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8話

早朝の、まだ誰も起きていない時間。

フィロは砦内の誰よりも早く起床し、中庭で剣の鍛錬に勤しんでいた。早朝の鍛錬はフィロの日課であり、カターニアから剣を習いはじめてから欠かしたことのない習慣だった。


「―――ふっ」


静かに剣を構え、誰もいない眼前を睨みつける。そのまま、踊るように足を滑らせ、下から上へ剣を振るう。そのまま、続けざまに剣を振り下ろし、次に横薙ぎの一閃、と息を付く間もない剣戟が空気を割く。


相手に休む暇を与えない、猛撃。押しては引く、という剣術の基本をまるまる無視した、攻撃一辺倒の動きに、しかし、フィロは息一つ乱さず、淡々と剣を振るっている。


ただ、前へ前へ。

フィロの体は後ろへ行くことはなく、眼前をただ斬り伏せて進む。そうすることで、フィロの意識は深く、眼前を斬ることのみに集中していく。


―――――と、そこで、深く沈んだフィロの意識の端で、近づいてくる気配を感じた。

敵意はない。だが、近づくのであれば、ただ斬り捨てるのみ。


フィロはコンマ一秒でそう答えを叩き出すと、気配のした方―――背後へ、振り向きざまに剣を振り下ろそうとして『ご主人!』という鋭いフルーカスの声に、条件反射のように手が止まった。


ぴたりと止まった切っ先の向こうで、スバルが臆することなく淡々と佇んでいた。


「っ、スバル! 私が鍛錬しているときは、近づくなと言っただろう!」


危うく斬り捨てるところだった、とフィロはスバルを叱責した。フルーカスが止めてくれなかったら、本当に斬っていただろう。

冗談じゃない、と冷や汗をかいていると、スバルは「いいえ」と小さく笑った。「隊長なら大丈夫です」無駄に晴れやかな表情で言われて、眉間に皺を寄せた。


「大丈夫じゃないから言っているんだ。私は集中すると敵味方関係なくなってしまう。それはスバルがよく知っているだろう?」

「ええ。眼前のもの全てを切り捨てる戦場の狂魔女。この上なく隊長に相応しい名前かと」

「……それは褒めているんだよな?」

「もちろん」


にっこりと爽やかに微笑むスバルに、フィロは怒っていることがバカバカしくなり、剣を収めた。スバルからタオルを渡されて、汗を拭う。本当に、よくできた副官である。


「たまには騎士たちに稽古をつけてあげてください。きっと喜びます」

「そうかな。殺されやしないかと怯えてしまうんじゃないか?」


苦笑するフィロに、スバルは内心で肩をすくめた。

フィロ本人は否定するだろうが、彼女の存在は騎士たちの憧れだ。ある種の伝説と言ってもいい。


彼女は、魔女の家系に生まれただけの、それ以外はごく普通の少女だった。剣はおろか、転んで怪我をしただけでも大騒ぎされるほどの、名家のお嬢様だ。

そんな彼女が剣をとり、他の騎士と変わらず一般の騎士試験を受けたときは、何の冗談かと笑い飛ばした者が多かったという。か弱い女に何ができる、騎士の真似事だ、と。


だが、そんな嘲笑を、フィロは吹き飛ばしてみせた。騎士試験に、堂々の一位で合格したのだ。

それからの彼女の活躍はまさに、獅子奮迅のごとく凄まじかったという。

初陣で一騎当千の動きをみせ、それを皮切りに跳ね馬のように出世していった。


フィロの出世を快く思わない人間も一定数いるにはいるが、騎士たちにとってフィロは崇拝にも似た存在だ。

戦場に立ったことのある人間なら、彼女の強さに憧れずにはいられない。

真っ直ぐに前だけを見て敵陣へ突き進む背中は、誰よりも凛々しく、頼もしい。この人に付いていきたい、と思わせる何かを、フィロは持っていた。


だが、当の本人はそれを自覚していない。それどころか、魔法が使えない落ちこぼれだと、自分を卑下している。

何が彼女をそう思わせているのか。スバルは常日頃から、そんなフィロを歯がゆく思っていた。


(このひとは、もっともっと、上へ行くべきひとだ)


