92話 圧倒的じゃないかね
広間が白に塗りつぶされた一瞬。
エルフィナが僅かに目を眩ましたその時間が、ルッルさんの命を救いました。
私の放った風の玉が、ルッルさんを撃ち抜いて射線から逃れるように吹き飛ばす時間を稼いだのです。
ルッルさんは何度も身体を打ち付けながら、地面を転がっていき、ぐったりと動かなくなりました。
気絶しているだけだと思いますが、早めに治療を施したほうがよさそうです。
本当ならもう少し優しく出来ればよかったのですが、速度を重視しために致し方ありません。
命を救えただけでも良しとしましょう。
光の正体はわかりませんが、どうやら石の竜は討伐された模様。
消滅の光が立ち上って溶けていきます。
あの巨大な魔物を討伐するとは、やりますね。
アグニャは光の矢に焼かれ、その場に倒れ伏しています。
エルフィナの攻撃で倒れたというよりは、ルッルさんの与えたダメージが大きかったのでしょう。
「余計なことシやがって。仕留め損ねタじゃネえか」
「それはアルベルト様の計画とやらに必要なんですか?」
「はっ! どウせ死ぬんダ。変わりゃしネえよ!」
皆が死ぬような計画をアルベルト様が立てている、ということでしょうか?
帝国という大国の皇族が、そんな事をして得になるような事があるとも思えませんが。
「<コンプレッション>」
着地したエルフィナがルッルさんに矢を向けようとしたので、手元を風の弾丸で打ち抜きます。
竜の鱗を纏うエルフィナには大した威力にはならないみたいですが、射線をずらすには十分でした。
苦々しい顔をしたエルフィナがこちらを睨みます。
「いいダろう。お前を先に殺シてヤる」
「それは計画に影響しないのですか?」
「いナい方がいいグらいだぜ」
<器>というものの立ち位置がよく分かりませんね。
そこからは魔法の撃ち合いです。
お互いに足を止めて、幾十もの光の矢と風の弾がぶつかり合います。
砕けた光の矢が舞い、いっそ幻想的な光景を生み出していきました。
エルフィナも私も体内魔力は潤沢です。
このままではずっと撃ち合いを続けることになりますが、先に動いたのはエルフィナでした。
光の矢と共に、両手で顔をガードしながら真っ直ぐに突っ込んできます。
もともと私の魔法には竜鱗を貫くほどの威力はありません。
多少の被弾覚悟でくるのは想定内です。
近接戦闘は向こうが圧倒的に有利。
そう簡単には近づけさせません。
「<風の鉄槌>!」
エルフィナは真横から襲う、巨大な風の固まりに吹き飛ばされます。
距離が空いたらするに遠距離の魔法で追い打ちです。
速射性には優れませんが、より火力のある<トルネード・ボール>などを折り混ぜて、ダメージを積み重ねていくしかないでしょう。
あの竜の鱗は斬撃耐性が高いのです。
風の刃では表面を浅く傷つける程度しかできません。
それからしばらくの間、激しい動きと音とは裏腹に、戦況は膠着します。
迫るエルフィナを風の拳で殴りつけ、
間断なく打ち込まれる光の矢を風の弾で迎撃し、
僅かずつしか与えられないダメージを積み重ねるために魔法を放つ。
一方的に攻撃を加えているのは私の方です。
しかし一つミスをすればエルフィナの攻撃が通り、私はやられてしまうでしょう。
追い詰められているのもまた、私の方でした。
焦ってはいけないと自分に言い聞かせるものの、そう言い聞かせている時点で既に焦っていたのでしょう。
エルフィナがあからさまな隙を見せた時、それが誘いであるという考えに至る前に威力を高めた魔法を放ってしまいました。
その魔法は紙一重で躱されてしまい――。
ほんの僅かな術後の硬直。
「――――がはッ!」
私の魔法を掻い潜って、エルフィナの拳が腹部に突き刺さります。
咄嗟に風の盾で防御したものの、激しい痛みが襲いかかりました。
すぐに距離を取らなくてはと頭をよぎります。
しかし。
私の目に映ったのは腕を振りかぶったエルフィナの姿で――。
「くたバれ」
「――――ッ!?」
振り抜かれた拳。
それは私の鼻先を掠めただけに留まりました。
エルフィナが外した?
