第一話 吸血鬼と狩人
いつものように疲れを溜めて宿へと戻る。歩くたび軋む床に、少し埃臭い部屋。そこにあるベッドへ倒れ込むと、薄い布団越しに硬い板の感触が背中へ伝わってきた。
一日中依頼をこなし続けるのは、結構、体にくる。
寝転がりながら今日の成果を確認しようと、重い鞄の中から小袋を取り出す。しかし、そこには硬貨が数枚入っているだけだった。
吸血鬼ハンター——まだこの仕事を始める前は、もっと稼げるものだと思っていた。
教会に仕え、吸血鬼から人々を守る高貴な職業。少なくとも、昔の私はそう信じていた。
「はぁ……こんなに頑張っても、宿代くらいにしかならない……」
この宿も、決して良いところとは言えない。
——せめてもう少し柔らかいベッドで眠りたい。
「……さすがに装備を着けたまま寝ると痛いわね」
身に着けた装備を外すためにベッドから立ち上がる。
腿のホルスターから銃を抜き、鞄を床へ下ろす。少し動きにくいハンターの制服も脱ぎ捨て、明るい茶色の髪を隠すための黒い帽子を外す。ようやく身体が軽くなった気がした。
ふと、目の前にある鏡に目をやると、自分の姿が映っていた。
「……ひどい顔ね」
少し、やつれたかしら。それに、酷い顔色。今日はもう寝た方がよさそう。
硬くなったパンを無理やり口に押し込み、飲み込んだ後、再びベッドへ横たわる。
「……私は、こんなことをするために頑張ってきたわけじゃないのに」
もう、あの日みたいに何もできないままでいるのは、嫌なのに。
* * *
「結局、今日も依頼はなかったわね」
今朝の教会の掲示板にも、討伐依頼はなかった。
ここら辺はあまり吸血鬼の目撃例がないって言っても、ずっとこれじゃ流石に生きていけないわね……
「今日は、もう少し良い依頼があるといいけど……」
そうして私は、生活費を稼ぐために今日も冒険者ギルドの建物へ向かう。
木造で他の建物よりもひと回り大きい冒険者ギルド。外観からも、その長い築年数が伺える。
入口の扉を開くと、活気に満ちた空気に包まれる。
ここは食堂も併設されているからか、人が異様に多い。早朝だというのに。
「よう、ハンター。今日も薬草ハントか?」
……毎回毎回、鬱陶しい男ね。しかも酒臭い。この食堂に住んでるのかしら。
「——えぇ、今日もこの町は平和みたいですから」
「はっは!そうか平和か。平和ボケもほどほどにしとけよ、薬草ハンターさん」
平和ボケって……いいえ、こんな酔っ払いの小言に構ってる暇はないわね。
横で自分勝手に話し続ける男を無視し、ギルドの受付へと歩みを進める。
受付のカウンターの前まで来ると、受付嬢が話しかけてくる。
「おはようございます!今日も依頼ですか?」
「おはようございます。何かよさげなものありませんか?」
「ご紹介できそうなものはいくつかありますが……ちゃんと休めてますか?酷い顔色ですよ?」
あれ、ちゃんと寝たはずだけど……
「……大丈夫です。依頼、紹介してもらえますか」
「……はい、承知しました!少々お待ちください」
すると、受付嬢はカウンターの下から、四枚ほどの依頼書を取り出す。
うーん、どれも報酬が少ないわね。……まあ、Dランクの私でも受けられるような依頼ばかりだからしょうがないか。
三枚を流し見して、最後の一枚に目を留める。
これは……護衛依頼?珍しいわね。内容は——隣街へ向かう商人の獣車の護衛。ルートも問題なさそうね。
低ランクの護衛依頼はここら辺だと滅多にないし、報酬も護衛依頼にしては少ないけど、他より格段に高い。これは——
「この依頼、受けます」
受付嬢は手馴れた手つきで依頼書に書き込みを始め、あっという間に受付の処理は終わった。
「いってらっしゃいませ!」
合流場所は……東の門。隣街に向かうなら当然よね。
書類を受け取り、合流場所へ向かうためギルドを出ようとした、その時。
ガタンと大きな音を立てて入口の扉が開いた。その音とともに周囲が一瞬、静寂に包まれる。そして、入口から誰か入ってきた。
全身真っ白な鎧に身を包んだ大男。背中には、私と同じくらいありそうな白い大剣と大盾を背負っていた。
その男は、大都市にいそうな騎士という雰囲気で、周囲から明らかに浮いている。
あの真っ白な装備……吸血鬼ハンターかしら?でもあんな立派な装備のハンターはこの町にはいないし……隣街から来たのかしら?
