04
胸騒ぎが、ざわめき立つ。
「擬似的な神の加護を被ることを目的とするこの魔法。その目的に深く関与している天地万物の復原力の働きからな。効果の重みと釣り合う代償事案の発生することが、確実視されておる。それは宇宙が成り立つ根源の真理――『大いなる円』に則って導き出された結論だ」
「……代償?」
引っかかった言葉を繰り返すと、サリアタ様は頷いた。
「命を守るというその凄まじい効果はな。この魔法の……結果ではないんだよ。復原力の働きが引き起こす結果の反動のようなもんが、守りの効果をもたらすんだ。問題はその……結果のほうでな。禁じ手の禁じ手たる由縁がそこにある」
ゾミナ様が継いで言う。
「死すべき命が生き存えるってことはね。生きるべき命に死が訪れるってことなのよ。つまり、生き死にの等価交換」
聞いて、おれは茫然となった。
「なにそれ。先生の代わりに誰かが死ぬってこと?」
セナ魔法使いの驚く声に、正面の暗がりから。
「結果を引き起こすんは天地万物の復原力……宇宙の根源『大いなる円』を支えとる真理の一つだ。そんなもんの働きぶりは、わしら人には到底、計り知れんのだが、代償事案の対象となる条件は『大いなる円』から予測されておって、それが、魔法の対象者と同価値の命。死に相当する現実が、どっかの誰かに降りかかる。その結果に逃げ道はない」
「どっかの誰かって……誰が死ぬのよ」
「厳密には、対象者の存在価値と、同等の価値をもつ宇宙のどっかの誰かってことになるらしい。ただな、代償事案の条件にもっとも当てはまる命ってのも絞り込まれておって。まあ、当然と言や当然なんだが、識者たちから限りなく濃厚と見なされとるんが、魔法の対象者……本人だ」
そう言ってサリアタ様が、おれを見つめた。
「おのれの尻は、おのれで拭うってことだ」
魔法の対象者と同価値の命……。
その命に、おれの命も含まれるのであれば。
確かにおれにこそ当てはまる。
思わず、吐息がこぼれた。
……安堵の息だった。
自身の問題が、自身で片づくのなら。
「落ち着けポハンカ。話しは終わっとらん」
ただ、命を守る効果の対象者の命が、代償に。
矛盾を孕んでいるように感じられた。
すると。
「フロリダス殿。人には寿命が二つある。知っとるか?」
不意の問いかけ。
それは知っていた。
以前に故郷で、魔法使いから聞いていた。
話しがつながっているのを察し、身を乗り出す。
「はい。存じております」
一つは、いわゆる天寿と呼ばれる、宿命。
その命が生きていられる最長の期限のことであり、これは産まれる前からの決定事項で、どうにもならない。
「もう一つの寿命は、宿命の期限のうち、生きているあいだの心懸けが影響し、心懸けがよろしくなければ宿命を待たずして死が訪れる。それが運命と」
「そのとおり」
頷いた。
「その運命による死を婆さんは、心懸けの如何を問わず無条件に免れるよう働くちからを、おまえさんに仕込んだのよな。運命がもたらす死を、弾き返す盾のようもんをな」
(効能は、運命の固定だ。おまえが飲めば、魂の鎧となるでしょう)
「その盾に弾かれて、行き場を失った運命が迫る死をだ。宇宙のどっかの誰かさんに肩代わりさせるんじゃのうて、当事者の宿命でもって負う。その場合、復原力が引き起こす結果は、こう言い換えられるんだ。運命が姑息的に保たれる代わりに、宿命が永続的に削られる。魔法が発動するたび、おまえさんの魂に刻まれた人生の期限が減っていく。結果と効果の自己完結。……もはや呪いだよ。こうなるとな」
「なるほどね」
長い黒髪から覗く面影が、呟いた。
「たしかに禁じ手だわ。この魔法……」
昨日の夕刻。
ビルヴァの村の旧墓地で。
薄暮のうちで聞いた言葉を思い出す。
(心の底に、奥知れぬ影を落としておった。明けない夜のような、冷えきった影だったよ。それを某殿は承知しておるのか? そうか。承知のうえか。そういうことならば。また違った時の先が見えてくるやもしれんのう。しかし、承知しておるだけでは、だめだ。覚悟をせねば。それも命懸けのな。でなきゃ底冷えのするあの心胆を御すのは難儀だぞ)
「神様ならよ、無償で愛をくださるが。これは人が考えた狡賢い魔法だ。どっちみち、相応の支払いは避けられん」
もはや呪いだよ……こうなるとな。
覚悟をせねば……それも命懸けのな。
どうやら。
