04
竹垣の南側は一部ひらかれていて、割烹着姿のご婦人や村の方々が出入りしていた。
われらもそこから庭を出て、暗い村道を歩いていくとまもなく煙りの匂いが漂いはじめ、あかるい夜空に昇ってゆく白煙が先に見えた。
その白煙りは、道の右手側に垂直に立っていた竹筒の煙突が出どころで、その竈を横付けしている大きな屋根の一棟が、ビルヴァの共同浴場であった。
焚き口に前掛けをした女性が数人おり、竈には鍋が掛かっていて、風呂の火番をしながら料理もこなしている様子であり、忙しげな彼女たちは道のさらに奥に建つ家屋と行き来していた。
どうやらそちらが本来の炊事場であるらしい。
村の中心部から南に位置するこの一画は、火を扱う施設がまとまって建てられているようだ。
風呂場の竈の真向かい――道の左手側に、作業用水と思われる水を満々と湛えた木製の大きな水槽があり、井戸はその奥にあるようだった。
「はい、先生あげるー」
角灯を渡された。
「わしらは先に入っとるぞ。入り口はこの裏側な。向かって右が、男湯だ。間違えるなよ?」
はっはと笑い、アラム少年を伴って風呂場へ去った。
向かって右、向かって右、と小声で繰り返しながら水槽の脇を通って、奥の暗がりへ明かりを差し向けた。
そこに見えたのは、高さ三メートルほどの縦長の小屋で、寄り添うように素焼きの甕が置いてあって、そのたもとに柄杓が一本、立ててあった。
正面に設けられている両開きの窓を開けてみると、天井から縄でぶらさがる桶――釣瓶が目の前に見え、ひんやりとした空気が肌に触れた。
一般に箱屋と呼ばれる、それは井戸屋形だった。
井戸を扱う上での注意点は、地表に露出する開口部への落下事故と、異物混入による水質汚染。
開口部を覆うこの箱屋はそれらの発生を最小限に抑えるために古くから用いられている対策の一つだったが、近年おもに都市部においては、あまり見かけなくなった。
蒸気機関の再現実験で培われた気密容器の鋳造技術の副産物のようなかたちで、開口部を完全に塞ぐ地下水の取水装置――手押し揚水機が実用化され、普及しはじめたからで、しかし、銅の流通量との兼ね合いで需要に供給が追いついておらず、依然として井戸と箱屋を使っているところも多かった。
ただ、このビルヴァの場合は……。
角灯を掲げながら、裏手にまわる。
すると、箱屋の背面上部にひらいた穴から一本の太い縄が張って伸びており、たどっていくと対面の土台に設置された木造の捲揚機の大きな綱車とつながっていた。
「なるほど」
手押し揚水機の原理は、大気圧――空気の重みが水面を押し込む力を利用し、気密容器の外部と内部の気圧差で地下水を持ちあげる仕組みだが、大気圧が水面を押す力が持ちあげられる水の高さの限界は、およそ九メートルであり、それより深い位置に水源をもつ井戸では、先の利器は使えなかった。
その場合は気密容器を水源までおろし、水を吸い込んだあとで気密容器そのものを持ちあげる仕組みが必要であり、保全が繁雑となるため実用化されていなかった。
深井戸では古来より釣瓶の引き揚げに捲揚機が使われていて、従来のそれで事が足りていたからでもある。
男性であっても重労働となる深井戸での水汲み作業を女性にも行えるよう、手動で回す円盤と綱車とのあいだに歯車機構を組み込み、引き揚げの負荷を大幅に軽減する装置が、捲揚機。
木材で構築可能であり、井戸だけでなく多方面で用いられている機械であった。
大きな綱車に巻かれている厚みから縄の全長を推し測ると、二十メートル近くあり、このパガン台地の地下水脈の深さを知る。
その点は、三百年前の大火とも、無関係ではないかもしれない。
ため息をつきながら正面に戻り、素焼きの甕の木蓋を開けて見ると、水が蓄えられていた。
見憶えのある柄杓で、白塗り茶碗に水をそそいだ。
(わたしは、おのれの顔を見られたくない。あの娘のようにかつては美しかった……とまでは、さすがに言わぬがな。けれど、今ほどには、醜くはなかったのだ。何人の目にも曝したくない)
オズカラガス様の祠へ屈み、水を湛えた茶碗を茶間に置いて、瞑目する。
ちん……と小さく、茶碗を叩いたような音がした。
おやと思ってまぶたをひらき、明かりを寄せた。
両目をしばたたく。
供えたばかりの白塗り茶碗の水が、なくなっていた。
するとまた、ちん……と鳴って、ちんちんちん……と続けて三度。
空の茶碗が、音を発てた。
なんとなく。
音の響きに、なんとなく。
そんな気がしたので、問いかけた。
「あのう。おかわり……ですか?」
ちんちんちんちんちんちん。
「わかりました」
祠にあげられていた茶碗のどれもが空っぽだったのはこういうことかと思いながら、ふたたび柄杓を傾け、急いで戻ってふたたび供えた。
今度は両目をかっ開いて、なみなみ注いだ白塗り茶碗の水を凝視する。
おおっと声が漏れた。
