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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
ほころびた文献
117/205

18

「ドレスンの来訪から始まった過去への探索行たんさくこうは、マカウ・アリ記念館で終わったと言える。それぐらい、そこで得られた情報は決定的だった。ルイメレク自身、人事じんじは尽くしたという思いがあったのだろうな。すがって駄目なら、これでしまいと、子供らの賑やかな記念館の前庭で、言っとった。帰り道は終始、晴れ晴れとした笑顔だったよ」


 穏やかに微笑んで、書き留めに目を向けた。


「訪問初日は館内を見学しただけだったが、ルイメレクとドレスンは度肝を抜かれとった。そこにあった字引きの量が予想外だったらしく、案内された大きな書架に、分厚いのが何十冊もずらっと並んであって、何度も顔を見合わせてたわ。その場で『巫女』の古語を探したところ、載っていたようでな。はるばる参った甲斐があった、ここの知識量なら期待できると興奮しとった。まずは辞典から取りかかろうと二人は宿で話し合って、翌日より調べに入った。毎朝、赤貧せきひんの聖者のような平屋建てに通ったよ。ついでにわしもな。幸いなことに旅先でも、暇潰しの相手には事欠かなかった。絵本がたくさんあったから」


 そこでサリアタ氏はおれを見て、魔女を見て、村長を見て、またおれを見た。

 視線を一巡させた意図はよくわからなかったが、おれが頷くと氏も頷いて、紙束を一枚めくった。


「それが見つかったのは、記念館に来た地元の子らと絵本を通じて仲良くなって、前庭で一緒に遊びはじめた頃だった。半月くらい経ってたか。字引きの調べはそのときもまだ続いておったんだが、きっかけは、字引きではなかった。案外なところからそれは出た。ルイメレクが作業の合間に気分転換で読んでおった、地球産の小説だ」


 小説……。


「端緒となったその小説については、師は書き残しておらんでな。題名も作者もわからんのだが、なんでも難破船が無人の孤島に流れ着いて、乗員たちが生き延びるために大自然の摂理と向かい合う……そんな内容の物語だったらしい。地球の文明人が利器を捨てることを余儀なくされ、知恵をしぼって原理的な生活を送る様子が実感として理解できて、面白いと言ってたな。その作中にだ。登場した言葉が、ルイメレクの目を引いた。婆さんが口にしたフンダンサマと、よく似た言葉が出てきたんだ。その言葉が、フナダマサマ」


 フナダマサマ?

 ただちに記憶を探ったが、それもやはり、反応せず。


「初耳です。フナダマサマ。フンダンサマ」


「似てるだろ。音の感じが。クラモチとクランチみたく」


 確かに、よく似ている。

 語間ごかん子音しいんの発音が抜けた感じだ。

 類似点は、もう一つ。

 双方ともに語尾の発音が、サマだ。

 それは当該古語の敬称『様』と発音が同じであった。

 だとすると、フンダンサマなる言葉の本体は……。


「フンダン?」


 サマが、接尾語の敬称かどうか確認してみると、氏は、にやりと笑い、そのとおりと頷いた。


「フナダマサマという似通った言葉を見つけたルイメレクは、なかなか見つからんフンダンサマの探索を中断し、小説にあったフナダマサマのほうを探しはじめた。そしたらな、見つかった。フナダマと読む古語が。サマは、先生の指摘のとおり、敬称だった。その判明と同時にだ。婆さんが申したフンダンサマという謎の言葉は、フナダマサマという古語が、原形である根拠も立ったんだ。その二つの言葉に、決定的な共通点があったのよ。ルイメレクが見つけたフナダマと読む古語は、そう読む複数の古語のうちの一つでな。ほかの文字が当てられた古語の例も記されてあって、そこに載っていたフナダマの古語と、まったく同じ古語が、ご先祖の手帳にも書かれてあったんだ」


「……え?」


 フナダマと読む古語が、手帳に?

 たちまち思考がはしり、読めなかった古語を思い出す。

 だが、思い当たらない。

 判読可能の範囲内に、読めなかった古語はない。

 読めなかったのは『巫女』だけだ。

 それも今や理解し、ほかもすべて理解した。

 おれに読めなかった古語は、なかった。

 なかった……はずである。


 呆然と見おろした先史文献に、彼方から手が伸びた。

 ご先祖の手帳を手元に引き寄せたサリアタ氏が、挟まる紙を探ってやがて、頁をひらいた。


「それが、これなんだよ」


 言ってこちらへ差し出した。


『我々■手鏡を持ち出し■。巫女■の思い出■共に』


 戸惑った。

 あらためて読み返しても、わからない。

 該当しそうな古語はどこにもない。

 すると眼下に、ふたたび手が伸び――。

 太い人差し指が、文中の一箇所を、ぐるりと囲った。


┌───┐

│巫女■│

└───┘


 かたまった。

 固まって、つくづくと見る。

 この『巫女』に続く、酷く汚れて潰れた箇所。

 それは確かに、最初からそこにあったのだが。


「そしてこれが、字引きに載っていた古語の写しだ」


 手帳の横に、一枚の紙がひらりと置かれた。

 つらなる賢者の難読文字の片隅に、活字体のような筆致で書かれた丁寧な古語が、大きく。


『巫女霊』


 三文字目が、そこにあった。

 おれは瞠目どうもくした。

 二字熟語との先入観で、ただの隙間と……。

 酷く汚れて潰れた箇所は、文字の欠落だったのか。

 これは、三字熟語。

 欠落していた三文字目のその古語は、確か。

 超自然的存在をあらわす言葉。

 すると氏が、一文字ずつ、ゆっくりと示しながら。


 巫……フ

 女……ナ

 霊……ダマ


 そう読んだのだった。


「先の二文字でミコと読めば、神にかしづく乙女。その意味になる。だが、神にかしづく乙女の後に、一字を加えた三文字で、フナダマと読むと、意味が、がらりと変わった。意味の主体が逆転したんだ」


