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そして、ここから

 「……は? 何言ってるんだよ。『日本』は、『日本』でしょ……」 

 

 界斗は始め、その言葉が理解できなかった。

 いや、正しくは理解しようとしなかった。

 それを受け入れてしまったら、今のこの現実が彼にとって辛いものとなってしまうから。


 「知らないはずないでしょ……。田舎に住んでだって、自分の住んでいる国を解らない人はいないよ……」

 「んー……聞いたことないなぁ。何かと間違えてない?」

 

 アオは困惑した様子で首を傾げる。

 その様子は、界斗の黒く渦巻き始める内情とは対照的に焦りや恐怖などは感じられず、それが界斗を堪らなく苛立たせた。


 「じゃあどこなのさ……! アメリカ!? ロシア!? 中国!? それ以外のどこか!?」

 

 界斗は湧き上がる衝動に押され、勢いよく立ち上がると、椅子に座ったアオの肩を掴む。

 その力は自分で思っている以上に強いらしく、アオは苦し気に顔を歪めた。


 「ちょ、ちょっと落ち着いてよ! よくわかんないけど、とりあえず、手を放してよ痛いからさ……」


 界斗にはアオの懇願する言葉が聞こえていなかった。

 ただ、このよくわからない不快な感情を一刻も早く消し去りたくて、無意識に大きくなる声で問いただし続ける。


 「俺達はこうして話せてるじゃないか、言葉が通じてるじゃないか。ならここは『日本』であるはずだろう? なのに知らないって……つまらない冗談はやめろよ……!」

 

 界斗とアオは出会ったその時から、普通に言葉を交わし、助け合い、名を知り、理解を深め合った。それは間違いなく事実であり、真実だ。

 たとえ、アオが龍であったとしてもそれは揺るぎはしない。

 しかし、その事実がさらに界斗を混乱させる。

 これまでの出来事で、言葉が通じる場所であることが解っていたし、アオがこのようなつまらない冗談を言う奴ではないという事は、嫌でも理解できてしまっていた。

 だからこそ、そのアオに否定され、拒絶されたような気がして、界斗は苦しくなったのだ。


 「答えてよアオさん! ここは、何処なの!?」

 

 肩を掴む手に力籠る。

 アオは痛みに耐えながらも、その顔は界斗に対する恐怖で染まっていた。

 理解できないものを見る、そんな表情。

 それを向けられた界斗の苦しみは増し、それをアオにぶつけようとしてしまう。

 そんな界斗を止めたのは、マリアだった。

  

 「落ち着いて界斗君。それではアオも答えるに答えられないわよ」

 「でも……!」


 界斗の腕にマリアが優しく触れる。

 自然と界斗の言葉は止まり、アオを掴む腕の力が緩む。

 そうして、泣きたくなるくらいの優しい声で言った。


 「大丈夫、大丈夫だから。ね、落ち着いて、私たちに話を聞かせて」


 マリアは界斗を見て怒ることもせず、ただ優しく微笑んだ。

 声が、笑顔がゆっくりと心に溶け込み、渦巻いていたものが少しずつ晴れていく。界斗は我に返ったようにアオから手を放し、小さく「すいません……」と呟いた。


 「謝る相手が違うわよ」

 「そう……ですね。ごめん、アオさん。痛かったよね」


 アオは自分の肩をさすっていた。

 その表情に界斗を気遣う色はあっても、怒りはなかった。


 「大丈夫だよ。でもホント、急にどうしちゃったのさ」

 「『二ホン』って言っていたけど、それが関係あるのかしら?」

 「…………」


 界斗は二人に何と説明していいか解らなかった。

 そもそもにして、界斗にも状況が掴めずにいた。

 界斗に間違いがなければ、アオは確かに『二ホンてなに?』と言った。

 これが冗談などではなく、本当に疑問に思って聞き返したというのなら、ここが、この今界斗がいる場所が日本でない事を示している。

 もしかしたら、自分は別の国から来ているかもしれなくて、しかし同じ言語を使う国で――などと言う訳のわからないことをどう伝えればいいのか。

 困った界斗は一つ一つ質問していくことにした。確かめるように、空いたピースを埋めていくように。


 「すいません、しつこいようですけど、もう一度お聞きします。ここは、『日本』ですか?」


 先程と同じ質問をする。

 その質問に対する反応も同じで、不思議そうな二人の表情が返ってくる。


 「うん、違う。その『二ホン』ていうのがよくわからないけど、ここは確かに『ノシナの村』だよっ」

 「そうね、私も『二ホン』という名前には聞き覚えがないわ」


 解ってはいたが、改めてこう言われるのはきつかった。

 界斗はなるべく表情に出ないように耐えながら、質問を続けた。

 

