あるいは未来の物語
本日都合2度めの投稿です
サンフランシスコのモスコーニセンター、南ホールのルーム306を埋め尽くした聴衆を前に、私は軽く咳払いしてから、講演を始めた。
「講演を始めるにあたって、最初に一点、特にプレスの方に注意があります。
現地時間で今朝方、ここの時間ですと数分前にプレスリリースが出ましたように、私どもの研究所は、G社――正確にはA社ですが、G社でお分かりですね?――に買収されております」
わあっと歓声が上がり、拍手が沸き起こった。
世界的な大企業、しかも最先端の技術に貪欲なことで知られる会社に買収されるというのは、名誉なことでもあるし、成功の証でもある。
「ここまでがグッドニュースです。ですが東洋には、禍福は糾える縄の如しという諺があり、かのごとく、バッドニュースも1つあります。
それは、私が確定情報を得たのが数分前であるため、今からの発表の1枚目のスライドが、買収前の情報に基づいたカバーページになっている、ということです。
遺憾ながら、G社のロゴが、入っておりません」
会場から笑い声が上がり、再び口笛と拍手が鳴る。
「当研究所の所長からは、『宣伝のチャンスを逃すな』と厳命されておりますので、プレスの皆様におかれましては、願わくばカバページはノー・フォト、あるいは適宜フォトショップして頂くことをお願い申し上げます。
アーカイブには修正後のデータをUPいたしますので、そちらをご利用頂いても構いません」
再び、聴衆は大笑い。
ま、これで会場も温まっただろう。
私は軽く一礼すると、講演の本題に入ることにした。
■
あれからまた、いろんなことがあった。
御木本会長は卒業後、K大の法学部に進んだ。あの人が弁護士!? 官僚!? まさか政治家!? などと思ったが、卒業後はマスメディアに就職。数年勤務した後、独立して、ネットメディアを立ち上げた。
競争の激しい業界だが、商売はなかなか繁盛しているようで、最近は複数のニュースサービスを提供している。かく言う私も、技術系ニュースだけを集めたサイトは、毎朝の巡回対象だ。
永末さんは、会長との交際を続けながら、無事高等部を卒業、エスカレーター式に大学に進学し、そこを卒業すると同時に「御木本」に姓を変えた。
今では旦那が運営しているネットメディアで、若手編集者のトップとして活躍している(彼女に頼まれて、彼女が担当するコーナーに格安で寄稿したこともある)。
有原先輩は大学改革の戦場に戻り、大鉈を振るい始めた。
何があったのか概ね想像はつくが、先輩が復帰したその年度末に教授陣が大量に自主退職(逮捕と自主退職の2択なら、普通は退職金の出る後者を選ぶだろう)。有原先輩と宮森おばさんのコネで、フレッシュ・有能・奇抜の三拍子が揃った人材たちが、その後釜として就任した。
仁聖大学は徐々に注目を集めるようになり、今では特定の分野について「日本でも有数」と呼ばれるレベルにまで発展した。とはいえ当然、有原先輩も、宮森おばさんも、これをゴールだとは思っていまい。
星野あらため宮森先輩は、そこからさらに有原先輩にシフトチェンジした結果、私たちの間では「静香先輩」で落ち着いている。
静香先輩は、有原先輩の女房役として、内助の功に徹している。数回、夕食をご馳走になったが、有原先輩はそのたびにしみじみと「静香を嫁にしてよかった」と言っていた。
ちなみに有原家長男の陽一君は、実に聡明な神童で、まったく末恐ろしい。母親的には、宮森学園に入れるつもりだ、とか。もしかすると、陽一君が宮森学園生徒会のトップに立つ日も、来るかもしれない。
――というのが、静香先輩の一般的な情報。だがここには、極秘ネタもある。
私が大学に入った頃、フランス文壇に彗星のごとく現れた謎の詩人にして脚本家。いまだにその正体は明らかでなく、にも関わらず幾多の賞を受賞し、フランス人の間では祖国の誇りと尊敬されている、通称「現代のヴィヨン」。それこそが、静香先輩のもう一つの姿だ。
なんともはや、「さすが」以外の言葉が出ない。
梓先輩は、仁聖大学に進学したが、大学2年の段階で競技水泳からスッパリと引退した。それ以上は体が持たないという診断を、先輩は受け入れたのだ。
水泳界で将来を嘱望されていた梓先輩だが、中等部時代、記録の伸び悩み(と恋愛の行き詰まり)が原因で、いろいろ荒れた時期があったらしい。そしてそのとき、大きな怪我もした。その怪我は、梓先輩の選手生命を、ほぼ断ち切るものだったという(それでも競技会の上位常連にまで復帰したのだから、すさまじい精神力だと思う)。
今では、梓先輩――もとい芝田梓先生――は宮森学園の人気体育教師として、悩み多き思春期の生徒たちを優しく見守っている。
エマちゃんは、学園を卒業後、フランスに戻った。
その後、世界中の大学を留学で転々としながら、今なお「放浪の数学者」としてその名を馳せている――と言えば格好良いが、要は住所不定無職に、限りなく近い。いや、数学界でエマちゃんの名前を知らない人はいないけど。
もちろん、エマちゃんも親のスネをかじり続けているわけではない。年に3ヶ月は仁聖大学に臨時講師として雇われて、あこがれのイリス=有原教授と一緒に仕事をしている。そしてそこで稼いだお金を使って、残る9ヶ月、世界を漫遊するという生活だ。
なるほどそういう生き方もあるかと思うのだが、私にはちょっと、真似できない。
