合う前に、記憶を更新しておきたかった。
「フロリダス殿」
沈思の目遣いがもちあがり、おれを見た。
「やめるが無難と、わしは思うんだが。先生はどう思う」
「同意見です。メソルデさんの神殿行きは、現状との浅からぬ因果の推測から全うすべき根拠があるのですが、指摘された問題の起こる虞がある点を押してまで、全うすべきか、疑問が生じます。可能性がわずかでもある以上、避けるべきでしょう。同行を提案したわたしには、メソルデさんを何事もなく、ご両親のもとへお帰しする責務があります」
「わしもだよ。……メソルデや」
見返す彼女の口元は引き結ばれ、緊張の面持ちだった。
「聞いたとおりだ。予想だにせんかった状況とあいなった。これではのう。おまえさんの安全を約束してやれんのだ。神様ってのはよ、わしら人の価値観とは、まったく異なる次元のお考えでもって、うごかれとる。それは時に、人にとって望ましくない結果となる場合も、あるのよな。触らぬ神に祟りなし。万が一のことがあってはいかんから――」
「大丈夫です」
そこでメソルデが言葉をかぶせた。
芯の徹った強い声だった。
全員から見つめられて彼女は、はっと驚いたような表情をするとあわてて顔を伏せ、今度は一転、弱々しい小声で。
「大丈夫な……気が、するんです……」
同じ言葉を繰り返したのだった。
サリアタ様が、対面に座るおれを見た。
その目線がすぐに少女へ移り、優しく問う。
「なんぞ、気づいたことでも、あるんか?」
「いえ……」
大きく首を振って、恥ずかしげにうつ向いたまま。
「なんとなく。そんな気が」
「なるほどのう。なんとなく……か」
言いながら両腕を胸元で組み、呟く。
「その漠然とした印象は、無視できんのう。なんとなく、大丈夫。なんとなく。……だが相手が、相手だからなあ」
するとメソルデが顔をあげた。
そうしてこちらへ向き、おれの目を見て言う。
「ご先祖様の手鏡。どんな手鏡なんだろうって。思って」
声音は、いつもの彼女らしく細らかだったが。
眼差しは、なにかを訴えるかのように強かった。
「それで、なんとなく。行ってみたいなって。神殿に」
……フロリダス先生と。
耳に聞こえたその最後の言葉を、一瞬。
おれの心は、こう聞いた。
……サワダ先生と。
道先が切り換わる。
「確かに」
サリアタ様へ向き直った。
「現状には、メソルデさんが神殿に行くべき根拠があるんですよね。御祭神様ご帰還の理由の説明が、つかなくなりますから。その理由とウニク・ビルヴァレスの魂とが無関係だとは、もはや考えにくいので、サオリの動機が浮いてしまう。加えて申せば、サオリ・クラモチです。昨日起こった諸々の出来事は、彼女の手引きのように感じられてなりません。その真意こそ、この状況。メソルデさんの神殿行きにあるように思えます。試してみる根拠は、充分あるんです」
「きれいに手のひら返したわねえ」
セナ魔法使いが呆れたような口調で言った。
「責務はどこ行ったのよ」
「もちろん……どこにも行ってません。安全を最優先としたうえでの話しです。ただ、この状況下でも神殿行きの意思が、ぶれないとなると、彼女のなんとなくの感覚には、なにやら深みが窺える。根っこがあるように思うんです」
「うむ。この子に宿る魂の素性と見込まれるんは、巫女。その過去生で、仕えておった女神様の存在感と、すでに親しんでおる筋合いもあるんだよな。そのメソルデの行動に、サオリが反応された。……いや、逆だな。御祭神様のご帰還が、かしづく巫女を神殿へお連れするこの流れとなった」
「そうですね。そちらが、より実情に近いでしょう」
「流れの源泉は、フンダンサマの思し召しってわけか」
じろり、おれを見た。
「行けるかのう」
「行けるかもしれません。行けるところまで」
頷いた。
「もし、メソルデ・クランチ魔法使いの心向きに少しでも抵抗が生じたら、そこを引き際と判じ、ただちに戻ります」
言うとサリアタ様が、目をわずかに見ひらいた。
「いかにも、その呼び方。だが耳馴染みがなかったよ。この子をそう呼んだんは、フロリダス先生が最初かもな」
ふっと浮かべた微笑を消し、可……と顔を振り向けた。
「先生と一緒に行ってみるか? 神殿へ」
「はい。行ってみます」
面に緊張を残しつつ、どこか嬉しげに彼女が応えた。
ここから徒歩で、メソルデを伴って旧墓地へ赴くことが決まり、残る問題はあと一つ。
地下神殿の入り口に鎮座する、偽の御神体である。
濃緑色に苔生した一メートル四方の大きな石。
あれをどかすには、サリアタ様の魔法が必要だった。
「あんなところでちからをひらいたら、わし即、気絶」
現場で一切、魔法が使えないこの状況。
「だからな。そうなるとだよ」
頼みの綱は……腕力だ。
おれは視線をゆっくりと、御者台へ移ろわせた。
そこに腰かけている体躯の立派な若者と目が合って、彼はサリアタ様とおれとを交互に見交わした。
すぐにわれらの意を察した様子で父親譲りの愛嬌ある顔を綻ばせると、太い片腕をもたげ、拳を握ってみせた。
彼の膂力なら、あの大石を難なく倒せるはず。
「わたしが、お役に立てますか?」
力強い問いかけに、老魔法使いが笑んで答えた。
「ああ、チャル。おまえの出番だ」




