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きみいがい死んでいい  作者: 花果 唯


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魘夢

 ずっとシングルファザーとして頑張ってきた父『朝比奈五郎(あさひなごろう)』が、厄年である四十二歳を迎えた今年、再婚した。

 実母の『(はるか)』は一人息子の俺——『清春(きよはる)』が十歳のころに亡くなった。

 その後、父には長く交際していた人がいたらしい。

 今年高校を卒業する俺が、大学受験に合格して進学することが決まったのを機に、籍を入れることにしたのだという。


 再婚相手は、三十代後半でスナックのママをしている二児のシングルマザー『雨宮優美(あまみやゆみ)』。

 派手な美人で、奥ゆかしくて清楚だった母とはまったく違うタイプだが、母の友人だったそうだ。

 職業柄なのか社交的で、やたらと距離を詰めてくるところがあって、俺はどうにも苦手だ。

「お父さんに似てイケメンね! 遥かの分もあなたを大事にするわ。お母さんと呼んでね」と言われても、正直、嫌悪感しか湧かなかった。


 彼女の子どもは十五歳の男の子と十歳の女の子。

 名前は、兄が『輝羅』と書いて『きらら』、妹は『秘芽』と書いて『ひめ』だという。

 俺は自分の古風な名前があまり好きではないが、あいつらの名前よりはマシだと思えた。


 秘芽は照れながらも、がんばって俺に話しかけてくるところが微笑ましい。

 親父のことは最初から「パパ」と呼んでいるくらいだし、順応性が高いのだろう。

『妹』というより『親戚の子ども』という感じだが、まあ問題なくやっていけそうだ。


 輝羅は中学三年生で、事前に『誰にも心を開かない気難しい子』だと聞いていた。

 中学校にはほとんど行っておらず、高校にも進学するつもりはないらしい。


 問題児だという弟の外見は、目を奪われるほど整っていた。

 肌は透き通るように白く、光を透かすと青紫がかったツヤを見せる黒髪。

 目は光の加減で色が変わるように見えるグレー。

 長めの前髪が目を隠すように垂れていて、どこか人形のようだった。

 細身で背はやや低め……たぶん165cmくらいだろう。

 180cmを超えて体格がいい俺とは対照的な、華奢で繊細な美少年だった。

 秘芽も可愛い部類ではあるけれど、輝羅は母や妹とは違う空気を纏っており、一人だけ違う世界にいるように異質な存在に見えた。

 気になる二人の父親だが、失踪していないと聞いている。


 子どもを交えて、初顔合わせの日——。

 秘芽は親父と母親の間で楽しそうにしていた。

 一方、輝羅は両親の話を興味なさそうに聞き流していたが、ふいにこちらを向いて俺に尋ねてきた。


「この子、可愛くないよね」


 そう言って、唐突に秘芽を指差す。


「なんてことを言うんだ!」と親たちが強めに叱ったけれど、輝羅は飄々としていた。

 半泣きになっている秘芽に、外面がいい俺が「可愛いよ」とフォローを入れたことで場は落ち着いた。

 とんでもない奴だと思いつつ……それ以上に、輝羅が妙に俺の背後を見ているのが気になった。


 ※


 先月、父と俺が住んでいた古い一軒家に、突然継母たちが引っ越してきた。

 この家は昭和に建てられた古い家だが、代々大切に使われて手入れも行き届いているため、見た目以上に綺麗で広い。

 幼いころに母が「この家は口縄の神様に守られているのよ」と話してくれた思い出のある、大切な家だ。

 だから、母と過ごした記憶を上書きしそうな新しい住人を俺は歓迎していない。


 亡くなった実母は、遺産すべてを俺に相続させてくれており、この家もそのひとつだ。

 もともとは母の実家で、生前のうちに名義を俺へと移してくれていた。

 手続きも正式に済んでいて、後見人は母の兄——伯父さんだ。

 だから誰が何と言おうと、ここは『俺の家』のはずなのに、父は半ば強引にあの親子を招き入れた。