いいえ、違います。
何者かが、迫る拳を弾き飛ばしたのです。
そして、その何者かは追撃でエルフィナの腹部を打ち付けました。
苦しげな声を上げ、エルフィナはその場を離脱します。
まさか。
ただの木刀が竜の鱗にダメージを通した?
その人物は、感触を確かめるかのように、ヒュンヒュンと風を切る音を立てて、二刀の木刀を一振りずつしました。
私は腹部の痛みを手で抑え込みながら、問いかけます。
「趣味の悪い帽子はどうしたのですか、ディーリッヒ男爵?」
シルクハットとマント、それに持っていたステッキがどこかに消え、見覚えのある服装に戻っているディ・ロッリ。
長く着込んでいるせいかボロボロですが、元の仕立ては良さそうな服ですね。
ディ・ロッリはニヤリと笑い、言葉を返しました。
「闇の底から這い戻ってきたぜ。なんせ――――」
自信に満ちた目が、私を真っ直ぐ見つめます。
ドキリと、胸が脈打ちました。
な、なんですか……。
「――――聞こえたからな。助けを呼ぶ仲間の声が!」
「いえ、呼んでませんが」
「心の中で!」
「いえ、覚えがないですが」
「無意識に!」
そして高らかに笑うディ・ロッリ。
助かったのは事実ですが、なんだか素直に認めたくないですね。
…………呼びましたかね?
----
――――世界はこんなにも魔素に溢れていたのか。
今、僕の目には何もない空間に浮かぶ魔素の流れが見えている。
風にのって飛び回るそれらは、緩やかに、しかしほんの僅かにも止まることなく流れていた。
試しに<エア・コントロール>で動かしてみると、動かしやすい魔素と、そうでない魔素があることがわかる。
具体的には雷の魔素は軽く、重力の魔素は重い。
なるほど、これが普段僕が動かしていた魔素なのか。
これは闇落ちから舞い戻った僕に目覚めた真なる力――――。
と、言いたいところだが違う。
<暗黒リング>の奥底に眠る人格と融合し、悪魔男爵となっていた時に記憶は薄っすらとしかない。
まるで夢でも見ていたかのように、実感のない記憶だ。
ヴィオラ曰く。
この状態は火が消える前のろうそくの輝き。
<暗黒リング>を無理やり破壊した為、悪魔男爵の能力を一瞬だけ残したまま、人格が元に戻っているのだとか。
あと数分で僕は気力を使い切り、倒れてしまうそうだ。
だからその前に、僕は完璧な力の流れを身体に覚え込ませないといけない。
「誰カと思えバ、あの時の脇役じゃあなイか。観客席なら向こうダぜ」
「脇腹を抑えてどうした? 机の角にでもぶつけたか?」
僕の軽口に、歯をむき出しにして怒りの表情をみせるエルフ女。
自分から舌戦を仕掛けておいて、耐性なさすぎだろ。
エルフ女の正面、何箇所か。
魔素が急激に集まっていく。
「分不相応なんダよ、脇役! <光の雨>!」
なるほど、これが魔法発動の兆候か。
確かにこれなら<エア・ボム>も切り裂けるな。
ってことはヴィオラも魔素の動きが見えているってことか?
