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なにかを追い求めている人間には、そのなにかにつながる情報が、必ずもたらされると、おれは信じている。
あらゆる角度から、それは必ず訪れる。
その際に大事となるのは、いかなる角度からの情報でも反応し得る、常なる鋭意だ。
「関係ないが……。ナグジのご面相は先祖返りだのう」
食器棚に茶碗を置いた氏が、言いながら戻ってくる。
「親父さんの面よりも、百年前に会った村長の面を思い出す。面影があるわ」
人懐こい顔が苦笑いし、頭を掻いたその肩を、ぽんと叩いてふたたび正面に腰をおろした。
そうして手帳を引き寄せると、小口からはみ出している紙を指先で探りながら、話しを続けた。
「新たな手蔓をつかんだ二人は、その足で村へ取って返した。今度はすぐに帰ってきた。ビルヴァの衆を伴ってな。立ち会いに応じた村長は、村の男たちを何人か連れておって、みんな鍬を担いどった。その様子を見た婆さんが、一人ひとり名を呼んで、おまえたちはわたしの墓を耕すつもりかいと言った。そんなものはいらないよと。だが師はそれを彼らに伝えず、そのまま旧墓地へ向かったところ、確かにそんなものは必要なかった。墓場の土を掘り返す必要はなかった」
頷いて、こちらを見た。
「ご先祖が、すでに掘っといてくれとったからな」
そう言って、ひらいた手帳をくるり回すと、その頁をおれに示した。
『我々■手鏡を持ち出し■。巫女■の思い出■共に』
「……なるほど」
薄紅色をした花模様の可憐な手鏡。
「ルイメレク様は、気づかれた。旧墓地の地下神殿と、樹海の洞窟とを結びつける符合に」
「そういう流れになる」
頷いた。
「だが、あの窮屈な地下空間が神殿跡と判明するのは、のちのことだ。その結論も婆さんの記憶から導かれたわけだが、発見当初は要領を得なくてな。思い出したのは死後に気づいた奇妙な話しだけで、地中に築かれた小部屋がなんなのかの肝心は、知らんとしか答えんかった。天井に書かれていたという文言とやらは見つからんし、村長にしても祖先の墓場の内実に茫然とするばかりだったから、謎の地下構造物の正体を解く手掛かりは、手帳のなかに求めるほかなかった。それで師が目を付けたのが、符合する手鏡の言葉と同じ文に記されていた、この言葉」
ひらかれたままの頁に伸びた人差し指が、そこの一文の真ん中の文字をぐるりと囲った。
┌──┐
│巫女│
└──┘
「当時この言葉はルイメレクにも意味がわかっとらんかった。字引きには載ってなかったんだ。意味不明の古語だった」
おれは頷いた。
この言葉は、常用外の特殊な意味をもつ。
登場する原語資料は限られ、そして使用頻度の低い言葉は、辞書への記載率も減少する。
原本の言葉を網羅した完全版の古語辞書は、公文書館にしかないかもしれない。
館外にて意味を知るには、この言葉が使われている関連の原語写本に直接、当たるしかないだろう。
「この言葉も、謎だった。謎だったから、唯一の手掛かりだった。この意味がわかれば、謎の地下構造物の正体があきらかになるかもしれない。そう考えたルイメレクは再度、ロボゴボへ向かう。そうして謎の古語への探訪がはじまった」
「蔵書館に籠られましたか」
問いかけると氏は、手帳を見おろしたまま、頷いた。
「フロリダス殿。この言葉だったんだ……」
声音を落として言う。
「……この言葉が、わが師に、本棚の在処を教えた」
この言葉が?
オズカラガス様の誘導がなければ手帳の解読は頓挫していたと氏は話したが、旧墓地に隠された神殿の発見が、樹海に隠された本棚へとつながる結び目は、不明のままだった。
その結び目が、巫女……?
