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「ドレスンの来訪から始まった過去への探索行は、マカウ・アリ記念館で終わったと言える。それぐらい、そこで得られた情報は決定的だった。ルイメレク自身、人事は尽くしたという思いがあったのだろうな。縋って駄目なら、これで終いと、子供らの賑やかな記念館の前庭で、言っとった。帰り道は終始、晴れ晴れとした笑顔だったよ」
穏やかに微笑んで、書き留めに目を向けた。
「訪問初日は館内を見学しただけだったが、ルイメレクとドレスンは度肝を抜かれとった。そこにあった字引きの量が予想外だったらしく、案内された大きな書架に、分厚いのが何十冊もずらっと並んであって、何度も顔を見合わせてたわ。その場で『巫女』の古語を探したところ、載っていたようでな。はるばる参った甲斐があった、ここの知識量なら期待できると興奮しとった。まずは辞典から取りかかろうと二人は宿で話し合って、翌日より調べに入った。毎朝、赤貧の聖者のような平屋建てに通ったよ。ついでにわしもな。幸いなことに旅先でも、暇潰しの相手には事欠かなかった。絵本がたくさんあったから」
そこでサリアタ氏はおれを見て、魔女を見て、村長を見て、またおれを見た。
視線を一巡させた意図はよくわからなかったが、おれが頷くと氏も頷いて、紙束を一枚めくった。
「それが見つかったのは、記念館に来た地元の子らと絵本を通じて仲良くなって、前庭で一緒に遊びはじめた頃だった。半月くらい経ってたか。字引きの調べはそのときもまだ続いておったんだが、きっかけは、字引きではなかった。案外なところからそれは出た。ルイメレクが作業の合間に気分転換で読んでおった、地球産の小説だ」
小説……。
「端緒となったその小説については、師は書き残しておらんでな。題名も作者もわからんのだが、なんでも難破船が無人の孤島に流れ着いて、乗員たちが生き延びるために大自然の摂理と向かい合う……そんな内容の物語だったらしい。地球の文明人が利器を捨てることを余儀なくされ、知恵をしぼって原理的な生活を送る様子が実感として理解できて、面白いと言ってたな。その作中にだ。登場した言葉が、ルイメレクの目を引いた。婆さんが口にしたフンダンサマと、よく似た言葉が出てきたんだ。その言葉が、フナダマサマ」
フナダマサマ?
ただちに記憶を探ったが、それもやはり、反応せず。
「初耳です。フナダマサマ。フンダンサマ」
「似てるだろ。音の感じが。クラモチとクランチみたく」
確かに、よく似ている。
語間の子音の発音が抜けた感じだ。
類似点は、もう一つ。
双方ともに語尾の発音が、サマだ。
それは当該古語の敬称『様』と発音が同じであった。
だとすると、フンダンサマなる言葉の本体は……。
「フンダン?」
サマが、接尾語の敬称かどうか確認してみると、氏は、にやりと笑い、そのとおりと頷いた。
「フナダマサマという似通った言葉を見つけたルイメレクは、なかなか見つからんフンダンサマの探索を中断し、小説にあったフナダマサマのほうを探しはじめた。そしたらな、見つかった。フナダマと読む古語が。サマは、先生の指摘のとおり、敬称だった。その判明と同時にだ。婆さんが申したフンダンサマという謎の言葉は、フナダマサマという古語が、原形である根拠も立ったんだ。その二つの言葉に、決定的な共通点があったのよ。ルイメレクが見つけたフナダマと読む古語は、そう読む複数の古語のうちの一つでな。ほかの文字が当てられた古語の例も記されてあって、そこに載っていたフナダマの古語と、まったく同じ古語が、ご先祖の手帳にも書かれてあったんだ」
「……え?」
フナダマと読む古語が、手帳に?
たちまち思考が奔り、読めなかった古語を思い出す。
だが、思い当たらない。
判読可能の範囲内に、読めなかった古語はない。
読めなかったのは『巫女』だけだ。
それも今や理解し、ほかもすべて理解した。
おれに読めなかった古語は、なかった。
なかった……はずである。
呆然と見おろした先史文献に、彼方から手が伸びた。
ご先祖の手帳を手元に引き寄せたサリアタ氏が、挟まる紙を探ってやがて、頁をひらいた。
「それが、これなんだよ」
言ってこちらへ差し出した。
『我々■手鏡を持ち出し■。巫女■の思い出■共に』
戸惑った。
あらためて読み返しても、わからない。
該当しそうな古語はどこにもない。
すると眼下に、ふたたび手が伸び――。
太い人差し指が、文中の一箇所を、ぐるりと囲った。
┌───┐
│巫女■│
└───┘
かたまった。
固まって、つくづくと見る。
この『巫女』に続く、酷く汚れて潰れた箇所。
それは確かに、最初からそこにあったのだが。
「そしてこれが、字引きに載っていた古語の写しだ」
手帳の横に、一枚の紙がひらりと置かれた。
列なる賢者の難読文字の片隅に、活字体のような筆致で書かれた丁寧な古語が、大きく。
『巫女霊』
三文字目が、そこにあった。
おれは瞠目した。
二字熟語との先入観で、ただの隙間と……。
酷く汚れて潰れた箇所は、文字の欠落だったのか。
これは、三字熟語。
欠落していた三文字目のその古語は、確か。
超自然的存在をあらわす言葉。
すると氏が、一文字ずつ、ゆっくりと示しながら。
巫……フ
女……ナ
霊……ダマ
そう読んだのだった。
「先の二文字でミコと読めば、神にかしづく乙女。その意味になる。だが、神にかしづく乙女の後に、一字を加えた三文字で、フナダマと読むと、意味が、がらりと変わった。意味の主体が逆転したんだ」
「主体が逆転?」
と、言うことは。
この『巫女霊』という三字熟語は。
神様を、あらわす言葉?
