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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
真偽の天秤
150/205

04

 古霊これいが居着くビルヴァの村の旧墓地に安置された手鏡。

 極めて高い反射率の鏡面、材質不明のなめらかな外枠。

 どう考えても、あれは先史文明の産物。

 メソルデの守護様に窺える古霊これいの巫女と、故郷を同じくする遺物であり、そしてそこに残っていた人の手の痕跡。


 関連を疑うには、充分だった。

 しかし、双方を結びつける明確な接点が、ない。


「お待ちください。今の段階では、そこまでは」


「ああ……そうだな。そこまではわからんか」


「その可能性を踏まえ、先に一つ、あきらかにしておきたい点があります。あきらかとはならずとも、蓋然がいぜん性が高いかどうかだけでも、確かめたい点が」


「なんだ?」


 サリアタ様が身を乗りだす。


「オズカラガス様が百年前、ルイメレク様ご一同に語られた、三百年前のビルヴァの記憶です。書庫の番人がフンダンサマと呼んだ対象物。生前のオズカラガス様が村屋むらやで目にされたそれは……手鏡……だったのでしょうか」


 口にすると、魔法使いの目つきが、すっと細まった。


「あの手鏡を御神体としたままでも、巫女の存在を否定することにはなりませんが、御神体としたままだと、やはりセナ様のお見立てが引っかかる。その原因を歴代の番人による持ち出しに求めることも、無理筋ではないのですが……こじつけに過ぎるのかなと。素直に、人間の所持品だったと考えるのが正しいように思えるのです。それを前提に据え、昨晩お伺いした書庫発見までの経緯を洗い直してみますと、オズカラガス様の証言に対するルイメレク様の事実誤認。その点しか、わたしには見つかりませんでした。いかがでしょうか。旧墓地の地下から持ち出されたフンダンサマを、手鏡と指定されたのは、ルイメレク様だったのではありませんか」


 重ねて問うと、サリアタ様は眉根をすぼめ、内観するような眼差しとなって椅子の背凭せもたれに寄りかかった。

 当時の記憶を掘り起こしているご様子であった。

 まもなく首をひねって言う。


「わからん。師はあれを御神体と決めつけておったんでな。わしも信じ切っておったからのう。わからんわ。だが、確かにな。そこしかないよな。ほじくれそうな穴っぽこ」


 互いに同時に頷いた。

 賢者が辿った一本道に見えたその枝道えだみちを、言葉に置き換え語ったことで、にわかに湧きあがってくる衝動があった。

 おれはその衝動を、言葉に置き換えた。


「手鏡を御神体とは見なさないこの筋道が、真実なのか、どうか。現時点ではわたしにもわかりません。ですが、この横道が、わたしにとって、本道のように思えるのです。……わたしが居るような気がするのです。この道の果ての景色のなかで、沢田沖夏が、待っているような気がするのです」


 そう告げた男の目を、老魔法使いは黙って見返した。

 やがてひらいたその口から、呟きが漏れた。


「ビルヴァにまつわるこの一件。底が深そうだのう」


 にやりと笑って頷いた。


「ちいと婆さんに聞いてみるか」


「お願いします」


 三百年前の木枯らしの晩。

 騒がしい夜の村屋に持ち込まれた、フンダンサマ。

 オズカラガス様が見たそれは、なんだったのか。

 三百年後の今、果たして確たる証言をいただけるか。


「泣いてる場合じゃないわね。話しがどんどん進んでる」


 身からメソルデをゆっくり離してゾミナ様が言った。

 傍らに立つ少女の頬を両手の親指で優しくぬぐい、自分と彼女の目元を布巾で、代わるがわる拭きながら。


「危険の兆しはあらわれていないのに、気持ちが先走ってしまったわ。過度な心配はあなたに許された機会を奪ってしまうかもしれないのよね。そんなことは、師として、あるまじきこと。あなたについた守護様だから……信じましょう」


 老魔女が寄り添う言葉に、メソルデの雨曇りがたちまち晴れ渡って頷くと、嬉しそうに首に抱きついた。

 その背を優しく撫でながら、ゾミナ様が顔を向ける。


「こちらにおられるマテワト・フロリダス先生が、どういうお方なのか。お話しを伺ってあなたも感じたはず」


 さ、お戻りなさいと促され、照れくさそうにおれの隣の椅子に戻ったメソルデが、正面の老魔法使いに目をとめた。

 厚ぼったいまぶたの奥で眼球がぎょろぎょろうごいていた。


「ところで、ぜんぜん関係ない話ししてもいい?」


 言われたので。


「ええ、もちろんです」


 応えると、夫人は、メソルデを見やりながら。


「この子がね、一歳になったばかりの頃にね。言葉を喋ったことがあったのよ。まだ、まともに喋れなかったのに、抱っこしていたわたしの顔をじっと見あげて、喋ったの。それもはっきりと」


