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第三話『巨悪の崩壊と、新装開店の代弁事務所』

 数か月ぶりに足を踏み入れた大図書館都市は、どこか奇妙な空気に包まれていた。

 都市を囲む巨大な正門をくぐった瞬間から、行き交う住人や街角に立つ門兵たちが、翔一たちの顔を見るなりサッと道を空け、遠巻きにヒソヒソとささやき合っている。

「……見たか? あれが例の『タナカ・ショウイチ』だ」

「エルディアの神殿を荒らしたって噂は本当なのか……?」

「異端だ。ついに、神の裁きがこの街に下るぞ……!」


 畏怖と警戒、そして明確な敵意。

 かつての「胡散臭い悪徳仲介屋」を見る目ではなく、まるで「触れてはならない災厄」でも見るかのような視線だった。

「なんか、すっごく感じ悪いね。ボクたちが里に行ってる間に、何か悪いことでもしたの?」

 ポポロが狐耳をペタンと寝かせ、不満そうに頬を膨らませる。

「大将。こりゃあ、正典管理局の連中がずいぶんと俺たちの『悪い噂』を流してくれてるみたいだな」

 御者台から飛び降りたガルムが、周囲の空気を探るように目を細めて笑った。

「想定内だ。特権階級の連中が、俺の帰還を大人しく歓迎して花束をくれるわけがねえ」

 翔一は鼻を鳴らし、ニヤリと笑った。

「それに、噂の半分は当たってる。俺は神殿を荒らしたんじゃねえ……乗っ取って(デバッグして)、俺の所有物にしたんだからな」


 翔一が冗談めかして言うと、横に立っていたリンネアが深々とため息をついた。

 そして、翔一の予感どおり、その「お出迎え」はすぐにやって来た。

「タナカ・ショウイチ! 並びにその一行だな!」

 大通りを塞ぐように現れたのは、管理局の制服に身を包んだ数十人の武装した執行官たちだった。彼らは槍の穂先を翔一たちに向け、殺気立っている。

「正典管理局からの出頭命令だ! きさまらを『異端の容疑』で連行する!」


          ***


 連行された先は、大図書館都市の中心にそびえる正典管理局本部の、豪奢な審問室だった。

 大理石の床に、豪奢なシャンデリア。円卓の向こう側には、この街の司法と権力を三百年間にもわたって牛耳ってきた、管理局の長老や高官たちがズラリと並んで翔一を見下ろしていた。

 翔一の後ろには、リンネアとサトーが静かに控えている。

 ガルムとポポロは「万が一のときの切り札」として、馬車と共に外で待機させていた。


 中央に座る、最も身分の高そうな長老が、氷のように冷たく威圧的な声で言い放った。

「……神殿への立ち入りを禁じた法律を破っておきながら、自らこの都市へ帰還するとは。その浅薄な度胸だけは評価してやろう、タナカ・ショウイチ。きさまがエルディアの神殿でどのような偽装工作を行ったかは知らん。だが、すでに廃止された『代弁士』などという反社会的な資格をかたり、この都市の法と秩序を混乱させようという意図は明白だ。我々の目を欺き、勝手に神殿の敷地へ入り込んだ罪は重いぞ」

 長老の言葉に、他の高官たちも一斉にうなずく。

「我々正典管理局は、三百年前、行き過ぎた正義を振りかざし、民を苦しめた『代弁士』どもを粛清し、追放したのだ! 神の法などという融通の利かない危険な代物は、我々が築き上げたこの都市の秩序を乱す毒でしかない!」

「エルディアの神殿から何かを持ち帰ったそうだが、それらはすべて正典管理局の管轄物として没収する。……さらに、きさまが異端である『代弁士』を名乗るというのなら、我々は法に基づき市民の安全を守るため、その資格を剥奪し、社会から完全に隔離する義務がある」


 本心は自分たちの利権と立場を守るためだというのに、建前だけは立派な『正義と論理』を並べ立てる高官たちを、翔一は応接用のソファにふんぞり返りながら、冷ややかな目で見ていた。

