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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
かたほとりの古――いにしえ
134/205

05

「ああ。開けっ放しだ婆さん。開けたんなら閉めとくれ」


 静まっていた屋内で、サリアタ様がそう呟くと、ひらかれたままだった目映まばゆい裏口が、がたがたと閉じていく。

 そうして裏戸は、とん、と小さな音をてたのだった。


 紀元前か、紀元後か。

 その推測を口に出し、言葉として定着させたことで、にわかに色づいた絵があった。

 そういうことであったかと……納得があった。


 心中しんちゅうから突きあげてくる、根拠のない確信。

 おれにしては珍しく漠然たる確信で、戸惑っていたが。

 理由が、わかった気がした。


 すでにこの絵が見えていたのだ。

 ビルヴァの地下洞窟の内で――水没していたあのみぎわで。

 そこで見えたのは、しかし、未完成の絵であった。

 絵の題名も見えなかった。

 見えた解を、導く式がわからなかったのである。

 洞窟と共に、等号の向こう側も、水没していたようだ。


(こんなふうにして、指差してたんだ。あの子……)


 被災した地下の住人たちに、新たな住処すみかを地上に――このビルヴァの村を築いてもらうには、彼らに、もう一つのビルヴァから脱出してもらわなければならない。

 そして、脱出に成功したならば、それは地球の箱庭が、袋小路ではなかったということになる。

 地下への扉はあの洞穴ほらあなだけではないということだ。


 ホズ・レインジ山麓からパガン台地にかけて、火山灰土壌の地中深く、長大な洞窟がひろがっていると予想する。

 先ほど歩いた地下道は、その末端であろう。

 ポトス湖との分岐点を経た洞窟の先で、水溜まりのほとりから、おれが望んだ闇の彼方。


 やはり……つながっていたのではないかと思う。


 同じ火成作用でも生成過程の異なる二つの洞窟。

 すなわち双方には、結び目が存在した。

 それが、もう一つのビルヴァ。

 地下に築かれたその潜伏拠点からは、あるいは複数の洞窟が蜘蛛手くもでのごとくに延びていた……かもしれない。

 だが、その時を……迎え……。

 彼らの選んだ避難経路は、東へと延びる洞窟だった。


(あの子、さっきはどこにもいなかったんだ。こっちから来たような気がする。そんな気がする)


 どんな思いで歩いたのだろう。

 もう戻れないその道を。

 地球から遠ざかっていく、その道を。

 親しんだ世界と決別し、新たな自己認識を確立すべく彼らが踏みしめた新天地は、広大な湖を望める土地だった。

 つまり。


 わが心中に点った根拠のない確信とは……古井戸跡。


 造成年代は不明と聞いたビルヴァの文化遺産。

 涸れ井戸では、なかった可能性。

 あの遺構は、地下への扉。

 いや、地上への扉……だったのではないか。


 人為的な掘削くっさくと思われた擂鉢すりばち状の窪地。

 あれは地表面のもろい土壌が、直下の洞窟からの貫通で、崩落した跡とも見なせよう。

 もし、そうならば、あの竪穴たてあなは。

 被災地から逃れた地下の住人たちが、地上に根づいた土地が、この場所だった理由となる。

 この村が、この場所に存在する答えとなる……。


「そうは思わんか、バレストランド」


 サリアタ様の声が耳に入り、思考をとめた。


「フロリダス先生が結んだ言葉は、わしらにとって、救いだ。この村がつくられたんは、ご先祖が大勢、生き延びたからなんじゃないかってことだからな」


 優しく微笑みながらの言葉に、うん、と頷き返した少年の肩を、老魔法使いは、ぽんと叩いて。


「そう考えると筋が一本まっすぐ通る。……確かに」


 おれを見た。


「一本だけとは限らんな。むしろ、一本しかなかった率のほうが低かろう。地下への扉。あの洞穴ほらあなのほかにもあったんだ。そこも潰れちまっとるかもわからんが、もう一つのビルヴァから、ご先祖たちがけ出した道が、この土地のどっかにあるはずだな。そういうことだろ」