私は、学園を卒業した後、MITに進んだ。高等部の成績は申し分なかったし、推薦者として有原先輩がいるのが効いた(最後の1年はエマちゃん相手に英語を猛特訓したが)。
MITでは、かつて有原先輩がいたランゲージ・ラボに入り、AIによる自然言語処理を専攻。研究室では〈Magi Elephantus〉という微妙なあだ名(学名?)を拝領したが、まあなんだ、〈世界の破壊者〉よりはずっといい。
今ではMITに籍をおいたまま、ランゲージ・ラボ卒業生が作った自然言語処理研究所の主任研究員として働いている。このたび研究所が、目出度くGoogle社に買収されたのは、既にお伝えした通り。
なお、寮食で宮森おばさん相手に大泣きしてからこのかた、寝不足以外で倒れたことは、ない。
エマちゃんとは、卒業後も、細く長く続いている。
1ヶ月に1回くらい、国際会議でばったり会ったり、有原教授の研究室で会ったり、エマちゃんが私のラボを訪ねてきたり、「お金なくなっちゃった。助けて。いまアルゼンチン」とかいうエマちゃんからのSOSメールに応じたりして、その度に同じ部屋に宿を移す。そんな感じ。
年に1度くらい、どちらからともなく「結婚しようか?」という話にもなるが、今のところ、互いに最後の一歩を踏み出せていない。
結婚したとしても、エマちゃんは好奇心が赴くまま世界中を飛び回り続けるだろう。一方、私は私で、一箇所に腰を落ち着け、タバコの吸い殻と空になったコーヒーカップを重ねながら研究に没頭するタイプだ。
結婚しても多分、互いにライフスタイルは、変わらないし、変えられない。だったら今のままでいいか――という結論に至っては、有原教授に「とっとと結婚しなさい」と怒られている。
ユスティナのことは、今でも時々思い出す。
彼女のことを書き残したいという気持ちもまた変わらないが、あの夏の夜に予測した通り、常駐させている専用のエディタは、「無題」を表示した空欄のままだ。
でも多分、それでいい。
ユスティナには悪いけれど、私は、今を生きるのが忙しい。
そしてユスティナなら、そう説明すれば、分かってくれると思う。
彼女はきっと、「とても政治的な選択ですね」とでも言って、苦笑するだろう。
■
成功に終わったサンフランシスコでの講演から、1ヶ月が経った。
私は普段と変わらず、一人だけ隔離された部屋に篭って、新たなアルゴリズムと格闘していた。
この国では、喫煙に対する社会的圧力は、異常なレベルに達している。なので、案の定ヘビースモーカーになった私には、物理的に隔離された空間が用意されることが多い。
タバコをくゆらせながらテスト用のコードを書いていると、特別な相手からのメール着信を示すアラームが鳴った。
このアラーム音は、エマちゃんだ。
「お金なくなっちゃった。助けて。いまコルシカ島」
――あの人は、まったく。
ていうかなんでコルシカ島。ナポレオンでも研究してるの?
「あと何日くらい持ちますか?
ご実家が近いんだから、どうしようもないならご実家にも相談を。
至急お金が必要なら送金してもいいですし、ボローニャ大の統計学科に知人がいますから救援に向かってもらえます」
説教半分、提案半分のメールを送ると、「あと6日は大丈夫」という返事が即レスで帰ってきた。
ため息をひとつついてから、パリ行きの便を調べる。今日の深夜発の便のビジネスクラスに空席があったので、血の涙を流しながら予約を入れた。
しかるに作業中のファイルをすべて保存し、PCをシャットダウンしてから、いつもの書式片手にボスの席に向かう。
「放浪の数学者と名高きマドモワゼル・エマが、また遭難して、救援のメールを打ってきました。とりあえず、1週間の休暇を申請します」
ボスはちらりと私を見て、「今度はどこだ?」と聞いてきたので、「コルシカ島だそうです」と答える。ボスから「なら行ってこい」のお墨付きをもらった私は(これが「シリア」とか「イラク」とかだと多分許可が出ない)、礼を言ってから自分の席に戻り、「休暇」のプレートをホワイトボードの一週間後の地点に貼り付けた。
この時間だと、家に帰るより、このまま空港に行ったほうが良さそうだ。パスポートはデスクの引き出しに入れてあるし、出張用のバッグもサンフランシスコ行きで使ったやつが足元に転がってるし、着替えその他は現地調達でなんとかすればいい。パリにもユニクロはあるからね! あとは、ノートPCにSIMフリーのスマホがあれば、なんとかなるはずだ。文明バンザイ。
まったく、こういう出たとこ勝負は好きじゃないんだけどなあ……と思いながらシャルルドゴール空港行きの飛行機に乗った私は、この前に何が待ち受けているのか、まだ知らなかった。
シャルルドゴール空港に降り立った私は、エマ家のご家族によってタクシーに詰め込まれ、パリ中を引きずり回されて化粧やらヘアメイクやらさせられた挙句、なぜかぴったりのサイズのドレスを着せられ、エマちゃんと指輪の交換をすることになる。
――のだが、それはまた、この段階では、未来の物語なのだから。
【気がついたら転生した魔法使いでした(または、とある象の物語)・了】
本作をお気に召した方には、『太陽の汗』(神林長平・早川書房・1990) http://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B00GJMUNIW/ を強くお勧めします。