「フナダマは、先史人類の神そのものを指す言葉だった。そして、その意味は。航海の安全を祈願するため、船に招かれた神。すなわち、船の守護神」
「船の……守護神……」
「そこでルイメレクは考える」
言いながら、氏が手帳をめくった。
「われらがご先祖が、フナダマサマと呼んだ神が、招かれていた船とは?」
『■■■船が沖に沈みゆ■■の様を、我々は見守■た。波紋の最後の一つ■潰えるまで。男ども■瞳にも光るものが』
気づいて、息をのんだ。
「婆さんがわしらに伝えた、フンダンサマ。意味は船の守り神。書庫の番人が、そう呼んでいたものは、なんだ?」
『我々■手鏡を持ち出し■。巫女■の思い出■共に』
「この記述は、それで読み解けた。執筆者は、自分らと苦楽を共にした宇宙船――その船内に祀られていた手鏡――『巫女霊』の御神体を、船外に持ち出したと書いていたんだ」
ぶわっと変な汗が出た。
頭の包帯を引っ張りながら、おでこをぬぐう。
「そこまでわかれば、おのずと知れた。ビルヴァの旧墓地に築かれ、手鏡が安置された謎の地下構造物の正体がな。あの窮屈な地下空間は、今からおよそ千年の昔。われらがご先祖を、この星へと導いた――」
不意にセナ魔法使いが立ちあがった。
無言で、裏口へ歩いていく。
氏も彼女の後ろ姿を目で追っていたが、声はかけずに顔を戻し、おれを見た。
心臓が高鳴り、手の痺れるような感覚があった。
神殿と、明かされてはいたものの。
御神体であると、明かされてはいたもののだ。
おれはあの空間に、わが身を浸した。
手鏡にも触れている。
くらくらする頭で氏を見返すと、続きを促すような表情をしていたので、おれは答えた。
「宇宙船の守護神……『巫女霊』様を祀った神殿……」
「その結論に至った」
とん、と、戸の静かに閉まる音。
裏口の暗がりに、魔女の姿は消えていた。
「それが、なにを意味するか」
異論を差し挟む余地は、今のところ見当たらない。
神にかしづく聖なる乙女は、存在しなかったのだ。
可憐な意匠の手鏡に、持ち主は、存在しなかったのだ。
「当地でのご先祖の行動を、高みから見つめていた視線が、そこに在ったと言うことよ」
え?
「書庫を探し出すのは至難でも、神様を捜し出すのは、わが師ミラチエーゲ・ルイメレクの本領と、言えなくもない」
にっこり、微笑んだ。
(フロリダス殿。この言葉だったんだ。この言葉が、わが師に、本棚の在処を教えた)
……見えた。
そういうことか。
この言葉――『巫女霊』が。
「メイバドルから東へ少し、道なりに進んだところに、矮小ながらも立派な社殿の神社がある。あの町で生まれ育った師にとって、そこは幼き頃より馴染んだ神域での。御祭神様におかれましては、本日われらも大変お世話になりました」
恭しく頭をさげた。
セナ魔法使いを追ってきた、魔女の霊の一件落着。
神社で成されたと言っていた。
「三か月ぶりに帰郷して、埃まみれの三人が、荷物を置くなり向かった場所は、日暮れ通りの公衆浴場。そこでさっぱり不潔を洗い流したルイメレクは、清潔な祈祷の装束に身を包むと、町の東へ足を向けた。わしらを伴ってな。拝殿にて足を停め、御祭神様の神前で、頓首再拝。フナダマサマ。フナダマサマ。フナダマサマ。師は呼びかけた。するとやがて、魔法使いの呼びかけに応じる兆しが顕れた。ちらりと覗いた衣の裾を辿っていくと、そのぬしは、樹海に御座した」
「樹海に?」
「それが、サオリだ」
聞いて思わず、唸った。
「樹海に聳える御神木。あの巨木に依られた女神様こそが、宇宙船の守護神――『巫女霊』だったのよ。サオリの名付けは、その縁を得た、のちのこと。神に額づく人の子に、かつての『巫女霊』様は、お示しくださった。書庫の在処を」