その覚悟を決める時が、来たようだ。
「ほんとにうまく馴染んどる。ちからの整え方お見事と言うほかない。こうもきれいに融け込んじまうと、もはや、わしでも拭い切れんだろう。婆さんのちからを根こそぎ取り去るのは難儀だ。おそらく生涯、付き合っていくことになる」
おれの全身をまわし見ていた視線が、顔面に留まった。
「だがな。さっき少し話したが、こいつのからくりは、力点と作用点とにわかれておる。力点が魔法の盾で、作用点が天地万物の復原力。だけれども作用点ってのはよ。力点が働くから生じるもんだろ。そんでもって婆さんのちからだけなら、わしでも対処できる程度のもんなのです」
にやり笑んだ口元を示す。
「魔法の団子だっけか。先生に、婆さんがやったこと。それとおんなじやり方で、わしのちからを流し込めば、いくらきれいに馴染んでおっても相殺できるはずなんだ。作用点を生じさせる歯車の力点を、止められる。この魔法のからくりを機能不全に落とす手立ては、あるんだよ」
顔がゆっくり縦に振られた。
「無論そうなれば、命を守る効果も消えちまうが……」
サリアタ様は、つまり。
この魔法を消したいと、お考えなのか。
「死ぬべき命は、やっぱり素直に死ぬべきなんだよな。それが生き存えちまうってのは、どう考えても不自然なんだ。この魔法は、宇宙の根源『大いなる円』の領分に踏み入って、命の公平性を損なう。誰しもが等しくあるべき命の生き死ににがっつり干渉しておる。そこんところも識者たちから忌み嫌われておる理由のようでな。人道に反しとるんだわ」
よくよく考えてみてくれと、静かに言われたのだった。
命の公平性を損なう。
言われてみれば、もっともの話しであった。
代償を伴うにせよ、この魔法の効果は、確かにずるい。
反倫理だというその点に異論の挿しどころはなかった。
井戸での対話が脳裡を過ぎる。
(さっきついでに村屋でな。おまえの時の先を視た)
オズカラガス様の生来のちからは、天気予知とのことだったが、没後ちからが増大し、今や、時の先読みにまで及んでいるようだった。
運命による死を弾く、魂の鎧なるをおれに着込ませたその魔女は、井戸へ参った男の未来を知っていた。
(時の先というものは、心懸け次第で如何様にも移り変わる。けれども縁が、断ち切れてしまってからでは、もはやどうにもならんのだ。まったく……世話の焼ける男だよ)
世話の焼ける男。
ぽつり添えられたその言葉。
それが、なにを意味するか。
(賽子を放りながらゾミナに申しておったんだ。好奇心に従順で、考えなしにうごいてしまう。間が悪ければ簡単に死んでしまう。その自覚がこれっぽちもない性格だから)
困った性分と、皆に見透かされているおれだった。
堪えられない衝動が、まるっきり子供のそれだった。
ひとりまえの大人がもつ行動原理ではないだろう。
そこは自覚するおれを一言で片づけるなら莫迦だった。
(危なっかしいおまえの命は、森羅万象の復原力によって守られるはず。それが娘の願いが叶う時の先に通じると。そういう寸法。おわかり?)
この莫迦は死ぬまで治るまい。
歯車を止めてしまったら、彼女の願いは、どうなる。
「サリアタ様。わたしは」
成就に辿り着く、いつかの日まで、絶対に死ねない。
「おのれの尻は、おのれで拭う所存です」
「まあ待て」
それでも、オズカラガス様の魔法の無効化だけは、できない理由を伝える言葉を、うつ向いて黙って探していたら。
「ゾミナ。おまえはどう思う。難しい判断になる」
聞いて坐卓へ目をやると、灯台の彼方で夫人が。
「悩ましいのは、先生のご性分。わたしたちのおでこに映じるフロリダス先生の輝きは、そのご性分あってこそ。それこそが光源。天才性。そこも充分わたしたちはわかってる」
寝間着姿の居住まいを、すっと正し、上体をわずかに前傾させながらこちらに向かって頭をさげた。
老魔女の長い白髪が、さらりと面前に流れる様に驚いて思わず尻が浮くと。
「これより――」
威厳の徹った声音が、夜の村屋に響もした。
「マテワト・フロリダス先祖学者は、わたくしどもビルヴァの民が守り継ぐ、書庫に入られます。そこで紐解かれる数多の書物……天下に秘されたる地球の知識は、先生ご自身を、さらなる高みへと導くことでしょう」
おれは慌てて膝の向きを変え、首を垂れた。
そのお言葉は、ゾミナ・サリアタ夫人が申されているのでなく、番人ゾミナ・クランチとして発せられていた。
