10:「人間だってそうでしょ? 何がなんでも一人がいいって人、見たことない?」
次の日。
私は食堂でお昼ご飯を食べていた。今日は白身魚の甘酢あんかけ。私の好きなメニューの一つだ。
「結局知り合いって誰なんだろうね」
「それなんですよね。わたしは一応、順位のついている残り99人の天使とは全員知り合いなんですが。誰がロゼの知り合いかまでは、把握できていないです」
リュールは自分が”神”と呼ばれる立場だけあって、多くの天使の注目の的。”神”がいい印象を持たれていないからこそ、なるべく多くの人脈を持っていた方がいい、という判断なのだろう。
今日は亜季が同じ学部の友達とご飯を食べるということで、一人だった。本当は私も同じ学部の友達と食べればいいのだが、せっかくなのでロゼとリュールと一緒に食堂でご飯を食べてみたかった。というわけで、二人とも今は実体化している。リュールは私の真向かいに座って、昨日の亜季と同じ冷やしぶっかけうどんをすすっていた。ロゼはサーモン丼がいいとこだわったせいで、今もすさまじい行列に並んでいる。
「ロゼの知り合いってどんなのかな」
「天使学校時代に、ロゼが何人かと一緒に行動しているところは見たことがあるのですが……彼ら彼女らが順位づけされているのかどうかは分かりません」
「ロゼってなんか、あの偉そうな感じだと友達選びそうな気がするけど」
「そんなことはないですよ。案外、天使ってあんな感じの子結構います。特に”神”と呼ばれる天使のほとんどは、あんな感じの性格に加えて、倫理観も歪んでいたりします」
「うわ、めんどくさ……」
話を聞いただけで面倒だ。できればお近づきになりたくない。
「……あー、大変だった。なに? どんぶりってそんなに人気なわけ?」
「盛りつけに時間かかるからね。でも今日は、いつもより多い気がする」
ロゼがぶつくさ文句を言いつつ私の隣に座る。ロゼもリュールも、この人ごみの中で実体化しても特に違和感はない。服装や背丈は天使の力とかなんとかで自由に変えられるらしいし、髪色もリュールがチャラチャラしているように見えるくらいで、二人とも自然なものだった。
「で、何の話してたわけ?」
「ん? どうして?」
「なんか遠目で見て、二人とも顔しわくちゃにして話してたから」
「別に大したことないよ。ロゼの知り合いの天使って誰かな、って話」
「なんだ。そうなの」
興味を失ったのか、ロゼはすぐに目の前のサーモン丼に目線を移した。そして最初から箸を諦めて、フォークで器用にうどんをすするリュールを見て、「ぐえー、あたしもスプーン持ってこなきゃ」とつぶやいて、席を立った。
「やっぱり箸って、使ったことないんだ」
「使ってる家もあると思いますよ? 天界も人間界の影響を少なからず受けているので、いろんな国の文化が浸透しています。わたしやロゼの家が、たまたま日本の文化と縁がなかっただけだと思います」
リュールが私の真似をして、空で箸を持つ。しばらく手をくにゃくにゃ動かした後、「……やっぱり難しいです」ともの悲しげにつぶやいた。
「気にしなくていいと思う。私もそんなに箸使いうまいわけじゃないし。うまい人はうまいけどね」
「箸でしか食べられないものは、そうそうないとは思うのですが……やはり習得できるなら、してみたいものです」
未知の文化に対してこれだけ貪欲に、向上心を持って接するには、勇気がそれなりに要ると思う。根が真面目なんだろうな、と私は素直に感服してうなずいた。
「さて、……こっちから別の天使に会いに行くのもいいけど。協力的かどうかは、また別よね」
「そうだよね……それも心配」
ロゼがスプーンを手に戻ってきて、こちらもスプーンの上にうまいことご飯とサーモン、薬味を乗せて食べ始めた。私はそんなロゼに説明を求めるべく見つめた。
「天界からの悪魔をぶちのめせ、っていう指令だけど。一斉に出されたわけじゃないのよ。あたしとリュールがたまたま同時に行け、って言われただけで、普通は一人ずつみたいだし。だから他の天使とは絶対協力しない、っていう天使がいてもおかしくないのよ」
「でも、悪魔をぶちのめすのは一緒なわけでしょ?」
「それでも、よ。人間だってそうでしょ? 何がなんでも一人がいいって人、見たことない?」
