表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
明けない夜
160/205

04

 換気のために窓はけてあったので、縁側の覗く裏戸から夜風が屋内を吹き通り、たびに蝋缶ろうかんの火が微かに揺れた。

 サリアタ様は卓上の空き皿を見つめていた。

 しかし、魔法使いのおでこの眼はオズカラガス様に向いているようで、相槌を打つように時々ちいさく頷く。

 おれの視界にその話し相手の姿は映らず声もまったく聞こえなかったが、ふと思い出したのは、ほこらへの水のおそなえ。

 そういえば今日おれは、一度も立ち寄っていなかった。

 来訪の目的はもしやそれかと、サリアタ様の反応を窺っているとやがてその口から笑い声が漏れた。


「こっちからしたら今は夜なんだよ。外はもう真っ暗なの。たしかに明日のうちに里へ帰るけどもな。うむ」


 違うにしても、お気に入りと聞いた白塗り茶碗に水を満たしてから今日のとこに就こうと考えていたら。


「フロリダス殿。婆さんがな、おまえさんの手で汲んだ水をご所望だ。わしの手じゃ嫌なんだと。すまんが、頼むよ」


 苦笑に応え。


「わかりました。そのつもりでおりましたので、早速」


 言いながら腰をあげた。

 すると不意にサリアタ様が、片腕をすっとこちらへ伸ばし、おれのうごきを制止するように手のひらを向けた。

 そうしてそのまま微動しない。

 卓上を見つめる目つきが、なにやら難しくなっている。

 どうしたのか。


「……なんだい婆さん。急にどうしたよ。んん?」


 優しく問いかけるようにそう言って、顔を振り向けた。

 老魔法使いが見やった先は、灯台の裏でぼんやりと照り返す板間いたのま――坐卓から少し離れた広間の中央付近だった。

 おれに向けられていた手のひらが、今度はそちらへ向かってゆっくりうごいて指差すと、身体をこちらへ傾けた。


「今な、婆さん。そこんとこに突っ立って、床をじっと見おろしとる……。急に雰囲気が変わりよった。その様子がよ。同じなんだ。百年前のあのときと」


「百年前の……」


 聞いて思わず声がひそみ、浮かせた腰を静かにおろす。


「フンダンサマの言葉が出たときですか? 確かその前にも、この村屋むらやで」


「そう。あの日に見せた様子と同じなんだよ。立ち位置も、雰囲気もな。こいつぁ婆さん……思い出しとるんか。さっきは師の悪口しか言わんかったが。確かめてみるか」


 言うなりサリアタ様は卓の下を覗き込むと段袋だんぶくろを引っ張りだし、ルイメレクの書き留めの束を手にぱらぱらめくってそこから四つ折りの紙を抜き取った。

 卓上にひらかれたそれは、分数の引き算の練習問題。

 その一問の解答欄に残る自身の幼い筆跡を、人差し指でなぞりながら、声を張って音読した。


「木枯らしの晩に、ここで見た。わたしが愛したクランチは、書庫の番人だったから。けれども、伝える口は絶えた」


 そこで顔をあげ、薄暗がりの板間いたのまに向かって。


「婆さんよ。そんときよ。あんた……なにを見た?」


 三百年前の過去へと投げられた問いに、固唾かたずをのむ。

 まもなくサリアタ様の右腕が、おもむろにもちあがり、おれの左肩をがしりとつかんだ。

 眉根を寄せた眼差しは、虚空の一点を見据えたまま。


「いま一度、聞かせてくれ。風で板戸が騒がしかったその晩だ。婆さんが見たそのフンダンサマは、なんだい?」


 おれの肩をつかむ五指ごしに、力がもった。

 そうしてりきんで揺さぶりながら、おれを見た。

 目つきは険しいままだったが、その口元には、笑みが。


「……龍の彫り物だとよ。木枯らしの晩ここで見たフンダンサマは、龍の形をしとったそうだ。やはり先生が正解だ」


 言って目元もふっとやわらげ、にやり、笑ったのだった。


 すうっと息を吸い込んで、すうっと吐き出した。

 おれの推理と、目撃者の証言とが、一致した。

 今となってはそうでなければ、齟齬そごが生じるところまで可能性の欠片かけらが組みあがり始めてはいたものの、思いがけずも登場した三百年前の証人の足踏みによって仮説の地固めは、これで充分に成ったと言えるだろう。


