異動
話は『旭陵ホールディングス』という会社の本社から始まる。
大きなターミナル駅から、徒歩十分ほどのところにある地上十二階、地下二階の本社ビルが立っていた。
その本社ビル、二階にある管理本部、資料保全課の課長が、今日、新しく異動してきた。
「榊原光彦です。今日からこの課の課長を務めることになりました。他部署からの異動で、業務内容からまだ把握できてませんが、よろしくお願いします」
榊原は、黒い髪綺麗に整え、固めている。
社内のドレスコードが緩和され、管理本部もオフィスカジュアルが認められているのだが、彼は黒のスーツ姿だった。
課の皆に向かい、頭を下げる。
まばらな拍手が起こった。
「……」
横で不思議そうに見ている男がいた。
「続けて紹介する。横にいる彼が一緒に異動してきた!村上くんだ」
呼ばれた彼はダークカラーのポロシャツに地味なチノパンだった。
「村上慎二です。課長と同じで、僕も管理本部自体の業務に慣れてないので、色々質問すると思いますが、よろしくお願いします」
同じようにまばらな拍手が起こった。
疲れている程度ではない。疲れ切っているような状態だ。
「挨拶はこれくらいにしましょう。では、皆さん業務に入ってください」
課長がそういうと、徐に席に戻っていく。
「鈴木くん、村上くん、ちょっとこっちきて」
鈴木と呼ばれた女性が課長の席へゆっくりと近づいてくる。
ショートカットで、長身の女性だ。
「……」
「えっと、鈴木くんは彼の教育をしてもらう。彼は主に『高嶺』さんが担当していた業務を引き継いでもらうことになるので、よろしく頼む」
「はい。わかりました」
そう鈴木が返事をしたのに、課長はフロアに入ってきた人物の方に気を取られていた。
課長は入ってきた人の方へ歩み寄っていく。
他にもフロアの役職者が集まっていた。
否応にも社員の視線が集中する。
頬の皮が少しなるんでいる管理本部の部長が口を開く。
「社長、何かございましたか」
社長は仕立ての良いスーツを着た、プロレスラーのような体格の男性だった。
軽く頷くと、口を開いた。
「まあ、察しはついていると思うが……」
「資料保全課の件ですね」
その場の役職者の視線が、榊原課長に注がれた。
「連続して同じ課の課長がセクハラで異動になっている。知り合いに話したら、どうもこれは怪奇、いや怪異と言ったかな? まあ、簡単にいうと幽霊や鬼のようなものがいるんじゃないか、ということのようだ」
「幽霊、ですか」
「結果的に再異動となった前任者、前々人者共にここにくるまでは絵に描いたよう奈真面目人間だったという。当然、ここにいる榊原くんもそうだ。そんな人物がなぜセクハラを起こしてしまうのか、調査することにした」
社長が一歩下がり、控えていた人物が前に出てくる。
グレーのスーツ、スラックスを着た女性だった。
長い髪を後ろで一括りにしている。
見た感じ堅い職業のビジネスパーソンだ。
「そこでしばらくの間、資料保全課にこちらの五月雨先生に来ていただき、業務を監視してもらう」
「先生?」
「ああ、こういった霊能が必要な事案を解決してくれる方だ。榊原くん、よろしく頼むよ」
社長の声は大きく、フロア全員に『この人が霊能者で、セクハラ事件を調査する』と知れ渡ってしまった。
「は、はい」
社長はグレーのスーツを着た女性に向き直ると言った。
「先生、よろしくお願いします。報酬については引き続きご相談させてください」
「ええ、こちらのモチベーションにも影響しますので、よりよい回答をお待ちしてますわ」
五月雨に対して縦も横も倍ぐらいの社長が、小さく見えるほど体を折り曲げ、頭を下げた。
頭を上げると、社長は慌てたようにフロアを出ていく。
扉が開くと外で待っていた秘書の姿が見えた。
「……」
全員が社長を見送る中、五月雨が言う。
「問題の資料保全課に案内してもらえるかしら」
課長がグレーのスーツの女性と一緒に課に戻ってきた。
再び課の社員が集まって課長と五月雨に注目した。