「……法に基づき、ねえ」

 翔一は短く鼻で笑い、悪党めいた笑みを深めた。

「なら聞くがよ。俺たちがエルディアの山に入ったとき、お前らはなんで捕まえに来なかったんだ? タキタの里まで俺たちを尾行してきて、執行官を差し向けたくせにな。……俺たちが神殿のセキュリティ(防衛システム)に焼き殺されるのを、遠くから高みの見物してただけじゃねえのか?」

「な、何を……」

「お前ら自身も、あの神殿の奥には恐ろしくて入れなかったんだろうが。三百年前のホコリを被った法律で、この俺を裁くってか。……だったら、お前ら自身の首の洗い残しも、今のうちにきっちりチェックしておけよ」

「なんだと?」

 翔一は指をパチンと鳴らした。

 その合図を受け、背後に控えていた白衣のアンドロイド・サトーが、無表情に一歩前へ出る。

『マスターからの命令を受諾。正典管理局・高官十二名に関する、特級秘匿ログの音声再生を開始します』


 サトーの口から――いや、その体内にあるスピーカーから、機械的な合成音声ではなく、生々しい「人間の会話」が流れ始めた。

『……例の関税引き上げの件ですが、差額の三割ほどをギルド発行の「無記名信用証書」に換えておきました。次回の会合の際にお渡しします』

『助かる。こちらでも、ギルド側への規制緩和の口実を作っておこう。……すべては、この街の健全な発展のためだからな』

「なっ……!?」

 高官の一人が、椅子から転げ落ちんばかりに立ち上がった。

『先月の異端審問で没収した商人ギルド分室の押収品ですが、一部の目録を書き換え、希少な魔石類は我が家の宝物庫へ移送済みです』

『ご苦労。……ああ、タキタの隠れ里の件だが。あの里の連中が「魔素の暴走を遅らせる薬」をはじめ、希少な薬草を大量に栽培しているらしい。タナカが神殿から帰還する前に、もう一度執行官を差し向けて異端狩りを行え。連中を捕縛し、あの薬草畑ごと我々の管理下に置くのだ』


 次々と再生される、賄賂、横領、不正蓄財、そして執行官がタキタの里を襲撃した本当の理由(利権の奪取)など、真っ黒すぎる汚職の証拠音声の数々。

 円卓の向こう側にいた高官たちは、全員が顔面を蒼白にさせ、ガタガタと震え始めていた。

「な、なんだこれは……!? なぜ、このサトーから私の『声』が聞こえるのだ!?」

「幻聴の魔法か……!? いや、そもそもあれは、誰にも聞かれていない密室だったはずだぞ!」

 パニックに陥る高官たちを見て、翔一は極悪な笑みを深めた。

「お前らがどんだけコソコソ悪さをしようが、この星の空と大地を覆い尽くしている『竜人族の監視のナノマシン』からは逃れられないってことだ」

「竜人族の、監視……!?」

「そうだ。お前らが三百年間、代弁士を異端と教え込み、先祖返りを狩り尽くしてまで必死に隠してきた『神殿のシステム』は生きていた。奴らはお前らの茶番に興味がなかっただけで、空からずっと、この世界の出来事を記録し続けていたんだ」


 翔一は極悪な笑顔でソファの背もたれに寄りかかった。

「……そして今、竜人族の審判テストを完璧にクリアし、『特級代弁士』として認められた俺は、お前らが裏でやってきた『すべての汚職の記録』を自由に見ることができるんだよ」

 翔一はソファからゆっくりと立ち上がり、両手を広げた。

「お前らが俺を異端として消すってんなら、それでも構わねえ。軍隊でもなんでも差し向けてみろ。……その代わり、この『不正の全記録』の写しを、大図書館都市の市長や、お前らの首根っこを握ってる『貴族院』の連中全員に送りつけてやるぞ?」

「ひぃっ……!?」

「暴動が起きるか、それともお前らが民衆に石を投げられてつるされるか……見物だな」


 翔一の言葉に、長老は膝から崩れ落ち、他の高官たちも絶望の表情で頭を抱えた。

 彼らは震える声で、すがるように翔一を見上げる。

「わ、分かった! 今回の異端審問は不問にしてやる! だから、その証拠は……!」

「不問? 笑わせるな」

 翔一は冷酷に見下ろし、言い放った。

「そんなもんじゃ済まさねえよ。お前ら全員、今までため込んだ裏金は全部吐き出してもらう。タキタの里への慰謝料としてな。……それから、まとめて牢屋行きだ」

「待ちなさい」

 極悪に笑う翔一の横から、リンネアがすっと進み出た。

「その裏金は、不当に搾取された市民のものです。タキタ村への正当な慰謝料(損害賠償)を差し引いた残りの額は、全額、大図書館都市の国庫へ返還させます。それが『法』というものです」

