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76.貴族として

 はやいものでエマの弟子入りからもう半年が経過した。


 訓練は順調と言えるのかは……正直なところわからない。なんせこれまで戦いとは一切無縁だった素人だ、私の時は若かったとはいえ弟子入りまでに屋敷で訓練していたのもあって比較が難しい。


 早朝の基礎体力づくりのランニングには私も横に付いて走っているが、成人しているエマは十歳の頃の私よりも体力がないように思う。疲労に顔を歪めてとにかく苦しそうで、走り終えた後の顔は土気色をしている。吐くのを通り越して死んでしまうのではないかと心配だ。


 最近は剣の素振りもするようになり、それも真面目に取り組んでいるのは伝わってくるものの、やはり苦しそうだ。いつも腕が上がらなくなってべそをかいている。


 最初のうちは仕方ないと言えばそうなのかもしれない。ただアンナやリリィの報告を聞くと本当に経験不足なだけなのだろうかとつい考えてしまう。


「孤児院でもしていたようですし家事の手際はなかなか良いですね。料理長の傍でその手元を良く見ていたりするので料理に関心があるのかもしれません」


「読み書き計算もとても順調です。読めるものが増えていくのが嬉しいらしく、目を輝かせて取り組んでいますよ。今の一番の課題は言葉遣いでしょうか……」


 こんな調子で随分と楽しそうにやっているらしいのに、私と一緒の時にはそんな印象は微塵もないのだ。私なんて自分の剣を手に入れた時には熱が入り過ぎて周囲に心配されるほどだったのに。正直ハンターより別の職の方が向いているのではないかと思わずにはいられない。


 私も実際にその様子や表情を見てみたいと思い、出掛けたフリをしてしばらくしてから戻ってきて屋敷の窓から中の様子を窺ってみることにした。


 メイド服姿のエマは文章を書く練習をしていて、一心不乱に紙に向かっていたかと思えば、時折自分が書き上げたものを見てとても満足げに口元を緩めている。洗われた洗濯物を裏手の物干し竿に干し終わった時にも、お風呂の掃除をし終えた時にも、彼女は両手を腰に当ててやり切ったと言わんばかりの爽やかな笑みを浮かべている。


(う~ん、可愛い……。見れば見るほど、活き活きして働いてるように見えるんだよねぇ……)


 単に仕事と訓練では体力の消費量が違うからだろうか。もっとその辺りを緩くすればあのような表情を私と居る時にも見せてくれるのだろうか。でもそれでちゃんと中身のある訓練になるのかというと……。


 一日かけて背後からの庭師のマルコの冷ややかな視線を耐えて観察してみても、結局彼女がハンターに向いていないのではという疑惑がより大きくなってしまっただけだった。




◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「ねぇアンナ、エマのことどう思う?」


 その日の晩。お風呂上りで濡れた髪を乾かし、アンナに櫛で梳いてもらっている時に相談を持ち掛けてみる。


「どう、とは……?」


「彼女がこのままハンターになっていいのかどうかよ」


 私がここまで彼女に拘っている理由は、きっと心の中では彼女にハンターになって欲しくないと思っているからだ。今から目指すにはかなり大変だと思うし、彼女が独り立ち出来る頃には誘拐された孤児院の子を探すのも困難極まる状態になってしまっているのではないだろうか。


「ハンターについてはお嬢様ほど詳しくもないのですが……」


「それでも良いから。貴女の立場から見て彼女がどう映るのかを教えて欲しいの」


 ここまで淀みなく動いていたアンナの手が止まり、ほんの少し沈黙が流れる。真後ろにいる彼女の落ち着いた息遣いだけが僅かに聞こえてくる。


「あくまで私の意見ですが、ハンターにならなくてもいいと思います」


「その理由は?」


「お嬢様が迷っているからです」


 そうとだけ言って髪を梳く手が再び動き出した。鏡越しに見えるアンナの顔は冷静で、とても淡々としている。彼女の中で区切りの良い所まで言い切ったつもりなのだろうけれど、理由にエマではなく私の名前が挙がるというのが良くわからない。


「……どういうこと?」


「お嬢様を迷わせてしまうほどに目に見えない決意であれば、辞めた方が良いという意味です」


 本気でハンターになりたいのなら、ちゃんと態度で示せということだろうか。現状示せていないエマが悪い、と。


「そもそもの話として、今回の弟子入りでお嬢様は何を得ているのでしょうか?」


「え……?」


 突然の、予期していなかった問いかけに一瞬思考が止まる。


(エマではなく私が……?)


