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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
真偽の天秤
153/205

07

 小走りでゆく裏通りの先に、三角屋根が見えてきた。


 一刻も早く戻りたかったので復路ふくろもあえて往路おうろを引き返す遠回りを選んだ。

 裏庭に現れたアラマルグは井戸屋形が建つ空き地を抜ける近道で村屋むらやへ来ており、共同浴場の前を通った際にあちこちから声をかけられたと言う。

 湯が、もうじき沸くとのことだった。


 転ばない程度の急ぎ足でまもなく到着。

 ただいまと少年が走り込んだ玄関におれも続いた。


「あ、カユ。先生、戻られたわよ」


 ゾミナ様の隣の席で、卓上の帳面を見おろしていた老魔法使いが目線をあげた。


「おおフロリダス殿。かせちまったようですまんの」


「見つかったんですか? メソルデさんの過去生が」


 呼吸を整えながら歩み寄る。


「ああ。雪崩なだれを打ったように一気にきたわ」


「さ、座って先生」


 促すゾミナ様に応じ、メソルデの隣の椅子を引く。

 長椅子のセナ魔法使いと目が合った。

 小さくこくんと頷いたので、頷き返す。

 夜色のその膝上には革表紙の日誌が乗っていた。

 アラマルグが彼女の隣に腰かけたのとほぼ同時に、おれも窓辺の席に腰をおろした。


「鳥肌がまだ治まらん。これを見てくれ」


 持ってきた木箱を卓に置くとサリアタ様が、険しい目つきで帳面をこちらへ押し出した。

 ひらかれたその頁には『沢田沖夏』の古語と、先ほどおれが書いた『巫女』の古語。

 ゾミナ様の雑記帳だった。

 が、その下に新たに、一歳のメソルデが口にした守護様の言葉『ウニクノテガミ』が書かれてあり、そしてさらにその下に書き込まれてあった文字列を、認めた瞬間。


「え?」


 固まった。

 唐突に、眼中に飛び込んできたそれは。

 ……『倉持さおり』……。

 昨夜、ご先祖の手帳の裏表紙に見た古語だった。


 なぜ……この名が……ここに?


 ばっと顔をあげ、サリアタ様を見返すと。


「やっぱり、そうだよなあ。その五文字の古語。クラモチ・サオリだよな?」


「ええ、そうです。そう……ですが、いったい、これは」


 戸惑いながら問い返す。

 すると困ったような表情になって。

 返った応えに、おれは絶句した。


「メソルデについとる守護様の名前のようなんだよ。ビルヴァの古霊これい……魔女っ子さんの生前の名前らしいんだ」


 言いながら木箱を手元へ引き寄せる。

 蓋を開け、書き留めの紙束を出して脇に置き、木箱の上下の向きを変えるとそのまま手帳を覗き込んだ。


「なんでもね」


 茫然となった耳に老魔女の声。


「メソルデの過去生にも、オキナツ・サワダ邸に現れた黒髪の女の子が居たんですって。その子との思い出が年輪に残ってたようなのよ。それで名前がわかったの」


 綺羅綺羅きらきらと木漏れ日の散る、静やかな林道だった。

 波音のに、たどり着いた扉の彼方だった。

 窓の向こうは、現実の庭だった。


「光りを」


 木箱をすべらせ窓へ近づける。

 そうして卓の陽当りに手帳を曝した。


「うむ。やはり間違いないな。わしがたのと同じ古語だ。フロリダス殿」


 顔をあげた。


「よもや、こことつながるとはのう」


 午後の明るい陽だまりの中に、その少女は立っていた。

 銀色に映えた水鏡みずかがみの傍らで、こちらを向いて。

 目のくりっとした、可愛らしい女の子だった。

 肩にかかる程度に切り揃えた黒髪に、一点の花飾り。


(初めまして。わたしを憶えていますか)


 確かにそう、おれに語りかけてきた幼い声のあの少女は、千年前の手帳に唯一、名を残した――。


 ……『倉持さおり』……本人?


 ぶわわわっと総毛立った。


「けれどもな。先方さんの素性は、わからんかった。そこまではこの子からも読み取れんかった。昇華しちまったか、はなから知らんかったのか」


 おれは諸腕もろうでをさすりながら、思わず。

 なにもわかりやしないのに室内をきょろきょろした。

 物語の中だけの存在だった登場人物が、その存在感を眼前にあらわしたような非現実的な感覚だった。


 ……倉持さおり。


「まあ、そんでも名前が見つかったんは、でかいよな」


 メソルデの魂の年輪から示されたその名前。

 ご先祖の手帳の裏表紙に書かれたその名前。


 それらは、ビルヴァの古代と結ばれている名であった。

 同姓同名の別人である率は、かなり低い。

 両名は、まず疑いなく、同一の人物を指している。


「宇宙船が、クグニエ海沖に沈められたのは、紀元元年」


 思考がようやく回り出した。

 ご先祖の手帳を示す。


「その歴史的瞬間を、の当たりにしたと思われる記述がありました。それが書かれた手帳に名を残した『倉持さおり』です。ビルヴァの古霊これいとの知己ちきが確定している『沢田沖夏』の存命年代も、これで確定したと言ってよいと思います」