「……チッ、相変わらず融通の利かねえお堅いエルフだぜ。まあいい。そういうことだ、お前ら。これからは俺たちが『新生・代弁士』として、この世界のルールを一から書き直してやる。お前らみたいな巨悪がふんぞり返る時代は、今日で終わりだ」


 翔一が悪辣に笑って最後通告を突きつけると、管理局の長老たちは完全に絶望の底へと突き落とされた。

 管理局の主戦力たる上層部。三百年間この都市を支配してきた巨大な権力は、物理的な暴力ではなく、逃れようのない『絶対的な証拠と法の理屈』によって、完全に壊滅した。


          ***


 翌日。

 翔一とリンネア、サトーの三人は、大図書館都市の市長の執務室に招かれていた。

 長年の政敵であった正典管理局の上層部が、一夜にして一斉逮捕(あるいは失脚)するという異常事態。その原因を作ったのが翔一たちであることを、市長はいち早く察知していた。

「やってくれたな、タナカ・ショウイチ! まさか、あの厄介な管理局の連中を、たった一日で一掃してしまうとは!」

 市長は上機嫌で手をたたき、極上の『ポマリス(月果酒)』をグラスに注いだ。

 だが、その手が不意に止まり、翔一の後ろに控えている白衣の女へといぶかしげな視線が向けられた。

「ところで、そちらの黒髪の別嬪は誰だね? 今まで見たことのない顔だが……」

「ああ、こいつは――」

 翔一が『神殿からの監視役だ』と適当にごまかそうと口を開きかけた、そのときだ。

『Templum Tertiusテンプルム・テルティウス情報管理局のサトーと申します』

 ただの案内用プログラム(自律思考ではない)と頑なに言い張るはずのポンコツが、翔一の言葉を遮って、すかさず市長の前に進み出た。

 そして、完璧な角度でお辞儀をしてのける。

『市長。今後は私どもも、タナカ・ショウイチ特級代弁士のサポートを通じて、大図書館都市の発展に寄与させていただきます。なお、私は竜人族様より、この新米代弁士の指導と監視を直接仰せつかっております。……何かご相談事がありましたら、何なりとお申し付けください』


 言い終えた直後、サトーは市長にだけ見える角度で、ふわりと――まるで人間の営業マンのように、愛想の良い完璧な『笑顔』を作ってみせた。

「お、おお……そうか。信用に値する、いい笑顔だ。よろしく頼む」

「はあ? 笑顔?」

 市長の言葉に、翔一とリンネアがギョッとしてサトーを振り返る。

 だが、二人が視線を向けたとき、彼女の顔はすでにいつもの『感情の死んだ無表情なアンドロイド』にピタリと戻っていた。

「おいこらポンコツ! お前、今笑ったのか!? ていうか誰の許可を得て勝手に営業(ご挨拶)してんだよ!」

『それは市長の光の加減による見間違いか、主観的な思い込みかと推測されます。私には感情や、それを表示するための表情筋システムは搭載されておりません』

「嘘つけ! 絶対わざとだろ!」

 翔一が慌ててツッコむが、サトーは無表情のまましれっとのたまう始末だった。

 リンネアが「本当に図太いですね、あのアンドロイドは……」とあきれてこめかみを押さえている。


「まあいい。とにかく、あのバカ共が自分で自分の首を絞めるような証拠をたっぷり残してくれてたおかげでな。……ほら、これが約束の『お土産』だ」

 翔一は、サトーが出力した『管理局の不正証拠の全データ(紙の束)』を、市長のデスクにドンと置いた。

 市長は目を輝かせてそれに飛びつく。これさえあれば、残った管理局の残党も完全にコントロールでき、この街の権力は市長のものになる。

「これで、エルディアでの顛末についての報告は終わりだ。神のシステムは正常に機能している。そして俺とリンネアは、正式に『特級代弁士』のライセンスを取得した」

 翔一の言葉に、市長は深くうなずいた。


 数百万年前の真実――神の正体が暴走したAIであり、それを翔一が完全に『牛耳っている』ことなど、到底市長に教えるわけにはいかない。言葉で説明したところで理解できないだろうし、何よりこの世界の『神』を個人の所有物にしていると知れれば、いくら市長とはいえ黙っていないだろう。それほどまでに強大すぎる力なのだ。

