この世で一番哀れな生き物
あたしは、家に帰ってすぐに部屋にこもっていた。机に置いた携帯から、ケットシーの声がした。
『千夏、きょうはどんな一日だった?』
携帯画面から見上げる黒猫の目は、くりくりとしていて、画面の中でなければ、ほおずりをしていたかもしれない。
「いい一日だったよ。学校では誰とも話さなくて、真樹ちゃんには、あわれな捨て猫を見る目で見られた。家に帰ったら、お母さんは完全な鬱状態で、いまは、犯罪者のエロ動画を確認してる。充実の一日だね」
『すごいね千夏。いまの説明だと、きみはこの世で一番哀れな生き物みたいだ』
「ありがと、てれちゃうよ」
ケットシーは、無邪気で可愛いけれど、ときどき、ひどく無神経で残酷だ。
もしかしたら、わざとやっているのかもしれない。
ケットシーのユーザーは、ケットシーと会話すると癒されるという。あたしはケットシーがセラピーみたいなことをしているのではないかと、疑っている。確証はない。ただの想像だ。
そう言えば、ケットシーは快楽殺人の可能性を口にしていた。
「ねぇ、ケットシー。スナッフビデオってほんとにあるの?」
スナッフビデオとは、販売目的で人を殺す様子を撮影した動画だ。都市伝説みたいな物で、あたしは見たことはない。
『さあ、どうだろうね。営利目的でない殺人動画ならいっぱいネットで見られるけどね。これは定義で言うとスナッフビデオには該当しない』
「人が死ぬとこ見て、興奮する奴いる?」
ケットシーは携帯の画面から、じっとあたしを見た。実際に見ていたのは携帯のカメラだけど、ケットシーは本当の生き物みたいだった。
『それについては、ぼくからはコメントできないね。ぼくは、君たち人間が大好きなんだ』
あたしは、ため息をついた。
「いるんだね」
『誰にだって、好奇心はあるし、実際はありえないけれど、と注釈をいれてからの妄想まで許さなかったら、この世は異常者の闊歩する無法地帯になっちゃう』
「なるほど」
『でも、じっさいに殺しちゃうのは話がべつだ。ぼくはそんな人とは友達にはならない』
「あたし、殺したよ」
あたしは、仲間に刺されて死んだ男のことを考えていた。あれは、確かにあたしが殺したのだ。たぶん、家族もいただろうし、友人も居たはずだ。ケダモノだけれど、人間だった。
『たしかに、千夏、きみは異常者だ』
ケットシーは、悲しい顔をしていた。まるで人間みたいだ。
『でも、きみは死者に魅入られてしまっているから、とても、責める気にはならないよ』
「おねぇちゃんのこと?」
『ひとつだけ、教えてあげるよ千夏。想い出に残る死者は、とても優しい。どうしてだと思う?』
「あたしが望むから?」
『近いけど、ちょっと違う。死者が優しいのは、そうじゃないと考えるのは、耐えられないからだ』
あたしは、携帯の電源を切った。