「そりゃまあ……覚えてないけど、いたかも」
ロゼの言う一人でいたい人と、今回の場合は少し違う気もするが。けれど、例えばロゼやリュールより順位の低い天使だと、プライドが傷つくから組みたくない、と考える天使もいるのかもしれない。
「……ただ、あたしの知り合いにそんなおひとりさまがいた記憶はないんだけど」
長い間並ばされてよほどお腹が空いていたのか、ロゼは私やリュールが食べ終わる少し前にごちそうさま、まで言い終わっていた。よほど気に入ったのか、すっかり空になった器を前にしてニマニマしていた。
「とりあえず、行ってみましょう。そもそも会えない可能性もあるわけですし」
リュールに言われ、私たちは食堂を出た。入口からすぐのところで、亜季がすでに待っていた。
「あれ、ロゼちゃんとリュールちゃんだ」
「はい! 今日はよろしくお願いします」
「あはは……よろしくお願いするのは、こっちなんだけどね」
「とりあえず、経済学部だったっけ? その場所まで行くわよ。ここじゃさすがに、匂いは分かんないし」
経済学部は私や亜季の学部のキャンパスからそう遠くはない場所にあるのだが、食堂の前だけあって人でごった返していた。亜季を先頭にして、4人で目的地へ向かう。
キャンパスの正門をくぐり、歴史を感じる厳かな雰囲気の建物の間をくぐり抜ける。そういえばうちの大学の中で一番歴史が長いのが経済学部だったな、と思っていると。
「ふんふん……匂いがし出したわね」
ロゼが鼻をひくつかせてつぶやいた。そのままどんどん建物の中へ入っていく。自然に先頭はロゼに交代して、やがて三階の奥の方の講義室のドアの前で止まった。
「ここよ。昨日と同じ匂いが濃く漂ってるから、この中にたぶんいる」
時間的にまだ講義は始まっていないはずだが、注目されるのは嫌なので、後ろの扉からそっと入る。ここからは亜季の仕事だ。
「あ、あれ!」
講義室には百人近くいて、しばらく時間がかかったが、やがて亜季が前から五列目くらいの男の人を指差した。ほんの少しだけ髪が明るくなっているくらいで、醸し出す雰囲気は真面目そのものだった。
「亜季ちゃん。どうしたの? それと、そっちの子は」
私たちがおそるおそる近づくと、向こうもこちらに気づいて少し驚いた顔をした。
「わたしの友達です。あの……」
「話は分かった。ちょっと今から講義だから、また後にしよう。特にそちらの天使管理官さん」
やっぱりそうなんだ。悪いことは何もしていないのに、私はぎくっとして彼の次の行動を注視する。
「今日の4限終わりは大丈夫?」
「はい」
「じゃあ、この講義室の前で待ち合わせってことで。よろしく」
ちょうど彼が話を終えたタイミングで先生らしき人が入ってきて、早速しゃべりだす。私たちは慌てて目立たないように、後ろの扉から脱出した。
「4限って亜季は専門基礎の授業だったよね」
「だからなんでそこまで知ってんの? 怖い」
「教室ならまだしも、そろそろ何曜のこの時間はこの科目、っていうのは覚えるべきなんじゃない? 私の方が何度も話聞いて覚えてるっておかしいと思う」
「え? ごめん……」
亜季がそういうことじゃないんだけど、という顔をしつつ謝ってきた。ここまで表情と行動が矛盾している人を見るのは初めてだった。
「うん。専門基礎だから、延長するかもってやつだよね?」
「そ。ちょっと遅れるかも」
「先行ってるね。私も一応、あの人に用があるし」
「おっけ。場所移動したら、また連絡して」
こっち来たついでに図書館寄ってく、調べ物あるから、と亜季は私といったん別れることになった。たぶんまたレポートをギリギリまでやっていなかったのだろう。昨日「やってない課題ないの?」と確認はしたのだが。そして図書館の入口に亜季が吸い込まれていったのを見て、ロゼが口を開いた。
「……思いっきり知り合いだった。そりゃ知ってる匂いするわよ……」
「うん。あの男の人の隣にいたよね」
リュールも同調する。しかもあの人の隣にいたのだという。全く気づかなかった。といっても、ロゼやリュールだって実体化してしまえば、普通の人間にしか見えないのだが。
「誰だったの、その知り合いって?」
「ヴォロンテ=バーチュース。序列は22位、あたしが昔からつるんでる……まあ、腐れ縁ってやつね」