だとしたら、こんな田舎町に何の用?吸血鬼が出現したわけでもないし……
……というかあの人、体大きすぎない?多分、近くで顔を見ようとしたら首が痛くなるわね。
その時、白い騎士が食堂の店員を呼ぶ。
「ワインを一本頼む」
やがて、注文を取った店員さんが厨房から一本の瓶を持ってきた。
「お待たせいたしました。こちらワインです」
男は、一緒に提供されたグラスも使わずに直接口をつけて一気に飲み干した。
ワインを一気飲みってとんでもないわね。しかも、また注文してる。ワインってそんながぶがぶ飲むものじゃないと思うんだけど……
豪快な白い騎士を横目に、ふと、他の冒険者の話が耳へ入ってくる。
「あの男、王都から来たハンターらしいぞ。それも騎士団の団長らしい」
「えぇ?!どうしてそんなヤツがこんな田舎町に来てんだ?」
「それがよ、この近くに三罪級の吸血鬼が複数体出現したらしいんだ」
吸血鬼が出たの?!私、教会から何も聞かされてないんだけど。
「はぁ?なんでこんなところに?しかも複数って、吸血鬼は群れないんじゃなかったのか?」
「それは俺にもわからん。でも、その吸血鬼どもはあの団長が一人で倒しちまったらしい」
「マジかよ?!王都のハンターってそんなにレベルが違うのか?!」
「そう思うよな。この町のハンターとは比べ物にならねぇよ」
何よあいつら。こっちの事情も知らないで好き勝手言って。そりゃあ、王都の騎士団長様と比べたら私なんて三罪級も倒せないような弱者でしょうけど……
……悔しいけど、何も言い返せない。
少し居心地が悪くなったギルドから、私は速足で出ていく。
一瞬、団長さんと目が合った気がするけど、気のせいよね。
「……ほう」
町の砂利道に沿って東の方へ歩いていくと、石垣の壁に埋め込まれた門が見えてきた。
東の門——あの先に、隣街へ続く道がある。
「ここら辺なはずなんだけど……」
商人の護衛依頼だし、きっと物資の運搬よね。それらしき獣車は……
道の際に寄って周囲を見渡しても、行き交う獣車が多すぎて、依頼人らしき獣車は見分けがつかない。
まあ、隣街はここら辺の地域で一番大きい街だし、そこに繋がるこの門が混み合うのは当たり前よね。
すると突然、後ろから誰かに軽く肩を叩かれる。
「誰?!」
後ろへ振り向くと、そこには金髪の好青年といった印象の男性がいた。
「うおっと、ごめんごめん、驚かせちゃったかな。何か困ってそうだったからさ。大丈夫?」
「……はい、大丈夫です」
そんなに困ってそうに見えたかしら。
「それで、こんなところに突っ立っててどうしたの?」
「えっと、護衛の依頼を受けたんですが、合流場所がここで……」
「護衛の依頼って、君、冒険者?もしかして受けた依頼って報酬安かったんじゃない?」
え?どうして知ってるの?
「は、はい。相場よりは安いなとは思いましたけど……」
「本当?!それ依頼人俺だよ!受けてくれてありがとうな!」
その依頼主の青年が嬉しそうに私の肩を何度も叩いてくる。
この人、商人なのに活発すぎない?