 だからこそ、不要な真実は翔一とリンネアの胸の内にしまっておくことにした。

 歴史上初となる「盟約弁護士(星付き)」と「特級代弁士」のダブルライセンス保持者となったリンネアの存在も、市長にとっては強力な後ろ盾となるはずだ。


「……タキタさんの隠れ里は、無事に一大薬草生産拠点として再出発しました。彼らの安全と商売の保証も、よろしくお願いしますね、市長」

 リンネアが釘を刺すように言うと、市長は「もちろんだとも!」と二つ返事でうなずいた。

「彼らの作る良質な薬草は、この都市の財産になる。我が市長権限において、最大限の保護を約束しよう」

「商談成立、だな」

 翔一はニヤリと笑い、グラスを傾けた。

「これからも俺の商売シノギにたっぷり便宜を図ってもらうぜ? 持ちつ持たれつ、協力していこうじゃないか」

 こうして翔一は、この巨大都市における『最強のコネとバック』を、確固たるものにしたのだった。


          ***


 数日後。

 大図書館都市の一等地に、真新しい看板が掲げられた。

『田中代弁事務所(新装開店)』。

 莫大な和解金と、市長からの「特別報酬」を元手に、翔一たちは大図書館都市の中央大通りに面した一等地にある物件を借り上げていた。

 ……まあ、今回も『一階がパン屋』という物件だったが。


「ショーイチ! 薬草ギルドから、来月分の独占契約の書類が届いたよ! あと、タキタ村のアリちゃんからも『第一陣の出荷を出した』って手紙がきた! 順調にいけば三日後にはこっちに着くって!」

「おお、上出来だ。ポポロ、お前はギルドの連中との価格交渉を頼む。……ガルム! さっきから下の通りでうろついてる柄の悪い連中は何なんだ。何の用か聞いて、適当に追い払っておけ!」

「おうよ! あいつら、俺たちの羽振りがいいって聞いて『護衛に雇ってくれ』って売り込みに来た傭兵崩れだろ。俺のお眼鏡にかなう奴がいれば、下働きに使ってやるさ」

「頼もしいこった。……そういや、サトーの奴はどこ行った?」

「ああ、彼女なら『バッテリー残量が規定値を下回ったため、光合成チャージしてきます』と言って、さっきから屋根の上に登っていますよ」

 リンネアが、窓の外のひさしを指差してため息をついた。


 見れば、白衣のアンドロイドが無表情のまま太陽に向かって直立し、微動だにせず光を浴びている。

「光合成って……あいつは植物か何かかよ。というか、数百万年前のオーバーテクノロジーの結晶のくせに、いちいち充電ひなたぼっこが必要なのか?」

「さあ? 彼女が言うには、『この白衣から吸収した光で、数か月は無補給で稼働できる』とのことですが……やっていることは完全にただの日向ぼっこですね」

「最新鋭の神の使いのくせに、やってることがアナログすぎるだろ……」

 翔一はあきれて首を振りながら、デスクの向かいで優雅にパンをかじるリンネアに向き直った。

「それより、またパン屋の二階かよ。朝からパンの匂いで腹が減って仕方ねえぞ」

「文句を言わないでください。……というか、もう下のパンは食べましたか? かなりイケますよ」

 そう言って、リンネアは焼きたてのフカフカな白パンを優雅に千切り、口に運んだ。

「私、リムガーレにいたときは家賃を払うだけで精一杯で、売れ残って石のように硬くなった黒パンしか食べられなかったんです。それが今は……値段も時間も気にせず、こんなに美味しくてフカフカのパンが買えるなんて……っ」

