06
「当時のビルヴァには答えられんかったその問いを、ルイメレクとドレスンは、彼らに代わって答えようとした。答えを見つけ出そうとした。そうして辿り着いたんが、地下神殿のあるじと、秘密の書庫だったわけだ……。婆さんの思い出のお陰でビルヴァは、なんとか過去を取り戻したが、それでも、わからんままだった。地球の秘密をかかえる彼らが、何者か。わしらの心には、それが痼となって残った。もう早、永遠に居座り続ける痼だ。鬱陶しいったらありゃしない」
くすくす笑う。
「その痼をだ。おまえさんが昨晩、摘みあげてくれた。それだけでも満足だったのに、思いがけず明くる日の今、きれいに除いてくれたんだ。もちろん、真実だとか事実とかも大事だよ。大事なんだけども、そこんところは、わしらにとってはいちばんではないんだな。いちばんは、現在を生きるわしらの心から、積年の痼が消えたこと。おのれは何者なのか。腑に落ちる答えが得られたことなんだ。それを語ってくれたんが、地球の言葉を研ぐ専門家。望むべく理想の口なんだから、言うことないのよ。そうだろ? ゾミナ」
ええ、そのとおり……と夫人は応じ、おれの右手の甲をぽんぽんとかるく叩くと、上から力強く握りしめた。
「先生のお陰で、ビルヴァはこれからの夜を、ぐっすりと眠れるわ。ありがとう。マテワト・フロリダス先祖学者」
老魔女の手のひらのやわらかさとは裏腹に、その肌から伝わってきたのは……強固な圧力であった。
番人から打ち明けられた書庫の重みを、再認識する。
「カユ、あなたもね。あなたは、フロリダス先生を、わたしたちのもとへ連れてきてくれた。寄る年波にも劣ろわず、やっぱり眼に曇りはないわ。あらためてそう思う。上出来です。よくやりました」
「そいつはどうも」
樹海の魔法使いが、さがった目尻を少し掻いた。
奥様からのお褒めの言葉に照れているご様子だったが、それが衆前だったからか、居心地悪そうなままで言う。
「ご先祖の手帳から始まったビルヴァの物語が、百年後にようやっと、終幕を迎えたような気がするよ」
「ミラチエーゲに、いい土産話しができたわね」
「わしはまだ……くたばらんぞ」
なんとなく場の空気が、総括のようなサリアタ様の発言に引きずられ、緩んだが。
ご先祖の手帳から始まったビルヴァの物語……。
幕引きは、まだ早い。
おれの推理が確かなら、今から三百年前にこの村を襲った大火事は、ビルヴァの血脈に起こった二度目の災難だったということになる。
千年来の役目はそこで途絶え、村の秘密は、そうして樹海の深みに消えたわけだが、もしかすると。
一度目の災難でも、そこで途絶えてしまった秘密が、あったかもわからない。
『彼■が月になった夜、誕■■を迎えた私を皆■お■い■てくれた。おどろ■■。うれしか■』
もう一つのビルヴァは、秘密と共に眠っている。
そんな気がして、ならなかった。
そこで、先ほど引っかかったことをおれは訊ねた。
蔵に残る村の古文書。
ゾミナ様が答えた。
「古文書と言ってもね、たかだか二百年かそこらのものなのよ。もっと古い記録も、お婆様が生きておられた頃まではあったと思うけど。全部、灰になってしまったようね」
「わたくしどもが目にすることの叶う、村の最古の記録は、二百五十年ほど前に書かれた出納帳です。大火から半世紀を経てようやく、このビルヴァが農村として息を吹き返したことが、確かに窺える記録でございます」
「なるほど……」
その時だった。
閉まっていた裏戸が、がたがたとひらいた。
陽当たりの縁側は無人であり、すぐにまた、がたがた閉じたと思ったら、がたがたひらいて、また閉じる。
ひらいて閉じてひらいて閉じてを繰り返す。