「いやー、まさか受けてくれる人が今日中に見つかると思わなかったよ。早めに見つかって良かった!」
いや、早く見つけたいならもう少し報酬高くしなさいよ。
「さ、俺の獣車まで案内するよ。ついてきて」
「はい、承知しました……ってあれ、どこ行った……?」
慌てて周囲を見回すと、青年はすでに、人混みを抜けた道の反対側にいた。やがて、建物の陰に隠れて姿が見えなくなる。
……あの人、商人にしては妙に身軽ね。
私は、足早にその青年の跡を追った。
あの後、なんとか青年に追い付いた私は今、彼の獣車の上で揺られている。獣車は、依頼人の青年が動かしている。
「……そういえば、他に人はいないんですか?御者さんとか」
二人はさすがに人数が少なすぎる……野盗とかに襲われたら少しまずいわね。
「護衛の依頼すら報酬を渋るやつにそんな金あると思うか?獣車は俺が動かすから大丈夫だよ」
「じゃあ、私は何をすればいいですか?」
こんな田舎町の護衛依頼は、荷物持ちなどの雑用も依頼内容に入っているのが暗黙の了解だった。
「君は獣車に乗っててくれればいいよ。魔物が出た時に守ってもらえれば大丈夫」
……それはいくらなんでも、さすがに申し訳ないわ。
これだけで報酬を貰うのは、私が許せなかった。
「せめて、荷物持ちとかはやらせてくだ——」
「いいよいいよ。女の子にそんなことさせられないって」
「……どうして護衛を雇ったんですか?」
「ん?どうしてってどういう意味だ?」
「こんなほぼ魔物が出ない街道での護衛なんて、荷物運びか、御者の代わりをさせることが殆どですから」
「そうなんだけど……ほら、最近吸血鬼が出たって聞いてさ。普段は一人なんだけど、今回は怖くて」
なるほど。この人、吸血鬼が討伐されたことをまだ知らなかったのね。
「吸血鬼なら、もう討伐されましたよ。王都から騎士団の方々がお越しになって、そのまま討伐されたと」
「そうなのか?!良かった、それならこの先怯える必要もないな」
そうよね。それならもう……
「……では、もう私は必要ないですね。報酬も大丈夫ですから」
「いや、せっかくの縁だ。君もついてきてくれないか?報酬もちゃんと払うよ」
「……なんですかそれ、あなたに何もメリットがないじゃないですか」
「いいや、あるだろ?——話し相手ができる!」
なによそれ……いや、私に気を遣ってくれたのかしらね。
「それで、君のことはなんて呼べばいい?」
「ヴェリナって呼んでください」
「君の雰囲気に合った名前だな。俺はマルクだ!よろしくな、ヴェリナ」
距離感の詰め方が凄いけど……悪い感じはしないわね。
「……よろしく。マルク」
獣車に揺られているうちに、気づけば街道の両脇には木々が増え、道に木陰がかかっていた。
「そういえば、どうしてヴェリナは冒険者をやってるんだ?」
「えっと……生活のためよ」
「そうなんだ。貴族みたいな綺麗な服だから、お金持ちなのかなって思ったけど」
「ああ。これは吸血鬼ハンターの制服よ」
一応、教会直下の聖職だから綺麗だけど……これ、ちょっと動きにくいのよね。
「え?ヴェリナ、吸血鬼ハンターだったの?!」
「……あれ、言ってなかったかしら?」
「聞いてないって!ヴェリナ、結構凄いやつだったんだな」
なにそれ。まるで私が小者にしか見えないみたいな言い方……
「……まあ、あんまりそうは見えないのは分かるわ」
「あ、いや。そういうわけじゃないんだ。ただ——」
マルクがそう言いかけた時、突如、獣車が大きく左右に揺れ始めた。
何かに車輪が引っ掛かった時の揺れじゃない。もっとこう——何かに獣車を横から押されたような。
……これ、まずいわ!このままだと倒れる……!