いち部隊長に収まるような存在ではない、とスバルは思う。だが、今のままではフィロは部隊長のまま、その上へ出世することは難しいだろう。騎士としての実績でここまで上り詰められただけでも凄いことではあるが、この更に上となると、実績だけでは難しい。キャリアになるためには、それなりのコネが必要だし―――、第一、フィロ自身が望んでいない。彼女は出世したいわけではないのだ。それがスバルには歯がゆく、同時に、フィロらしいと誇りに思うのだ。


(俺がこのひとを支え、いつか必ず押し上げてみせる)


それがスバルの目標であり、夢だ。


固く決意を胸に宿していると、ふわり、と早朝の冷たい風が吹き抜けた。

フィロの柔らかな月白色の髪が、ゆらりと揺れる。少し伸びたのだろう、髪が頬を打った。それを耳に掛ける指先や仕草がほんの少し幼く見えて、どきりと胸が高鳴った。


(……ダメだな、俺は)


何気ない仕草に、彼女がまだ、十七歳の少女なのだと実感する。

戦場では誰よりも頼もしく、勇ましい騎士であるフィロだが、スバルよりも二歳は年下だ。上司と部下という関係ではあるが、ときどき、年相応の態度を見せる彼女が、危うくも愛おしく感じるのは、――――スバルがフィロのことをすきだからだ。


だが、その感情を表に出すことも、口に出すことも、スバルは絶対にしないと決めている。

己の感情は、フィロにとって重荷以外の何者でもないことを解っているからだ。自分の出自で、ただでさえ重荷になっているというのに、これ以上フィロに負担を掛けるつもりは毛頭なかった。

双子の姉であるカナタからは「告ってきっぱり振られるのもありだと思うわよぉ」と叱咤なのか激励なのか分からないことをよく言われるが、スバルはもう、自分の感情の在処を決めており、そこから動くことはないと思っている。……いや、思っていた。


(彼が、現れるまでは)


苦々しく思っていると、当の本人が駆け足でこちらに向かってきた。


「おはようございます! ウェザリア隊長、スバル副官!」

「………おはよう、ございます」

「ふふ、ウェザリア隊長、敬語はなしでってお願いしましたよね?」


にっこり、と天使の笑みを浮かべながら、背後には暗雲を背負うという器用なことをしてのける少年―――――アーサル・エンブリザの金色のつむじを、スバルは苦々しい思いで見下ろしていた。



思い返すのは、昨夜のことだった。



内通者が七人公の一人、レイモンド・イビザエル一派であるバルド・グエンの可能性が浮上し、彼をどのように扱うのか、意見が割れた。


証拠を揃え、上層部に訴えるべきだと言うスバルに対し、このまま泳がせて様子を見るべきだというアーサル・エンブリザ。

二人の意見は真っ向から対立し、白熱した。


「ですから、このまま泳がせたとしても、彼が内通者であるという証拠は揃っていますし、無意味ですよ。逆に、証拠を消されてしまえば、あちらの思うツボです。ことの次第を早急にカターニア将軍に報告し、上層部の判断を仰ぐべきです」

「いいや、まず、バルド・グエンの背後には必ず誰かがいるはずだ。バルド単独だとは考え難い。おそらく、他にも内通者はいるだろうし、指示をしている人間がいるはず。手足を切ったところで、根本的な解決にはならないよ」

「それを判断するのは上層部の仕事です。俺たち末端の騎士に、そこまでの権限は与えられていません」

「カターニア将軍の指示を忘れたの?『内通者およびそれに関わる処遇の是非については全権をウェザリア隊長に委ねる』だ。つまり――――内通者の調査や処分に関して、フィーフィロス隊長に一任するってことだよ。……まぁ、仮になんかあってもカターニア将軍がぜんぶ責任持ってくれるから心配いらないって」

「そんな軽く言われても……」


大丈夫だろうかと心配するスバルに、大丈夫大丈夫、と繰り返すアーサル。何を根拠に、とスバルは苦く思う。さきほどからずっとこの調子だ。慎重なスバルに対し、どこか楽観的なアーサルの意見は真っ向から対立した。

