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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
ほころびた文献
110/205

11

 嘘。真実。冒涜。神。復元。議会。船。手鏡。疑問。月。夜。暗黒。改竄。公文書館。


 そこに書かれてあったのは、どれも手帳で見た文言もんごんの、公用語訳であった。

 硬筆の細い字で、癖の少ないその筆跡は間違いなくルイメレクのものではない。

 おれは顔をあげ、サリアタ氏を見た。


「ドレスン様が、辞書から拾った手帳の単語ですね」


「そうだ。二人はこれを前にして、戸惑っておった。理由は、この最後の言葉。公文書館」


 太い人差し指の先が、こつこつと叩く。

 セナ魔法使いが膝行いざりながらおれの右横に来て、前のめりになって紙片を覗いた。

 視界の右端で、黒髪がさらりと流れる。


「わしらのような一般人にとって、ロヴリアンスの灰色の砦は遺跡の一つに過ぎんが、そこがどういうところなのかは、もちろん知っている。この世でもっとも貴重な書物が納まる場所。えんはなくとも、そう教わるからな。部外者から見たその印象は、神社と似た雰囲気をもっておる。ある意味で、神聖不可侵の領域だ。その領域に、どうやら関わっているらしい言葉が、朽ち果てた手帳のなかに、古語で、書き連ねてあることが判明し、二人は困惑してた。だが、意味深な古代文献の発見に、本当に困っていたのは、ドレスンだけ。師の顔を見てすぐわかった。興味津々。目ん玉が、きらきらしとった。新しいおもちゃを見つけた子供みたくなあ」


 くすくす笑った。

 村長はうつ向いて穏やかに微笑むだけだったが、隣の魔女はまともにこちらを向いて真顔でまじまじとおれを見た。


「夕暮れの草っ原のなかで、ルイメレクが言った言葉と、似た言葉を、本人が書き残している。こんな言葉だ」


 紙面を見つめた。


「単語の拾い読みだけでは限界があった。文法を知り、文章として理解する。厄介とは察するが、その労を費やす価値はあるだろう。地球人の真意を、わたしは知りたい」


 聞いて、おのれの過去を、ふと思い出した。

 学生の頃、先生に連れられ、初めて立ち入った、公文書館の匂い……。


「ルイメレク様のそのお言葉は、のちの先祖学者が、先史言語を学びはじめた動機と、ほとんど同じです」


 言うと、氏は優しげに見返して、苦笑した。


「そのときはまだ、学ぶ、と言う感じではなかったがな。師がこの古語を本格的に学習しはじめたのは、ご先祖の本棚に辿り着いてからだ。それまでは、調べる、と申したほうが正しかろう。手帳の解読のみに、目的が限定していたからの。だが、その下拵したごしらえがあったからだろうな。本棚の発見から読書に入るまでは早かったよ」


「なるほど」


「師が口にしたそんな言葉に、ドレスンは戸惑いつつも、同意した。発見物の価値を求めて入った蔵書館で得られたのは、蒸気機関の素性とはまるで違う事柄だったわけだが、やつにしても探検家なんぞをやっとったくらいだから、好奇心の強い男でな。それはそれで興味を惹かれたようだった。その日から確か……」


 言い差して、少しの沈黙のあと、続けた。


「十日ほど。ルイメレクは仕事を突貫で片づけ、以降、工房は閉めっきりとなった。外出先は、ロボゴボだ。二人が蔵書館に行っているあいだ、わしはなにをしていたかと言うと、ずっと図書館におりました。絵本の書架を読破しました。そうしてそこの職員さんたちに、すっかり顔を憶えられた頃だ。二月ふたつきくらい経った頃だったか。二人の足向きがある日、町から森へと変わった。それまで二人が執心していたこの手帳は、臨時休業中の作業台の上で、ほったらかしになった」


 手帳を見つめた目線が、すっと上向うわむき、おれを見た。


「扱いきれんかったのよ。おまえさんであれば、この手帳の記述だけを手掛かりに、深く掘っていくこともできるだろうが、予備知識のまったくない二人には、無理だった。現実的に行動を起こせるような情報は一つもなく、辞書に載っていない言葉もいくつかあって、師はそこでいったん解読をあきらめている。わからないということがわかったのだから、これは前進であると言ってのう。ただ、そうは言ってもルイメレクは、ある言葉に引っかかってた。それが」


 卓上に置かれたままの紙片へ手を伸ばし、そこに書かれてある言葉の一つを人差し指でぐるっと囲った。


 復元。


「ルイメレク様も。この言葉に注目されましたか」


「だが、対象をあらわす部分は読めないよなあ。読める範囲にも書かれていない。ドレスンは、蒸気機関のことだろうとなかば決めつけておったが、師はそれに頷いても、納得はしていなかった」


 そこでめくった書き留めの一枚を、紙束のうしろへ移しながら、次の紙面に目を走らせた。


「復元についてのルイメレクの言葉だ」


 言って、かるく息を吸い込んだ。

 耳を傾ける。


「その文字にだけ、妙な迫力を感じた。文字から、書き手の強い意志が伝わってくる。復元のふた文字を紙に刻んだ筆圧ひつあつが、わたしの心に、鬼気迫るなにかを訴えていた。錆び果てた鉄のがらくたからは、そこまでの意志は感じない」


 おれは唸ってしまった。

 本質を見抜く眼力は時に、知識と論理を超越する。

 魔法使いの洞察にため息がこぼれた。


「二人が森へ向かった理由は、言うまでもなかろうが、その鉄のがらくただ。そっちの扱いに関してはただちに話しがついた。もともと互いの目的は一致しとったからのう。探検家のドレスンは、師の入れ知恵のとおりに金属資源としてかねに変えたい。機械屋のルイメレクは、異世界の原動機を分解し、その構造を調べたい。手帳の解読が期待外れの結果となり、それまで保留していた蒸気機関に以降、二人は執心した。その日々の成れの果てが、洞窟のあの有り様というわけだ」


 ふふっとゆるんだ口元が、すぐに引き締まった。

 持っていた紙束をおろした。


「さてと。ここまでが、この話しの前置きと言ったところか。ここからが本題だ。洞窟での日々の最中さなかに、流れが変わる。先に明かすと、わしが変えた」


「え? サリアタ様が?」


 意外に思って聞き返した。

 うむと氏は微笑し、偶然だったがな、と頷いた。

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