「おいおい、本気で泣くなよ! 分かった、分かったから! 俺が悪かったって!」


 過去の極貧生活(※原因の九割は、彼女の『クソ真面目な人権弁護士生活』のせいだが、残りの一割である『ポーション代の使い込み』が致命傷だったという自覚はある)を思い出して本気で涙ぐむ高潔なエルフに、翔一はなぜか罪悪感を覚えて慌てて謝罪した。


「……とにかく。この物件は事務所の広さが以前の倍はありますし、家賃も格安でしたから。それに、ちゃんと『個室』が二部屋ある物件を条件に探しましたし」

「そういや、契約のときにやたらと二部屋にこだわってたな。サトーの奴は充電ひなたぼっこのために屋根に出てるか、適当なクローゼットでスリープしてりゃ十分だし、ポポロやガルムは別の宿だろ? なんで二つもいるんだよ。しかも、一つはやけに頑丈な『内鍵』がついてるし」

 翔一が首を傾げると、リンネアは少しだけ目をそらし、内鍵の件には触れずに紅茶のカップを口に運んだ。

「……資料室です。これからのあなたは特級代弁士として、膨大な数の書類や証拠品を扱うことになります。そのための、セキュリティの行き届いた部屋がどうしても必要だったんですよ」

「へえ、なるほどな。さすが元エリート、仕事熱心なこった」

 翔一が感心してうなずくと、リンネアは「ええ。それに……」と、再び焼きたてのパンを愛おしそうに見つめた。

「こんな、こんな一等地の立派な事務所を借りられる日が来るなんて……っ。パンの匂いだって、私にとっては成功の証です……!」


 そう言って、リンネアは今度はさっきよりも大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。

「おい、またかよ! 分かった、分かったからもう泣くのはやめろ! こっちが悪いことしてるみたいだろうが!」

「うぅ……だって、本当に嬉しいんですから……っ」

 普段は完璧なポーカーフェイスを崩さないエルフが、パン屋の二階というだけでこれほど感極まっている。そのギャップに、翔一はあきれながらも深いため息をつくしかなかった。


 リンネアはハンカチを取り出し、コホンと小さく咳払いをして目元を拭った。そして、何事もなかったかのようにいつもの凜とした表情を作り直す。

「……失礼しました。少し、取り乱しましたね」


 そんな騒がしい二人のやり取りを、事務所の片隅から、ポポロとガルムがニヤニヤしながら眺めている。

 翔一は咳払いをして書類から顔を上げ、すっかり落ち着きを取り戻したリンネアに向き直った。

「で……お前はどうするんだ、リンネア?」

「どう、とは?」

「『俺が代弁士になって、この世界の法に風穴を開けるのを見届ける』っていう、お前の最初の目的は達成しただろ。これからは、元のエリート弁護士に戻るのか?」

 翔一は、わざとぶっきらぼうに尋ねた。


 文字が読めない翔一にとって、リンネアは絶対に手放せない「目」だ。何より、数々の死線を共にくぐり抜け、背中を完全に預けられる最高の相棒になっていた。

 本音を言えば「これからも俺の隣で一緒にやってくれ」と頼み込みたいところだが、あいにくと、翔一のねじ曲がったプライドがそれを許さなかった。だから、あえて彼女に「エリートに戻る自由」を提示して、試すような聞き方をしてしまったのだ。

 翔一の不器用な問いかけに、リンネアは静かに目を伏せた。


 ……かつての彼女なら、ここで「当然です」と即答して、翔一の顔に辞表(または絶縁状)をたたきつけていただろう。真面目で、融通が利かず、この世界の誰よりも高潔なエリート弁護士。それがリンネア・カエレスティスという女だった。

 だが、今の彼女は違う。

 この数か月間、彼女は翔一という悪党のやり方に巻き込まれ、あきれ、怒りながらも……結果として、かつての彼女が救えなかった多くの民(巫女や弱者たち)を救い出すのを、その目で一番近くで見届けてきたのだ。


 長い沈黙の後。

 リンネアは、どこか吹っ切れたような、今までで一番柔らかな――そして、最高に魅力的な笑みを浮かべた。

 だが、その口から紡がれたのは、いつもの凛とした憎まれ口だった。

「……勘違いしないでください。特級代弁士などという『強大すぎる力』を手にしたあなたが、この世界をめちゃくちゃにしないよう、私が一番近くで面倒を見てやらなければならないでしょう?」