 俺は了承していなかったのに、「家族になるんだから」の一言で押し切られたのだ。

 渋々折れはしたが、図太い継母はすでに『この家の主人の妻』のような顔で、内でも外でも振る舞っている。

 世帯主は父でも、家の持ち主は紛れもなく俺なのに。


 秘芽は両親と同じ一階の寝室で寝ているが、弟は二階にある俺の部屋の隣を自室にしたものの、初日から引きこもっている。

 まったく物音がせず、生きているのかどうかも分からない。

 食事は部屋で済ませているし、トイレに行く気配もあるので死んではいないようだが、当然学校には行っていない。

 最初はゲームでもしているのかと思っていたが、どうやらずっと絵を描いているらしい。

 俺も昔から絵を描くのが好きで、美大への進学も決まっている。

 アートの道で生きていこうとしている身として、もしかしたら弟の力になれるのかもしれない。

 とはいえ、こちらから心配してやる義理もない。

 親に振り回された子ども、という点では多少の親近感や憐みもあるから、もし頼ってきたら手を貸してやろう、という程度の気持ちだ。


 ある日、廊下を歩いていると、弟の部屋のドアがわずかに開いているのに気づいた。

 何気なく中をのぞいた瞬間——息をのんだ。

 床一面に、絵が散乱していた。

 真っ白な紙に広がる、深く重い黒。

 さまざまな情景や、人間の姿を描いた紙片たち——。

 どれも濃い鉛筆だけで描かれているようで、長さの違う鉛筆が紙の隙間に無造作に転がっている。

 吸い込まれるように中に入り、絵に囲まれると背筋がゾクリと震えた。

 どの絵も不気味で……目が離せない。

 圧倒されるような『何か』が、確かにそこにあった。


「なんだろう……この感じ……」


 絵を見ていると覚えのある不安に駆られる。

 でも、はっきりと何かは分からない。

 胸のざわつきを抱えたまま机の上に目を向けると、異様なほど強い存在感を放つ絵が目にとまった。


 それは——黒鉛で描かれた『缶コーラを持つ老人の絵』。


 どこにでもいそうな老人の男性が、こちらへ缶コーラを差し出しているような絵だった。

 大きくアップで描かれた顔は、穏やかに微笑んでいるが不気味で……背筋が凍る。

 脳の奥にべったりと貼りついて、夢に出てきそうな——。


『なぁ』

「!?」


 耳元で誰かに呼ばれ、驚きで大きく肩が跳ねた。

 慌てて周囲を確認したが……誰もいない。


「気の、せいか?」


 言いようのない不安に駆られながら、再び絵の老人を見る。


 ――もしかして、あんたが俺を呼んだのか?


 そんな考えが浮かんだが、馬鹿らしいと自嘲した。

 絵を置いて自分の部屋に戻ろうとしたのだが……どうしてか離れがたい。

 この部屋の絵をもっと見ていたい。


 気づけば俺は、ズボンのポケットに入れていたスマホを取り出し、夢中で散乱している絵を撮影していた。

 見つかってはいけない禁忌を犯しているような感覚に陥る。


 引きこもりの素人の絵など撮って何になるというのだろう……。

 そう思うのに、夢中になって画面のシャッターボタンを押し続けた。

 俺のスマホのカメラロールに、どんどん黒い絵が増えていく。

 あらかた取り終え、最後となったのは『缶コーラを持つ老人の絵』。


「……これも」


 息をのんで、スマホでその絵を撮った。


「よし……うん?」


 シャッターを押しおえたあと、机の引き出しから少し紙がはみ出ていることに気づいた。

 ここにある絵はすべて写真に納めなければいけない。

 そんな使命感に駆られて手を伸ばしたが……怖い。

 なぜか一番拒否感を覚えた。

 それでも、すべてを撮らなければと再び手を伸ばしていたら——。


「何してるの」


 振り返ると、弟がそこに立っていた。


「……絵、上手いな。俺も絵描きだから、気になって」


 見つかって焦る気持ちを誤魔化す俺の言葉に、弟は無表情のまま応えた。


「むかつくからアウトプットしてるだけ。邪魔だから出てって」


 アウトプット?