「主体が逆転?」


 と、言うことは。

 この『巫女霊フナダマ』という三字熟語は。

 神様を、あらわす言葉?


「フナダマは、先史人類の神そのものを指す言葉だった。そして、その意味は。航海の安全を祈願するため、船に招かれた神。すなわち、船の守護神」


「船の……守護神……」


「そこでルイメレクは考える」


 言いながら、氏が手帳をめくった。


「われらがご先祖が、フナダマサマと呼んだ神が、招かれていた船とは?」


『■■■船が沖に沈みゆ■■の様を、我々は見守■た。波紋の最後の一つ■潰えるまで。男ども■瞳にも光るものが』


 気づいて、息をのんだ。


「婆さんがわしらに伝えた、フンダンサマ。意味は船の守り神。書庫の番人が、そう呼んでいたものは、なんだ?」


『我々■手鏡を持ち出し■。巫女■の思い出■共に』


「この記述は、それで読み解けた。執筆者は、自分らと苦楽を共にした宇宙船――その船内にまつられていた手鏡――『巫女霊フナダマ』の御神体を、船外に持ち出したと書いていたんだ」


 ぶわっと変な汗が出た。

 頭の包帯を引っ張りながら、おでこをぬぐう。


「そこまでわかれば、おのずと知れた。ビルヴァの旧墓地に築かれ、手鏡が安置された謎の地下構造物の正体がな。あの窮屈な地下空間は、今からおよそ千年の昔。われらがご先祖を、この星へと導いた――」


 不意にセナ魔法使いが立ちあがった。

 無言で、裏口へ歩いていく。

 氏も彼女の後ろ姿を目で追っていたが、声はかけずに顔を戻し、おれを見た。

 心臓が高鳴り、手の痺れるような感覚があった。

 神殿と、明かされてはいたものの。

 御神体であると、明かされてはいたもののだ。

 おれはあの空間に、わが身をひたした。

 手鏡にも触れている。

 くらくらする頭で氏を見返すと、続きを促すような表情をしていたので、おれは答えた。


「宇宙船の守護神……『巫女霊フナダマ』様をまつった神殿……」


「その結論に至った」


 とん、と、戸の静かに閉まる音。

 裏口の暗がりに、魔女の姿は消えていた。


「それが、なにを意味するか」


 異論を差し挟む余地は、今のところ見当たらない。

 神にかしづく聖なる乙女は、存在しなかったのだ。

 可憐な意匠の手鏡に、持ち主は、存在しなかったのだ。


「当地でのご先祖の行動を、高みから見つめていた視線が、そこにったと言うことよ」


 え?


「書庫を探し出すのは至難でも、神様を捜し出すのは、わが師ミラチエーゲ・ルイメレクの本領と、言えなくもない」


 にっこり、微笑んだ。


(フロリダス殿。この言葉だったんだ。この言葉が、わが師に、本棚の在処ありかを教えた)


 ……見えた。

 そういうことか。

 この言葉――『巫女霊フナダマ』が。


「メイバドルから東へ少し、道なりに進んだところに、矮小わいしょうながらも立派な社殿の神社がある。あの町で生まれ育った師にとって、そこは幼き頃より馴染んだ神域での。御祭神ごさいじん様におかれましては、本日われらも大変お世話になりました」


 うやうやしく頭をさげた。

 セナ魔法使いを追ってきた、魔女の霊の一件落着。

 神社で成されたと言っていた。


「三か月ぶりに帰郷して、ほこりまみれの三人が、荷物を置くなり向かった場所は、日暮れ通りの公衆浴場。そこでさっぱり不潔を洗い流したルイメレクは、清潔な祈祷の装束に身を包むと、町の東へ足を向けた。わしらを伴ってな。拝殿にて足を停め、御祭神様の神前しんぜんで、頓首再拝とんしゅさいはい。フナダマサマ。フナダマサマ。フナダマサマ。師は呼びかけた。するとやがて、魔法使いの呼びかけに応じる兆しがあらわれた。ちらりと覗いたころもの裾を辿っていくと、そのぬしは、樹海に御座おわした」


「樹海に?」


「それが、サオリだ」


 聞いて思わず、唸った。


「樹海にそびえる御神木ごしんぼく。あの巨木にられた女神おんながみ様こそが、宇宙船の守護神――『巫女霊フナダマ』だったのよ。サオリの名付けは、そのえんを得た、のちのこと。神にぬかづく人の子に、かつての『巫女霊フナダマ』様は、お示しくださった。書庫の在処ありかを」

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