 サリアタ様が吐息をついた。


「紀元前か。なんてこったい」


「そしてそれは『倉持さおり』……ビルヴァの古霊これいとの思い出をもつ、メソルデさんの過去生も同様です」


「そうなのよ先生」


 ゾミナ様が応えた。


「先生とメソルデ二人の過去生と、この子の守護様サオリ・クラモチの生前とは、生きた時代が重なってる。思ったとおり三人は知り合い同士。そこも確定と言ってよさそうよ」


「と申すのはな」


 木箱の蓋を閉めながら言う。


「おまえさんが体験のなかで入ったあの家だ。まったく同じ間取りの家が、メソルデの魂にもあったんだよ。この子の過去生もやはり、オキナツ・サワダ殿を知っておった」


 おれは目を見ひらいた。


「わたしの過去生についてもなにかわかったんですか?」


 訊ねると、うーんと唸って椅子の背凭せもたれを軋ませた。

 すると長椅子からセナ魔法使いが。


「フロリダス先生は、前世でも、先生だったのかも」


「あくまでも想像だ」


 苦笑する。


「オキナツ・サワダ邸とおんなじ間取りの家の、あの立派な円卓にな。何人もの人影が座っとる情景が視えたんだよ。それが皆どうも子供のようでな。なんだか学舎がくしゃでの授業風景を見るような気がしたもんだから、オキナツ・サワダ殿も学校の先生かもしれんなって話しをしてたのよ」


 ゾミナ様が穏やかに微笑んでおれを見た。


「わたしもなんとなく、そんな気がするのよね」


「だが、家のあるじらしき人物は、その名残りが、温かな感情とともに察せられただけでのう。姿はわからんかった」


「なるほど。生徒と……教師ですか」


「まあ、実際はどうあれ、この件にまつわる三人が三人とも、酷似する家の思い出を持っておる。オキナツ・サワダ邸が、三人の共通点になっとると考えてよさそうだ。だからなのか、そこんとこに触れたとたんだった。魔女っ子さんとの思い出が、せきを切ったごとくに流れ込んできたわけなんだが、そんときにな。もういっこ、わかったことがあってのう」


 目線をおれから正面に移し、にこり、微笑んだ。


「この子の過去生での名前だ。……メソルデや。おまえさんの魂に眠っておったその名。おまえさんの口から、フロリダス先生に教えてくれるかい?」


「はい」


 こくんと頷き応じ、少女は息を吸い込んだ。

 そうして恥ずかしそうに、おれをちらと見やってから。


「えと。ウニク・ビルヴァレスです」


 そう言ったのだった。

 うつ向き加減の、はにかんだその幼い横顔を。

 凝視。


「……ビルヴァレス? ……ウニク?」


 するとゾミナ様がおれの眼下を指差した。

 雑記帳に書かれた『ウニクノテガミ』をとんとん叩く。


「この最初の三文字。ウ・ニ・ク。同じでしょ? どうやら守護様ね、この子の過去生の名前を言ったようなのよ」


「しかも名字が、ビルヴァレス。ここの村名の由来となった家名とおんなじだ。これはもう決定的よな。メソルデの過去生は、ビルヴァの始祖の一人だ。そこであの子だよ」


 身をのり出した。


「先生の過去生に現れた、メソルデそっくりの女の子。あの子が……ウニク・ビルヴァレスなんじゃないんかのう」


 点と点が、重なり合う。


「瓜二つの顔からも、オキナツ・サワダ邸の思い出からしてもな。今生こんじょうのメソルデは、過去生でもあるウニクの血族で、千年越しの先祖返り。うむ。見込みどおりと言えそうだ」


 おれは雑記帳を見おろした。

 ……『ウニクノテガミ』……。

 ならば、この発言の真意は。

 ウニクの――と、云うことは。


「メソルデさんの守護様はサオリ・クラモチの霊。その生前と、ウニク・ビルヴァレスとは、親しい間柄だった。古来よりビルヴァに憑いていたサオリ・クラモチの霊が、メソルデさんの守護様となったのは、現代に生まれたメソルデさんが、ウニクの生まれ変わりだから。そのえんで」


 サリアタ様がルイメレクの書き留めを手に取った。


「うむ。わしらの見立てにしっくりはまる。濃厚と思う」


 つまり、サオリ・クラモチの魂にも、ウニク・ビルヴァレスとの思い出が残ってあった。

 その古霊これいが、庇護下に置いたメソルデの口を借り、ゾミナ様に向けて発した言葉が、ウニクノテガミ。


 テカガミ。


「ひとまずな。留守のあいだにわかったことは、そんなところだ。いやはや」


 見つめた老魔法使いの瞳は手に持つ紙面に落ちていた。


「まさかビルヴァの古霊これいが、サオリ・クラモチだったとはのう。まったくたまげたよ。だがこれではっきりしたな。先生が昨晩、指摘したとおり、ご先祖の手帳に書かれたその名のぬしは、禁書復元の首謀者じゃない。彼女は子供だ」


「ええ。サオリ・クラモチは、魔法使い。フナダマサマにお仕えした巫女であったと考えられます。その立場が関係するのは、樹海の書庫ではなく、旧墓地の地下神殿です」


「いかにも」


 目線が賢者の筆を追っていく。


「わしが憶えとるんは、宿題帳に書き取った言葉だけでなあ。ここで見たっていうそれだけだ。婆さんの口から手鏡の言葉が出たのかどうか、もう、わしにもわからんのです。けれども、旧墓地のほうで、ルイメレクが先に聞いとるのよな。木枯らしの吹く晩に……どこだっけな」


 紙束をめくる乾いた音。

 おれは隣へ顔を向け、問いかけた。


「メソルデさんは、旧墓地に行ったことはあるんですか」


「あ、はい。一度だけ。去年、初めて行きました」


「そのとき、地下にも入りましたか?」


「いえ。お話しを聞いただけです。屋根の下に大きな岩が置いてあって、入れないようになってました」


「ああ、そうですよね。あれをどかすのは、大変だ」


 メソルデの過去生を知る、サオリ・クラモチの発言。

 なんだろう……この感じ。

 まるで、お膳立てされたようなこの感じ。


 ウニクの手鏡。

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