 意味が分からず困惑したが、弟からははっきりと俺を拒絶する空気が漂っていた。

 早々に退散した方がよさそうだ。


「勝手に入って悪かった。じゃあな」


『俺の家なんだがな』とは思ったが、自分のテリトリーに無断で踏み込まれるのは不快だろう。

 一言謝って、さっさと自室に戻る。

 自分の部屋がやけに安全地帯のように感じられてほっとした。

 絵の具の匂いが落ち着く……。

 ベッドに腰を下ろし、さっき撮った写真を画面に映す。


「アウトプット——出力という意味か」


 自分の中に浮かんだアイデアやイメージを絵に描いて表現した、ということだろうか。

 覚えたての単語か? 中坊がアーティスト気取りか、と鼻で笑う。

 でも、それならもっと広く世に出せばいいのに、と思った。

 ただの中坊——素人の絵だと笑ったところだが、この絵には人を惹きつける魔力がたしかにある。


『こいつにはセンスがある』


 瞬時にそう思い、同じ絵を描く者として嫉妬した。

 俺の方が描く技術がある。

 美しい絵だと評価される自信もある。

 でも、『人を惹きつける』ということは、上手さだけでは足りないのだ。


 かつて美術部の先輩に「お前の絵は無味無臭」と告げられたときのショックが、生々しく蘇ってきた。


 下手でも人に「気になる」「好みだ」と言わせる魅力のある絵を描くセンス——。

 俺にはないものを、あいつは持っていた。


 あいつと俺は、一体何が違うのだろう。

 生まれ持ったもの? 培ってきた感性?

 うまく言語化できないが、もう今の俺では手に入れられないもの——。

 人生をやり直すくらいでなければ、決して手に入れられないもののように思えた。

 もし、俺があいつのような感性やセンス——『個性』を今からでも持つことができたら……。

 そんな考えが浮かんだあと……ふと思った。


「……この絵、SNSに投稿してみたらいいんじゃないか?」


 俺が勝手に才能を感じて嫉妬しただけで、世間での評価は違うかもしれない。

 世の中に出しても、何の反応もなければ俺の勘違いだと証明される。


 早速使っていないアドレスをSNSに登録し、アカウントを作る。

 自分のアカウントに『自分の絵』として上げてもいいのでは……?

 そんな考えが、一瞬頭をよぎったが……。


「いや、絵柄でバレるだろ」


 すぐに冷静になり、乾いた笑いを漏らした。

 それに弟の絵を盗むなんて愚かな真似はできないし、そうすることはすでに弟の絵の価値を認めていることになる。


 名前——アカウント名は『amenoasa』。

 あいつは苗字が『雨宮』から俺と同じ『朝比奈』になったから、朝と雨の字を使っただけで深い意味はない。


 無断投稿に罪悪感を覚えつつ……投稿した。

 フォローもタグもなし。

 ただ一言、浮かんだ言葉——『魘夢』と書いて絵を置いた。


 だから誰の目にも留まらないだろうし、その結果に満足してすぐにアカウントごと消すことになるだろう。

 俺も普段から、商業としても通用するクオリティーの絵を投稿しているが、『いいね』が五桁つくほどバズったことはない。

 人の心を掴むことの難しさを、日々痛感している。

 投稿したことで満足し、心が落ち着いた俺は、特にそれ以上確認せずに数日過ごしたのだった。




 ※




 ある日、階段を下りたところで、継母が親父に話しかけている声が聞こえてきた。


「この家、不気味だわ。毎晩悪夢を見るのよ。起きたら内容は忘れちゃってるんだけど、なんだか体が絞めつけられているみたいに苦しくて……。家を売って引っ越さない?」


 俺の家なのに、好き勝手言いやがって……。

 こんなに過ごしやすい家で悪夢なんてみるのは、酒ばっかり飲んでいるからだろ。

 苛立った俺は足を止め、気配を消して耳を傾けることにした。


「おれだって昔から寝ても疲れが取れないうえ、最近は夢見も悪くて余計にしんどい。ほんとは環境変えたいんだけど……。でも、この家は売れないって話しただろ?」

「じゃあ、賃貸でもいいから新しいところに三人で引っ越しましょうよ。清春君は大学生になったら一人で生きていけるでしょ。遥かの遺産も全部清春君のものなんだし」

「清春は大丈夫だろうが、輝羅君はどうするんだ?」

「施設か親戚のところに預けるわ。三人で暮らしたいもの」

「それができたらいいがな……」


 二人は幼くて愛嬌のある秘芽が可愛いようで、普段から三人家族のように過ごしている。

 独り立ちする年齢の俺はともかく、未成年の輝羅を施設に入れて自分たちは楽しく過ごそうなんてクソすぎる。

 しかも、勝手に転がり込んできたくせに文句を言って、母さんが残してくれた大事な家を売りたい? ふざけるな!

