1話
死に場所を探していた。
願うなら人間達の笑い合う声が聞こえる、温かい場所で。
それを願う資格が私にあるのかは分からない。
けれど――もう、何も考えたくなかった。
国境の山中は険しく、真っ暗だ。
高く伸びた針葉樹が月明かりを遮り、獣道の先は殆ど見えない。
ランタンの燃料も尽き、このまま歩き続けるのは困難だと感じてきていた。
魔法で明かりを灯すのも良いが、きっとすぐエーテル探知機に引っ掛かって捕らえられてしまうだろう。
「……朝日が昇る前には入国していたかったのですが。やはり、無茶な計画でしたかね」
ぽつりと呟いた少女――ヴァサは静かに目線を落とした。
白かったローブは泥で汚れ、鮮やかだった青のマフラーもくすんで解れている。
靴も底が外れてしまって、歩き難い。
……それでも。
「もう少し……頑張りましょうかね」
そう呟いて、ヴァサは自身より大きく育った草木を掻き分けて獣道を進む。
一歩一歩、慎重に。
少女を模した――機械の体で。
そろりと足を踏み出した矢先だった。
枝に服が引っ掛かり、躓いた。
「わっ」
今日だけで、何度躓いたかは分からない。
衝撃は感じるし、痛覚もある。
けれど体が“停止”しないのであれば、歩みを止める理由にはならない。
ゆっくりと起き上がり、溜息を吐いて目を伏せる。
すると遠くから虫の鳴き声と、爽やかな風の匂いがした。
……いい香り。
恐らく、その方向に道が開けているはず。
そう思ったヴァサは灯油の無くなったランタンを強く握り、風が流れてきた方へ進んだ。
「あっ。……あれでしょうか」
漸く辿り着いたのは、開けた崖の上だった。
ヴァサは落ちないように気を付けつつも、すぐ際に立つ。
そして、遥か眼下に灯っている目的地の明かりを見下ろした。
「……明るい」
夜の城壁の向こうでは、人々の生活の灯りが揺れている。
――魔術国家、アイゼンラント。
優秀な魔術師を多く抱えているのに、自発的には力を振るわない……珍しい国だ。
だから今までこの国を訪れたことは一度もなかった。
けれど“終末”が迫った今、最早そんなことはどうでもいい。
ヴァサはただ、ここを訪れたいという欲求だけで来た。
何度裏切られても、何度酷い扱いをされたとしても。
それでも……人間のことが好き。
それだけは、どうしても変えられなかった。
だから、ヴァサはアイゼンラントに来た。
もうすぐ終わるのだとしても、せめて幸せそうに笑い合う人間達を見て死にたいと思ったから。
人類の救済ではなく、自己の救済のために。
アイゼンラントを――死に場所とするために。
ヴァサは偽の人肌を宿す、機械の体をそっと抱きしめた。
夜風に吹かれたせいか、いつもよりも肌の温度が低いように感じる。
……冷たい。
「少し……急ぎましょうかね」
ランタンを握る指先がきゅっと力む。
ヴァサの囁いた言葉は木々の騒めきに混ざり、解けるように山中に消えていった。
◇◇◇
カキン、と高い金属音が中庭に響いた。
――まただ。
また、折れた。
素早い動きでダミーに切り込んだ男――グランハルトは、その音を聞いて反射的に動きを緩める。
目で追った剣の破片は頭上高くで弧を描き、どすりと重い音を立てて真横に落ちた。
「……チッ」
品が無いと思いつつも、つい無意識に舌打ちをしてしまう。
落ちた破片を拾おうと手を伸ばした時、ふらりと目眩がして膝に手をついた。
「……くそ」
エーテルの乱れ、集中力の途切れ、掌の痛み。
そのどれもが身体的な疲労を示している。
それでもまだ、グランハルトは訓練を辞めたくはなかった。
明らかに、魔術の腕が落ちている。
そう気が付いたのは今から3年程前で、最初こそ魔法を使う時だけに起きる、本当に些細な違和感だけだったのに。
……我ながら情けない。
これでは、亡くなった兄に顔向けできない――。
「……はあ」
溜息混じりに落ちた破片を拾う。
エーテルを流していたそれは熱を帯びており、グローブ越しでもほのかに温かい。
「……エーテルは正常に流れている。なのに、一体どうして折れるんだ……?」
黒魔法、“付与魔術”。
それは対象物に自身の魔力――エーテルを纏わせ、補強や強化を行う基礎的な魔術だ。
けれど、数年前なら造作もなかった初歩的な魔術も、今のグランハルトには上手く扱えない。
……やれる事は全力でやっている。
しかし、その努力を嘲笑うかのように、今日もまた剣は折れる。
何度も繰り返される日々に、文句の一つでも言いたくなっていた。
自分の技量の無さにも、呆気なく折れる剣にも無性に腹が立って、徐に手の中にある刃を睨む。
「……ん?」
ふと、そこにあった違和感に気が付く。グランハルトは片眉を僅かに上げた。
夥しい数の細かな傷が、降り注ぐ太陽の光を反射させて、きらきらと輝いている。
昨日から使い始めたばかりの新しい剣に、こんな傷がある訳が無い。
握っている剣の方も観察してみると、やはり不自然に走る、無数の細かな傷がある。
……なんだ、これは?
