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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
魔女の住む家
144/205

04

 お守りが納まる小袋の、口を締めくくった魔女の髪留め紐を首にかけ、胸元の違和感に安堵する。

 これで、目隠しを忘れることはなくなった。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 老魔女が愛用のくしを取り、流れるような黒髪を丁寧に、ゆっくりとかしはじめるセナ魔法使い。

 その慣れた手つきを、おれはポツ茶をすすりながら言葉少なに眺めていた。


 彼女は、おれを、虚構の英雄アンドルメイダにたとえた。

 アマンエイナの岩窟に籠もったその英雄は、そして孤独だったと彼女は言った――けれども。

 アンドルメイダは、孤独ではなかったとおれは思う。

 全知全忘ぜんちぜんぼう霊杖れいじょうギンガイユ。

 魔法使いはその最後ときも、三本足だったのだから……。

 ご先祖の書庫を、おれにとっての岩窟とするならば。

 おれにとってのギンガイユは……。


「もう一晩、泊まってけって。ゾミナ様が」


「ああ、そうですか。やはり村を発つのは、明日ですね」


 針金細工の花飾りが、まとめた髪に返り咲く。

 探る手元を見つめる瞳と、長い睫毛と、まばたきと。


「うん」


 窓辺で耀かがやく硝子玉。

 影の楕円が、さらに一寸ちょっとのびていた。




 からんからんと鈴が鳴り、工房の扉がふたたびひらいて、そう時を置かぬ頃だった。

 サリアタ様たちが帰ってきた。

 玄関で、靴底の泥を落とす敷石を取り合う老人と少年。

 ともに上着の前面がところどころ濡れており、アラマルグは銀髪の前半分が湿って顔面にべったり貼りついていた。

 なんでも、帰り際に立ち寄った井戸前の水槽で顔を洗ったついでにチャルと三人、息止め競争をやったのだと言う。


「ぼくが勝った」


「死ぬかと思った」


「けどチャルさん、途中で呼ばれちゃったからなあ」


 呼ばれたチャルは、風呂の湯沸かしに向かったと言う。

 オズカラガス様も競争に参加したらしく、勝ち誇っていたらしいが死んでいるので反則負けとのことだった。


「いやあ、くたびれた。こんなにも一時いちどきに結界を張り切るなんざ、まず、ないからのう。よっからせ」


 西側の長椅子に腰をおろし、ひと息つくサリアタ様。


「あとは先方さんが、どう出るかだなあ」


 様子からして、洞窟では何事もなかったようだ。

 迎えた口々が慰労の言葉を述べたのち、水槽での悪ふざけにゾミナ様が苦言を呈したが、強い口調ではなかった。

 話題は、すぐに切り替わった。




「――なるほどのう。留守の合間そんなことが」


 長椅子から眼差し細く、おれを見た。


「あなたに、それでお願いしたいの。先生の過去生を」


「わたしからもお願いします」


「うむ。わかった。おまえさんがその気なら、遠慮なく覗かせてもらおう。……バレストランドほら」


 隣に座ったアラマルグに、ほつれた手ぬぐいを渡す。


「先方さん、おのれの縄張りに細工されとるってのに、わしらの前にはとうとう出てこんかったわ。それがなにを意味するか。わしらのことは、眼中になかったんかのう」


 濡れた銀髪をわしゃわしゃ拭いている少年に目をやった。

 ゾミナ様が言う。


「やっぱり、先生が目的?」


「おまえの見立てどおりならな。古霊これいなんぞ、そう、ざらにおるもんじゃない。人気ひとけのない林道で、先生にちょっかいしたその女の子のお化けさん。洞窟に立ち入ったわしらを無視した例の魔女っ子さんだろう。その見込みが高いよ」


 サリアタ様の返答に、黒髪の魔女がこちらを向いた。

 ほら見なさい、とでも言いたげな顔である。


「どうやら。村に居着いとる謎の霊が興味をもったんは、村にやってきたお客人のようだの。この一件、まわり回って一番の謎は、マテワト・フロリダス。おまえさんかもな」


 にやり笑った。


「はてさて、その正体や、いかに」


「カユ。わたしたちが知りたいのはフロリダス先生の過去生というより、ここに居座ってる魔女っ子さんの素性のほう。だから年輪になにが視えても、余計なことは言わないで。先生は本来、ご自身の過去生を知ることは望まれてない」


「承知した」


 頷いてサリアタ様が、長椅子の背凭せもたれに寄りかかった。


「もっとも、先方さんと絡んだ過去生となると、だいぶん古い思い出になるだろうからのう。何代も前の過去生は、時とともに経験として昇華しちまう。そうなったらわしに読み取れるのは生まれ変わりの回数だけだ」


