小五郎
本当におかしな人を拾ったものだ。
こんなところで倒れているのもそうだが、初めて見る変な服を着ている。
異人の行き倒れかと思ったが、腹も空いていないようだし受け答えもしっかりしている。
そして、「今は何年ですか?」という質問もそうだ。
気を失っていたとして時間や日付を気にするのはわかるが、今が何年かなんて普通は考えるところじゃないだろう。
とはいえ、面白そうな人でもある。このままさようならは、あまりにももったいない。私の勘が告げている。
「そろそろ日も沈み始めますし、良かったら宿まで一緒にいきませんか。見たところこのあたりのお方ではないようですし、事情はわかりませんがお困りのご様子。少しばかりの路銀ぐらいなら、融通して差し上げますから」
普通ならこんな怪しい申し出は断られるものだが、この二人は普通ではなかったようで――まあ、選択肢もなかったのだろうが――結局三人で宿場へと向かうことになった。
道中でそれとなく聞いてみたが、どうやら記憶があいまいらしい。自分がどこに住んでいたかもはっきりしなかった。
宿の部屋に入ると、陽介さんがちらちら部屋の隅を見ているのに気付いた。
ああ、もしかして碁盤か。
打ちながらなら口も軽くなるかと思い、こちらから誘ってみる。
「陽介さん、まだ夕飯までしばらくありますし、一局打ちませんか」
答えを返してきたのは、意外にも隣にいる真琴という娘さんのほうだ。
「陽介はねー、碁がめちゃくちゃ強いんだよ。なんたって、プロで3段なんだから」
ほー、ぷろというのはどこの家元か知りませんが、三段とは相当な腕前だ。遊びで適当に打っていてなれる強さではない。
とはいえ、私も碁には自信がある。
「では、二子くらいで教えてもらいましょうか」 と、こちらから手合いを切り出してみた。
「お願いします」
そう言うと彼は、静かに小目に手を伸ばした。
きれいな打ち方だ、かなり強いのは間違いないのだろう。
彼のカカリに、油断なく大ゲイマに受けておく。そこで、早々に彼の手が止まった。
まだ4手目だぞ、何を考えている?
もっと彼のことを知りたくて、右隅のカカリにはハサんでみた。彼はおとなしく地を選ぶ。何事もない普通の進行のはずだったが、また、彼の手が止まる。ぼやきが聞こえる。直後、彼は妙な手を打ってきた。
――サガリ。
優しそうな男のほうが激しい碁を好むと言われるが、挑発にしても露骨すぎる。そう考えて読み始めたものの、すぐにこの手がただのハメ手でないことに気付く。
つられてサガるのが白の注文なのは一目だが、切られては急所を押えられているこちらがもたない。
ツギは妥協に見えるが、ツケで封鎖すれば黒のほうが良く見える。しかし先手を渡せば厚みが消されてしまう。
なるほど、なかなか工夫した一着だ。
しかし、彼が手を止めたのは、そこが最後だった。そのあとはほとんど手拍子のような速さで打ち進められていく。
ツケから固められたと思ったら、逆の辺はカタツキから抑え込まれ。結局そのまま、あっさりと中央を制されてやられてしまった。
最初のような変わった手もなければ、派手なねじりあいもない。すらすらと流れるように打ち進められ、地合いは十目ほど白が多いだろうか。
これだけ余裕を見せた打ち筋でそれなのだ。
以前、本因坊家へ修行に行くと言っていた若者と打ったことがある。ちょうど陽介さんと同じくらいの年齢のはずだ。
あの時も完敗だったが、さんざんちぎられて殺されての投了である。今回のような霞を相手にする感覚とは大違いだ。
「ありがとう、だいぶ気を遣って打ってくれたようだね。勉強になりましたよ」
「いえ、小五郎さんもお強いです。いえ、お世辞とかじゃなく本当に」
私は思わず聞いた。
「最初のサガリですけど、あれはどこで? 初めて見る手です。いや、サガリだけじゃない。全体を通しての打ち方が、私の知っている碁とまるで違う」
陽介さんは、申し訳なさそうに話し始めた。
「あのサガリというよりは、むしろその前の黒のハネが無理なんです」
「えっ? あれは定石ですよ、本因坊から街の小僧まで打っている、当たり前の手です」
「でも、定石だとしても、あまりうまい手じゃないんです」
そう言うと、盤に石を並べて優しく解説してくれる。
驚いた。置き碁くらいでしか使わない定石とはいえ、こんな裏の手を知っているなんて。中盤の柳のような打ち筋といい、この男はいったい何者なんだ?