02
柄の長い提灯を持った村長が、玄関前でわれらを促す。
緑光の淡い魔女が立つ円形広場へ、おれも踏み出した。
雨の匂いと、靴から伝う泥濘みと、静けさの夜明け前。
星も月もない空を見あげる少年の手に、鳥はなかった。
「昨日ゾミナんとこでさ。先生が申しておったこと」
おれの隣を歩きながらサリアタ様が言う。
「メソルデを連れてった神殿で、なにか起こるとしたら、それは精神面の変化だろうと……。わしらの目的である龍の柱を、あらかた調べたらよ。そこんとこも確かめてみるか。もういっぺん、おまえさんの魂を視てみよう。神殿の中でな。昨日は視えんかったもんが、今日は視えるやもしれん」
わが過去生『沢田沖夏』について、得られた以上の情報はもう残っていないとの話しであったが、本人の素性をはじめ『倉持さおり』とのつながりなど、具体的なところは一つもわかっておらず、関する疑問点の解明に期待が及ぶ。
提案を承知すると、おれの肩をぽんと叩いて振り返り、サリアタ様は歩調をゆるめた。
獣車が待つ門へと向かう一群には、メソルデのご両親の姿もあって、彼女と共にわれらのすぐ後ろを歩いていた。
先ほど揃って村屋においでになられ、仔細はすでに村長から聞いていたようでお会いするなり、娘がお世話になりますと恐縮な挨拶をいただいたが、むしろこちらこそだった。
見たところではお二人とも、たぶん、おれより年若だ。
「昨晩だいぶ驚かせちまったと思うが勘弁してくれな。あれやこれやと、色々あったもんだから。遅くなっちまった」
「気にせんでください」
そう応えたのは父親だった。
「この子からも話しを聞きまして、なんと言うか。娘の性格を考えますと、どこか腑に落ちるような。妙に納得できるような。そんな変な気分でおります」
「いかにも。メソルデはもう弁えとるからのう。わしが初めて会うたんは物心つく前だったが、立派に育てられたな」
「いやあ。巷では子は親を映す鏡と申しますが、うちには当てはまらんです。とくに父親は。娘に叱られてばかりで」
頬がゆるんだ。
円形広場から村の往還に入ると、濡れそぼる草の道なりに彼方へと延びる二筋の細長い水溜まりができていた。
それらは轍で、チャルが灯りを差し向け注意する。
横を過ぎゆく家々は未だ就寝中のはずであり、黙々と進むなか、背後でメソルデのご両親が交わす小さな話し声。
まもなく、そうだな……と応えて父親が。
「サリアタ様。娘のその件で、お聞きしたいことが」
なんだろう。
「この子の過去生での名字なんですが……ビルヴァレスだったと。そこは、わたしら親も、ちょっと驚いてまして」
「ああ、そうだよなあ。たまげるよなあ。わかる」
「娘の過去生は、村のご先祖様なんですか?」
「うむ。どうやらな。これまでにあきらかとなった幾つかの状況証拠が、そう告げとるんよ。間違いないと思うわ」
メソルデの過去生がウニク・ビルヴァレス名を示す点。
そのウニクと親友関係にあったと推定されるビルヴァの古霊サオリ・クラモチが現在、メソルデの守護様を示す点。
ビルヴァのご先祖が築いた地下神殿に現存する手鏡の所有者が、そのウニク本人である可能性を示す点。
「ならば、この子が……先祖返りだというのも?」
「ああ、そっちはねえ。現状ただの印象でしかないんだが。そこも濃厚とみておるんだ。ナグジからどう聞いとる?」
村長が二人にした説明は、ふわっとした内容であった。
「もちっと詳しく話そう。この件には、こちらのフロリダス先生の過去生も深く絡んでるってことは聞いとるな」
言葉におれは首をわずかに傾け、背後へ会釈した。
「先生のその過去生によ。メソルデそっくりの女の子がおったんだわ。可愛らしい顔つきも、歳の頃もメソルデそのまんまで、双子みたく瓜二つだったわけ。……まあ、それだけだったらね。実際その子が誰なんかは判らんかったから、他人の空似で片づけちまっても構わんとこなんだが、しかしだな。その正体不明の子の隣によ。今のメソルデに憑いとる守護様が、おったんよ。それも親しげな様子で。どうもメソルデの守護様は生前、先生の過去生におったメソルデ似の女の子と、知り合いで、とっても仲良しだったようなんだ。そこんところがな。両人に窺える親密な関係性が、今生のメソルデと守護様との結び付きに違和感なく通じるんだわ。ごく自然に重なりよる。だもんだからメソルデの造作にも因果を感じてならんでな。その印象が、先祖返りと考えた理由でのう」
透視者からの直々の返答に、父親がなるほどと唸った。
母親がそこで遠慮がちに訊ねる。
「先祖返り……ということはですよ。この子は、過去生のご先祖様と、血も、繋がってる。そうお考えなんですね?」
そういうこと、と応じ、くすくす笑う。
「めちゃくちゃな理屈だってのは、わしらも百も承知でな。けれどもその落としどころが、いちばんしっくりくる」