 同調している親父に心底呆れたし、全員勝手に出て行きやがれ。

 胸糞悪い話を聞いてしまった俺は、こいつらと顔を合わせたくないと思い、部屋に引き返すことにした。


「あ」


 振り返ると、寝不足なのか少し目の下にクマがある弟が、無表情で立っていた。


「……今の話、聞いたか?」


 さすがに傷ついたのではないかと心配になったが、弟は何事もなかったように両親たちがいるリビングに向かった。

 おそらくジュースを取りに行ったのだろうが、気まずくないのだろうか。

 傷ついていないのならそれはよかったが……。


「……変な奴」


 そうつぶやくと階段を上がり、部屋に戻った。




「嘘だろ……」


 弟と遭遇したことでアカウントのことを思い出し、確認した俺は呆然とした。

 投稿してから一週間ほど経っているのだが……絵が鬼バズしていた。


 ——リツイート10万、いいね12万


「二桁万……」


 俺の人生では決して到達できなかった領域だろう。

 有名なイラストレーターのイラストでも、二桁はなかなかいかない。

『いいね』はついても、『リツイート』が二桁は異常だ。

 フォローもフォロワーもゼロで始まったアカウントの投稿がこんなにも注目されるなんてありえない。

 誰かが晒した?

 たまたまインフルエンサーが取り上げたのかもしれない。

 そうじゃなければおかしい。

 これは絵に対する正当な評価じゃない!

 理由を知りたくて、必死に指を動かす——。


 なんでこんな、不登校の引きこもりなんかが描いた絵が!?

 強烈な妬みに支配され、絵ではなく弟という人間そのものを罵倒してしまう自分の醜さにうんざりする。

 自分の手で弟の才能を世に知らしめてしまった後悔が、押し寄せてくる。


「うん?」


 コメント欄を見ていくと、妙な書き込みがあふれていることに気づいた。


『このおじいさん、夢に出てくるんだけど……!』

『どこかで見たと思ったら、夢でみたんだ!』

『この絵見てから私の夢にも出てきたんだけど!?』


 今もリアルタイムで続々と目撃報告が上がっている。

 どうやら、大勢がこの絵の老人を夢に見るという不思議な現象が起こり、注目されているらしい。

 かつての『THIS MAN』というできごとになぞらえ、弟の絵は『THIS MANじいさん』と呼ばれ、都市伝説のように扱われていた。


 THIS MANは口コミを利用した宣伝手法——バイラルマーケティングだったと言われていると聞くが、今回もあのときのようなことが起きたのだろうか。

 俺のように「夢に見そう」と思ったことで実際にそうなった人がいたり、俺が記した「魘夢」という言葉にも、同じ効果が働いたのかもしれない。

 そして、絵のじいさんに似た人物の夢を見たと報告した人たちに、同調する集団心理が働いた——とか?


 とにかく、絵そのものが評価されたわけではないという確証を得た。

 たまたま『不思議な話』という付加価値がついただけ——。

 そう思うと心が落ち着いていたのだが……一つの投稿を見て固まった。


『なあ、って呼ぶ声が聞こえた気がする』


 俺も聞いたあの声——。


『なあ』

「…………っ!」


 鮮明に思い出し、背筋が凍った。

 もうあいつが描く絵には関わらない方がいい。

 このアカウントも、二度と更新することはないだろう。


 ※


 放置して数日経ったある日——。

 ふとアカウントを見てみると、ダイレクトメッセージが届いていた。


『この絵の老人は、私の父です。あなたは父の知人ですか? どういうつもりであの絵を投稿したのですか? あの絵のせいで迷惑を被っておりますので、ご返答いただけないのであれば法的処置も検討します』