 おれの胸元あたりに目線をとどめた。


「発言を控えるほどの情報が、今も残っとるかどうか」


 そうして、老魔法使いは沈黙した。


 魂の年輪への透視が始まったようだ。

 初めての体験であり、曝す側の振る舞いがわからない。


「あのうサリアタ様。わたしは、どうしたら……」


「どうでも構わんよ。気楽にポツ茶でも飲んでてくれ」


「ああ、はい。わかりました……」


 ちからのその目遣いは、千里眼のときとはまた違った。

 千里眼では薄目をあけた半眼はんがんの状態だったが、今は厚いまぶたを大きくひらき、こちらをまっすぐに見据えている。

 するとすぐ。


「おっとっと。これは、これは……。んん?」


「なによ。もう見つかったの?」


「違う。守護様のお出ましだ。なんだろね。いやあ。やっぱり先生のような人間につく守護様は、普通じゃないな」


 感嘆するように呟いた。


「ちょっとカユ。守護様でも今は関係ないでしょ」


「わかっとる。ついでに視えちまったの。すまんすまん」


 ……守護様。

 そう呼ばれた存在についても、おれはなにも知らない。

 あくまで知識の一つとして理解するのみだ。

 命には、多かれ少なかれ、必ず。

 その命を庇護下に置く霊的存在がくという。

 だが、表立って働きかけることはなく、あたかも影のようにき従って高みから見守る存在であるため、その捉え方は魂の年輪と同様、頓着する対象ではないと聞く。

 人間は、守護様が誰かより、己にこそ頓着すべきと。

 ゾミナ様が言った。


「関係する過去生を見つけるのに、しばらくかかるはず。きのう先生にいただいたお土産みやげのお菓子、出しましょうか。ちょうど、おやつの時間」


「あっ、ぼくも食べたい」


「もちろんよ」


「取ってくるわ。どこにあるの?」


「そこの茶箪笥ちゃだんすの下から二番目。おいでアラム」


「わしも食べたい。わしのぶんもとっといて」


「あなた昨日もらったんでしょ。お約束できません」


「お皿はこれでいい?」


「それでいいわ。さ、お婆ちゃんの隣に座って」


 卓に置かれた木皿の上に、ころろん……と転がった。

 ボンボン菓子が、全部で四つ。


「アラムあんたは逆にもらい過ぎ」


 それを見て、あらためて思う。

 しょんぼりとした数の土産みやげになってしまった。


「こういうものはね、たくさんあれば幸せってわけじゃない。少しでいいの。少しがいいのよ」


 あおい瞳をほころばせた。


 いた茶碗に、セナ魔法使いがポツ茶をれてくれた。

 一個はメソルデに取り置いて、三個を割った欠片かけらをおれにも勧められ、さすがに遠慮したのだが、強く勧められてなお断るのは、失礼である。

 ひと欠片だけ頂いた。

 ほかの菓子では得難い、独特の香ばしい甘み。

 口中にひろがった時だった。


「フロリダス殿。ちょっといいか」


 長椅子から声が掛かった。


「体験の中で入った家な。どんな間取りだった」


 茶会の卓がにわかに静まる。

 ただちに思い出し、横並びの続きと答えた。

 入ってすぐの部屋の左右にひと部屋ずつと言い添えた。


「女の子を見たって言う大きな窓は、そのどっち側だ? 左と右、どっちの部屋にあった」


 ええと……それは……。


「右よ。机が置いてあった右側の部屋」


 代わりにセナ魔法使いが答えた。

 そう、そうだった。

 その机に向かう椅子に、おれは座ったのだ。


「うむ。だいぶん色褪せとるが、かろうじて原形をとどめておるな。見つかったかもしれん。上手じょうずの飾り扉があって、円卓があって、かまどがあって、書棚があって……。先生が体験で入った家の間取りと、おんなじ間取りの家だ。よっぽど印象深い場所なんだろうな。昇華せずに残っておったわ。たぶん、これは……いや、間違いないな」


 一拍ほど置いて、続けた。


「先生が住んどった家だよ。自分の家だ」


「えっ。わ、わたしの家?」


「この過去生でのな」


 セナ魔法使いが問う。


「ビルヴァに住んでたってこと?」


「場所は、わからん。わからんが、窓がひらいておってな。そこから大きな建物が、ちらっと見えとる。壁の色味が、茶色いから木造だと思うんだが、三階建てくらいはありそうだ。もっとかな。見切れてて、高さはようわからん」


 ゾミナ様が呟いた。


「三階建て程度の建物なら、あっちこちにあるわよねえ」


「年代もわからんのよなあ。暦があれば一発なんだが……んん? なんだなんだ、流れ込んでくるぞ。これは……。言葉だな。言葉が視える。なんだろう。なんの言葉だ。ああ、そういうことか。わかった。おまえさんの名前だ、名前」


「えっ。わ、わたしの名前?」


「この過去生でのな」


 そこでふと、セナ魔法使いと目が合った。

 前世でのおれの名前……。


「余計なことは喋るなと釘を刺されたがのう。これは申しても差し支えなかろう」


「ええ、構いません。聞かせてください」


 前のめりで訊ねると、サリアタ様が、ゆっくりと。


「サ・ワ・ダ・オ……キ・ナ・ツ」


 サワダオ・キナツ?


「その名前な、ここのご先祖が残した言葉と、たぶん同じ文字だ。おんなじ古語だと思う」


「名前の表記もわかったのですか?」


 なにか書くものはあるか、と夫人に言う。

 まもなくアラマルグが工房から帳面と筆箱を取ってくると、長椅子から腰をあげ、卓の脇に立った。

 そうしてひらかれた頁の白紙に、筆先をのせた。

 サリアタ様は古語を解さない。

 引かれていく字線は、つたなかったが、充分だった。

 そこにあらわれたのは、四つの表意文字だった。




   沢 田 沖 夏

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