03
ルイメレク亡きあと、森の秘密を引き継いだサリアタ様の置かれた立場を考慮すれば……なるほど。
ウチウ猫との共生関係は、互いの利害が一致する。
人間が葉隠れを望む土地を求める猛獣の群れ。
確かに、駆逐は下策だ。
「里の風呂端を流れる川……荒々しいあの渓川を、さらに遡った遠い上流にな。ホズ・レインジの高地から流れくだる清水の滝があってのう。その直下の浅い滝壺には、魚がたくさん棲んでおって、それを目当てに鳥たちが方々から集まってくる。どこぞで羽根にくっつけたか、垂れた糞に雑ざっておったんか、滝壺周りの景観はすっかりお花畑よ。季節の折々で花やぐ庭園のようにのう」
話しの行方に注目しつつ、耳を傾ける。
「そこへは、森の獣たちも集まってくる。淵なら確実に魚がおるし、鳥たちの食い残しもあったりするからの。狩りにしくじって食餌にありつけんで、ひもじいもんもなかにはおるだろうから、毎日なにかしらが、ちょこちょこやってきよるのよ。だから滝壺には、魚と、鳥と、獣が……。爪の鋭い猫どもにとって、これ以上ない餌場だわな。連中はそこを縄張りとしながらも、縄張りの痕跡を残さぬことで、罠を張っておる。いやはや感心したね。まったく賢いやつらだよ」
手元の皿に向いていた瞳が、こちらへ移ろい、頷いた。
どうやら、そこが、おれの目的地らしい。
「流れ落ちる滝のちょうど真うしろ。その崖ん中だ」
ご先祖の書庫の在処――。
「滝の裏に、隠されてあったんですか」
「それも完全にな。出入りの口となる滝の崖下が、土砂で厚く塞がれとった。書庫は、その奥。地下神殿と同じような造りの岩室でのう。どうやってこしらえたんだか、巨石を組んだ空間が、崖ん中にすっぽり埋め込まれてあった。しかもだ。その図体にも関わらず、千里眼で視えんかったのよ。見つめれば見つめるほど、焦点が、ぼやけちまって」
「どういうことです?」
わからん、と首を横に振った。
「例によってルイメレクが、わしに命じてなあ。サオリから得られた情報をもとに、ドレスンがひろげた地図の一点を指差して、ここを視ろと……この辺りの地中に不自然な異物が大量に埋まっている、それを探せとな。けれども、指示された着眼点に視えたんは、流れる滝とその崖と、花咲く滝壺を泳ぐ魚たち。崖の内部に意識を集中しても、焦点がうまく絞れんで、真っ黒に抜けた空間としか認識できんかった。だからわしはあっちこっち眼を飛ばし、狙いの異物を周辺の土中に探しまわった。そんでもどこにも見つからんでな。しびれを切らして師が、ひとまず現場へ行ってみようと言った。おまえが最初にとらえた滝裏の黒い空間が怪しいと」
「千里眼で見透せなかったその原因は、結界?」
「わからんのよ。わしらが書庫を暴いて以後、すっかり消えちまったんだ。だから今はもう中身は丸見えで、周辺の土ん中も含めて原因を探してはみたんだが、科学的にも魔法的にも、なんの仕掛けも見つからんかった。ただ、どういうわけだか、崖下んとこ、結界を張ろうにも具合よく張り切れんでなあ。こっちで書庫を隠すとなると、滝壺ごと土地をすっぽり覆うほかなくってのう。そんで結界は控えた事情よ」
うむ……と、小首を傾げた。
「まあ、それはともあれだ。ご先祖は、書庫の出入りの口封じのみならず、魔法による探知をも封じた。そこは間違いなかろうな。隠した物が、物だからのう。抜かりなく対策しとったようだ。あらかじめ所在を知る者でなければ、到底たどり着けん場所だったよ」
「なるほど。その案内が、ビルヴァ代々の番人にたくされたお役目だったわけですね」