いや、動きをみて予測するって言ってたからな。
見えているのとはまた違うのか。
僕は迫りくる光の矢を、次々と避けていく。
射線は真っ直ぐだ。
どこに来るか分かっていれば、簡単に避けられる。
避けられないものも、木刀で余裕を持って弾ける。
「な、なんだト――」
ふむ。
自分の身体の中の力の流れについてもよく分かるな。
僅かに力が外に漏れているな。
これを押さえ込めば――――。
「!」
自分でも驚いた。
力を全て身体の中に抑え込み、エルフ女に向かって一歩踏み込んだ。
その速度が想像以上だったのだ。
そのまま駆け抜けて、あっという間にエルフ女を間合いに捉える。
「――――グッ!!」
勢いを乗せた横薙ぎを、エルフ女は両手でガードした。
竜の鱗があるとはいえ、素手で受け止めるってちょっと文明人としてどうなんだ。
十分すぎる手応えが木刀から返ってきたが、連撃で攻め続ける。
力の流れを完全に把握している今、相手の機先を潰してやれば反撃の機会なんて与えやしない。
光の矢を放つためだろう、時々集まる魔素は、魔法の発動前に潰しておく。
固い竜の鱗越しでも、確実にダメージを与えることができる。
ヴィオラは僕がちゃんと力をコントロールできれば、ポイズンリザードなんて一撃だと言ったが、なるほどその通りだった。
何も出来ずに僕に攻撃をされ続けるエルフ女。
自慢の白い鱗もところどころ剥げ落ち、見た目にもかなりのダメージを与えている。
このまま押しきれるかと考えがよぎったが、さすがにそこまであまくはなかった。
「ふざッ――――けんジャネェェェェ!!」
エルフ女の身体を中心に、光の爆発が起きる。
自身を巻き込んだ全周囲攻撃。
これはさすがに発動を阻止できない。
自爆技だからそこまでの威力はないが、一旦距離を開けざるを得なかった。
「お前モ! あのチビガキも! フザけんじゃネェぞ! アタシの<力>はこンなもんジャねぇンだ!」
「そうかいそうかい。じゃあ本気を出してみろよ?」
「ナメやがって……! ガアァァァァァァァ!!」
咆哮を上げるエルフ女に、竜の角、翼、尻尾が生えた。
空気がビリビリと震えだす。
竜人化の第二段階ってところか?
まあさっき赤い方が変身してたから、目新しくもないけど。
確かに内包する力の流れは倍増している。
周りの魔素も、渦巻くようにして激しく動き回っていた。
けど力が大きくなっても、流れが雑で扱いきれていないなら同じだ。
エルフ女の右足に力が流れていく。
踏み込んで来る。
「シネェェェェェ!!」
まるで瞬間移動のような速度で、飛び込んできたエルフ女。
密度の高い竜の身体は、見た目以上に大きな力が内包されている。
まさに振り抜かれんとしているその拳には、一撃で僕を葬り去る威力が込められているだろう。
だが――――。
「<一突・針山返し>」
――――飛び込んだ先にあるのは、木刀の剣先だ。
速度がある。
威力がある。
それを、そっくりそのまま全て返す。
喉元に置かれた木剣に突っ込んだエルフ女はその場で半回転し、後頭部を地面にしたたか打ち付けた。
喉と後頭部。
致命的な急所にクリティカルヒットを貰えば、いかに竜の鱗を持つといえど耐えられるものではない。
事実、エルフ女は白目を向いて、起き上がってくることはなかった。
僕は木刀を一振りし、そして腰へ収めた。
くっくっくっ――――。
圧倒的じゃないかね…………!
----
「いつの間にこんな……!」
エルフィナを完膚なきまでに叩きのめしたディ・ロッリは、満足そうな顔で広間を歩いていきます。
アルベルト様との試合の時のように、スキルを多用するような戦い方ではありませんでした。
まるで未来が見えているかのような動き。
ただただ純粋な武技で、エルフィナは何もさせて貰えずにやられてしまったのです。
このような動きに、覚えがあります。
アルベルト様です。
あの方が戦うところをみたのは数えるほどしかありませんが、相手の攻撃を全て予知しているかのような動き。
決して速いわけではない動きで、全てを防いでしまう武技。
まさに今のディ・ロッリの見せた戦いと重なります。
「――――アグニャ?」
ルッルさんとエルフィナにやられ、気絶していたアグニャが幽鬼のようにふらりと立ち上がりました。
そしてどこかぼーっとした様子で、ポツリとつぶやいた言葉は――――。
「――――<終焉の炎>」
自らの命と引き換えに、全てに終わりを告げる禁断の魔名でした。