獣車が倒れる前に急いで外へと出る。獣車は横転してしまった。
さっきの町の門の前の賑わいが嘘のように、静寂が広がる街道に木の板が砕けるような轟音が響く。
「な、なんなのよこれ……何が起きたの……」
獣車の残骸を見つめる。これを引いてたベルクもどこかへ行っちゃったみたい……あれ、マルクはどこ?
すると、残骸の陰からマルクが顔を出した。
「おーい、ヴェリナ!大丈夫か?」
良かった。残骸に巻き込まれたりはしなかったみたいね。
「ええ。私は大丈夫よ」
でも、一体何が起きたのかしら。——この板、何かの打撃を受けたみたいな跡がある……外部からの衝撃を受けたのは確かみたい。
「ヴェリナ、まだ使えそうな物がないか、探すのを手伝ってくれないか?」
「ええ。いいわよ」
横転の原因を探りながら、マルクの手伝いをする。しかし、打撃痕ほど目ぼしいものは見当たらない。
すると、ふと何かの気配がした。
「……何かいる」
「え、そうか?俺には何も分からなかったけど——」
その時、鬱蒼とした森の木々の陰から何かがこちらへ跳び出してきた。
人型で、黒のローブで顔を隠している。しかし一瞬、ローブの隙間から黒く澱んだ深紅の瞳が確かに見えた。
こ、こいつ、吸血鬼——だめ、早すぎて間に合わない!
吸血鬼の爪による斬撃が寸でのところまできたその時、マルクが覆いかぶさるように私の体を押した。
「だ、大丈夫か?」
「……えぇ。助かったわ。ありがとう」
黒ローブのフードが外れる。吸血鬼は、白髪の少し老いた姿をしていた。日の光を浴び、その深紅の瞳を少し細めている。
あいつ、日の光が効いてない?!ということは、少なくとも二罪級以上の吸血鬼……生きた災厄って言われるほどの吸血鬼がどうしてこんな森の街道にいるのよ。
「マルク、急かすようで悪いけど、今すぐ町まで逃げなさい」
「どうしてだ?!俺も戦うよ!二人で戦えばまだ——」
「そういう次元の相手じゃないの。だから、早く!」
少し間が空いた後、マルクは私の目から何かを感じ取ったかのように、町の方へと向かい走り始めた。
「ヴェリナ!助けを呼んでくるから!耐えててくれ!」
すると、物珍しそうな顔で吸血鬼が口を開く。
「ほう。仲間を逃がしたか。このような地にも、勇敢な者はいるものなのだな」
「……別に、勇敢って訳じゃないわ。これが私の仕事ってだけよ」
「そうか。ならば申し訳ないが、その仕事は完遂させることはできないだろう」
すると、目の前の吸血鬼の姿が霧のように霞んで消えた。
これは……霧化する吸血鬼みたい。マルクを追いかけに行ったわね。
そうはさせないわよ。
私はすかさず鞄の中から球状の魔道具を取り出す。
「あなたの相手は私よ!これでも食らいなさい!」
掛け声と同時に、魔道具を空中へと投げた。少しした後、辺り一帯が強い閃光に包まれた。
辺りが強い光に包まれている間、マルクが向かった方へ走って吸血鬼を追いかける。すると、閃光で視界を奪われた吸血鬼が見えた。
良かった。まだそんなに遠くには行ってなかったみたい。
「残念だったわね。もう彼は追いかけられない。あなたの相手は私よ」
「……っく、卑怯な。弱者をいたぶるのはあまり趣味ではないのだが……我と対峙するということは、覚悟はできておるのだろうな?」
「えぇ。もちろんよ」
……嘘。覚悟なんてできていない。ホントは死ぬのが怖い。
心臓は煩いほど脈打っているし、足は震えるのを辛うじて抑え込んでいる。
——それでも私は、逃げるわけにはいかない。
吸血鬼に照準を合わせて構える。そして数発、弾丸を撃ち込んだ。しかし、弾丸はいとも簡単に避けられる。
まあ、当たらないわよね。——なんとか隙を見つけられたら倒せるかもだけど、Dランクの私がAランク相当の二罪級を相手にできるわけ——
「何を呆けている。死ぬぞ」
相手を分析している間、突如、吸血鬼が正面に現れる。
は、早い!……右から攻撃、とりあえず左に避けないと!