唐突な違和感に背中が粟立つ。
もしや、知らないうちに誰かに傷をつけられていたのか。
それとも、元々細工をされていた?
折れた時の“替え”として持ってきていた他の剣を見るが、そのような傷は無い。
剣や防具の善し悪しは、直接生死に直結するものだ。
つまるところ、これが誰かの手によるものなら、その誰かに自身の死を望まれている。
誰か、心当たりはあるだろうかと静かに目を伏せると――。
……ああ。なんだ。
考えずとも、大勢居るではないか。
そんな皮肉めいた考えに一人、グランハルトの口元が歪んだ。
ここ2、3年の間、グランハルトは国民の間で『王子殿下は流行病に罹患しているのではないか?』という噂が流れており、恐れられていた。
流行病――“血晶病”は現状、治療法やそれに代わる特効薬は発見されていない。
一度罹れば人間性を失い、やがて死に至る病。
……噂は噂だ。
分かっている……けれど。
『優秀だった第一王子の代わりに、出来損ないの第二王子が死ねばよかったのに』
誰に言われずとも、常にそう後ろ指をさされて嗤われている気がしてしまう。
グランハルトはぎゅっ、と目を固く閉じる。
何か……恐ろしく、昏いものから逃げるように。
ざあ、と一層強く吹く風が芝生を揺らした。
「……、……」
それが心の靄を払ったのか……それとも、全てに諦めがついたのか。
乱れた髪を耳に掛けて、小さく息を吐く。
その時、少し離れた場所から聞き馴染みのある低い声がグランハルトを呼んだ。
声の方へ目をやると――王国騎士団長のユストゥスが小走りに駆け寄ってきたのが見えた。
「殿下!……グランハルト殿下! また勝手にお一人で訓練を!」
「……別にいいだろう。子供じゃあるまいし」
「な、何もよくありません。……陛下から『王子には当分の間、室内で過ごして貰うように』と、仰せつかっております故」
「私のこの“不調”が治れば、父上もきっと御喜びになる。分かったら、私のことは放っておけ」
不調が治れば――とは言ったものの、今日のような荒療治的な訓練をしたからと言って、治る保証はまるで無い。
そもそも、グランハルトは座学や魔術研究も好きだが、実際に体を動かす方が性に合っている。
たとえ国王陛下の命令であっても、室内に引き篭っていろなんて、従いたくなかった。
「放っておけだなんて、そうはいきません。陛下のみならず、私達臣下共々殿下のお身体が心配なのですよ」
「なら、引き篭っていればこの体が治るとでも言うのか? お前の言う、“心配”とやらは万病に効くと?」
屁理屈を捏ねくり回してくるグランハルトに、ユストゥスはついに痺れを切らして、ぴしゃりと言い放つ。
「……この件は、陛下にご報告致します」
「……、……」
「陛下はきっと――」
「分かった。分かったから!……言う事を聞くから、告げ口はするな。……頼む」
眉間に皺を寄せて懇願するグランハルトを見て、安心感と少しの勝利感を噛み締めるようにユストゥスが微笑む。
「ふふっ。でしたら、屋内へお戻りください。殿下には、御目通し願いたい書類も沢山ありますからね」
「さては……それが目的か?」
「さて。如何でしょう」
グランハルトはすっかりユストゥスの策に嵌められた心持ちだったが、渋々訓練用に出した道具を片付け始める。
「ユストゥス」
グランハルトはグローブを外し、きつく締めた剣帯を緩めた時、ふとユストゥスに声を掛けた。
父に告げ口されそうになったことを根に持っている訳ではない。
装備や魔具、研磨剤など――そして、折れた剣などを纏めて入れた収納箱を、ユストゥスがじっと覗いていたからだ。
「どうした?」
「いいえ。……殿下、こちらは私が片付けておきます」
普段とは違うユストゥスの悲しげな表情に、グランハルトは僅かに目を見開く。