 メソルデが、あ……と呟いた。

 これ前に話したことあったわよね、と、彼女に頷きかけた視線がおれに移る。


「でも意味はまったくわからなくって、喃語なんごがたまたま言葉のように聞こえただけかと思って笑い話になっちゃったんだけど。先生のさっきのお話しで、気づいたの。もしかしたら、あれ……古語だったんじゃないかしら」


 思わず目がひらいた。


「この子の守護様が喋ったのかも」


 興味深い話しが飛び出した。


「それは、どんな言葉でした? 憶えておられますか」


 前のめりで訊ねると、老魔女は首を横に小さく振った。

 わからないのか。


「でもね」


 天井を指差した。


「当時わたしがつけてた日誌が、あるのよ」


 そう言って、戸惑いを含んだ表情で、頷いたのだった。


「だめだ。話しにならん」


 サリアタ様がまぶたをあけた。


「師の悪口しか言わんわ。白髪葱しらがねぎめがどうたらこうたら。機嫌が悪い。待ってみても、思い出すかどうか」


 やはり、厳しいか。

 と、なると、残る当ては……。


「だが、待つまでもなかろうな。先生の見通しが正解だろう。ルイメレクの思い込みだった気がしてきた。ポハンカの見立てにしても。あの手鏡は、御神体じゃなかったんだ」


 そこでゾミナ様が言った。


「なら……旧墓地の、あの地下も? 神殿じゃなかったってことになるわけ? あそこはサオリの古巣と聞いたけど」


 魔法使いの老夫婦が、揃っておれを見た。

 ただちに思考をめぐらせる。


「書庫の在処ありかを、ルイメレク様に明かされたのは、樹海の御神木ごしんぼくに宿られていた女神おんながみ様。船の守り神を意味する正しい古語に呼応した地球神。サオリは……『巫女霊フナダマ』様だった」


 おれの言葉に、うむとサリアタ様が頷いた。


「あの地下空間の施工者せこうしゃの素性を、宇宙船の元機関部の人間たちとするご先祖の手帳からの推定と、彼らの管轄であった機関室にフナダマサマの神殿が設けられてあったとするマカウ・アリ記念館の情報からの推定は、かつてのサオリが、守っておられた船が、なんであったかを示唆します。それから、フナダマサマを意味する古語が書かれた手帳の一文です。そこには、手鏡を意味する言葉がありました」


(我々、手鏡を持ち出し。巫女霊の思い出、共に)


「神と手鏡。なにがしかの関わりを匂わせる記述でした。その手鏡に該当する先史文明の遺物が、安置されていた場所なのです。しかしながら、古代のその安置物には、人跡と思われる不自然なきずが残っていた」


 困ったことにね、と夫人が微笑む。


「ええ。困ったことに」


 おれも口元をゆるめて頷き返し、言い切った。


「わたしは、旧墓地の地下空間は、ルイメレク様の最終的なご判断のとおり、サオリを祭神さいじんとする神殿として建立されたと考えます。ただ、そこでおがまれていたまことの御神体として、同空間にあった柱の存在が、浮き彫りになっただけです」


「いかにも」


 サリアタ様の応じる強い声。


「龍が、がっつり彫られてあったよな」


 夫人を見やる。


「神殿の真ん中にあった小柄な柱だよ。おまえも見とるはずだぞ。手鏡が入っておった木箱を、支えとる柱。あれに彫られた意匠は、龍だったろ」


「ああ、あの彫刻?」


 小首を傾げた。


「ミラチエーゲは言ってなかったわよね。龍神様とは」


「言っとらん」


「気づかなかったのかしら」


「龍の片鱗でも感じとっておれば、その時点で考えを改めたろう。あの柱はどの角度から見てもラズマーフだからな」


「でも実際サオリが龍神様かどうかはわからないでしょ」


「まあな。見込みは高いが、龍とは限らん。……しっかし、あの柱って、うごかせたんかのう。婆さんが村屋で見聞きしたフンダンサマが、あれだったとすると」


 言いながらおれを見たので――ひとまず。

 話しを戻す。


「その証言を得たかったのですが、難しいようですね。ならば残る当ては、ルイメレク様が記されたあの書き留めしかありません。サリアタ様、確認をお願いできますか」


 立ちあがった。


「急いで取って参ります」


「ああ、わかった。わしの段袋だんぶくろだ。卓の下んとこな」


 座に断って席を離れ、玄関扉をひらいた時だった。

 二階でも扉の開く音がし、ぱたんと閉まった。


 外階段を降りてくる足音の下をくぐって振り返ると、途中で足をとめた二人がこちらを見おろした。


「あれっ、先生どこ行くの?」


「村屋に。すぐ戻る」


 アラマルグへ応えると、彼の後ろからセナ魔法使いが。


「なんかあったの? さっき、メソルデが大きな声で」


「あ……大丈夫です。詳しいところは、ゾミナ様に」


「そう。ならいいんだけど。びっくりしたわ」


 足元を見ながら階段を降りはじめた彼女の手には。

 一冊の小さな帳面があった。

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