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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
ほころびた文献
118/205

19

 その語りが最後だった。

 樹海の魔法使いは、賢者の筆を閉じたのだった。


 騒々しい鼓動を鎮めようと、深呼吸をする。

 公文書館の改竄かいざんの事実を知らされた時よりも、手帳解読の顛末を知った今のほうが、疲れたような気がする。

 内容の起伏もさりながら、おれ自身の浅学が多分に含まれているので、気のせいではないだろう。

 サリアタ様……と声をかけた。


「先ほど、手帳に『倉持さおり』の古語を目にしたとき、申しあげたことですが……。サオリ――フナダマサマであらせられた御神木ごしんぼくの呼び名と、名前の発音が、まったく同じなのですが。それは」


「それは、お察しのとおりだ。いみじくもその『さおり』は、神様を由縁ゆえんとする女性の名前だった。神が降りると書いてそう読む、響きも美しい言葉であったから、師はその古語をこよなく愛してな。愛をもってお応えくださった女神おんながみ様の御神木を、いつしか、そう呼んでおった」


 やはり、そうか。

 ルイメレクは『倉持さおり』から名を借りた。

 納得し、おれは息をいた。

 木箱の蓋を開けて氏が、ご先祖の手帳を納めながら。


「森の秘密を預かったカユ・サリアタから、マテワト・フロリダスに伝えておくべき話しは、これでしまいだ。これが、書庫発見までのすべてだ。その発見者である師に代わって、たぶん、語りきったはず。さすがにわしも疲れたわ」


 怒気のように吊りあがる目尻をいくらか和らげて、力なく笑った。

 おれは深々と頭をさげ、謝辞を述べた。


「ご高話こうわを拝聴し、得難えがたき学びを得ました。含蓄がんちくするところ大のお話しでした。ありがとうございました」


 村長も続いて、お疲れ様でございましたと頭をさげた。

 氏が、その肩をかるく叩き、あんたもな、と頷いて。


「フロリダス殿。得難き学びを得たのは、わしのほうだよ。この話しが、先生の脳みそを通り過ぎたことで、師には気づかんかった事実がいくつか明らかとなった。恐れ入った」


 蓋をした木箱をこちらへすっと差し出し、頭をさげた。


「とりわけ得心とくしんしたのは……。さっき先生が話してくれた、当地に現れたご先祖の素性だな」


「素性……。元機関部との推測ですか?」


「そう。それを聞いてな、内心、驚いたんだ。その機関部ってのは、原動機を操っておったところのことだろう?」


「あ、はい。そのようです」


「フナダマサマという言葉を、ルイメレクが小説のなかに見つけたのはな。難破船の原動機が設置されている部屋で、登場人物たちが会話をする場面だったらしいんだよ。その室内に、船の守り神の神殿がこしらえてあったようなんだ」


「神殿が、機関室に?」


「だから手帳の書き手を、元機関部の人間と聞いて、驚いた。先生のその発言も、御神体とみた手鏡への符合点となったからのう。当地へ及んだご先祖と、宇宙船の守護神とのあいだに、ちゃんと筋道があったのだと合点がいった。元機関部であったご先祖は、フナダマサマの神殿を管理する立場にもあったのではと。そのえんの深い関わりが、御神体を持ち出すという謎の行動につながったのかもしれんとな。先生のお陰で、長年の謎が、一つ解けたかもしれん」


 先史人類の神と船にまつわる慣習か。

 興味深い話しであった。

 われわれの社会には、船に神を招くという慣習はない。

 ただ、帆船の船首部に取り付けられることが多いのは、女性の姿を模した木像であった。

 おれはそれを単なる装飾と考えていたのだったが、宇宙船の守護神は、女神おんながみ様であった。

 われわれの社会における船首像の意匠も、元を辿れば地球のフナダマ信仰に由来するものなのかもしれない。


 村屋むらやの裏戸がその時、きききとひらき、顔を向けると戸の隙間から覗いた夜に、緑の光りがほのかに滲んだ。

 セナ魔法使いだった。


「せんせ……」


 遠慮がちの声が、おれを呼んだ。

 場に断って席を立ち、まもなく裏戸をひらいたら、左手の輝く緑光に包まれた魔女が、縁側えんがわに腰をかけていた。

 月夜の庭に浮かぶその後ろ姿の傍らに、おれが腰をかがめると、彼女が右手を差し出した。


「わたしのだから。気にしないで使って」


 渡されたのは、一枚の布巾ふきんだった。


「汗。ちゃんと拭いて」


「ありがとうございます。わざわざ、これを取りに?」


「どう思う?」


 問いをかぶせ、こちらへ顔を向けた。

 見つめる魔女の瞳を、夜に見返し、思わず尻込みした。

 みずからが放つみどりの光りで、透きとおるような白い肌がうっすらと淡く映え輝き、血の気の失せたその顔貌がんぼうは、凄絶な美しさだった。

 もし、彼女から、わたしは実は人間ではないと打ち明けられたとしても、おれはきっと信じるだろう。


「ねえ、ちょっと、聞いてる?」


 小突かれた。


「お爺ちゃんの話しよ。フナダマサマって言ってたっけ」


 気後れを取りつくろって、その場に腰を据えた。


「ああ、はい。あの手鏡は、フナダマサマの御神体でした。宇宙船のなかにまつられていた神具しんぐだったようです」


「つまり。人は、気軽に触れない」


 おれは頷いた。


「だったら」


 背筋がぞくりと粟立った。


「残っていた痕は、なんなの? 気軽に触れないはずのものに、不自然な掠れが残っていたのは、なんで?」


 返事につまった。

 手鏡の擦過痕さっかこんは氏も確認したと言っていたが、その点への言及はなかった。

 わからないからだろう。

 だがその点は不明のままであっても、確かにルイメレクが到達した結論は、不動であろう。


「それは……」


「女の持ち物だったからよ」


 聞いて、うーんとおれは唸った。


「ご先代様は、なにかを間違えてるんだと思うわ」


「いや……。しかし、ですね……」


 ルイメレクは実際に、オズカラガス様から得られたフンダンサマの言葉から、マカウ・アリ記念館で調べあげた情報を経て、宇宙船の守護神との対面に至り、書庫へと辿り着いている。

 その現実に、異論の差し込める余地は、微塵もない。


「巫女と呼ばれた、神に仕えた聖なる魔女は、いなかったんです。少なくとも当地に残るご先祖の足跡に、巫女の足跡は、なかった。そこはわたしが無知で、不毛な想像を」


「あの手鏡を使ってたのは、きっと特別な女の子。だからあんなふうに大切に扱われたのよ。きっとそう」


「あのう、セナ様。……話し、聞いてます?」


 魔女が夜空を見あげた。

 おれはうつ向いた。


「今となっては、それは、難しい判断となりました」


 答えると、ふうん、と言って、そうなんだ、と言って。


「わたしの話し、もう信じてくれないんだ」


 そう言って、うつ向けた顔を覗き込む。


「先生は、わたしを信じてくれないの?」


 今度はおれが夜空を見あげた。

 逃げるように視線が、銀河を彷徨さまよう。

 そうゆう物言いは、ぜひとも、やめて頂きたい。

 彼女の圧力に逆らうのは、おれには無理なのだから。

 しぼり出すような声になった。


「で、では……。ほかになにか、根拠を。そう思う根拠を、聞かせてください」


「そんなの決まってるじゃない」


 立ちあがり、黒髪をひるがえす。


「女の勘」

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