 「……解りました。じゃあ、もう一つ。この国の本当の名前は何ですか? 『ノシナ』は村の名前ですよね?」

 「えーっと……それは」

 「『トータス』よ。それが私たちが暮らす国の名前」


 答えたのはマリアだった。

 

 『トータス』。


 当然だが、聞いたことのない名前であった。

 その名前を聞いたとき、界斗の心臓が大きく一度跳ね上がる。猛烈に耳を塞ぎたい衝動に襲われる。

 

 「いくつかの村があるだけの本当に小さな国よ。特産品と言えるものは、この蒼茶くらいかしらね」


 聞いてはならぬと心が叫ぶ。

 しかし、それでも界斗は聞くのをやめなかった。

 覚悟を決めていたからだとかそういう理由ではない。

 ただ、怖いだけだ。知らぬままでいるのが。


 「貴方もきっと『トータス』の子だと思っていたのだけど……たぶん、違うのよね」


 マリアの寂しそうな表情が、界斗を突き刺す。

 

 「『二ホン』ってところから来たんでしょ? 近く?」

 「……いや、たぶん、遠いと思う」


 アオの純粋な瞳がだった。

 純粋ゆえに残酷に、界斗を苦しめる。


 「でも『二ホン』ってどこにあるんだっけ? 私って結構地図とか見るの好きなんだけど、そんな名前の国『トータス』の近くにあったけかなあ」

 「……」


 界斗は答えられない。『トータス』なんて国は知らないのだから。


 「それにアメリカ? とかという名前も初めて聞くなー」

 

 唾をのんで、息を吸う。喋るということがこんなにも重く、怖いと思ったのは初めてだった。


 「ねえ、アオさん。地図が好きなら知っているよね」

 「なになに?」


 恐らくアオが言っている地図とは、間違いなくあの本の事だろう。

 なら知っているはずだ。あの中身を。


 「『ノシナ』がある、大陸名を」


 語尾が震えていた。

 見ると、界斗の体も同様に震えていた。喉が渇き、手が嫌に冷たい。

 

 「勿論!!」


 アオが自信満々に答える。

 界斗は笑みを返そうとするが、それは酷く引きつり、悲痛に染まっていた。

 

 「それは――」


 胸を抱くように服を掴む。

 後に続く言葉は界斗には解っていたが、それでも怖かったのだ。

 自分が世界で一人になってしまったかのようなそんな孤独感が界斗を蝕もうとしていたから。

 それでも、言葉は、現実は止まらない。

 界斗という小さきものには、変えられるものではないのだ。

 

 「――『()()()()()()()』だよ!」


 言葉を聞き、静かに目を瞑る界斗。

 『常識だねっ!』と鼻息を鳴らして笑うアオ。

 心配そうに界斗を見つめるマリア。

 三者を包む空気はそれぞれの色で、それぞれの心を現している。

 

 界斗は暗闇の中で、今一度、思い出してみた。


 始めに目を覚ました時のことを。

 暗い森を歩いたことを。

 魔物のこと。

 そして―――(アオ)と出会ったこと。


 その全てが強烈に、鮮烈に瞼の裏に描き出された。

 そして、界斗は確信する。

 

 自分が今いる場所は、今まで自分がいた場所とは異なる場所であると。

 龍や魔物が存在する、異常な世界であると。


 そう、例えるならば―――



 「―――()()()、かな」


 

 界斗は自嘲気味に笑った。

 自分の言ったことがあまりにも馬鹿らしくて。

 あまりにも現実離れした妄想のような言葉で。

 なのにも関わらず、肯定する要素が多い事実に。



 こうして、界斗にとっての『異世界』が始まった。

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