「遠からず先生は、この星の人類の行く末を左右するお方となられるはず。そのお方の意気軒昂な壮年期が、保障されるという価値は、なにものにも代え難いとわたしは考えます。たとえその犠牲が、未来の老い先……穏やかなご余生だったとしてもです。たとえその魔法が、人道に反していたとしてもです。先生のご判断、畏まって賛同いたします」
わが身が、震えた。
「……ありがとうございます……ゾミナ様」
それだけ言うのがやっとだった。
望まれる期待に応え得る者かどうか、自信の不確かな顔をゆっくりともちあげると、まるで我が子を見守る母のような……罪を犯した心であっても愛してくれる母のような、超然とした碧い瞳の微笑みが、おれを迎えてくれた。
「ほんっとにおまえは、きっついのう」
呆れたような口調で呟いた。
そうして、ため息まじりに。
「そんでも、この期に及んではな。その冷徹な言い切りが有り難いよ。結局んとこ万事は、神のみぞ知るだからのう」
フロリダス殿……と、呼びかけに向き直る。
「宿命という質草を、いったん宇宙に預けたと思えば。取りあげられる前に天寿を全うしちまえば、それで済む話しではある。その最善の結末へ至れるよう、これからは、これまで以上に、おのれの行動を律してほしい。危険なことをやっても、自分は死なない大丈夫などとは考えないでほしい。死ぬかもしれない窮地に陥ったときでも、死なないよう努力してほしい。みずからの死に対し、鈍感にならないでほしい」
「心得ました。サリアタ様。ありがとうございます」
「……約束して」
傍らの薄闇から魔女の声。
「あなたの命を守るその魔法……絶対、発動させないで」
微かに震えを帯びた強張った声だった。
その約束は、しかし。
いくら彼女の頼みでも自分が今後どうなるか。
だから、たぶん、おれは今。
……ポハンカ・セナに嘘をつく。
「わかりました。お約束します」
明朝の御者台にはチャルが座ると伝えに来られた村長が、就寝の挨拶を告げて去ったのち、場は、坐卓へ移った。
その角隅にひろげられたままだった双六用具をかたす二人の魔女と、その最後の勝者となった少年がすでに眠る布団は坐卓からいちばん遠い暗がり。
「われらが存在するこの宇宙を、宇宙たらしめんと働く真理のうちの一つを、私的に扱って命の守りに利用する。仕掛け人たる婆さんが言うところの森羅万象の復原力ってやつが、その一つの真理だ」
おれの隣でサリアタ様が、訊ねた疑問に答えてくれた。
「復原力という物理の言葉で呼ばれとる理由は、見かけに表れるその働きが、宇宙の屋台骨を支える力と見なせるからである、と、元ロボゴボの顧問魔術師様は仰っておられた」
卓上にあった遊戯札の箱を、弄りながら。
「パシオヴァル・シタヒンゼ魔法使い。古今東西の魔法論に通暁されてた凄いお方でのう。亡くなられて、もうだいぶ経つ。師がくたばってそう時を置かずに気づいたから、わしが四十に入る少し前。あらためてお会いしたんはその頃だ」
「その頃はあなたの頭も、ふっさふさだった。そういえば老はあのお歳で、髪の毛もお元気だったわねえ」
みずからの禿頭を撫でつつ、夫人の言葉に苦笑する。
「車椅子を愛用されておられてなあ。毎度お孫さんに押されて、現れるんだ。……やあ諸君、ご機嫌はいかがかな? 訪ねて参ったわしらの待つ客間へ、矍鑠と声をかけながら知的に引き締まった目元をわずかに綻ばす。懐かしいのう」
穏やかに微笑んだ。
「幸いにもわしは、ルイメレクが生前に結んどいてくれた縁のお陰で、学都が生んだ知識の泉に浴すること叶った。わが師にわしが叩き込まれたんは、おのれの混沌たるちからを整えて魔法化する効率のよい道理だったが、技術的に確立された古来よりの魔法使いたちの遺産、体系化された魔法の理論の数々は、老シタヒンゼから教わった」
片づけ終え、ゾミナ様の横に坐った魔女が対面を見る。
視線の先には、語る手元でたたずむ遊戯札の箱。
「諸君。この禁断魔法に関するわたしの説明は、その真髄を理解するうえでの間違いではない言語化であって、天地万物の復原力と名づけられた宇宙の真理の本質を、正確に言い当てたものではない。その点ご留意あれ。……確か、そんな前置きだったはず。そうして話しはじめた。……老師曰く」
背筋を伸ばした。
「例えば船だ」




