地味令嬢の体当たり取材
2021年4月23日よりスクエア・エニックス様のスマホアプリ『マンガUP!』にてコミカライズ配信となりました。
それを記念してSSを投稿いたします。
リーディアがガラナス侯爵家の一員になって半年、彼女は珍しくひとりで夜会に出ていた。
一緒に行く予定だった義両親のガラナス候爵夫妻は領地のトラブルに対応するために不在。義姉のフローラは婚約したばかりのシオンと夜のお忍びデート中だ。
普段ならリーディアも休むところだが、今夜は特別だ。
ひとりでも参加をしようとしたのは、今は離れて住んでいる婚約者のエヴァルドと会う約束をしていたから。
しかし彼もまた仕事が忙しいらしく、会場に現れていない。
「はぁ……」
待ちぼうけをくらっているリーディアは窓際で外を眺めながら、長いため息を漏らした。
憂いなんて微塵も含んでいない。
光悦の表情で窓の向こう側で庭を歩く令息ふたり組に思いを馳せていた。
(夜会は男女の出会いの場だというのに、あえて男性ふたりで! しかも暗がりで、人の少ない庭園で! 肩が触れそうな距離で! これは薔薇が咲き乱れる予感がするわ)
しっかり腐れ観察を堪能していた。
素晴らしい小説のネタになりそうな場面に釘付けで、食べかけの高級な肉がフォークに刺さったままどんどん乾いていく。
「よろしいかしら? あなたガラナス侯爵家の養子リーディア様よね?」
「は、はい!」
リーディアが慌てて振り向くと、艶のある赤髪を結い上げ、義姉フローラほどではないがダイナマイトボディの令嬢がいた。
高圧的な態度に思わずときめいてしまうのはリーディアだけだろう。
「わたくし、バッセルトン辺境伯の娘ビアンカと言いますの」
「ビアンカ様……」
噂はよく聞いていた。次期社交界の女のトップ――百合の座を巡って義姉フローラと争っている令嬢のひとりだ。
爵位は関係ない。美しさと教養、人脈で手に入れなければならない地位。フローラと競うだけあって、大物のオーラがだだ漏れだ。
フローラが白百合であれば、ビアンカは黒百合というイメージがピッタリだ。
「えっと、なにか御用でしょうか?」
「ふん、本当に今でも信じられませんわね」
「何がでしょうか?」
「ガラナス侯爵家に気に入られ、エヴァルド様と婚約したのだから、とても優秀かと思っていたのに……ねぇ?」
ビアンカは後ろに連れていた取り巻きの令嬢に目配せをして、クスクスと揃って鼻で笑った。
「フォークに食べかけを刺したままですわ。立食のマナーも知らないみたいよ。お食事はすぐ口に運ぶのが鉄則ですのに」
「あら、本当ね。それに扇子まで手放してなんて食い意地なのかしら」
「……っ!」
ビアンカをはじめ、令嬢たちの蔑む視線がリーディアに集まる。
「それになんて不格好な姿勢なのかしら。背中のラインが悪くてドレスが泣いているわ」
「姿勢だけではないですわよ。先程も見ていたけれど、歩き方も拙くて優雅さなんて微塵もなかったわ」
「良いところってあるのかしら?」
扇子を広げて口元は隠しているが、目と同じように弧を描いているのが丸わかりだ。彼女たちはリーディアの拙いマナーを思い出しては、蔑みの視線とともに嘲笑う。ライバルであるフローラの義妹を貶めたいのだろう。
リーディアはぷるぷると肩を震わせ、聞き役に徹する。しかしついに耐えきれなくなった。
「ちょっと待ってください」
締まった喉で振り絞るように言ったあと、リーディアはすぐにポケットからメモ帳と鉛筆を取り出した。
(ネタよ、ネタ! 素晴らしいわ。フローラ義姉様を超える悪役っぷり。滾るわ。その上私の至らないところを指摘してくれるなんて親切すぎるわ。早く直してフローラ義姉様の足をひっぱらないようにしないと)
一心不乱に要点を書き殴りっていく。
「他には何か変なところありませんか?」
「――え?」
「さぁ、どんどん言ってくださいませ!」
ビアンカたちは口元を引きつらせ、一歩だけ後退った。
「ダ、ダンスなんて見ていられませんわ。ステップの歩幅が毎ステップばらばらで汚くてよ。殿方がお可哀そうで仕方ないったら」
「歩幅……そうだったんだ。なるほど、勉強になります。他には? ありますよね?」
「こんな不出来な義妹を持つなんてフローラ様も大変ね。とんだお荷物じゃないのよ」
「そうなのですよ。義姉様には本当にお世話になりっぱなしで。なので悪いところ教えて下さい。もっと!」
