06
――村の中でもちらほら見かけたしねえ。悪さはせんから構わんけども、面妖な子だよ。あんなの初めてだわ。
口を利かない静かな子。
面妖な子……それって、もしや。
「なにかあったんですか? お聞かせ願えませんか」
――それがさあ、光の柱が立ったのよ。一本さっき。
「光りの……柱?」
――天に向かって、でっかいの。
咄嗟に夜空をうち仰いだ。
星の瞬く満天に、らしき光りは、どこにもなかった。
「なんですか、それ」
――知んない。あっという間に消えちゃった。でもほら、わたしってちから持ちの魔女じゃない? だから出どころはすぐわかったよね。あれは洞窟の子。間違いないよ。
洞窟の子……。
――立ちのぼった光りのたもとに居たのさ。あれまあ、あの子だよって。あっという間に消えちゃったけども。ほんとたまげたわ。わたしもかれこれ長いことお化けやってるけど、あんなの初めて拝んだよ。神様かと思った。
「光りのたもと。洞窟の子が居た場所は、どこでした?」
――ええとねえ。あ、思い出した。ゾミナがいつもメソルデって呼んでる女の子。三つ編みの金髪なんて名だっけ?
「メソルデ」
――枕もとだったよ。かわゆい顔で寝ておったの。ゾミナが目をかけてる子。おでこに徴はないのにのう。そういえばゾミナの足の裏にな、でっかい魚目ができておってな。
これは疑いないだろう。
メソルデ・クランチの枕もと――オズカラガス様が見たというその光りの発生源は……『倉持さおり』だ。
そこでふっと念頭に龍の彫り物のことが思い浮かんだ。
龍の柱……フンダンサマの御神体。
光の柱……古霊の巫女サオリ・クラモチ。
関連があるかどうか、わからないが。
「その件サリアタ様にお伝えします」
――カユの坊やはもう知ってるよ。女房の足の裏事情。
「オズカラガス様」
箱屋へ一歩、近づく。
「先ほどお聞きしました龍の彫り物のことなんですが。それについて、わたしからもお伺いしてよろしいでしょうか」
――龍の彫り物? なんの話しだ。
「村屋でサリアタ様がお訊ねした件です。オズカラガス様がご存命であられた三百年前。木枯らしの晩に村屋で目にされたフンダンサマは、龍の彫り物だったと」
――ああ、そこらのことはさっきカユの坊やに申したぞ。わたしの骨が埋まる土中だ。最近そこでも見た気がする。よくよく知りたいのなら、わたしに聞くな。見ておいで。
「わかりました。拝見させて頂こうと思います。明日」
――え? あした? ええと明日の空模様はねえ……。
「しかしながら。旧墓地の地下神殿に置かれてあったその龍の彫り物を、オズカラガス様は、村屋でも目にされています。それは、なぜですか?」
――まだ聞くか。しつこいな。
「番人のクランチ様が、持って来られたんですか?」
――そう。だったような気がするな。
「目的はなんでしょう。なにもせずに見ていただけとのお話しでしたが、そうなった経緯には、そもそもの目的があったはずなんです。龍の彫り物を神殿から持ち出す目的が」
――うん。たしかに。
「わたしが知りたいのはそこなのです」
――なるほどな。
「クランチ様のその目的。憶えておられませんか?」
――うん。憶えてない。
「些細なことでも……」
構わないのですが……と呟いたおれに明日は曇りのち晴れと答えるオズカラガス様。
午後からは、雨の心配はないらしい。
……だめか。
フンダンサマの御神体が村屋にあった理由。
その点はルイメレクも問い質しているとの話しであり、当時も糠に釘を打つような反応に終始されたようだった。
――朝方は、降るかもしれんから傘を忘れるな。
そこを直截に訊ねても答えを引き出すのは難しそうだ。
試しに、質問の角度を変えてみるか。
これで駄目なら諦めよう。