 にやり、笑った。


「時空を超える道。あきらめるんは、まだ早いのでは?」


「そうよ。あなたらしくもない」


 セナ魔法使いが瞳を向けた。


「あなたが求める地球は、今もきっとそこにあるはず」


「ぼくも行ってみたいな。地球。先生と一緒に。さっきの洞窟探検みたくさ。男の約束だもんねっ」


「後継としてわたしも行ってみたいところだけど――」


「男の約束? なによそれ」


「――この足じゃあ、無理だわねえ」


「すまんな婆さん。あ? 違うよ、魚目うおのめのことじゃない」


「だいじょぶだって。ぼくがおんぶしてあげる」


「あら、嬉しい。けれども、アラムの背におぶさったら、地球に辿り着くまでの道中、二人してあたふたしそうだわ」


「その折には、せがれの背中をお使いください。ビルヴァが、ゾミナ様の足となります。ご案じ無用です」


「なんだよ言い出しっぺが。今度は黙りこくって」


 笑いながらおれを見ると、サリアタ様は飲みかけたポツ茶を、ゆっくりと口元から離した。

 茶碗が卓に置かれた時には、笑みは消えていた。


「……それでも。辿るのは無理なんか?」


 頷くように、おれはうなだれた。


「ビルヴァの開祖が辿った脱出経路。それがどこであったのか。思い至りました」


「どこだい?」


 伏せた顔をあげ、ふたたび静まった卓上に。

 古井戸跡についての見解をひろげたのだった。

 問うたのはサリアタ様だったが、おれはその見解をおもに、自身の右手側に向かって述べた。

 そちらに居られるお二方は、一千年のご子孫であった。


「――現在のこのビルヴァは、あの竪穴たてあなから始まった。そのように捉えますと、ここまでの一連の推理は、ごく自然の流れで、決着がつきます……。ただ、その点に関しましても、裏付けとなる証拠はありません。いずれもわたしの頭の中でのみ展開した、想像に過ぎません。ですので、あくまで可能性の一つとして、お納めいただければと」


 語り終え、自説の無遠慮を、お血筋のお二人に謝す。

 ゾミナ様の表情はおれからは見えなかったが、老魔女を見つめる村長の表情には、うっすら笑みが浮かんでいた。

 先に口をひらいたのはサリアタ様だった。

 深々とため息をついてから。


「なるほどの。時空を超えていく道は、水没しとったか」


「はい。現時点で、脱出経路ともくされる該当地点。もはや通行不能であることを、この目で確認いたしました」


 するとゾミナ様が、村長に向かって。


「あれを、枯れ井戸だって言い出したのは……御大おんだいじゃないわよねえ」


「ええ、違うと思います。御大おんだいも、伝え聞いた話しを書かれただけでしょう」


 そうよねえ……と夫人が呟き、こちらを向いた。


「誰が井戸って言ったのかは、もうわからないんだけれど。村のくらにね、ミラチエーゲと一緒に旧墓地を暴いたおさの日記があるのよ。隠居の身となって暇の潰しに書いてたらしくて、最近の若いもんはどうたらこうたら、思うままに日々をつづったつまんない日記なんだれども、そこにあの窪地は昔の枯れ井戸だろうって書いてあってね。鵜呑みにしてたのよね」


「あの場所について書かれた書物は、蔵に残る古文書こもんじょには一冊もないものですから。それで、てっきりわたしたちも井戸とばかり。はい」


 蔵に残る古文書?


「……なるほど。仮に、誤解だったとしてもです。あの遺構は、推定される年代から何百年もの時が流れております。意図的に塞がれたのかどうかは、わかりませんが、底の閉じた竪穴たてあなを、干上がった井戸とお考えになるのは、むしろ当然と存じます。わたしの捉え方のほうが異例なのです」


 応えると、ゾミナ様が村長へ手を伸ばした。


「わたしたちの祖先からの言い伝えと、お客様であるフロリダス先生のお見立て。さて、ビルヴァ当代は、どちらを信じますか?」


「考えるまでもございません。ご先祖様と申せども」


「同感」


 ふふふと微笑んだあおい瞳が、おれを見た。


「なんだか、すっきりしたわ。わたしたちが枯れ井戸と思ってたあの穴。このビルヴァを生んだ……母親の産道のようなものだったのね」


 そう言ってふたたび村長に。


「お聞きした先生のお話し、ひとわたり長老にも含んでおいてもらったほうがいいわ。憶えが新しいうちに、今晩にでもね。これはビルヴァの由緒だから、後代にも伝えなければと思うけれど、文字に起こすべきかしらねえ……」


 やりとりを聞いていて、ちょっと気になった。

 語りの最後に断ったとおり、すべては想像なのである。

 証拠と呼べるものは、一つもないのである。

 お二人の断定的な反応に、少し戸惑いを覚え、その点をいま一度、強調して申し述べると。


「フロリダス殿」


 サリアタ様が呼びかけた。

 見返した正面には、穏やかな微笑があった。


「わが師が百年前、このビルヴァを訪れ、面会した村長むらおさに問うたのは、つまりはこういうことなんだ。……おまえたちは、何者だ?」


 にっこり微笑む。

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