ビアンカは勢いに負けじと罵倒するが、目の前のリーディアは凹むどころか水を得た魚のように元気になっている。
怖い。実に怖い。
得体のしれない恐怖感に震えるビアンカたちと対照的に、リーディアの瞳はどんどんキラキラしていく。
「えっと、その……」
「さぁご遠慮なさらずにズバッと仰ってください」
「……っ」
もう理不尽な指摘も言い尽くしてしまった。ついでビアンカたちは立ち去るタイミングも台詞も失っていた。相手の精神力を削るつもりが、自分が削られていく。
そこへ救世主が現れた。
「ディア」
片腕を失ってもなお体躯の良い男がリーディアとビアンカたちの間に割入った。
艶やかな癖のない黒髪に切れ長の水色の瞳には銀縁眼鏡、失ったとされる腕には最新の義肢をつけた文官の美青年。仕事場からそのまま来たのか、装飾されたコートの中は第二王子付の制服のままだ。
「ルド様! お疲れ様です」
「リーディア、遅れてすまない。ところで、バッセルトン嬢と一緒にいるとは珍しいな。何かあったのか?」
エヴァルドに探りの入った視線を向けられたビアンカは顔を青ざめさせる。本当は少しの小言で済ませて立ち去る予定が、随分とリーディアをこき下ろしてしまった。
エヴァルドが婚約者を溺愛しているという話は今や有名で、ビアンカの所業が知られればどんな報復を受けるか分からない。
事実、リーディアの生家であるカペル伯爵家の衰退は酷い。
「ビアンカ様から注意を受けていたのです。それはもうたっぷりと!」
「――なっ」
言わないでほしいと願ったビアンカの気持ちを裏切るように、リーディアは満面の笑顔でエヴァルドに告げた。
終わった。
ポロリと手に持っていた扇子が、気持ちを表すかのように床に落ち、カツンと音を立てた。
エヴァルドはリーディアとビアンカの表情を見比べてため息をついた。
「バッセルトン嬢、もしかしてディアが迷惑をかけているのではないか?」
「え……?」
予想もしてなかったエヴァルドの反応にビアンカは淑女らしからぬ呆け顔で見上げた。
「ビアンカ嬢がマナーを教えてくれたと喜んだディアがあなたに迫り、引き止めていたのではないかと思ったのだが……間違いなさそうだな。ディア、その癖は我慢しろと以前にも――」
「うっ……あまりにもビアンカ様の(悪役っぷり全開の)指摘が(小説の)参考になりまして……」
エヴァルドはお見通しだった。リーディアはどんな不遇の状況だって、小説のネタに変換する猛者だと知っていた。そんな中できちんと自分の落ち度を改善する意欲も彼女にはある。
前向きなのは好ましいが、他の令嬢を怯えさせるのはいただけない。リーディアの隣に立って背中をポンと押した。
我に返った彼女はしおらしく頭を下げた。
「ビアンカ様、申し訳ございません。貴重なご意見をくれるお方(しかも最高の悪役モデルにピッタリ)に出会えて、舞い上がってしまいました」
小説のヒロイン♂を最も輝かせるのはヒーロー♂ではなく、敵や悪役と言っても過言ではない。
悪役が強敵であるほどヒロイン♂は成長し、ヒーロー♂の強さが際立ち、ストーリーが華やかになるというもの。妄想小説家リーディアとしては求めずにはいられない。
(やってしまったわ。貴重な悪役モデルを私の暴走で潰してしまうところだったわ。か弱く聞き役に徹すべきだったのに。それに今後指摘してくれなくなったら、マナーのどこが改善されて、どこがまだ駄目なのか教えてくれる第三者が減ってしまうじゃないの)
リーディアはがっくりと肩を落とした。
一方で、あまりの落ち込み様を見せられたビアンカは胸がチクりと痛んだ。リーディアが不遇の令嬢だったことを思い出したのだ。
エヴァルドに見初められ、ガラナス侯爵家の養子になる前は十分な教育も受けさせてもらえず、洗礼すら執り行われず放置されし娘。
至らない点が多いことは仕方のないこと。それでも前向きにマナーを学ぼうとしているリーディアの姿に心動かされる。
ビアンカは落ちた扇子を拾い、顔の下半分を隠しながら気まずそうに口を開いた。
「わたくしこそ申し訳ないわ。きつく言いすぎたわ」
「いえ、ビアンカ様からはフローラ義姉様からは得られない教えがありますわ。気が引き締まりますから、今日のように強めに上から目線でお教えくださると嬉しいですけれど」
「あなたが望むのなら仕方ないわね。容赦はしませんことよ」
「ありがとうございます!」