推定一千年前の血縁者を起源とする隔世遺伝の発現。
そんな現実離れした解釈、信じられなくて当然だ。
ただ、その見立てを事実とすると、メソルデ・クランチの容貌は自身の過去生ウニク・ビルヴァレスがもっていた遺伝子情報の高精度な再構築すなわちビルヴァという村名の語源と目されるビルヴァレス家の正統の末裔である可能性。
「そう言や、聞きそびれてたが旦那の家系どっちなの?」
「それが、うちは山なんです。妻も」
「あ、そうなの? 二人とも山なんだ。湖じゃないんだ」
山の家系のクランチ姓は、ビルヴァ再興の祖モパタラ・クランチの直系であり、湖の家系のクランチ姓は、モパタラの庶子の母親アンナ・ビルヴァレスの血脈だった。
「そうなんです。わたしら、村の出なもんで。ですけども今じゃ山も湖も、家系とは名ばかりで、血のつながりの意味はもうほとんどありませんから。長老んとこくらいじゃないですかねえ。本家筋の系図があって、はっきりしてるのは」
「なるほどのう」
サオリ・クラモチにとって、血は重要でなかったろう。
彼女にとっての重要は、ウニクの生まれ変わりか否か。
メソルデ・クランチの守護様となったのは、それが故。
その動機にウニクとの容貌の相似は考慮外だったはず。
いくら顔が似てようとも魂が違えば、別人なのだから。
しかし、われわれにとっては、メソルデの先祖返り説。
重要な意味をもつと、あらためて思うのだった。
確たる証拠のないその仮説は、真実を芳醇と匂わせる。
メソルデが同行するこの状況が、おれにそう思わせる。
推定一千年前の血縁者を起源とする隔世遺伝の発現。
それは、とりもなおさずこう言えよう。
現代に生まれた少女は、ウニク・ビルヴァレスの再誕。
だからメソルデが、ビルヴァの旧墓地へ向かっている。
かつての姿で、この世に甦った聖なる魔女ウニクが。
……巫女メソルデが、かつての神殿に帰還する。
「おまえさん方の実家を遡るんは難儀そうだな。もう早、無理やもしれんのう。けれども、おまえさん方が血をわけたメソルデは、別だ。この子だけは、推測ながら血筋の背景を客観的にもっておる。……ああ、そう考えるとだ」
行く手の彼方に、ぽつんと灯りが点っていた。
それが門に掛かる角灯とわかる距離にまで近づいた。
「そっちの意味でも、メソルデは弁えとると言えそうだのう。推測とは申せ、深みが違う。家系の流れがあやふやになっちまっとる現在のこの村で、唯一人の存在だ。メソルデには、ビルヴァレス家の名跡を継ぐに能う理由がある」
聞こえた言葉に思わず、おれは頷いた。
ほら先生も同意してくださったとサリアタ様が笑う。
「およそ三百年前に失われた由緒正しき家名。現代のビルヴァに復活させるなら、おまえさん方の愛娘をおいてほかにない。その折には、わしは喜んで血統の証人になろうぞ」
メソルデ・クランチ・ビルヴァレス。
ただ……その当人の年齢は、現在、十二歳。
するとご両親が、考えておきますと笑ったのだった。
門前に停車していたのは、四頭立ての獣車。
その輓獣は、鬣の整った兎馬たちであった。
村長が、幌付きの荷車の傍らで振り返る。
「一昨日の町行きでは客車がご用意できず、皆様には、ご不便をおかけいたしましたが」
「いやなあに。出荷の車に便乗させてもらったんだ。売り物に間が空いてなくて結構だった」
象擬と同様、兎馬もこの星に帰化した哺乳動物の一種。
名が示すとおり馬の親戚であり、兎のように長い耳と兎のような赤い目をもつ外見的特徴からそう呼ばれている。
成獣の体高は平均一メートル半と小柄だが、持久力に優れ、比較的に脚も速く、なにより人によく懐く。
彼らの祖先は、ご先祖の移住計画において品種改良された驢馬の突然変異種で、低酸素環境への適応力が非常に高いという特質を有し、粗食に耐える元来の性質もあって惑星緑化の初期段階で試験的に繁殖された記録が残る。
現在では、おもに山岳地にて飼育される役畜であった。
われらが近づくまで行儀よく、おとなしくしていた兎馬たちが、皆そわそわ身じろぎしはじめた。
どうやら、セナ魔法使いが発する魔法の光りが気になるようで、円な赤い瞳が揃って彼女のうごきを追っていた。
父親と話しをしているメソルデの合羽を母親が整える。
車の後部からチャルが梯子を引き出しながら言った。
「後ろ側の四つの座席はどれも吊り椅子です。なので、サリアタ様とフロリダス様のお二人は、前の長椅子のほうにお願いします。左右のどちらでも構いません」
「承知した。手間かけたな。……ポハンカ」
魔女の左手から、緑の光りが、すうっと消えた。
たちまちビルヴァの門前は、墨のように暗くなり。
「よし。みんな乗ってくれ。出発だ」
短弓を背負う銀髪の少年が見送った西の曇り空――。
夜陰に隠れていた稜線が、仄かに明らみはじめていた。