「では最後に一つだけ。木枯らしが吹いた三百年前の晩」
――おまえも大概しつこいな。
「申しわけありません」
言葉を選んで問いかけた。
「その晩のことです。クランチ様が、龍の彫り物を眺めているそのご様子を、オズカラガス様はご覧になっている。オズカラガス様ご自身も、村屋にいらっしゃったわけです。その夜、なんの用事で、村屋へ出向かれたのですか?」
――ああ? それは、だな……。
言い差して、声が、途切れた。
耳鳴りは止んでいず、存在感も箱屋の中に残ったまま。
沈黙だった。
不意のその沈黙に、内観を感じ取る。
黙って反応を待っていると、ややあってのち。
――なんの用事で……村屋へ出向かれたのですか。
小声で、おれの質問が繰り返された。
抑揚の薄い、ゆったりとした口調で。
――あの晩わたしは、どうして村屋に行ったんだろう。
気配がそこで眼前から、かき消えた。
煩わしい耳鳴りもぱたりと止んだ。
「……え? あれ?」
たちまち静まり返った井戸屋形。
空き地の夜をすぐさま窺うが存在感はどこにもない。
オズカラガス様は、対話の場から、去ったようだ。
唐突な終わりに唖然となる。
木枯らしの晩に村屋へ出向いた理由と、フンダンサマの御神体が村屋にあった理由とは、通じている可能性があり。
出向いた事情から手がかりを……と思ったのだが。
仕方ない。
ため息がこぼれた。
箱屋の横にある水甕の蓋をあけ、柄杓を浸けた。
足元に置いたままの明かりに屈み、白塗り茶碗を洗う。
ただ、おれの質問を繰り返した口調はなんか変だった。
感情が、打って変わったように乏しくなっていた。
(その様子がよ。同じなんだ。百年前のあのときと)
百年前にしろ、先刻にしろ、雰囲気が変わった。
もしかしてオズカラガス様……村屋に行ったのか?
当時の自分の行動を思い出したのか?
仮にそうでも、村屋には今、サリアタ様がおられる。
三百年前の証人の発言を聞き逃すことはないだろう。
ともかく、急いで戻ろう。
サオリ・クラモチが起因と思われる新たな情報も得られたし、それに、セナ魔法使いのことも……。
(言っておくけど、それ、禁じ手の魔法だから。カユの坊やにばれたら怒られるやつだから。ぜったい内緒な?)
どうしよう……。
悩みどころは、こちらへ差し伸べられたその手が、禁じ手だったからではない。
隠し事が、できてしまったことだ。
もちろん許されざる魔法をわが身に含んだことこそ問題なのかもしれないが、信頼する魔女から、この未来でポハンカ・セナの願いが叶うと言われたら……。
拒む選択はおれにはないのだった。
だから、怒られるのを覚悟で告げるべきだろうか。
それとも黙っているべきか。
ひとまず、オズカラガス様がお節介と答えた――森羅万象の復原力なる言葉が意味するところだけでも、それとなく聞いてみようかな……。
ふと、洗う手をとめた傍らで、地面を照らす提灯の火。
その時だった。
突然ぐわんぐわんと耳鳴りが。
――それがなにかはわたしも知んない。
井戸屋形の内に、ふたたび。
――憶えというものはだな。どうでもよくないことに限られるの。魔法使いとして学び得た業などはその好例。後生大事な心残りだ。つまるところ、憶えてないということはよ。それが、どうでもよいことだからでね。忘れてしまって当然なの。カユの坊やはわたしのことを惚けた惚けた言うけれど、これっぽちも惚けてはおらんの。あの子は昔っから口が悪かったのよ。師匠にしてからがそうだった。あの白髪葱めが。何度も何度も唾を飛ばしおって。ああ腹立ってきた。
屈んだままで呆然と、おれは小窓を見あげていた。
語り口は、普段の調子に戻っていた。
――ところで、わたしはなんで箱屋ん中にいるの?