左後ろに跳んで、間一髪で攻撃を避ける。
「どうした。反応が鈍いぞ」
「うっさいわね!そんなこと、自分でもわかってるわよ」
でも、鈍くても、弱くてもいい。今はとにかく、耐え続けないと。
「そうか。では、これはどうだ?」
すると、前にいた吸血鬼は再び霧化し、姿が見えなくなる。どこから現れるのか、まったく察知できない。
——それならと、私は撹乱を試みる。できるだけ速く動き回り、狙いを定めさせない。しかし、ハンターの制服では、少し動きにくい。
どうして制服はこんなに動きにくいのよ!
そして、吸血鬼が今度は私の進行を的確に妨げるように現れた。
「なんだ?その死に損ないの獣のような動きは」
まずい、走ってた勢いを殺しきれな——
吸血鬼の腕が振り下ろされた瞬間、胸元辺りがとてつもなく熱くなってくる。思わずそこに手を当てると、生暖かい感覚が掌に伝わる。
これは……血?
「ゴホッ、ゲホッゴホッ」
口から血が溢れる。頭がクラクラする。平衡感覚がなくなってきた。
立っていることもままならなくなり、その場に倒れこむ。
なんだか、寒いわ。
——ああ。私、ここで死んでしまうのね。
「……貴様の血、少々奇妙な味わいだな」
霞んでいく視界の中に、私の血を啜る吸血鬼の姿が見えた。
このままだと死んでしまう。嫌、まだ死にたくない。
もう、何も見えない。音ももうほとんど聞こえない。
「まだ……何も……できてない……」
「わた……し……は……」
「なん……様は……」
「……あげな……そう…………よ。」
吸血鬼と、なにやら少女の声が聞こえる。
何を、話しているの……
少し、地面から振動が伝わってくる。
一体、何が……起きてる、の……
* * *
「ん……うん……ん?……あれ、私——」
見たことのない装飾をした天井。
——これは……天蓋付きのベッド?
仰向けの状態のまま首を傾ける。辺りは一見、森のようなのに、どこか生活感のある部屋のようにも思える。
しかし、天井は吹き抜けになっていて、部屋の中央に生えた大木の枝葉の隙間から、夕焼けの空が見える。
「にしてもこのベッド……なかなかの寝心地ね」
あの安宿のベッドとは比較にならないほどだ。
——っと、このままだとまた寝てしまいそうになるわね。
また眠ってしまう前にさっさと立ち上がると、横になった姿勢の時とはまた違う景色が見えた。
美しい装飾を施された家具が、草木と違和感なく調和し、神秘的な空気を醸し出していた。
そういえば私、ここで何を……していたんだっけ、確か——
「確か、吸血鬼と戦って……って、どうして生きてるの?!」
あんな傷、高位の治癒魔法でも治りっこないはずなのに……傷痕一つない。
服は何かに裂かれたように破けていて、あの戦いが本当にあったことを物語っていた。
少し頬をつねってみる。
——痛い。夢でもなさそう。
「ここ、どこなのよ……」
うーん……もう少し辺りを見てみましょうか。
大木の向こう側が見えるように、部屋の中を歩き始める。
「……女の子?」
大木の下にある椅子に、少女が座っている。少女は、前にあるテーブルに突っ伏するような体勢をしている。
どうしてこんなところに女の子が?……どうやら、眠ってるみたい。
長く艶のある黒髪に、黒い服。全体的にヒラヒラとした服には、所々赤い装飾が散りばめられている。そして、スカートの裾から伸びる脚には靴下の類もなく、足元には靴すら見当たらない。その明らかに異質な雰囲気に少し警戒しつつも、なぜだか目を離せない。
枝葉の隙間から差し込む日の光が、その少女の周りだけを淡く照らしている。なぜだか、声をかけることすら躊躇ってしまうような、不思議な静けさがあった。何かに例えるなら、その姿はまるで——
「……堕天使みたい」
「……ん……んぅ……」
あ、起こしちゃったかしら。
「眠っているところ、邪魔してごめんなさい。少し、聞きたいことがあるんだけど——」
少女は顔を上げ、ゆっくりと瞼を開く。
少女の瞳は、澄んだ鮮血のような深紅の色をしていた。
——この子、吸血鬼?!