村屋の裏戸が、自己主張していた。
坐卓を囲む四人の魔法使いは、一斉に見やった裏口から視線をほぼ同時に、玄関のほうへ移ろわせた。
すると今度はそこの表戸が、がたがた、がたがた、ひらいて閉じてひらいて閉じてを繰り返す。
ゾミナ様が言う。
「なんだか、どっちの戸も建て付け悪いわねえ。柱がゆがんでるのかしら。棟梁にみてもらったら?」
「……そうですね。声かけときます」
「フロリダス殿」
騒々しくなった玄関をしばらく眺めていたサリアタ様が、おもむろに坐卓へ戻した目線を、おれに向けた。
そうして茶碗に手を添えながら。
「おまえさんが見通した……もう一つのビルヴァ……その案外の気づき……。きっかけは、バレストランドがみた霊の指差しだと言ったな」
「はい」
そうなのだった。
披瀝した一連の推理は、洞窟へとくだる階段の中途で思い及んだネルテサス報告書の記録と、現状との齟齬が起点となって展開したわけだが、おそらくそれだけでは、曲がりなりにもこの終点には至らなかったろう。
予期せぬ遭遇がなかったら、ビルヴァの文化遺産。
ただの見学で終わっていたに違いない。
「もう一つのビルヴァとの関係は、直接的にはないと思いますが。バレストランド魔法使いが真似た指先から、気づきを得たのは事実です」
答えると、うむと小さく頷いて、顔をわずかに傾けた。
「どうだい婆さん。さっき話した件、思い出したか?」
玄関を一瞥して氏がそう言うと、自動していた表戸が、ぴたりと止んだ。
「……だから違うっての」
「お婆様いい加減にして頂戴」
ゾミナ様の口調が尖る。
「お聞きしたいのはアラムがみた妙なお化けのことです」
「憶えないんか?」
「そのお化けね、ちから持ちの魔女っ子さんのようなのよ。でも、わたしに話したことないわよねえ。お客さん?」
「そう洞窟。出たんは隧道の口らへん。知っとるかい」
問いかけて、のんびりポツ茶を啜った。
なにかあったんですかと村長がゾミナ様に聞いている。
この件はクランチ氏が呼ばれる前の話しであったので、夫人と一緒に事情を説明していると不意に、ひらかれたままの表口で、わん……とひと声、犬が啼いた。
見ると庇の日陰にお座りをした小型犬が、玄関の上がり口の辺りを見あげながら尻尾をぶんぶん振っていた。
首輪をつけているので、どちら様かの飼い犬らしい。
「婆さんよ。犬っころと遊ぶのは、あとにしてくれんか」
村屋の戸は表も裏も、開け放たれたままだった。
高く昇った陽射しに外は明るく、屋内を吹き通ってゆく晴天下の風は爽やかで、心地好い。
雨色を纏うポハンカ・セナと目が合った。
互いになんとなく頷いて、彼女は睫毛をすっと伏せた。
長い黒髪の毛先が軽やかに、そよぐ。
「ああ、たぶん、それだな……。女の子……」
サリアタ様の声にすぐさま顔を向けた。
「ずっと洞窟におんのか。いつからおる」
「ちょっとお婆様。なんで話してくれないのよ」
どうやら……オズカラガス様は知っていたようだ。
「やだもう。そういうことなの?」
「なに者だい?」
「えっ?」
少年が驚いた声をあげ、ばっと玄関を見た。
「そうそう、そんな感じだった。やっぱりねっ」
「お婆様でもそれじゃあ。仕様がないわね」
「道理だったな。つかまらんわけだ」
「なんだか気味が悪いわ」
うむ……と呟いてサリアタ様は押し黙り、両腕を胸元で組んで、眼下の茶碗をじっと見つめたのだった。
目隠しのお守りを懐中する今のおれにはオズカラガス様の声も姿も不明であり、話しの推移がわからず、氏の口がひらくのをただ待つほかなかったが急にセナ魔法使いが顔をこちらへ近づけたので、ぎょっとなった。
彼女が囁く。