「そういうこったな。……昨晩おまえさんに話したんはルイメレクが、書庫の隠し場所を知ったところまでだったよな。発見時の様子については、話しとらんよな」
「ええ、お聞きしてません」
そうだよな、と呟き頷いて、暫しの沈黙。
やがて、くすくす笑い、口をひらいた。
「かろうじて、わしが視て取った疑惑の空間は、落ちる滝の裏っかわ……その崖ん中だった。そこの岩壁は長年の飛沫でか抉れたように窪んでおって、わずかに足場ができとった。ルイメレクとドレスンのあとに続いてわしも滝の脇から入り込み、崖下の壁面を近くで見たが、不自然なところはどこにもない。ただ、指でほじくるだけで土塊がぼろぼろ崩れるくらい軟らかい壁でな。これなら掘れると師が言って、わしらはいったんビルヴァへ戻った。道具を借りるためだ。当時すでに村長は、旧墓地での神殿発見に立ち会っておったんで、すっかり協力的でなあ。借り受けた鍬を担いで現場へ舞い戻ったんは、四人だった。村長も勇んでついてきたのよ。まあ、目的がビルヴァの過去の発掘だからな。手助けも兼ねて師が誘ったんかもしれんが、再度の立ち会いに興奮しとって。のりのりだったわ」
「村長様のお気持ち、よくわかります。その場にわたしがあったなら、以上に浮き足立っていたはずです」
「現場では、わしも鍬を振るったよ。子供の力でも掘れちまうほど脆い地盤だった。だから穴掘りよりも天井のほうが心配でなあ。今にも崩れて落ちやしないかと、ひやひやしながら数メートル掘り進んだ……ところでだ。どぼん」
どぼん?
「落っこちたんは天井じゃのうて村長だった。休憩中に足すべらせて滝壺に落ちよったのよ。助けて泳げない助けてと叫びながら浮き沈みする頭に向かってわしらが鍬の柄を差し伸べて引き揚げて、ご本人の窮地は脱したものの村長さん、全身ずぶ濡れだ。着替えなんか持ってきとらんし、上々だった気分が、だだ下がりでのう。すっかり口数の少なくなった滴る村長の隣で笑いを堪えつつ振るっておったら、そのときよ。全員の鍬が、がこん、と固いなにかに当たったんだ」
心が、前のめりになる。
「土を払って見るとそれは、木の板だった。水気を含んで腐りきった巨きな板。そんなもんが、進路を阻むように土中に埋まってあったんだ。しかもその表面には、なんらかの絵柄の片割れみたいな模様が刻まれてあってのう。これはもう間違いないと。この奥だと。一斉にがりがり削ってがんがん叩いて、無遠慮に板をぶっ壊した。そうしたらな。板の向こうに、木造の通路があらわれたのよ。大人ひとり立って歩ける寸法の、真っ暗闇の奥へと延びる一本の通路が」
目の当たりにする状況が想像され、鳥肌が立った。
「角灯を持ったルイメレクを先頭に、その狭い通路へ、わしらは踏み入った。喩えようもない匂い。するとすぐに師が、扉だと言った。見ると前方は板壁で、その下んところに小さな木戸がある。あちこち触って開くぞと言った。ぎぎぎ……と軋む音が聞こえ、屈んで覗き込む師の影が、彼方の闇を窺う。まだ道が続いていると言った。わしらも潜って歩き出す。進んでまもなく、また師が、下に扉だと言った。開けるぞと言った。そしたらまた先は道だと言う。村長が寒いと言った。わしらはふたたび歩き出す。……結局な、扉のついた板壁は全部で六枚あってのう。通路が等間隔に区切られてあったのよ。そうして六枚目の扉だった。ルイメレクが開けるぞと言った。ききっと軋む音が聞こえ、続けて、師の息をのむ声が。その先に道はもうなかった。ついに発見だ。ビルヴァの民が守り続け、森の深みに失っていた……禁断の火薬庫をな」
サリアタ様が、にこり、微笑んだ。