出会った頃は悪役モデルとして逸材だったフローラも、今や優しいお姉さん。
悪役というよりもツンデレモデルとして確固たる地位を築いている。そんな中、ビアンカは刺激的で貴重な人だ。
リーディアは素晴らしい出会いに感謝し、エヴァルドにエスコートされその場をあとにした。
エヴァルドは庭園にリーディアを連れ出した。人が少なく、暗がりの場所は恋人たちの逢瀬の場所だ。
彼女がシーウェル公爵家を出てガラナス侯爵家に行ってから、義父であるガラナス侯爵のガードが固くてふたりっきりになれる時間はぐんと減った。可能なら誰にも邪魔されない時間が欲しかった。
自分の腕に寄り添う愛しい婚約者の横顔をチラリと見下ろす。綺麗にセットされた柔らかい茶色の髪に、化粧をしていても透明感のある顔、色っぽく浮かぶルージュを引いた唇。
「ディア」
周りが平凡と称する容姿も、エヴァルドはしっかりと見ていたくて名を呼ぶが、リーディアは遠くを見たまま返事をしない。
彼女の視線の先を追うと、酔っぱらって肩を組む令息ふたり組がいた。
「まさか……」
顔の距離の近い男がふたり……エヴァルドの想像通り、リーディアの脳内は絶賛お腐れ中で、薔薇の花びらが舞っていた。
この男ふたりは、少し前にリーディアが窓から観察していた人たちだ。
(さっきより距離が縮まってるわー! もしかしてホンモノのカップル!? 事件だわ)
大歓喜である。
対してエヴァルドはにとっては面白い状況ではない。
「ディア……こっちへ」
「え?」
エヴァルドが歩んでいた方向を急に変えたことで、妄想の世界へとトリップしていたリーディアの意識が戻る。
ふたりが足を止めた場所は太い木の陰だ。
リーディアが見上げたエヴァルドの眉間には、少しだけ皺が寄っていた。
「今はネタよりも、私に興味を示してくれないか? 結婚するまでは、週に一度ある王城での夜会でしか会えないというのに」
「ルド様……」
「ふたりで会える日が待ち遠しくて、こうやって会っている時間の一分一秒が大切なのは私だけか?」
彼に顔を寄せられ、最後は耳元で「寂しいよ、ディア」と色気たっぷりの低めの声で問われる。
なんて無駄に色っぽく言うのよ、とリーディアはうち震える。
もちろんエヴァルドは計算してやっているし、リーディアも彼がわざとやっているのを知っている。
しかし彼女は逆らえない。美形の美ボイスという破壊力に、凡人が勝てるわけがないのだ。
「わ、私もいつもルド様にお会いしたいです。でも会えなくて寂しいから、妄想して気を紛らわしてるから、どうしても本能でネタを集めたくなっちゃうんです!」
これはリーディアの正直な気持ちだ。
ガラナス侯爵家ではとても楽しく過ごしていた。
しかし夜寝る前になると、シーウェル家で過ごした一日の終わりの報告会を思い出して、エヴァルドが恋しくなるのも事実。
故意に彼との時間を蔑ろにするつもりはなかったが、実際には彼に不快な思いをさせてしまった。
「ごめんなさい……」
リーディアは誘惑に弱すぎる自分を悔やみながら、謝罪した。
「なるほど、他の男で妄想していたと」
「――ご、語弊が」
更に低くなったエヴァルドの声に、リーディアは弁解を重ねようと口を開こうとしたが叶わなかった。エヴァルドの唇によって塞がれてしまったからだ。
触れたのは一瞬だったが、リーディアには効果テキメンだ。縫われたように口は固く閉じ、蒸気が出そうなほど顔を赤く染めて、エヴァルドを見上げている。
「妄想をするなら私ですれば良いだろう? ほら、実体験のほうが小説もよりリアルに描写できると思うんだが」
エヴァルドがにっこりと微笑めば、リーディアは黙ったまま何度も首を縦にして頷いた。
リーディアとは何度もキスをしたが毎回初々しい反応で、エヴァルドは彼女が可愛くて仕方ない。
だから失念していた。リーディアの妄想は現実に影響を与えることを。
数カ月後、眼鏡黒髪の堅物騎士が主人公の薔薇本が大ヒット。
エヴァルドと主人公の容姿がとても似ていることから、彼は社交界でお腐れ様の熱い視線をしばらく浴びることとなった。
しかも薔薇本の内容は主人公の愛され総受け。攻めポジションとして第二王子陣営の仲間までお腐れ様の妄想の餌食となった。
お陰でリーディアの心と懐はとても潤ったのであったとさ。
お読みくださり、ありがとうございました。
コミカライズもぜひ読んで下さると嬉しいです!