04
聞いた瞬間おれは飛び跳ねるように立ちあがった。
続いていた……跡?
氏が言葉を継ぐ。
「と、申すのもな。わしらの里山の下のほう。岩盤が砕けたような瓦礫がたくさん埋まっとるんだよ。深いとこにも瓦礫があって、隙間に土がびっしり詰まって石垣みたいになっとるんだ。先生こいつは、地崩れが幾度もあった跡だろ」
「地崩れ……」
直下に瓦礫の層が沈んでいる洞穴。
その奥に露出する山丘の岩盤とは、つながっていない。
そこで岩盤が、割れた?
深層地盤が沈降したことで、山の重みで、割れたのか?
呆然と、千里眼を使うサリアタ様を見おろすと以外の全員がおれを見あげていた。
立ちあがっただけだったので、即座に腰を落とす。
「奥の岩盤の切れ目。状態を教えていただけますか」
洞穴の下にも空洞は認められないと氏は言った。
だから、洞窟が続いていた跡。
続いていた洞窟は、地崩れの際に、まるごと潰れた。
そういうことか。
「岩盤はどっちも歪んでおって、噛み合っとらん。切れ目には土塊がぎゅうぎゅう詰まっとるんだが、あちこちに擦れて削れたみたいな傷がある」
岩盤の面と面とが不均一。
その状態は、断層だ。
そして随所に擦過痕。
地盤が揺さぶられた痕跡だろう。
実際に洞窟が続いていたかどうかはわからないが、あの場所で過去、地盤沈下が発生したのは間違いないようだ。
「サリアタ様。石垣のようになっているという瓦礫の層を、こまかく調査することは可能ですか?」
訊ねると、氏は頬をしかめた。
「ご先祖の足跡だろ? いま探しとるがのう。かなり手間取るぞ。瓦礫が埋まっとる範囲が、めちゃくちゃ広いんだよ。わしらの里山の幅より、でかいかもしれん」
その返答は、発生した地異の規模を伝えていた。
「参ったねこりゃ。不自然なもんが一個でも見つかればなあ。ここが、地下への扉だった証拠になるんだが。いかんせん広すぎるわ。見つからん」
それでよい。
見つからないほうが、よい。
渓流沿いの洞穴は、地下への扉ではなかった。
根拠のない確信はただの勘違い、大はずれだった。
それで終わりたい。
あの場所が、地下への扉であってはならない。
大規模な地盤沈下を起こした土地の地中に、ご先祖の足跡が、あってはならない。
思ったが、胸中の確信は、しかし。
大当たりだと告げるのだった。
あの洞穴こそが、地下への扉。
もう一つのビルヴァの村へ。
だが、地下への扉は、失われていた。
失われたのは……扉だけか?
おれは目を閉じた。
強固な岩盤を、破砕するほどの力。
そんな力の発生源は、ほかには思い当たらない。
地崩れを惹き起した震源は、ホズ・レインジ。
火山活動に起因する火山性地震……。
「フロリダス先生」
ゾミナ様がこちらを向いて、おれの右腕に手を添えた。
「サリアタの千里眼ね。探しものは苦手なのよ。疲れさせるだけだから、これ以上は、勘弁してやって」
ビルヴァの地下道を抜けた先だった。
霧のポトス湖を望んだ岸辺は、砂礫だった。
おそらくあれは、台地崖の崩落跡。
この土地ではかつて、地揺れが頻発していた可能性。
ネルテサス報告書にも関する記録は、なかったが。
「もちろんです。はい。もう充分です」
心に、虚しく響く鐘だった。
かあん……かあん……かかかあん……。
メイバドルの空に鳴り渡った、鐘の音だった。
「残る問題は、洞穴の奥が、閉じられた時期です」
「うむ。ご先祖の足跡が見つからんとなると、そういうことになるよな」
応えた魔法使いは、片手に茶碗を持っていた。
「あの洞穴……洞窟が続いとったんだ。でなきゃ、あんな断層にはならんだろう。もっとも結果は、期待外れだったろうが、おまえさんの推理は確かだとわしは思うぞ。もう一つのビルヴァ。ほんとうにあると思う。あるとは、思うんだが……時期の如何では、雲行きが怪しくなってくるのう」
どゆこと? と少年が、隣の魔女に小声で問うた。
おれが答える前に、彼女が小声で。
「もう一つのビルヴァの村は、地下の洞窟の中にあったのよ。そこで地崩れが起こったら、大変なことになるでしょ? だから、あの洞穴で地崩れが起こったのが、いつなのか。ご先祖様が来る前だったのか後だったのかが、問題なの」
少年から離れた瞳が、不安げにおれを見た。