弛んだその表情を見て、張った背からも力が抜けた。
書庫発見の様子を聞いて、思う。
なんという甘美な体験であろう。
暴かれた通路から、隠された書庫へ。
興味深いのは、その構造。
石造の書庫とつながる木造の通路に、六枚の板壁。
出入口と書庫との間に、複数の区画が設けられていた。
その区切りは、たぶん。
書庫内を密室に近づける空気調節……。
「本の保存状態はどうでしたか。傷んで読めなくなっていた本などは、ありましたか」
「そういうのは、なかったと思うよ。今はどれも埃かぶっちまっとるが、本としてはきれいなもんだ。大丈夫」
紙の最大の弱点は、火だが、次点で湿気が避けられる。
原料の竹繊維を蝕む微生物の繁殖を促すからだ。
書物の長期保存に水場の近傍はまったく適さないのだが、外気の高い湿度を計算に入れてまでご先祖は、滝の裏手に書庫を築いた……いや、そこまでは、なんとも言えないか。
その施工が成された千年前は、山麓に森は未だ形成されておらず、川も、流れていなかった可能性が残る。
書庫の外が水場となった点は、想定外かもしれない。
「通路のほうは、いかがです。発見時の状態は」
「ああ、そっちはねえ。滝に近い外側んところ。腐りきってて酷かった。廊下の造りは一枚のでっかい板を四方に張りつけたような感じなんだが、あちこち撓んで反り返って、床はわしらの足跡でぼっこぼこ。そんでも書庫の近くらへんは今もしっかりしとるんだよな。灰色に褪せちまってはおるが、千年ちかくも無人だったとは思えんほどだよ。そういやそこの仕切りのような板壁……師曰く、滝から入り込む湿った空気を乾かす空間をつくるためなんじゃないかって。そんなこと言っとった。確かにそうかもしれん」
外気から流入する水分を木材が吸収し、通路の外側へ逃がすなんらかの仕組みがおそらく施されているのだろう。
地中に埋まる木造建築物の乾燥を維持する空気循環の構造と思うが、水分の許容量を超えた部分は腐ってしまった。
「ところでな。話していて思い出したんだが」
言って、ふと思案顔になり。
「ちいと気になってたことがあってのう。書庫が隠されてあった滝のその川筋な。蒸気機関が残されとったあの洞窟前を流れる川と、つながっとるんだよ。上流と下流なんだ。そこんとこ、なんか意味があるんかのう。その位置関係」
そうだった。
ご先祖の蒸気機関が見つかった場所も、ご先祖の書庫が見つかった場所と、同じことが言える。
あの化学的動力源の稼働に水は必須の物質だが、湿気による本体の酸化は、なにより避けなければならない問題。
鉄造の機械が山間の洞窟に設置された当時、あの場所は、川の傍ではなかった可能性が。
「難しいところですね。ご先祖がホズ・レインジ山麓に現れた当時、一帯に森林はまだなかったはずで、その土地に水の流れが、生じていたかどうか。そこが定かでありません」
「ああ、そうか。無かったんは森だけでなく、川もか」
「あの渓川が、すでにそこに形成されていたならば、ご先祖の書庫と蒸気機関とは上流と下流。一本の川で結ばれることになり、なにかしらの意図があってもおかしくない。ですが渓谷を伝う川筋が、のちに生じたものであったなら双方の位置関係は、偶然。意図を含む線は薄くなります」
うむ、とサリアタ様がそこで小さく唸った時。
裏戸が、がたがたがたと音を発て、ひらかれた。
アラマルグが来たと思って目を凝らした夜の縁側に、しかし、誰の姿もない様子。
すると。
「だからなんでわざわざ開けて入ってくんだよ。関係ないだろ。……だからなんで閉めないんだよ」
村屋に来たのは、オズカラガス様のようだ。