しかしその次の瞬間には、その顔は元の穏やかな王国騎士団長に戻っていた。
けれど、グランハルトは確かに見たのだ。
ユストゥスの目線が、折れた剣に注がれていたことを。
……何かに、気が付いたのだろうか。
「……、……」
じっとユストゥスを見つめる。
けれど、返事はない。
言いたくないのか、言えないのかは分からない。
それでも……今は、聞かない方がいいのだろう。
「……じゃあ、宜しく」
グランハルトはぽつりと呟き、目を伏せる。
「かしこまりました」
二人はそれ以上の言葉は交わさず、グランハルトは執務室へ向かった。
職務に取り掛かってから、何時間経過したのだろう。
窓から差し込んでいた柔らかな日差しは、気が付けば美しい夕日に変わっていた。
「……もうこんな時間か」
山のように積まれていた封筒と書類をようやく片付け終え、グランハルトは息を吐いて深く椅子の背に体を預けた。
目の奥がじんわりと重い。
長い訓練の後の事務作業は、体力に自信があるとはいえ流石に堪えたのだろう。
ゆっくりと眉間を揉むようにして、目の疲れを誤魔化していると、執務室の扉が誰かに叩かれた。
「グラン、俺だよ。アルフレート」
「入れ」
「やったあ、失礼しまーす」
返事と同時に扉が開かれ、金髪の男――アルフレートが遠慮なく執務室に足を踏み入れる。
「お仕事、お疲れ様! そろそろ終わった頃かなって思って……ええと、迷惑じゃなかった?」
静かだった部屋に、明るい声がふわりと落ちた。
「……お前、見張っていたのか? あまりにもタイミングが良すぎる」
「あはは、グランのことなら何でも分かるよ!」
「はっ。気色悪い」
口ではそう言いながらも、口元は綻ぶ。
それにつられて、アルフレートもまた嬉しそうに目尻を下げた。
「ええ?……酷いなあ!」
気の抜けた声と、無邪気な笑顔。
それを見た瞬間、グランハルトは胸の奥がきゅっと痛んだ。
――3年前。
血晶病と疑われ始め、周囲にいた者達が余所余所しくなり始めた時期だ。
唐突に変化していく周囲にどう対処していいか分からなくて、普段に増して他者に心を閉ざしてしまった時期があった。
けれどアルフレートはその沈黙を埋めるように、『手合わせして下さい』だの『魔術を教えて下さい』だの――幾度となく、私を追い回した。
物怖じせず、先入観も持たず……けれど、踏み込み過ぎない。
当時はそれすら煩わしいと思っていた。
それなのに。
……本当に。
物好きで、変な奴だ。
だが……君もいずれ、私から離れていくのだろ。
アルフレートを眩しいと思う度、いつもそんな諦観めいた苦味が胸にじわりと広がるのだ。
グランハルトは机の上を片付けながら、無感情を装って彼の言葉を促す。
「何か、用があったんじゃないのか」
「ううん、なにも。ご飯、一緒に食べられたらいいなって思っただけ」
「……まだ早いだろ」
「じゃあ、それまで話そう! 最近はゆっくり話せる時間も無かったしさ」
「はっ、体のいいサボりか。悪知恵を付けたな、アルフ」
「え?!……ち、違うよ。サボりじゃないから!」
アルフレートは苦笑いをしながら机を回り込み、すぐ隣に立つ。
一瞬見下ろされる形になったが、直ぐにアルフレートは屈み、視線を合わせてきた。
前髪の隙間から覗くアメジストは澄んでいる。
けれど、グランハルトはその奥が微かに揺れたのを見逃さなかった。
「……何だ」
「俺、心配なんだ」
「何が」
アルフレートの眉がぴくりと動く。
それがどんな感情からかは分からない。
けれど、少し……痛々しく見えた。
「……上手く言えないけどさ。俺、ずっとグランの味方だから」
「……、……」
「だから、グラン――」
アルフレートがその先を️言い淀んだ、その時。
誰かが執務室の扉を叩いた。