まだ年端も行かない少年と言い争いになっている時点で、異様な状態であるのに、彼の言うことが一理あるものだから、なおさらたちが悪いとしか言いようがない。


「とにかく、これからどうするのかは、全てウェザリア隊長が決めることだよ。ね?」


言いながら、アーサルはフィロを見上げた。

フィロはじっとアーサルの顔を見つめたあと、心得たとばかりに頷いた。


「今回の件はアーサル・エンブリザの言うとおり、まずはバルド・グエンの動向を探ろうと思う」

「隊長!」

「まぁまぁ、スバルは落ち着いてぇ。閣下のご命令は絶対だ、って、いっつも言ってたでしょ? 私は従いますよぉ」

「カナタまで……。ことは国の命運を分けるかもしれない案件なんだぞ? もしこれで上手くいかなかったら、」

「くどい」


言い募るスバルを、カナタが一喝した。背負った刀の柄を握り、ビリビリと肌が粟立つような殺気を放っている。


「いつから意見できる立場になったんだお前は。私たちは、どうあろうとフィーフィロス・ウェザリアに付いていく。そう決めたのを忘れたのか? 私たち両翼の使命を忘れるな」


スバルと同じ金糸雀色の瞳が、静かに、しかし激しい怒気に満ちていた。

久しぶりに見た片割れの激怒した姿に、スバルは頭に登っていた血がサッと引いていくのを感じた。

普段はのんびりとしていて、楽観的な考え方をするカナタだが、一度怒らせると手に負えなくなるのだ。そのことを骨の髄まで知っているスバルは、こういうときどうするのが一番なのかもよく分かっていた。


「すまない、カナタ」

「分かればよろしーぃ」


コンマ一秒にも満たない速さで謝ったスバルに、カナタはにっこりと笑うと柄から手を離した。

こんなところで斬り合いになってはたまらないと、ひそかに構えていたフィロは、ふっと肩の力を抜いた。

それを、どこか面白げに見つめているアーサル。怖がるどころか、楽しげなその顔に、スバルはいいようのない違和感を感じていた。


(この少年は、いったい何者だ? いくら()()エンブリザ家の子息とはいえ、ここまで国の内部情勢に詳しいものなのか? それに、隊長の態度も、どこか変だ)


いくら尊敬する上司の息子とはいえ、騎士見習いの少年に対し、フィロはどこか遠慮しているような素振りを見せていた。その態度があまりにもフィロらしくないもので、スバルは胸の奥がざわつくのを感じていた。


アサールの姿をマジマジと見つめる。どこからどう見ても、幼さの残る出で立ちの少年。だが、その可憐な唇から飛び出す言葉は、大人顔負けのそれだ。そのちくはぐさはもちろんだが、なにより。


「さすがはウェザリア隊長の副官だね。……頼もしい限りだ」

「……ありがとうございます」


アーサルを見る、フィロの瞳。

紛紅色の瞳に浮かぶのは、困惑と―――…わずかな歓喜だ。


アーサルがフィロのことを褒めたり、認めるような言葉を言うと、そのたびにフィロは僅かな戸惑いを見せ、それでいて、ほんのすこし、嬉しそうな瞳をする。

そのことに気づいているのは、たぶん、スバルだけだ。だからこそ、スバルは胸の奥がざわめいて仕方なかった。


「じゃあ、バルド・グエンの件はとりあえずその方向で動くとして、もうだいぶ夜も更けてきたし、そろそろ休もうよ」


眠くなってきちゃったよ、と欠伸をしながら、アーサルは瞼をこすった。本当に眠たいのだろう、瞼が今にも閉じてしまいそうで、目も虚ろだ。

フィロはちらりと時計を見やった。時計の針は十時を過ぎており、確かに、子どもは寝る時間だった。


「そうだな……。今日はひとまず解散しよう。スバルとカナタは、このまま休むように。私はカターニア将軍に報告をしてくるよ」

「あっ、それならぼくも一緒に行くよ。……義母(はは)上に、報告したいことがあるんだ」


当然のようにフィロに続こうとするアーサルを、スバルは止めるべきか迷った。恐らく、フィロが報告しようとしていることは、騎士見習いであるアサールが知る必要のないものも含まれているはずだ。