「お嬢様はエマに対してハンターとしての戦闘技術や知識だけでなく、読み書き計算などの技能や衣食住、給金まで出しています。ですがエマは既に足りている屋敷への労働力以外に何をお嬢様へ提供しているのでしょうか?」


「そ、それは……」


 ――何もない。


 私がお師匠様に弟子入りした時は給金なしで身の回りの世話などは全てやったけれど、元々一人で長年暮らせていた所に押し掛けたのだから、それですら対価としては微妙といえる。私が弟子になれたのはお師匠様の人柄に依るところが大きい。


「今回の弟子入りは以前お話して下さったイルヘンの娘たちの話と、お嬢様の心情の根っこが同じなのだと私は考えておりますが、いかがでしょうか?」


「……そうね。私の知らないところで死なれるのが嫌だから、かしら」


 そう答えるとアンナは溜め息を吐いた。子供の頃から私が何かやらかした度に聞かされてきたものだ。


「お嬢様が情に篤いお方だとは重々承知しております。……ですが、それではいけません」


「う……」


「我々使用人一同はお嬢様が産まれるよりも前から仕えていた者たちばかりですから、お嬢様の人柄は承知しておりますし、今回も彼女のことを想ってそう決められたことも理解しております。なのでそう簡単に不満を抱くようなこともありません。ですが外野から見れば一部を優遇し、他を蔑ろにしているように映るでしょう」


「そんなつもりは……っ!」


 私は思わず振り返り、アンナを見上げる。


 使用人のみんなは肉親の居ない私にとっては最早家族同然の大切な人たちだ。そんなみんなに愛想を尽かされるなんて私には耐えられない。誤解だと必死に訴えかける。


 すると突然振り向いたことに驚いて手が縮こまっていたアンナの顔が困った子供を見るように、眉を八の字にした優しい顔に変わっていく。


「えぇ、お嬢様にその気はないのは承知しております。……話を戻しますが、既にそんな状態ですので更にお嬢様が頭を悩ませないといけないほど彼女がハンターになることは重要ではないのです。差し迫った状況でもないですし、別の職に就こうと思えば就けるのですから」


 まさかエマが何を選ぶかよりも私がした選択の方がよほど問題だったとは……。


「将来何かしらお嬢様の下で働く為に必要な訓練であれば良いのですが、今の状態が当たり前にまかり通ってしまうのであれば、平民たちはこぞってお嬢様の元へ群がるでしょう。何か別の仕事に向けて技能を磨きつつ、生活を保障され給金が貰えるような職場なんてありませんから」


 この屋敷が職業訓練所みたいな扱いにされてしまう、ということだろうか。ここはあくまで私たちの暮らす大切な家であって、そんなイメージが付けられるのは素直に嫌だ。


「こちらの判断で全て断りましたが、エマの待遇については出入りの業者あたりから外部に漏れたらしく、既に何人か雇ってくれないかとやって来ています。こんな調子で貴族であるお嬢様に対して、お嬢様の優しさに付け込んで、安易に、図々しく平民たちが頼み込んでくる光景を私は……見続けたいとは思いません……」


 そう言ってアンナは目を伏せてしまった。


「アンナ……」


「お嬢様は優しすぎます……。お嬢様は国に功績を認められた貴族であり、私共の主であり、今では王太子妃候補であると周囲に認知されはじめ、更に有名になろうとしているお方です。平民との関りを大切にしたいのは承知しておりますが、どうか貴族として、人の上に立つ者としての意識を忘れないで頂きたいのです」