「先生は、お気づきか。失礼ながら。この言葉。古語のなかでも、いっぷう変わった意味の言葉だったんだが……」
遠慮がちの口振りでそう訊ねた。
「はい。地下神殿で拝見したときはわかりませんでしたが、先ほど、なんとか思い出せました。当該古語の文化圏における土着信仰……先史人類の神に仕えた聖なる魔女をあらわす言葉です。読みは、ミ・コ」
答えると氏が、深々とため息をついた。
ややあってのち、小さく肯首した。
「師も、そう読んだ。ロボゴボの図書館で、一月後にな」
学都の公共図書館であれば、所蔵の翻訳資料も豊富。
蔵書館にて原語写本を渉猟し、そこで発見した『巫女』の言葉が書かれた訳本を図書館に求めたに違いない。
いずれにせよ、幸運と執念がもたらした結果だろう。
氏が、ルイメレクの書き留めを手に取った。
「たぶんこれは、その直後にロボゴボで書かれたものだ。旧墓地で見つかった地下構造物についての師の解釈だ。ちょっと長いが、読むぞ」
承諾し、耳を傾ける。
「ホズ山麓の洞窟に現れたご先祖の集団には、どうやら、地球生まれの魔法使いが同行していた模様。それも、ただの異能者ではなかった。神にかしづく乙女――聖性をそなえた魔女である。そのミコなる存在が、集団のなかで、いかなる立場に置かれていたかは定かならずも、ミコが仕えた地球神の名のもとに、ミコ当人も神聖視されたとしても、不思議はないと思う。そのような天に近しき人の子が、神の膝下へ参じる時を迎えたならば、地べたに残された者たちは、どうするだろう。おのれらの信心に従って、手厚く葬ろうとするのではないか。そう仮定すると、墓とはとても思えなかったあの不自然な構造に、理解の道が立つ。神に寄り添った埋葬者と、ただの人たる信仰者との、天地の隔たりに似た関係性のあらわれ。そう見なせよう。あれは、ミコの墓廟。その判断が妥当。手鏡は、副葬品と推定する」
そこで氏が、目線をこちらへもちあげた。
「ルイメレクは最初、あれを墓とみたわけだ」
道理であった。
墓廟とは、屋根付きの墓のこと。
おもに貴人の墓所を指す言葉である。
……だが、違ったわけか。
神殿跡との結論も、オズカラガス様の記憶から導かれたとのこと。
三百年前の魔女はのちに、なにを思い出したのか。
賢者の言葉は続いた。
「その判断が確かならば、洞窟に現れたご先祖の墓標が、ビルヴァの祖先が拓いた墓地に立てられたという話しになる。双方を結んだ手鏡は、副葬品と推定される。古代の名を明かしたサオリ・クラモチと、現在のビルヴァに暮らすクランチさん。やはり、偶然の近似とは思えない。それと、神にかしづく乙女の墓は、残念ながら、われわれが期待したものではないだろう。あの地下構造物には、神の装いが感じられる。復元の言葉を刻んだ書き手の俗物的な迫力とは、方向性がしたたか異なる。そう得心するものの、手詰まった。疑惑の村は、わたしになにも語らない。ご先祖の手帳も語らない。語るとすれば、魔女の婆だ。駄弁を垂れ流してくるあの婆は、まだ、なにかを知っていそうである。腹を突っついてみる価値はあるだろう。近々ビルヴァへ」
言葉が止まり、読んでいた書き留めの紙を氏はめくったが、続かず、そこで終わりのようだった。
すると背後でセナ魔法使いが、包帯を巻き直した頭のぼさぼさ髪を手櫛で乱暴に梳かしながら。
「副葬品って、大切にしていたものが選ばれるのよねえ」
独り言のような、問いかけのような。
言葉を脳裏に聞いて、思い出す。
(手鏡の枠の首元と、持ち手の下の部分。そこのところの花の模様だけ、掠れてた。薄くなってたわ。手に持ったとき、いちばん擦れる部分よ。何度も何度も握られた跡)
おれは顔をあげた。
「地下神殿に安置されていた、あの手鏡。御神体とのお話しでしたが、使い込まれた痕跡が、外枠に残っていたようです。その点は、いかにお考えでしょうか」
訊ねると、見返した目線がおれの頭上へ移ろった。
「そういえば申しておったな」
「うん。あれは、女の普段使いだったと思う」
ね? と彼女が、おれの肩を叩いた。
「はい。わたしも、セナ様のお見立てに同意します。巫女という役割には、成人前の女性が――少女と呼ぶ年齢層の女性が就いていたようなんです。それを踏まえて考えますと、可愛らしい意匠、使い込まれた形跡、手帳に書かれた巫女の思い出の所在。総合的にみて、あの手鏡は、巫女の所持品だった可能性が高いのです」
そうなのよ、と後ろのひとが、たぶん大きく頷いた。
おれの発言に、しばらく考え込むように沈黙していた氏が、やがて口をひらいた。
「だがな……。その解釈だと、実際にルイメレクを本棚へ導いた結果と、食い違うんだよ」
「えええ、違うのお?」
ものすごく不満そうに魔女が言う。
そうしておれの右横に腰を据え、口元を尖らせながらおれの右腕の袖をつかんで、こちらへ瞳を向けたので。
「サリアタ様。ならば」
と、自分の予想を口にした。
「先史人類の神が、その神に仕える巫女の手鏡に宿っていた。……強引かもわかりませんが、その解釈であれば、御神体である意味と、セナ様の観察とは矛盾しません。それでも、ルイメレク様が辿り着かれた結果と、食い違いますか」
「食い違う」
即答だった。
決然とおれを見つめた双眸が、セナ魔法使いに向く。
「確かに、おまえの指摘のとおり、手鏡には擦過痕があった。だがそれは、少なくとも人の手によるものではないはずなんだ。誰かの持ち物だったとは思えんのよ。あの手鏡は、そんなもんじゃあ、なかったんだ」
意味深な言い方に思わず身を引き、怪訝に氏を見返した。
困ったような眼差しが、おれに向く。
「察してはおったが……。先祖学者の先生に、ご先祖の講釈を垂れるのは、なんと言うか、臍の裏っ側がむず痒くなるような気分だ。けれども、手鏡の正体が、この話しの落ちどころだからのう。勘弁してほしい」
言って卓上の書き留めに目線を落とした。
手鏡の正体……。
「これが、最後だ。森の秘密に辿り着く経緯の説明は。誤解のないよう、順序を追って話すな」
おれは頷いた。
どんな展開になっていくのか、様子をみてみよう。