だが、それならばフィロが断るだろうと思っていると、スバルの予想を裏切って、フィロは小さく笑うと頷いた。


「分かった。報告の間、起きておけるか?」

「……うん、だいじょうぶ」

「よし、じゃあ行こう」


アーサルを連れて出ていこうとするフィロを止めようとして、やめた。先ほどカナタが言ったように、スバルはあくまでも副官だ。フィロの決定に従い、付いていくだけであり、彼女の決定に否を唱えるのは――――彼女との間に引いた一線を超えてしまうことになりそうで、スバルは出しかけた手を引っ込めた。


「……お疲れさまでした。隊長」

「あぁ、お疲れさま」


そう言うことしかできないスバルに気づくことなく、二人は部屋を出ていってしまった。

スバルはじっと、伸ばしかけた手を見つめた。


(俺は、副官であることに満足していたはずだ。あのひとのことを支え、高みへと羽撃かせるための翼であることに、誇りすら感じていた。なのに―――、あの少年が、あのひとにあんな瞳をさせることに、こんなに胸が騒ぐ)


ぐっとシャツの胸元を握りしめる。

スバルは、かつてないほど動揺していた。側にいるだけでいいと満足していたはずの恋心が、自分でも気づかないほどに大きくなっていたことに。


「……ばかだね、スバル」


そんなスバルを、カナタは静かに叱咤したのだった。




そんなことがあり、スバルはこのアーサルという少年が苦手になった。この少年が側にいると、満されていたはずの恋心がうずきだして、胸が苦しくなるのだ。


「スバル?」


もやもやしていると、フィロがスバルの顔を覗き込んできた。彼女の紛紅色の瞳が、まっすぐにスバルを見上げていて、あまりの近さに心臓が飛び出るかと思った。


「っ! 驚かさないでください!」

「えっ、あ、……すまない……。その、元気がなさそうだったから、具合でも悪いのかと思って……」


思わず声を上げてしまったことを、スバルはすぐに反省した。フィロはスバルの反応にどこか傷ついたような顔で、しょんぼりとうつむいてしまった。いつもはハキハキと話す彼女が、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ姿に、地面にめり込んで土下座したくなるほどの罪悪感を覚えた。


「いえ、その……俺もすみませんでした。怒鳴ったりして……」

「いや、そもそも私がいきなり顔を覗き込んだりしたのが悪いんだ。スバルが謝ることじゃない……」


ずーん、と落ち込んでしまったフィロを見て、スバルは言葉の至らなさに自身を殴りたくなった。

こういうとき、気の利いた言葉一つ掛けられない自分の未熟さに、とことん嫌気がさす。

二人そろってどんよりしていると、「ねぇねぇ」とアーサルがフィロの服の袖を引いた。


「どうしてウェザリア隊長が落ち込んでいるの?」

「え?」

「だって、さっきのはどう見ても、スバル副官の過剰反応でしょ? 隊長はぜんぜん悪くないと思うけど」


曇りのない柚葉色の瞳が、責めているかのようにスバルを見た。言葉にも、若干の棘があるように思えて、邪気のない声色とは裏腹に、グサグサとスバルの胸を突き刺した。


(こっ、子どもに言われると、ちょっとクるものがあるな……)


容赦ないそれに、フィロも若干顔色を失くしている。「大げさですよ、私は大丈夫ですから!」としきりにアーサルへ言っているが、彼は完璧に無視していた。


「女性の顔を見て怒鳴るとか、騎士以前に紳士としてどうかと思うなぁ。そのあたり、ちゃんと反省しないとダメだよ」

「……はい」

「それと、ウェザリア隊長も部下に甘すぎ。こういうのは、本人にちゃんと言うべきところだよ。もしこれが他の貴族のご令嬢だったら、最終的に恥をかくのはスバル副官本人と、監督責任のあるウェザリア隊長なんだから」

「はい。申し訳ありません……」


大の大人二人が、子ども相手に頭を下げている構図は、端から見ればとても奇妙に見えていただろう。案の定、「おはようございますぅ!」と元気にやってきたカナタが、その様子を見てその瞳をぱちくりさせていた。


「……これ、いったいどういう状況なのぉ?」


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