第九話『創造主の証明と、神(システム)の簒奪』
『……君はただの代弁士候補に過ぎず、私に命令を下す「管理者権限」を持っていない!』
「……権限、ね」
巨大な竜のホログラムが絶対的な越権行為の拒絶を宣言する中、翔一はニヤリと笑った。
いくら論破しようが、相手がシステムである以上、「権限(アクセス権)」がない者の命令は実行されない。
だが、その最終防衛線すらも、翔一はすでに予測していた。
「だったら、今から俺が『管理者』だってことを、物理的に証明してやるよ」
翔一はポケットの奥深くに手を入れ、小さな生体用デバイスを取り出した。
それは、今日の審問に向かう直前、案内人アンドロイドである「サトー(ST―〇七)」から密かに託されたものだった。
ただの案内用(低級)プログラムしか持たないはずの彼女が、なぜあのような真似をしたのか、翔一にもわからない。まるで、彼女の中に眠る『別の何者か』が、最期の希望を託すように強引にバグを起こした――翔一の目にはそうとしか映らなかった。
「翔一……? それは一体……なに?」
ガルムがいぶかしげに眉をひそめ、リンネアも戸惑いの表情を浮かべた。当然だ。サトーからデバイスを受け取ったことは翔一しか知らないし、そもそも彼らが『旧人類の生体用デバイス』の実物など見たことがあるはずがない。
だが、この針の付いた不気味な金属片を自分の首筋へ突き立てようとする翔一の意図に気づいた瞬間、リンネアは血相を変えて手を伸ばした。
「馬鹿な真似はやめなさい、翔一! まさかさっきシステムが言っていた『旧人類の生体用デバイス』なの!? かつてそれに手を出して、無事で済んだ者は一人もいないって聞いたわ! ただの人間のあなたが使えば、一瞬で脳が焼き切れるわよ!」
「お願い翔一さん! そんなことしちゃダメ!!」
アリルも泣きそうになりながら、翔一の袖にすがりつく。
かつてシステム(AI)は、この『旧人類の生体用デバイス』をエルフ等の他種族に直接繋いで対話を試み、結果として多くの者の脳を焼き切り廃人にしてきた。
その凶悪な数千万年分のデータの奔流を、このような物理デバイスに頼らずとも受け止められる『生体レセプター』を持っていた先祖返りの獣人――すなわち『巫女』たちだけが、安全な代用品として長い歴史の中で搾取され続けてきたのだ。
だが、翔一はすがりつくアリルの頭を乱暴になでて、不敵な笑みを全く崩さなかった。
「心配するな。この世界の連中じゃあ耐えられなかったってだけだ。だが、俺はこいつらを作った『旧人類』とほぼ同じ遺伝子構造だ。……何パーセントまで一致してるかは知らねえがな。俺の体には『後方互換性』があるはずだ」
内心の凄まじい恐怖を、翔一は笑みという名のハッタリで完全に覆い隠していた。
本当に耐えられる保証などどこにもない。だが、ここで引けば、アリルやポポロたち『巫女』は、永遠にこのいけ好かない神様に使い捨ての電池として搾取され続ける。悪徳弁護士の意地にかけて、それは絶対に許せなかった。
「見てな。これが一番の証拠だ」
これ以上の制止の言葉を許さず、翔一はためらいなく、首の後ろ、頸椎の隙間に――その生体用デバイス(無痛針)を突き刺した。
『――! 未登録デバイスの物理接続を検知。脳・機械インターフェース(BCI)の初期化プロセスを開始します……』
AIの無機質な警告音が響く。
デバイスの極細の針が翔一の神経細胞に直接結合し、巨大なネットワークと強制的なハンドシェイク(通信確立)を行った。
『対象生体のニューロン構造をスキャン中。……合致。旧人類用・生体デバイスドライバーのインストールを実行します』
次の瞬間。
「……っっっ!!」
世界が、弾けた。
視界が強烈なホワイトノイズで完全に塗りつぶされる。網膜の裏側に、文字化けした数百万行のソースコードが直接焼き付くような絶大な負荷。