 添付された写真には、絵と瓜二つの老人が写っていた。


「絵のじいさんが……実在していた?」


 法的処置、という言葉に焦る。

 法律に触れるようなことはしていないと思うが、俺の知らないところで問題が起きているのかもしれない。

 この家を売れば慰謝料になるかもしれないが、母から貰った家を売りたくない。

 返答するにしても、どういうつもりで投稿したのか? という質問に答えられない。

 たまたま描いた老人が似ていただけ、という言い訳はできるかもしれないけれど……。


「そもそも……あいつはどうして『缶コーラと老人の絵』を描いたんだ?」


 本当に偶然似ていただけなのか、知り合いだったのか……。

 この疑問を解決するためには、弟に絵の写真を撮って勝手に投稿したことを詫びなければいけない。

 迷ったが……法的処置をにおわされていることもあり、俺は弟に経緯を説明することにした。




 すぐに隣の部屋を訪れ、俺は弟に勝手に絵を載せたことを告白した。

 絵が上手いと思ったから、世の中の人に見て貰おうとした、という体で。

 アカウントを表示した俺のスマホを受け取った弟は少し笑った。


「アカウント名の『amenoasa』って、『朝比奈』と『雨宮』を足したんだよね? これ、僕のこと? それともあんたのこと?」

「……お前のことだよ」


 両方を含んでいたのは、俺の中にあった見栄と、少しの自己主張だったのかもしれない。

 見透かされたようで居心地が悪い。

 それを払拭するかのように、俺は疑問に思っていたことを弟に問いかけた。


「あの絵のじいさんは誰なんだ?」

「知らない。前に住んでたアパートの窓から外を見てると、たまに目が合っただけの人。それが突然、ある日からずっと僕につき纏うようになったんだよ。くたばったんだろうね」


 あっけらかんと言われたが……死人が見える、ということ?


「君は霊感があるのか?」

「母さんから聞いてないの? 僕は頭おかしいって」


 自分の頭を指先で小突いて笑う弟の様子から、霊が見えると言うたびに周囲から頭がおかしいと思われてきたのだろうと察した。

 難があることは聞いていたが、『霊感』は初耳だ。


「死んだ奴ってさ。誰かに存在を知って欲しいのか、絵にすれば消えることがあるんだ」

「え、それって……」


 足元に散らばる絵に目を向ける。


「ここにある絵って、全部……お前が見えた霊なのか?」

「そうだけど?」

「!」


 この一枚一枚が、すべて弟が見た霊……?

