結界
白装束を着た篤美が畳の上で座禅を組む。
彼の集中が高まってくると、ゆっくりと瞼を閉じた。
ピ子は短冊状の紙に呪文を書き入れると、篤美に一礼し彼の額にそれを貼り付けた。
「……」
側から見ると間抜けな状況だが、ピ子が結果を作るにはこうするしかなかった。
ピ子の右手が何もない空間を十字に切る。
そのまま手を顔の前で拝むように構えると、呪文を唱え始める。
熱を帯びた空気が、ピ子の周りを囲い巡る。
作り出された結界が、景色を陽炎のように揺らす。
結界を張ったまま、ピ子がゆっくり歩き始める。
部屋の奥、寺の金庫室へ向かった。
このまま金庫室へ入れば、彼女を追っている『何者か』は結界の外に追いやられる。
結界を維持できれば、金庫の秘密は守られる訳だ。
『ジジ…… ジジジ』
結界のあちこちから音が聞こえてきた。
ピ子は音に恐怖する。
呪文を唱えているピ子は言葉に出来なかったが、それが敵が結界を破ろうとしていることは理解していた。
金庫室の扉の前に立ち、番号を入力する。
結界の中には何もいない。
ピ子は扉を開けた。
『ジジジ…… ジジ』
音が多くなった。
結界破りを仕掛けてくるモノが増えているのだ。
ピ子は呪文を唱えながらこの力がいつまで持つか不安になった。
「……」
ピ子は改めて心を立て直す。
目的に集中しないと。
そうしないと……
単に結界が壊れるだけでなく、篤美やピ子の命にも危険が及んでしまう。
ピ子は金庫室に入り、素早く保管場所に移動する。
右手は呪文のために構えているため、左手一つで手形帳を取り出す。
破れやすい薄い紙を、丁寧にめくりながら、急いだ。
『ジジジジ…… ジジジジジ』
破られて、しまう。
ピ子は見つけた。
水上美湖の手形だった。
手形の上にピ子の左手を重ねていく。
ピ子の声も重なっていく。
結界の呪文と、手形を写しとる呪文。
手形は、手のひらを通じて彼女の血に焼き付けられる。
映像や脳で覚えると、式神を飛ばすような相手に、手形の情報が盗まれてしまうからだ。
『ジジジジジジジ…… ジジジジジジジジジジジジジジジジジ』
結界が耐えられない。
結界が急に小さくなっている。
式神、小鬼、様々な使いが攻め立てているせいだ。
ピ子は素早く数枚をめくり、もう一つの手形を写し取った。
「あっ!」
金庫室の壁が燃え始めた。
ピ子はすぐに手形帳を閉じ、棚に納めた。
結界の呪文から手応えがなくなった。
「篤美さま!?」
結界の手応えが無いということは、結界を張る力を借りている篤美に何かあったに違いない。
ピ子は呪文を唱えるのをやめ、金庫室の外へ出ようと試みる。
金庫室の家具や、宝物、古物へと火が燃え移っていく。
ピ子が扉に手を伸ばそうとした瞬間、燃えた什器が倒れて扉を塞いだ。
「!」
死。
この炎を消す方法を考えないと、まもなく死んでしまう。
ピ子は恐怖で足が震えた。
寺の外、寺の見習いが階段の掃き掃除をしていると不審な人影に気づいた。
その人影が不審である理由は二つあった。
一つには軽装であること。
その人影は上も下もスウェットで、何も荷物を持っていない。
夜のコンビニに行くような身軽さだ。
この寺は山奥にあり、ここへ入っていくるのに何も持たずに入ってくることは考えにくかった。
二つ目は足が地についていないことだった。
見習いは竹箒で防御するように身構えた。
「鬼!?」
『こんな鬼はいないでしょ?』
「しゃべった! しかも気安い感じで」
見習いは応援を呼ぶ。
「助けて!」
『こっちも急いでんだよね』
スウェットの男は、軽く開いた手のひらを見習いに向けると上にスワイプした。
何も触れられていない見習いは白目を剥いて、その場に倒れた。
スウェットの男はそのまま寺に入っていく。
誰の目にも止まらないまま、寺に上がり込むと障子を開けた。
そこには白装束の男が倒れていた。
男の額には呪文が書かれた半紙が貼られている。
スウェットの男が開けた障子を見た、寺の者が叫ぶ。
「篤美さま!」
その者は部屋に入っていくと、倒れている男の状況を確認する。
「誰か、篤美さまが倒れている!」
スウェットの男は部屋の奥、金庫室へと向かっていく。
『五月雨さん!』
金庫室の密閉性のため、あっという間に煙が天井に溜まり、下がってくる。
ピ子はハンカチを口にあて、姿勢を低くしていた。
『五月雨さん』
姿は見えないのに、村上の声だけが聞こえた。
「死の直前にあいつの声が聞こえてくるなんて」
『まだ死んでないですよ。逃げ出す準備をしててください。ここを開けます』
「どういう状態かわかるわよ。あなた霊体でしょ? 物に触れることができないんだから、扉なんて開けれないじゃない」
ピ子は思う。彼がどういう理由で霊体になっているか。
本当はそこが重要だったが、今聞いたところでなんの役にも立たない。
『大丈夫。近くに人が来たから利用させてもらう』
村上はそう言うと歩いてきた行者の背後に張り付くように接近した。
体を重ねるように一体化すると、思考や体の制御を奪った。
「……」
素早く金庫室の扉に番号を入力するとレバーを押し下げた。
扉に倒れかかっていた什器が燃えながら扉の外に倒れ出てきた。
「五月雨さん!」
行者の声で五月雨を呼ぶと、中でしゃがんでいる女性を引っ張り出す。
五月雨は仰向けになったまま廊下に投げ出された。
行者が倒れると、そのまま村上は体から追い出されてしまった。
「火事だ!」
「火事!?」
「金庫室だ!」
「篤美様が倒れて」
混乱する寺の中で、五月雨は霊体の村上を見ていた。
「どうして霊体なの?」
『理由は、よくわかってないんだ』
「死んだ…… ってこと?」
村上の霊体は光を反射できず、色が薄くなっていく。
『死んだわけじゃなさそう』
「必ず。必ず助けるから」
『ありがとう。申し訳ないから、なんとかお金を工面して事件の調査を依頼するよ』
そう言うと村上の姿は薄くなり、すぐに消え去ってしまった。
金庫室の火災は、あちこちから持ち込まれた消火器で消し止められた。
篤美も運ばれた先の布団で、意識を取り戻した。
篤美が寝ている横に、五月雨が正座する。
五月雨は篤美に謝った。
「私のせいで寺の大切な宝物を燃やしてしまいました」
「形あるものはやがて壊れ、失われる。君が生きていることの方が重要だ」
五月雨はもう一度、手をついて深く頭を下げる。
「申し訳ありません」
彼女が立ち上がり、寺を出て行こうとすると、篤美が呼び止めた。
「結界を破ろうとした者だが…… 心あたりがある」
「見たのですか?」
「結界の力を出していたのは私だからな」
五月雨は開けかけた障子を締めると、篤美の枕元に座った。
「それは黒奈ですか」
「いや、黒奈本人ではなかったが、間違いなく血筋の者だ」
五月雨は篤美から視線を逸らした。
「君は影巫という存在を知っているか? 知らなければ調べてみるといい。おそらく、そう言うことだ」