その少女から、反射的に距離を取る。
というか、この子日の光が効いていなくない?!木漏れ日当たってるわよね?
日は落ちかけているが、まだ沈みきってはいない。しかし、目の前の吸血鬼は、陽光を浴びても苦しむどころか、そのまま寝ていたのだ。
「……んーぅー……ふぁぁぁ。——あ、起きたんだね。よかった。」
この吸血鬼、私の心配をしてるの?
「もしかして、私をここに連れてきたのはあなたなの?傷を治したのも?」
「うん。そうだよ。」
この吸血鬼、二罪級以上ではあるけど、見た目はまだ若いし、あの傷を治せるとはとても思えない……考えても分からないわね。今はとにかく——
私は、目の前の吸血鬼の少女に銃口を向けた。
「あなたのことはよく知らないし、もしかしたら本当に私のことを助けてくれたのかもしれない。でも、私は吸血鬼ハンター。いくらあなたが命の恩人でも、見逃すことはできないわ」
正直、反撃されたら負けるだろうけど、一度は死にかけた身なんだし、今更あまり変わらないわね。
「…………」
吸血鬼の少女は、何も言わずにこちらを見つめている。
「……?——何よ。何かあるなら言いなさいよ」
銃を向けられてるのに、何も反応がないわね。なんだかずっと私の顔見てる?
「……ふふっ。」
「なに笑ってるのよ。あなた、今の状況わか——」
その瞬間、目の前にいたはずの少女の姿が見えなくなった。
辺りに視線を走らせる。しかし、少女の気配すらない。
あ、あれ。あの子どこに行ったの?一瞬でどこかに消え——
「——だめだよ。そんな危ないもの人に向けたら。」
きょろきょろと少女を探している時、突如、耳元で声が聞こえた。
「きゃっ、きゃあああぁぁぁぁぁ!!」
「ふふふっ。面白いね。君」
「あ、あなたいつ間に後ろに——」
「リリー様、どうかなされましたか?!なにやら悲鳴が聞こえましたが……」
叫び声を聞きつけたのか、部屋に執事のような服装をした男が入ってくる。その瞳もまた、赤色に染まっている。
「大丈夫だよ爺。少し遊んでるだけ。」
遊んでるって、こっちは割と必死なんだけど。
……というか、この礼服の吸血鬼、なかなか老齢に見えるし、相当強力な吸血鬼のはず。そんな存在がこの子に敬語で話してる……
この子、本当に何者?
「それより爺。私、この子気に入っちゃった。」
「ほう、それは珍しいですな。リリー様が他者にご興味を持たれるとは」
「爺にも聞こえたでしょ。この子、こんなかっこいい雰囲気なのに、叫び声が『きゃわひゃああぁぁァァァ』なんだよ?」
「ちょっ、何よそれ!私はそんな叫び方してないわ!」
「ほっほ、確かにユーモアにあふれた方のようですね」
「うん。——だから私、この子と友達になる。」
——え?
「ちょ、ちょっと!勝手に話を——」
「おお、リリー様、おめでとうございます。初めてのお友達ですね」
「えっ、ちょ——」
すると、困惑する私に、吸血鬼の少女が手を差し伸べる。
「私はリリー。君、名前、教えてくれる?」
「ちょっと!私はまだ了承してな——」
「ほら、私の手を握って。」
吸血鬼の少女に誘導され、彼女の手を握る。
「えっ、あ……ヴェリナ、ヴェリナよ」
「ヴェリナ……いい名前だね。これからよろしくね、ヴェリナ。」
「え、ええ……よろしく……」
いや、何やってるのよ私!——『よろしく』、じゃないわよ!