「決まりだな。御神体ごしんたいは手鏡じゃのうてあの柱だ」


「残る問題はそれが村屋にあった理由です」


「婆さんよ」


 サリアタ様が視線を振った。


「その龍の彫り物だがな。どうしてここにあったんだ? 番人のクランチ殿は、ここで、なにをしとった?」


 問いが続けて発せられた。

 ややあってのち、訊ねた顔が、わずかにかしぐ。


「……なんもしとらん言うとるわ。見ておっただけだと」


 なにもせずに見ていただけ?


「だがよ、眺めてしまいってのは、どうなんだろう」


 フンダンサマの御神体を、なにもせずに見ていただけ。


「わざわざ神殿から村屋に持ち込んでおいてなあ。なんかしら目的があっての行動のように思うんだがのう。まさか村衆こぞって彫刻の観賞会でもやっとったんか?」


 板間いたのまを見やったその目線が、おれの背後へ移ろった。


「ああ……いつもの婆さんに戻っちまったわ」


 吐息をついて、厚ぼったいまぶたを閉じた。


「そこんところはルイメレクも聞いておるんだが、当時もはっきりせんかったのよな。ろくな答えが返ってこんかったのを憶えとる。やっぱりそこらの内情までは知らんのか」


「その点に関しては、現物に当たるほかなさそうですね」


「うむ。師が疑っておったんはあの手鏡で、龍の柱のほうは、ただの飾りと見なしてた。あらためてわしらが注意深く、あの柱を調べることは、無駄とはならんはずだ」


 両目をひらいておれを見て、口を引き結んで頷いた。

 坐卓を照らす灯台の四つの火が、その時。

 風もないのに激しく揺らめき、陰影もざわめいた。

 あきらかに不自然なその現象を見て、ふと思い出す。

 昨夕、ビルヴァへ帰り着き、村屋の玄関の上がり口に座ったおれの足元に突如、出現した一本の柄杓ひしゃく――。

 即座に腰をあげた。


「ただ今お水を」


 とたんに火が揃って落ち着いたので、苦笑する。

 卓の隅に畳まれてあった紙張りの提灯ていとうに、蝋缶ろうかんの火を移しているとサリアタ様が裏戸の暗がりへ目をやりながら。


「ああ聞こえとらん聞こえとらん。お守りを首に掛けとるから。なにがし殿は今、婆さんの姿も声も認識外だ。……だから聞こえとらんて。話しを聞けよ。てかそのなにがし殿ってなんだよ」


 ともった灯りのを持って、会話の様子を窺う。


「マテワト・フロリダス殿は、魔法使いじゃないからさ。ゾミナがこしらえたお守りでおでこの眼を閉じてるの。昨日そこは話したろ。そうゾミナの……魚目うおのめの話しはもう聞いたよ、怒られっぞ。わかったわかった。わかったよ。うるさいな」


 出てったと呟いて、呆れたような顔をこちらへ向けた。


夜分やぶんに重ねてすまんがのう。婆さんがなあ、おまえさんと話しがしたいんだと。話しがしたかったことを思い出したらしいや。どうもそれで来たみたいだわ」


「ああ、そうなんですか。わたしと……」


「もう井戸んとこで待っておる。すまんが、水汲みの手間がてら、ちいと相手してやってくれ。お守りを預かろう」


 首から外し、手渡した。


「ついでに先生からも聞いてみてくれんか。龍の彫り物がこの村屋にあった理由。おまえさんの口から訊ねたら、また違った答えが返ってくるやもしれん」


 承知し、おれは縁側に出て、裏戸を閉めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