 理解した瞬間、思わずぞくりと背筋が冷えた。

 それと同時に、絵を見たときに感じた『覚えのある不安』の正体がわかった。


 そうか、『遺影』を見ているときの感覚に似てるんだ。


 遺影は亡くなったことの証明写真だと思ったことがあったのだが、弟の絵からもそれと同じように『死』の気配を感じる。


「絵にすれば消える……って、描くことでお祓いをしているってこと?」

「そうとも言えるかもね。僕なりのアウトプット——『出力』『発信』だよ」


 そう言われ、改めて今も床に散らばっている絵を見る。


『幸せな結婚式』『子どもを抱いている母』『誰かを殺めている場面』『海に沈んだ車』『暗い樹海にリュックを抱いて座る男』


「缶コーラを渡すじいさんの絵は、その様子をそのまま描いたんだろう? じゃあ、ここにある他の絵はどういうことなんだ? たとえばこれとか」


 首を絞めている男と絞められている男の絵を持つ俺に、弟は少し考える仕草をしてから答えた。


「僕は見えたものをそのまま描いている。目の前に立っているときの姿も描くし……それは霊が見せてきた映像、って感じのもの」

「見せてきた映像?」

「うん。『思い入れが強い記憶』とか『未練』とかだと思うけど……よく分からないや」

「…………」


 この絵が実際に起きたことでも、願望や未練だったとしても怖すぎる。

 結婚式や子どもを抱くことが未練なら悲しいし、沈んだ車や樹海が、生前見た景色なら――。

 それらを考えていると、怖さや寂しさ——色んな負の感情が渋滞して頭が痛くなってきた。


「あ」


 視線を動かしたことで、ふと綺麗に閉じられた引き出しが目に入った。

 前回は少しだけ紙がはみ出ていて、それがとても気になったが結局見られずにいた。

 今もおどろおどろしい気配がしている。


「なあ、そこの引き出しにも絵が入ってるよな?」


 引き出しを指差すと、弟は驚いたあとに不気味な笑みを浮かべた。


「見たい?」


 嫌な予感がしたが、好奇心には勝てず「ああ」と頷いた。

 すると、弟は引き出しから紙を取り出すと俺に差し出した。


「これは……」


 この部屋の中でも一番禍々しさを感じる絵だった。

 蛇と女性が融合したような姿の化け物が、ぐるぐると人に巻きついている。

 巻き付かれているのは俺と同じ背丈くらいの男性だと思うが、化け物のせいで顔はおろか、服装もよく分からない。


「エグいでしょ? 描いても描いても消えなくて笑ってる」


 弟はそういって引き出しからさらに紙の束を出してきた。

 すべてに蛇女が描かれており、最初の男性の他にも女性や子どもに巻きついている絵があった。


「消えないってことは……今も見えてるのか?」

「…………」


 弟は薄ら笑みを浮かべ、意味ありげに視線を俺の背後へと向けた。

 これは追及しない方がよさそうだ。

 そういえば、この家を守ってくれている神様って——。


「あ。コーラのじいさんは消えたのか?」


 今ここに訪れている理由を思い出し、改めて質問をする。


「最近はいなくなった。あんたのおかげかもね」

「どういうことだ?」

「たぶん、あのじいさん、多くの人に自分の存在を認識して欲しかったんだよ。あんたが絵を広めたから、多くの人に見られて満足したんじゃない?」


 やっぱりあの「声」は、じいさんのものだったのかもしれない。

 俺は見えないもの——霊なんて信じないが、はっきりと声を聞いてしまったから動揺している。


「じいさんは、どうしてコーラを持ってるんだ?」

「さあ? 生きてたときは持ってなかったけど、死んでからはずっと持ってる。あと漫画もね」


 漫画、と言われて気づいたことがある。

 缶コーラを持つ老人が、迫力ある極端な遠近法で描かれており、それが漫画的なのだ。

 漫画という持ち物を、描き方に落としこんだのかもしれない。

 いいアイデアだと思ったが、それを頭で計算してではなく、感覚だけでやってのけたのだとしたら妬ましい。

 ……とにかく、DMの人には会って、許して貰わなければいけない。


「その息子さんと会ってみようと思うんだ。お前も同席してくれないか?」

「いいよ」


 引きこもりだから断られると思ったが、意外にOKをくれて驚いた。

 正直、一人で行くのは心細かったから助かった。



 ※




 その週の日曜日。

 弟と一緒に、DMの送り主と喫茶店で会った。

 五十代ほどの男性で、『樫村』と名乗った。

 たしかに缶コーラのじいさんの息子のようで面影がある。


「たくさんの知人から『お前の親父さんが大勢の夢に現れて、不気味がられている』と連絡を受けて混乱しましてね。あの投稿を見て、本当に驚きました」


 誰もが自分の亡き親が都市伝説になっていたら驚くだろうし、不快な思いをするだろう。

 俺が投稿したせいで、結果的に嫌な思いをさせてしまって申し訳ない。


「すみません……」

「否定しないということは、やっぱり父なんですね? どうしてあんな不気味な絵を……?」