目の前で、水が減っていく。
が、半分ほどまで減ったところで、とまった。
減らなくなった。
音も鳴らない。
満足されたのか。
オズカラガス様が飲まれた、と思われる減った水の分量は、しかし、いったいどこに移動したのだろうと不思議に思いつつ、残りの水をつくづくと覗き込んだ――その時だった。
白塗り茶碗の水の底……。
ゆらめく面影のような、意識のような、視線のようなものを感じ、固まった。
我々、手鏡を持ち出し。
巫女の思い出、共に。
ぱっと脳裡に閃いた記憶に、おれはのけ反った。
思わず、呟く。
「ミ・コ……」
ご先祖の手帳に綴られていた読めなかった表意文字。
先史人類の宗教観について調べたときだ。
手帳の書き手と同じ言語圏の土着信仰の記録にあった、神に仕える女性に関する情報。
それが、読めなかったあの二文字。
巫女だ……。
どん、とその場に尻餅をついた。
記憶の深層に沈んでいた情報がひとたび引き揚がると、まつわる情報も芋づる式にだんだんと、意識の表層に浮かびあがってきた。
そのままおれは、地面に胡坐をかいた。
巫女と呼称される立場は、先史人類の社会全体に照らしても、独特の存在だったようだ。
その役割は、神事を佐けること、と伝わるが、神の代弁者との側面もあり、われわれの社会における魔法使いに似た異能者が就いていたらしい。
しかし、十八世紀中葉に拡大した産業革命を境に、以前は役割として選ばれていた巫女が、以後は職業として扱われるようになり、神の代弁者たる資質は不問となった。
ところが超自然的存在の科学的証明以降、神の実在が通念化すると職業としての巫女は減少し、ふたたび資質によって選ばれる役割へと立ち返っている。
古くも新しいその時代。
天の配剤によって巫女の装束をまとった聖なる魔女の多くは、成人前の少女であったと謂う。
「割った貝殻を周りにたくさん敷いておくのよ。そうしておけば、とられる前に気づくでしょ」
ふと耳に入った話し声に、顔をゆっくり振り向けると、村屋の裏口でなにかの作業をしていた村の方々が立ちあがって、縁側に散らばった葉屑のようなものを竹籠に放り込んでいた。
「猫の足でも、踏んだら、からから音がするからね」
先刻のセナ魔法使いの洞察は、的を射ていたと思う。
あの手鏡には、日用品だった形跡が残っていた。
それを巫女と関連付けたなら、手鏡の可愛らしい印象と、年齢についての不親切な教科書の情報とが、合致する。
我々、手鏡を持ち出し。
巫女の思い出、共に。
手鏡を持ち出す、とは、どういう意味か。
あの文節だけでは不明だが、思い出の所在は、まずもって、手鏡であろう。
持ち主は、巫女であった可能性が高い。
そして、その仮定を踏まえての、ルイメレクである。
魔法使いは、巫女の所持品を、御神体と判断した。
御神体の意味と巫女の意味は神によって結ばれる。
地下室の安置物と、手帳のあの一文とは、巫女が仕えた神によって調和する。
手鏡を御神体と見なす違和感は、限りなく薄くなる。
ご先祖の手帳に書かれてあった巫女なる言葉。
その語意を、彼は調べあげ、知っていたに違いない。
つまり、魔法使いが描いたのは。
神が、その神に仕える巫女の手鏡に、宿っていた。
どうやら、そういう構図のようである。
「こら、ユキコ。弟をぶつな」
しっくりこないと彼女は言った。
けれども、ルイメレクの見立ては、きっと正しい。
ご先祖が地下に築いたあの小部屋は、聞いたとおり、御神体と化した手鏡を祀る神殿だったと、おれも思う。
先史人類の神が、かしづく巫女の手鏡に宿った理由については、魔法使いにお任せしよう。
その点は、先祖学者の領分では、ない。
おれの領分は、ご先祖の足跡。
地下に隠された神殿と、樹海に隠された本棚とは、いかなる相関を有するか。
オズカラガス様の墓地への導きがなければ、手帳の解読は頓挫していたと、氏は言ったのだ。
あの地下神殿は、閉じられていた森を開く、鍵だった……。
「日の暮れ刻が、遅くなってまいりましたなあ」
……まあ、よい。
これ以上の予断はやめよう。
その鍵の持ち主は、もう目の前だ。
そこまで来ている。
まもなく、食後に訪れる。
ふふふ、と笑みがこぼれた。
「この時候がお好きですかな。そろそろ、ひらく頃ですな。喇叭の蕾」
はっと気づいて顔をあげると、おれの横に竹籠を背負った農着姿のご老人がしゃがんでいた。
祠に枝垂れてうっすらと、灯りに浮かぶ枝葉を、穏やかに見あげていた。
「山に、夏がやってきます」
風呂場への夜道を拾いながら、想像した。
薄紅色をした花模様の手鏡と向かい合う、女の子。
首の角度を変えてみたり、表情を色々と転じたり、髪形の具合を確かめたりと、身嗜みを整える一時の様子を。
想像のなかで、円い鏡を覗き込んでいるその顔は、メソルデだった。
年頃の彼女なら、あの可憐な手鏡が、よく似合う。




