『らしく』
今度こそもうないよ。
ここから先の話は、書けなくもないけど、もっと酷い。
酷いよ。最低も最低だぜ。
それこそ犯罪スレスレの話だったり、バカなおれの一人相撲の話だったりするし、しかも最終的に相手は今も現役で活躍している配信者の話になるんだな。そこまでいくと、誰であれ、どんな憶測であれ、話せばその配信者の方に迷惑がかかっちまう。だからそれだけはできない。
そここそ何があったのか書けよとも思うだろうな。
おれだって本当はそう思うんだよ。嘘じゃない。
自分から恥を引っ張り出してきたんだから、ありのまま起きたこと全部書き出せよ、それがエッセイを書き始めた作家の務めだろうってな。
でも、あんまり洗いざらい書くと、困っちゃうんだな。
おれが、じゃない。相手が困ることになるかもしれないんだ。
相手が何歳で、どこで知り合って、どんなことをしていて、何を言って、おれがそれにどう答えたのか。
書けば、たしかに話にはなる。
きっと読んでて退屈しないくらいには面白いものが出来上がると思うよ。
生々しい描写だっていくらでも書ける。
だけどそれはもう、おれの告白じゃないんだよ。
その子の告白になっちまう。
散々話してきて今更だけどさ、自分が懺悔したいからって、他人の人生まで勝手にページの上に引きずり出してきていいわけじゃないんだな。
だから、これから先の具体的な話はしない。
ただ、おれは書いてある話だけで懲りたわけでもなかった。
そのあとも何度も人を好きになった。
好きになると、特別になりたくなった。
誰にだってあるだろ?
ただし、おれの場合は、誰にでもあるその気持ちが、ちょっとばかし真っ正直すぎるばかりか、まるでそれが自分の唯一の美徳にさえ思っちまってるところがあるんだな。
最近こっぴどく叱られたことがあってさ、それがようやくほんのすこしわかってきたところなんだから、ほんと、どうしようもないだろ。
聞き齧った程度の専門用語で言うと、愛着障害とかいうらしいけどな、むつかしい話は眠たくなるんでよくわかんないよ。
ところで、RADWIMPSの『棒人間』って曲があるんだ。
あれはオススメだね。すごく良い歌でさ、こんなおれの心境にすごくマッチしてるんだよ。
もしこんなおれに少しでも共感した奴がいたら、一度でいいから聴いてみてほしいな。きっとシミると思うぜ。逆に『五月の蝿』は人によってはやめといたほうがいいかもな。おれはあれも好きなんだけどね。
さて、こんなおれから言えることももうないんだけどな。伝えたいことはないわけじゃないんだ。これでも作家なんでね。説教はおれも嫌いだから、なるべくそうならないように努力して書くよ。
よく、自分らしく生きればいい、って誰かが誰かを励ますときに言うだろ。
心理士の免許(六年もかかるんだぜ、あれ)を持ってるんだか持ってないんだかよく分かんない人のポストやショート、精神科医のチャンネルやブログ、noteなんかでも何かというと、自分らしく、って言葉が出てくるんだな。
おれはあの言葉、ちょっと怪しいって思っちゃう。
それはそれで確かに間違いじゃあない。その時々でニュアンスも違うだろうし、おれもそう思うし、悩む人があればこの先もそう言い続けていくと思うよ。
けど、それは誰かの境界線を踏み越えていい免罪符ではないんだな。
なんだったら、自分が自分らしく在ろうとすることよりも、その誰かの境界線を守って何もしなかったり、黙ってたりなんかするほうが、時にはよっぽど美しかったり、愛だったり、大切だったりするんだ。
そんな場合のほうが、実は世の中、人間関係にはごまんとあるんだよ。
ましてや、そんなところで勇気を出したって、人間、箔なんかつかないぜ。絶対に。これは誓ってもいいけど、嘘じゃない。
他人の境界線を蔑ろにしてまで自分を貫こうとするってのは、それはもう善意じゃない。独善なんだ。自分にとっては自分らしい過ちや不器用な善意に思えて、なにかあっても一過性の痛い思い出で済むかもしれないけれど、相手にとっては一生記憶に残る怖いことかもしれないし、癒えない傷跡になることかもしれないし、最悪拒絶されてしまっても仕方のない最悪のことになるかもしれないんだよ。
おれはそう思って、『自分らしく』って言葉をきくと、なんだか警戒しちまうんだな。
自分だけじゃないな。お姉さん・お兄さんらしくしなさいだとか、大人らしくしなさいだとか、逆に子供らしいから許せってんで我慢してる側のことを考えるとさ、『らしく』ってのは何かね? まるでなんかズルい言い訳や傲慢ちきのお代官様の常套句みたいじゃないか。
ながながと読んできた君ならもうわかると思うけど、おれもこの『らしさ』って言葉にさんざん唆されてきた人間なんだ。
迷うことや悩むことがあるたびに、自分らしい選択をしてきた。それが善だと思って。ところがだ。これまで話してきた通り、それで何度相手の境界線を踏み躙ってきたかわからない。
だから、君も気を付けたほうがいいぜ。
こんなクズになりたくなきゃ『らしく』なんて言葉は考えもしないほうがいいんだよ、きっと。
その辺に生えてる木や草が『木らしく』『草らしく』なんて考えて生えてると思うかい? でも、枝の伸び方や草の向きなんかは一本として同じものはないだろ? まぁ、これはおれが尊敬するとある大学教授の先生の受け売りでもあるんだが。
『らしく』なんて考えるまでもなく、君は君のままで、もう十分個性的だと思うんだな。
それで言いたいことは終わり。
今度こそ終わりだ。
しかし、そうして書き綴ってみると、一つ変わった気分ってのがあってさ。
もう許されたいとは思わなくなったな。
それはね、いじめっ子が過去の犯罪を白状して、これからは良い子になりますっていうこの世で一番うさんくさい儀式と同じで、うわっつらだと思うんだ。
クズは一生クズのままか?
それはわからないな。ただ本当に更生しようと考えてる奴はそいつを口では語らないと思うぜ。
それで許されていいわけもなし。
自分の言いたさよりも、相手の境界線を考えて、黙ることができるだろうからな。
また間違わないとも言えないよ。
それが人間の怖いところでさ、いくら気を付けてても、同じ人間だから、いつかきっとまた同じ間違いを繰り返さないとも限らないんだ。
開き直ってるんじゃないんだな。人間ってのはどうしてもそうしてしまう生き物なんだ。その時は心から反省して注意してたって、いずれは忘れちまうものだから。
だから、生きていけもする。
我ながら業が深いと思うけど、面の皮厚く、生きていく。
それしかないんだろうと思うんだよ。
まぁ、そんなことを今更わかったところで、遅いんだけどな。
何もかも失くす前には戻れないんだから。