 答えに困っていると、パフェを注文して黙々と食べていた輝羅が割って入った。


「描いたのは僕だよ。あのじいさん、くたばってから僕のとこにきたんだ。うるさくて消えて欲しいから描いた」

「……どういうことでしょう」


 うさんくさい内容のうえ、言葉遣いが悪いこともあってか、樫村さんは不快を露わにしている。

 輝羅にはパフェを食べておいて貰い、俺から説明することにした。


「信じて貰えないかもしれませんが……」


 正直に経緯を話したのだが、さらに怪訝な顔になってしまった。

 まあ、それが普通の反応だよなあ……。

 どうしたものかと困っていると、輝羅がポケットから紙を取り出し、テーブルの上に置いた。

 それは適当に折られた年賀状だった。


「これ、僕が貰った年賀状。で、前住んでた住所がここ。公民館の裏手だよ。じいさん、いつも朝の十時ぐらいにみかけた。一応証拠」


 話の信憑性を上げるために準備して持ってきたらしい。

 よく気が回ったなと感心した。


「たしかに近所に住んでいたのは本当のようですね。実際に見かけたのは信じるとして、『霊』なんてものは……」


「霊になったじいさんは、いつも僕に缶コーラと漫画を渡してくる。でも、本当に渡したかった相手は、あんたじゃない?」

「! コーラと漫画……」


 輝羅の言葉に、樫村さんは大きく目を見開いた。

 どうやら心当たりがあるようだ。

 しばらく沈黙していたが、やがてぽつりと語った。


「子どもの頃、母がとても厳しくて……漫画は禁止、炭酸のジュースもほとんど飲ませてもらえませんでした。でも、たまに父がこっそりコーラと漫画を買ってきてくれて……嬉しかった。この年になるとコーラなんて飲まないからか、すっかり忘れてしまっていました」

「おじいさんにとってコーラは、あなたとの思い出の象徴だったのかもしれないですね」


 思い出が蘇って感極まったのか、樫村さんは俺の言葉に涙ぐみながら頷いている。

 故人を偲びながらも暖かい空気が流れていたのだが……輝羅がそれに水を差してきた。


「でも、近年はじいさんのこと、ずっと無視してたんじゃないの?」

「え?」

「年寄りが邪魔だったの?」


 家族の事情に踏み込むような失礼な発言に俺は焦った。

「おい、やめろ」と輝羅を止めたが、純粋な疑問として聞いているようで、まっすぐ樫村さんを見ている。


「ち、痴呆の症状が出ていたんだ! 仕方ないだろ! 四六時中声をかけられても、すべてに対応できない!」


 輝羅の視線に耐えられなくなったのか、樫村さんが大きな声を出した。

 まわりにいる客の視線を集めてしまったので、俺は必死に双方をなだめようとするが、輝羅は止まらない。


「ふーん? じゃあ、今は無視しないでやったら? 死んだら痴呆もクソもないだろ」

「え?」

「ずーっとあんたのこと、呼んでるよ? 聞こえない?」


『なあ』


「!」

「ほら、現物あげる」


 そう言って綺羅が四つ折りにしていた紙を広げてテーブルに投げた。

 絵のじいさんが、樫村さんに向かってコーラを差し出す——。


「ひいっ!!」


 樫村さんは悲鳴をあげ、必死にバッグを掴んで逃げるように去って行った。


「自分の父親の絵に怯えるってひどくない? しかもあいつ、コーヒー代払わずに逃げたね」


 ひどい、とかどの口が言うのやら。

 親に怯えてしまうくらい怖がらせたのはお前だろう。


「どうしてあんなこと言ったんだよ。デリケートなことなんだから、もっと慎重に伝えることはできないのか?」

「?」

「樫村さん、指輪をつけていたから結婚しているみたいだし、気をつかうことが多かったのかもしれないだろう? 家族と親の間で、苦労していたのかもしれないじゃないか。疲れた顔していたし……」


 じいさんは高齢だったから、介護が必要だったかもしれない。

 その上家族を養って、歳をとっていく自分の将来のことも考えなきゃいけないし、悩みが多そうな年代に見えた。

 まあ、勝手な想像だけど。


「苦労してたら無視してもいいの?」

「そりゃあ、よくはないけど……。人に優しくできるほど、余裕がないときだってあるだろ?」

「?」


 だめだ、共感ゼロのようでまったく伝わらない。

 こいつに社会性を求めたことが間違いだった。


「……帰るか」


 輝羅もパフェを食べ終わったし、樫村さんが帰ってしまったので、ここにいても仕方ない。

 まあ、あの様子じゃ、もう俺たちとは関わりたくないだろうし、法的な手段を取ってくることもないだろう。

 三人分の会計をしてから俺たちは外に出た。


 このとき、缶コーラを持つ老人の絵を、弟が放置してきたことに気づかず——。




 住んでいる地域は田舎の方で、家に近づくにつれて人が少なくなってきた。

 静かな川沿いの道を、弟と並んで歩く。


 弟はとびきり美しいけれど、人として欠けているものが多い。

 でも、もしこの才能が、誰かの心に寄り添うようになったら——とんでもない存在になるかもしれない。

 あるいは、俺みたいな『凡才』になるだけかも……?