「ええと、それはですね」
今し方まで自分と話しをしていたと答えると、ふうん、とまるで他人事のような反応が返り。
――ならば話しはここまでだ。じゃあね。
お水よろしく……と言い添えて遠ざかっていく存在感。
呆気にとられた彼方で響くビルヴァの魔女の幽かな声。
――マルギト・ホトトギス。明けない夜に、どうか夜明けを。闇を呑み込む断乎たる光りとなれ。……ありがとう。
そうしておれのおでこの眼は、完全に鳴り止んだ。
提灯の柄を右手に持ち、水を湛えた白塗り茶碗を左手に持って、草履の底をぱったんぱったん、来た道を引き返す。
歩きながらビルヴァの夜空を見あげた。
(天に向かって、でっかいの)
光の柱とはまた、不可解な話しであったが、しかし。
その目撃者はオズカラガス様であり、そしてその発生源として濃厚なのは、サオリ・クラモチなのだった。
事実である見込みが高いだろう。
三百年前から当地を見つめる存在が、初めて見たと驚いて言う一筋の光芒……『倉持さおり』……聖なる魔女。
雲が、いつのまにやらあちらこちらに掛かっていた。
明日の天気は、曇りのち晴れ。
星間の欠けた天空で吐息をついて目線を行く手へやったところで――思わず、足がとまった。
先の夜道に、ぽつんと浮かぶ緑の光り。
夜陰に佇むように点っていたのだった。
ゾミナ邸に居るはずだった。
双六で遊んでいるはずだった。
けれども、間違いなかった。
ぞくり背筋が粟立ったからだ。
姿は見えずとも確かに今、刹那に視線が重なった。
とくんとくんと鼓動が速まる。
ご本人を前にする心の準備が、まだだった。
深呼吸をひとつして、踏み出した。
すると彼方の光りも揺れうごき、足音を微かに聞く。
近づいてくる神秘の左手のうちに映る、妙なる人影。
おれは、彼女に、なにをしてあげられるのだろう。
「セナ様……」
緑光に包まれた魔女が目の前で立ちどまった。
寝間着の貫頭衣の上に、自前の外套を羽織っていた。
結われていない黒髪は背に流れ、夜風に吹かれていた。
「お爺ちゃんから、話しは終わったって聞いたから」
「……どうして村屋に?」
「こっちで寝ることになったの。ゾミナ様も来てるわ」
「ああ、そうなんですか。なるほど……」
「先生これ」
差し出した右手が握っていたのは、紐のついた小袋。
目隠しのお守りだった。
「と言っても両手、ふさがってるわね。はい」
組紐の輪をひろげて持ちあげて、おれを見た。
従って、すみません……と頭を垂れる。
鼻腔をかすめた仄かな匂いは、石鹸の香料だった。
「……ありがとうございます」
首からさがるお守りを提灯で照らし、礼を言うと。
「でも、その灯りはもういらないわ。貸して」
揃って歩き出しながら、手渡した紙張りの内に灯る火を、彼女はふうっと吹き消した。
夜道を照らす光りは透き徹るような緑のみとなった。
目が馴染むにつれて辺りの暗がりまでもが明らかとなり、心細かった農村の道は一転して幻想的な夜景となった。
一瞬間、思考が停止した。
「なんの話しだったの? オズカラガス様」
「……先ほど。村屋に、おいでになられまして。その際に、龍の柱について確証が得られたんです。フンダンサマの御神体だったこと。それで、わたしも直接、お話しを……」
「そうなんだ。お爺ちゃんとも、その話しだったのかな」
聞いて顔を振り向けた。
「サリアタ様とも?」
「今さっき、わたしたちが村屋に来たときも、いらしてたのよ。声は聞こえなかったけど、話し込んでるふうだった」
やはり。
あの質問で、木枯らしの晩の出来事を思い出したか。
「ゾミナ様のお宅にね、いくつか遊び道具があって、遊んでたの。遊戯札とか双六とか。双六なんか三回やって三回ともアラムが、びりっけつ。悔しがって悔しがって。もう一回ってしつこいのよ。だから持ってきた。今お爺ちゃんも付き合わされてゾミナ様と三人でやってるわ。ねえ先生」
くすりと笑う。
「遊戯札も持ってきたの。ポウカーで勝負しない?」
「……いいですね。やりましょうか」
応じると、つんと澄まして微笑んで、おれを見た。
「わたし、負けないからね」
(そんな過去から這い上がらんとする娘の眼――)
返事の意味が、重なって、ひそやかに動揺する。
(――闇を呑み込む断乎たる光りとなれ)
水の揺れる茶碗の白が、緑に淡く染まっていた。
「はい。望むところです」