そのとおりであり、ふたりに微笑み、頷いた。
「わしにも、そこまでは……。わからんわ」
ずずずずずと、ポツ茶を啜った。
紀元前か、紀元後か。
前者ならば、ご先祖の行動には影響しない。
当地に現れた時点で、渓流沿いの洞穴は現在と同じ状態だった考えられ、地下への扉ではない可能性が高くなる。
その場合は蒸気機関が置かれた理由も不明となるが、潜伏拠点とも無関係であったはず。
だが、後者だったなら。
蒸気機関が置かれていたあの場所は、地下への扉だった可能性が高くなる。
奥に続いていた洞窟は、潜伏拠点とつながっていたと考えられ、その場合。
仮にご先祖が、当地を火山帯と承知していたとしても、大規模な地崩れの発生は、非常事態となるだろう。
紀元前か、紀元後か……。
村屋の裏戸が、がたがたひらいた。
場の全員が顔を向けた裏口には、しかし、誰もおらず。
サリアタ様が呟いた。
「なんでわざわざ開けて入って来んだよ。関係ないだろ」
「お婆様ちょっと待っててくださる?」
ああ、どうやら、猫との喧嘩は終わったようだ。
「お聞きしたいことがあるんだけれど、フロリダス先生のお話しがまだ終わってないの。こっちのほうが大事なのよ」
そう言ってゾミナ様がおれに顔を振り向けた。
「先生は、どちらだと思われるの? もう一つのビルヴァの村が、できる前だったのか、後だったのか」
おれにもわからない問いだった。
答えを辿る足跡を、ご先祖は残していなかった。
あるいは、残していないことが。
答え……なのかもしれないと思った。
鳴り響く鐘が高らかに。
正午を告げた時計塔の前身は、ホズ・レインジの森から資源を得て、紀元三百年に建立された物見櫓だった。
建設の目的は、未知なる大地へ乗り込んだ開拓者たちの帰還目標の設置と、報告書は記す。
巻末には設計図も添付されてあって、その構造に、深く感心したのを憶えていた。
積木方式と呼ばれる工法が採用されていた。
垂直に立てた太い心柱を軸に、階層を一段一段、積みあげていく工法で、各階層は固定されない。
階層が個別に横すべりする余地をもつことで、地面から塔に伝わる揺動を相殺する仕組みなのである。
もとより高層建築物は倒壊事故が最重要の懸案事項であり、それを反映した基本設計だっただけの可能性もあるが、物見櫓の設計者は、当時のネルテサスにおいて。
震源地からの伝搬を、考慮したように思える。
後世メイバドルの象徴となったその古塔は、七百年後の今日に至るまで、一度の倒壊もないと聞く。
設計者の選択は、正しかったのかもしれない。
「わたしは、紀元後だったのではないかと思います。洞穴の奥を封じた地崩れが起こったのは紀元後――メイバドル建設が着手された紀元三百年以降であったろうと考えます。そう考える根拠は、現在のこのビルヴァの存在です」
おれの言葉に、村長がわずかに目線をあげた。
「地崩れの発生を紀元後に据えれば、蒸気機関が置かれた理由の説明がつきます。あの場所が、潜伏拠点と通じる地下への扉だったからだろうと。しかし、発生を紀元後としたならば、もう一つのビルヴァ現存の可能性は、厳しくなります。時空を超えていく道を、われわれが辿ることは、叶わないかもしれません。洞穴の奥の有り様が、書庫の番人の血脈に、決断を迫ったかもしれないと、思えるからです」
声量が、だんだんと小さくなっていくのを自覚する。
「山麓を襲った地震の影響で、もう一つのビルヴァは、修復不能の被害を受けてしまったのではないでしょうか。書庫の番人の血脈は、地球人の末裔で在り続けることを、放棄せざるを得ない状況に、立ち至ったのではないでしょうか。その結果が、現在のこのビルヴァ」
裏口から覗く陽だまりの庭を、子供たちが行き過ぎる。
「地上に、このビルヴァの村が築かれた理由のように思えるのです。わたしには、そう思えるのです」
チャルが去ってまもなく縁側に靴を揃えたのは、村長のクランチ氏だけであった。
昼の会食の支度で炊事場に入られていたようで、馳せ参じる途中で脱いだらしい割烹着を手に彼は現れた。
静寂の坐卓に向かうビルヴァ当代の膝元には、水と油の染みたそれが、折りたたまれ、置かれているはずである。




