05
地下への階段は、踏み面が狭く、結構な急勾配だった。
扉からのこの急な降りは中途の踊り場までと聞いたが、手摺りがなかったら、かなり危ない。
踏み外さぬよう、慎重な靴音が、闇に響く。
幅は大人一人ぶんしかなく、チャルを先頭にアラム少年が続いて、おれが最後だったので、なおさら慎重になった。
微かに生魚の匂いが雑じる空気のひんやりとした暗中を、一列になって降りていく。
三つの灯りが照らす周囲では、縦縞の影が列なって流れており、その影をつくり出しているのは、壁面に隙間なく埋め込まれた竹製の坑木であった。
竹は木材よりも強靭で圧力に強いため、鉱山などで天井地盤を支える梁とその脚によく使われる。
十メートルほど降ったところで小さな踊り場に出た。
西の山側に向かって延びていた階段は、そこで東の湖側へ転じ、段差も一転ゆるやかになった。
踏み面がひろくなって、だいぶ歩きやすくなった。
なんとなくだが、下のこの階段は古井戸の底から掘り抜いて、先に造られたのではなかろうか。
中間踊り場から上の急勾配は、地上とつなげるための帳尻合わせのように感じた。
足元への注意が薄らぎ、階段を降りながら目が向いた坑木の竹材はどれも、新しいもののように見えた。
聞いてみると、先月交換したばかりとのこと。
階段周りは温度が高く傷みやすいので、頻繁に点検しているとの話しであった。
成育がすこぶる早く、なおかつ多用性に富む竹は、われわれの文明をも支えてきた植物と言って、過言ではない。
建築材としてのみならず、食用あるいは紙や炭などの消耗品の原材料として、古来より必需の植物であった。
その点は、ご先祖の移住計画に含まれていたらしく、記録によると宇宙船には竹株がたくさん積み込まれ、冷凍保存されていたと云う。
ロヴリアンスの大地に根をのばし、この星の上にひろがった最初の森は、竹の群生であったと後世に伝わる。
…………。
「この星に、ひろがった、最初の森」
階段の途中で足がとまった。
そうだった。
そうなのだ。
この星の生態系の地球化は、紀元前。
宇宙船の放棄前に実行された緑化計画の第一段階――蘚苔植物群の散布が、始まりだった。
(本以外では、この星の精巧な惑星儀がある。それから、大判の写真も大量に残されとった)
過ぎったのは、書庫の内容についての氏の返答。
(だが、面白味はないよ。どれも地図みたいな写真で、この星の大地を雲の上から撮ったような、殺風景なものばかりだった。視点は珍しいがな)
手帳を残したご先祖が、このパガン台地に現れた当時。
ホズ・レインジ山麓は、まだ、森ではなかった……。
草木一つない、殺風景な土地だったはず。
ビルヴァの始祖は、書庫を、樹海に隠したのではない。
樹海の誕生は、書庫を隠したあとの出来事だ。
千年前の当時、この星の地表面は土と水しかなかった。
陸地は、どこもかしこも暴露していた。
丘陵と砂漠しかない荒れ地だったのだ。
そんな世界の荒れ地から、禁書の復元を目論んだご先祖は、書庫の隠し場所として、この土地を選んだことになる。
ゆっくりと踏み板に腰をおろした。
……なんだろう。
なんだかそれは、腑に落ちない。
パガン台地が見下ろすのは、世界最大の湖。
パガン台地が見上げるのは、世界有数の山。
この一帯は、特徴的な地形に囲まれている。
どうしてそんな目立つ土地を、ご先祖は選んだのか。
剥き出しだった山裾に、なぜ、禁書を隠そうと考えた。
秘密を遂行するうえで、その選定に適う特別の理由が、このパガン台地にあったというのか?
それだけではない。
よくよく考えてみると、辻褄の合わない点が。
「……先生?」
ホズ・レインジ山麓の森の存在が、公式に確認される最古の記録は、紀元三百年に書かれたネルテサス報告書。
生活圏拡大のため、同地への足掛かりとして計画された前哨基地の建設に関し、その資材を、ホズ・レインジの森から調達したと、そこには記されているのだった。
つまり、その際、山麓には、伐採人員が集中している。
切り出しの範囲は、森の外縁部に留まったとあり、樹海にまでは踏み込んでいないようだったが。
前哨基地の建設予定地――現在のメイバドルから派遣された彼らが、木材調達で赴いた山麓の近傍にすでに拓かれていたビルヴァに気づかないのは。
「不自然だ」
にも関わらず、一言も、報告書に書かれていない。
「え? 不自然? なにが?」
目の前で、灯りが左右にゆらめいた。
そこに立っているのは、銀髪の少年。
幼さを残しながらも精悍な顔つきの魔法使い。
七百年前のその時――。
闇に浮かんだ焦茶色の瞳を、じっと見返した。
「ビルヴァは、どこへ行った?」
「ええ? どこにも行ってないよ……。どっか行っちゃってるのは先生のほうでしょ?」
「わたしは、どこにも行ってないが」
どこへも行っていないとすれば、ネルテサス報告書が、なにも語っていないのは、なぜだろう。
人跡未踏であるはずの土地に、集落が、存在したのだ。
なぜ、既存の人口密集地の発見を、ロヴリアンスに伝えなかったのだろう。
「困った先生なんです」
振り返ったアラム少年の背後に立つチャルが、角灯の明かりのなかで、困ったように苦笑した。
「ご気分が、お悪いのかと思いました」
「ああ、いえ。すみません。つい……」
地下への階梯で気づいた、その疑問の答えも。
ご先祖の書庫の中に、あるかもしれない。
腕をつかまれ、立ちあがった。
階段をくだりきると、正面に木造の扉があった。
比較的おおきな扉だ。
その踊り場の一隅に、揺り椅子が一脚、置かれてあった。
地下で仕事をする人の休憩用かと思ったのだが、確かに最初はそのために置かれたとの返答だったが、今やそれに座る者は一人もいないのだと言う。
オズカラガス様の専用になっているからだそうだ。
彼の魔女は、そこに座って、きいこきいこ椅子を揺らして、まったりしていることが多いらしい。
「祠様のお姿はわたしらには見えませんが、ゾミナ様のお話しによれば、そういうことのようなので」
在不在の関係なしに、遠慮して誰も座らなくなったとのことである。
揺り椅子は今、揺れていない。
蝶番の長い扉を抜けると洞窟であった。
吐く息が白くなった。
と、思ったが、違った。
灯りに滲むこの白は、立ちこめている霧だ。
かつん……ざざ……こつん……。
暗闇の先で音がする。
おそらく古井戸の真下で作業をしていた方だろう。
目を凝らしても、手元の光りでなにも見えない。
辺りは杳として知れないが、音の響きは長くなかった。
足裏の感触で、床板を踏んでいるのがわかる。
照らして見ると、洞窟の底に簀子が敷かれていた。
灯りの端にちらりと映ったのは、大きな木箱。
それがいくつも並んでいて、辿っていったらその先に、箱の山積みがあった。
そこは貯蔵庫とのことだった。
外気から遮断され、温度と湿度が一定に保たれる空間は、保存に適する。
断って一つの箱を開けてみた。
野菜や果物などの食材が入っていた。
「床板から逸れないようお願いします。段になってるところもあるので、足元にご注意を。参りましょう」
チャル、アラム少年、おれ……だった列の順番が。
チャル、おれ、アラム少年に変更となった。
この変更については、一方からの強い要望に従った。