「一生、俺の面倒を見る(監視する)つもりかよ?」

 翔一が鼻で笑うと、リンネアは美しいエメラルドの瞳で翔一を真っすぐに見つめ返した。

「当然です。なぜなら、私はこの世界で数十人しかいない『盟約弁護士』であり……この世界に二人しかいない『特級代弁士』でもあるのですから。私があなたの手綱を握らずして、一体誰がその暴走を止められるというのですか?」

「おいおい、俺を猛獣か何かだと思ってねえか?」

「それ以上にタチの悪い悪党だと思っていますよ。……もし、あなたがこの先、かつての特権階級のように腐敗し、暴君になり果ててしまったら。そのときは私が、刺し違えてでも止めてみせますから」


 彼女は凛とした声で、真っすぐに言い放った。

「あなたには、その可能性があります。だからこそ……ええ。それにエルフの私に比べれば、人間のあなたの一生など、ほんの瞬きのようなものです。……あなたの最期の時まで、私がきっちりと面倒を見て(監視して)さしあげます」

 それは、お互いに素直になれない不器用な相棒同士が交わした、最高にひねくれた「誓い」だった。


「それに――」

 リンネアは立ち上がり、翔一の執務机の前に歩み寄った。

「そもそも、あなたのせいで私のパン屋の上の事務所は無くなったのですからね。これからは、ここを私との『共同事務所』にしなさい。だから個室も二つ必要だったんです。サトーもアンドロイドとはいえ女性の姿をしていますから、夜は『資料室(内鍵付き)』で私と一緒に休みます。……看板の名前は『カエレスティス特級代弁士・盟約弁護士事務所』に変更しておきますね」

「おい待て! 資料室じゃなかったのかよ!? ていうか俺の名前(田中)が影も形も消えてるじゃねえか!!」


 翔一の絶叫に、リンネアが「ふふっ」と声を上げて笑った。ポポロとガルムも、そのやり取りを見て大爆笑している。

 ふと見ると、いつの間にか屋根の上での『光合成』から戻ってきていたサトーが、壁際に静かに立っていた。

 彼女はリンネアの「女性として一緒に休みます」という言葉を聞いて、ピクリと小さくセンサーを動かしたかと思うと――もちろん顔は無表情のまま――しれっとした声でこうのたまった。

『マスター。カエレスティス特級代弁士の提案に同意します。……これより、当システムに登録されている事務所名の変更手続きを開始します』

「お前まで向こうの味方かよ! 俺の所有物だろうが!」


 窓の外を見下ろせば、活気に満ちた大図書館都市の街並みが広がっている。

 翔一はシステムを屈服させ、この世界で最強の『特級代弁士』になった。


 (さあて。……次はどこの金持ち(悪党)から、合法的に絞り取ってやろうか)


 悪徳代弁士の、異世界での「シノギ」は、まだまだ終わらない。


――『勝者の法』 完 ――

【あとがき】

ここまで『勝者の法 ~文字が読めない俺が、法律とハッタリだけで異種族を完全論破する話~』をお読みいただき、本当にありがとうございました。

これにて、完結となります。

文字の読めない悪徳弁護士・翔一と、堅物エルフのリンネア。

水と油のような二人が、時に反発し、時に(無理やり)背中を預け合いながら、この理不尽な世界のルールに「法とハッタリ」で挑んでいく物語でした。

早熟な狐っ子ポポロ、豪快な用心棒ガルム、翼を持つ不憫な少年アリル、そして規格外の案内用アンドロイド・サトー。

彼らのような一癖も二癖もある仲間たちとのドタバタな旅路を、最後まで見届けてくださった読者の皆様には、心より感謝申し上げます。

システムを屈服させ、特級代弁士という絶大な力を手に入れた翔一ですが、彼の「悪徳弁護士としてのシノギ」はこれからも続いていくことでしょう。(そして、その手綱を握るリンネアの気苦労も……)

彼らの物語はここで一旦幕を下ろしますが、またいつか、別の物語(作品)で皆様にお会いできる日を楽しみにしています。

最後までお付き合いいただき、本当に、本当にありがとうございました!

田邑 或

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