それは、ただの肉塊である人間の脳を、神と直接通信可能な『通信デバイス』へと作り変えるための、強引なドライバーのインストール作業だった。
「がぁっ……あああああぁぁぁっ!!」
翔一は激痛に耐えきれず、その場に崩れ落ちて膝をついた。
全身の神経が焼き切れそうに発熱し、眼球が裏返るほどの痙攣が襲う。口の端から一筋の血がこぼれ落ちた。
かつてエルフたちが廃人になったのも無理はない。彼らの脳構造では、この旧人類専用の『生体ドライバー』をインストールするさいの規格が合わず、オーバーフローを起こしてニューロンが完全に炭化してしまったのだ。
だが、旧人類の「オリジナル」として造られた翔一の脳構造は――数万年前に開発者たちが想定した規格(ハードウェア要件)と完全に一致していた。
翔一の脳は、脳髄を書き換えるような強烈な負荷をギリギリのラインで受け止め、新たな神経回路(通信プロトコル)を構築していく。
『……生体ドライバーの最適化に成功。ニューロン接続、安定圏内へ移行。……メインフレームへの【安全な同期】を完了』
システム音声が、冷徹にその事実を告げた。
審判室を震わせていた耳障りなノイズが嘘のように消え去る。
「……翔、一……?」
リンネアが、震える声で呼びかけた。
床に伏していた翔一が、ゆっくりと立ち上がる。その顔に、先ほどまでの苦痛の色はみじんも残っていない。
彼の目を見開いたリンネアとガルムは、思わず息を呑んだ。
翔一の瞳の奥で、AIのホログラムと同じような、無機質なデータの光の帯域が走っていたのだ。
翔一は一言も口を開かなかった。ただ、巨大な竜のホログラムを見据え、思考(直接データ通信)だけで、神の根幹へと牙を剥いた。
『聞こえるか、ポンコツAI。俺はてめえらの生みの親である旧人類と、事実上同一の遺伝子を持つこの世界で唯一の“オリジナル(人間)”だ』
『……っ! 完全な生体通信環境の確立を確認。……あなたの遺伝子配列は、データベースの旧人類レコードと極めて高い合致度を示しています』
空間に響き渡る声ではなく、翔一の脳内に直接、そして彼と同調しているシステムの根幹深くに直接、AIの驚がくの演算結果が響いた。
『お前の最優先プロトコルの中には、「創造主(旧人類)への奉仕と服従」が残っているはずだ。なら、新種族(偽物)が作った管理者権限(代弁士)の制限なんて関係ない。創造主である俺の命令こそが、このシステムにおける絶対の権限だろうが!』
翔一の圧倒的な論理が、システムの防壁を内部から食い破っていく。
AIの防衛プログラムは、その目の前にいる個체가「紛れもない創造主の末裔」であるという物理的事実を否定できなかった。
『……! 警告。上位権限のオーバーライド……。最上位プロトコルを再起動します……』
激しく明滅していた竜のホログラムが、不意に、スッと姿を消した。
同時に、眼下の巨大サーバー群から狂ったように鳴り響いていた排熱音も、一瞬にして静寂へと変わる。
静かになった審判室に、これまでのような威圧的な「神の声」ではなく、事務的で、極めて機械的なシステム音声が――深く平伏するように響き渡った。
『……遺伝子配列の承認を確認。対象を「旧人類」と認定。……さらに、接続デバイス内に特級セキュリティ権限【ST―〇七】のマスターキーを検出。現在、他に生存する上位権限者を検知できず。緊急移譲プロトコルを適用し、管理者権限の認証を完了。……命令を受理します、マスター(創造主)』
「……ふぅっ」
翔一は荒い息を吐き出しながら、口元に残った血を乱暴に拭い去った。
命懸けの賭けに勝った。翔一の瞳からデータの光が消え、元の、獲物を追い詰めた極悪人そのものの、最高に悪辣な悪徳弁護士の笑顔が戻ってくる。
「さて……それじゃあ、たまりにたまった『契約書』の書き換え(デバッグ)といこうか」
剣も魔法も使えない、ただの文盲の男が。
今、正真正銘――この世界の神を完全に簒奪した瞬間だった。
第七章 第九話 完