 それは人に仕える人生を選んだアンナの、使用人全員の言葉を代弁した、立場上決して声を大にしては言えない小さな叫びだった。私が望んでいるからと従ってくれていただけで、知らず知らずのうちにアンナを含めた使用人みんなに我慢をさせてしまっていた。


 屋敷の皆に不自由をさせたくないとは日頃から思っていたけれど、彼女たちにふさわしい主でいなければという意識が全然足りていなかった。自分のそのあまりの不甲斐なさに涙が溢れ出てくる。


「うん……ありがとう……。頼りない主でごめんなさい……」


 本当に泣きたいのは彼女たちなのだ、泣いて被害者面していてはいけない。


 ――変わらなければ。


 貴族に向いていないとこれまで散々言ってきたけれど、それで終わらせてはいけない。実際、今はまた貴族として生きているのだから、それにふさわしい立ち回りが出来るようにならなければ。


「絶対……皆に相応しい主になってみせるから……!」


 顔を上げて目の前の鏡に映った自分を睨みつける。


「ふふっ、それでこそ私共のお嬢様です」


 その様子を見て鏡の向こうのアンナが微笑んでいる。


「――ではお嬢様、ここでひとつご提案が」


「うん? なにかしら?」


「貴族らしくお金を稼いでみませんか?」


「え"!? うちって今そんなに不味い状況!?」


 お金の勘定についてはアンナに任せてしまっている。そのアンナから提案されてしまうということはこのままでは不味いと判断されたということなのだろう。


「お嬢様は浪費とは無縁で、あまりお金が掛からないので直ちに屋敷が傾くなんてことはありません。国王陛下から賜った褒賞金もまだ残っています。しかし最近はエマに構っていつもより依頼で屋敷を空けておりせんし、いくらハンターとはいえ、金策の為に各地を走り回るというのも如何なものかとも思うのです。お嬢様の力は非常時にこそ輝くものなのですから」


 お家の危機かと思ったけれど、そうではなかったようだ。ひとまず私は胸を撫でおろした。


(あ、焦ったぁ……。それにしても……)


 ハンターの依頼はE級なんて完全に日雇い労働だ。級が上がって魔物との戦いが増えるとはいっても、それらの延長線上であることには変わりはない。そうやって足で稼いで暮らしている現状が貴族らしくないというのはもっともだった。


 ジャイアントホーネットの時のように私にしかすぐに対処出来ない相手がいるのも事実で、その私が留守にしていてすぐに動けないのは本末転倒というのも正しい。アンナの言っていることは何一つ間違っていないと思う。


 要するに私が走り回らなくても暮らしていける仕組みを作れということだ。


「言いたいことはとても良くわかったわ。ただ、問題は何をして稼ぐのかよね……」


「私としては何か物を売るのが良いのではないかと」


 お店か……。売り子をできないのは残念だけど、最終的に人に任せられる仕事じゃないといけないし、確かに物を売るのは良さそうだ。


「ふーむ、じゃあ次は何を売るのかね……。どうしよう……何も浮かばないわ……」


 ただこうやって指摘されるまで考えもしてこなかったのだ、急にこれと案が出てくるはずもない。


「ブリジット様にご相談されてみては?」


「まったくのノープランじゃ怒られるだけよ……」


「……それもそうですね」


 アンナもその光景が浮かんだらしく、すぐに真顔になって頷いた。一応もう私の中ではブリジットに相談にいくのは決定事項ではあるけれど、流石にまだそのタイミングではない。


「とにかくお金稼ぎの件も、エマの件もこちらで考えておくわ」


「かしこまりました」


 お金稼ぎの件は市場でも眺めながら考えてみよう、商品が被っても良くないだろうし。


 エマの件に関してはもうウジウジ悩むことは止める。彼女の覚悟を見せてもらい、その結果で今後を決めることにしよう。




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