「ええと、社長の話は聞こえていたと思うが、我が社は本課で発生したセクハラ事案の調査を、こちらにいる五月雨先生に依頼した。皆、可能な限り先生に協力するように」
「……」
全員、あまり乗り気ではないようだった。
「ちょっといいですか?」
五月雨が手を挙げて、全員の注目を集めた。
「皆さん、この件が異常なこと、なんとなくわかってるんでしょう? けど、目を逸らしていてもなんの解決にはならないわ。必要に応じて強引な手段をとる場合もあるから、初めから積極的に協力してくれた方が得よ」
冷たい視線を浴びながら、五月雨は指示された席に着いた。
しばらく静かな時間が過ぎたが、自己の業務の切れ目になったのか、鈴木が立ち上がった。
「倉庫、行くから」
「?」
どうやら村上に業務を教えるつもりらしい。
「僕?」
「……と五月雨さん」
何かをノートPCに入力してづけていた五月雨が、手を止めた。
「なるほど」
村上は五月雨が何を言っているのかわからない。
「行きましょう」
フロアを出ると、鈴木は端のエレベーターの下行きのボタンを押した。
他のエレベーターの下行きボタンも点灯すると思っていた村上は、不思議に思った。
「何よ」
鈴木が訊ねた。
「他のエレベーターのボタンが光らないなって」
「あんたどこにきんむしてたの?」
「本社だけど」
鈴木はため息をつく。
「この端のエレベーターだけ、地下に行くのよ」
「知らなかった……」
「倉庫が地下なことも知らなかった?」
村上は素直に頷く。
すると、五月雨が口を開く。
「業務規則を読んだけど、倉庫は三人以上で入る必要あるのよね」
「読むの早いわね。村上くんより使えるかも」
「読めばわかる話なんだろ。僕だって時間があれば……」
下りのエレベーターが着いた。
三人が乗り込み、ドアが閉まりかけた時、誰かが手をかけてエレベーターのドアが開いた。
「悪い。倉庫に行くんだろう? 乗せてくれ」
榊原課長だった。
エレベーターかごの中で、課長は淡々と話し始めた。
倉庫の奥に重要資料をしまった部屋があり、その部屋の鍵を開けるための認証システムがある。
新しく課長になった彼は、認証システムに新規で登録が必要なのだ。
倉庫自体に入るのには、人数規制があるため、一緒に入ろうとやってきたというわけだ。
エレベーターが地下二階につくと、鈴木がおり、村上が続いた。
「……」
五月雨と榊原課長がおりてこないので、村上は立ち止まり、振り返った。
閉まりかけたかごの中で、二人はキスしそうなほど顔を近づけていた。
「えっ?」
すると急にエレベーターの扉が開いた。
二人は何もなかったように出てきた。
村上は、課長と五月雨のことは見なかった、と言わんばかりに背を向けた。
「ちょっと!」
五月雨はそう言うと同時に、村上の腕を引っ張った。
引かれるままに振り返ると、そこには五月雨の顔面が近づいていた。
「!」
五月雨は、村上の頭をポンと叩いた。
「なんでもないわ」
「……」
「ほら、早くこっちにきて」
鈴木が苛立ったようにそう言った。
廊下のちょっと先に鉄製のオートドアがあった。
正面上部に黒いバーがついていた。
鈴木は右端のカードリーダーに自身のIDカードをあてようとしている。
「?」
「この鉄のドアと並行に並んで。扉の上にある黒いセンサー・バーで人数を判断して三人以上なら開くの」
五月雨、村上、榊原と横に並ぶ。
鈴木がカードをあてると、ピピッと音がしてから鉄の扉が横に開いた。
少し空間があった奥に、稼働式の書架が並んでいる。
四人がまっすぐ前に進んで倉庫に入った。
自動ドアが閉まると、突然、五月雨の方から『カサカサ』と音がした。
村上がその音の源を見て言った。
「その髪留め『紙垂』じゃないですか? もしかして五月雨さんって『巫女』さんですか?」
五月雨が村上を睨みつけた。
「成人女性を『巫女』呼ばわりするのはセクハラなんじゃないの?」
村上は驚いた表情をすると、手で口を押さえた。
五月雨は言葉を続けた。
「そんなことより、この場に入った途端、紙垂が反応した。そっちの方が重要よ」