 ——どうなるか見てみたい。


 そう思うと無意識に言っていた。


「親たちが出て行ってもさ、お前は俺と家に残れよ。施設にぶち込まれるより気楽に過ごせるだろ」


 唐突な俺の提案に、弟は目を丸くしていた。


「僕が不気味じゃないの?」


 もちろん、不気味だし怖い。気味が悪い。

 でも、それ以上に——。


「ずるい」

「?」


 零した言葉が不思議で首を傾げている。

 俺は立ち止まり、輝羅に顔を近づけて鋭い視線をぶつけた。


「何だよ、霊感って。俺には見えないものを描けるのがずるい」


 人間には五感しかないはずなのに、一つ多いなんて反則だ。

 それがあったら……俺にも『味』のある絵が描けたのかもしれない……!

 これは嫉妬、妬み……そして八つ当たりだ。


「あ、悪い」


 すぐに冷静になり、中学生を大人げなく睨んで怯えさせてしまったと反省したのだが……弟の目はキラキラと輝いていた。


「ははっ! 僕、お兄ちゃんと一緒に暮らす!」


 嬉しそうにそう言うと、いきなり俺の腕に絡みついてきた。


「……は? 『お兄ちゃん』?」


 呼び方が「あんた」から変化し、声色も好意的なものになった。

 さらに甘える猫のように、腕に頬ずりをしてくる様子に引く。

 急にキャラが変わったな……黒い絵より怖いぞ……。

 戸惑って離れかけたが、輝羅は突然俺の服の襟を引っ張り、息がかかるほど顔を近づけてほほ笑んだ。


「霊感はうつるって聞いたことある。僕と一緒にいたら、お兄ちゃんも見えるようになるかもね」


 ※


 あの家、口縄——蛇の神様に所以がある場所に、これからも住もうと誘って貰えるなんて面白い。

 僕、呪いに負けて死ぬかなあ?

 毎日悪夢は飽きるんだけど。


 お兄ちゃんが僕と同じ景色が見えるようになったら、どう思うだろう。

 いつも背後にいるあの蛇の化け物の正体が朝比奈遥——『自分の母親』だと気づくだろうか。

 気づいたらどんな反応をするだろう! と胸が躍る。


 はじめて会ったとき、妹を指差して「可愛くないでしょ?」と聞いたのは、お兄ちゃんにではなく、その背後でとぐろを巻いて睨んでいた化け物に対してだった。

 自分を裏切った夫と親友——。

 そして……その間に生まれた子の秘芽が可愛いわけがない。

 そりゃあ、憎しみの対象に悪夢くらいみせるよ。

 ハッピーエンドで終わらせたりしない……呪い殺す! ってなるよね!


 お兄ちゃんって本当に阿呆。

 母親が生前、必死に『夫には一切の財産を渡さず、子どもにだけ残そうとした』ことに、何の疑問も抱いていない。

 若いうちから幼い子どもにきっちりと財産を残すなんて何かある、と思いそうなものだけど……。

 それに、『愛し合う二人の姫であり秘密の芽』なんて、あからさまで馬鹿みたいな名前をつけられた異母妹に気づかないなんて間抜けすぎる。

 秘芽は五郎さんやお兄ちゃんにも似ているし、ヒントはいっぱいあるのに……。

 社会のことはもう分かっている、という顔をしているのに世間知らずで純粋だなんて馬鹿可愛い。


 初めて僕に嫉妬を抱くほど興味を持ち、存在を認めてくれたお兄ちゃん。

 大好きだよ。もっと仲良くなりたいなあ。

 雨宮優美の息子である僕がお兄ちゃんを自分のものにしたら、お母さんは(蛇の化け物)どうなるかなあ?


 裏切者たちの魔の手から財産は守ることができたけれど、『愛する息子』という一番の宝物は守れるかな?

 息子の記憶にある『優しくて美しい母親』の姿も守れるかなあ?


 口を大きく開け、毒牙を光らせて僕を威嚇する化け物に問う。


『僕がお兄ちゃんに見える目を与える』のと、『お前が僕らを呪い殺す』のは、どっちが早いだろうな?


『母の愛』と『僕の執着』、どっちが勝つか楽しみだ。

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