9.休息
「フィー!」
例の服から着替えて体を拭き、似合わない第一王子のお下がりを着たところで、リアンが帰ってきた。扉を開けた勢いそのままに抱きつかれたので、倒れないよう堪えるのに苦労する。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 大丈夫でしたか?」
「お帰り……なさいませ。聖女様、とりあえず落ち着いてください」
その言葉にリアンが眉を顰める。
「……なんですか、その喋り方」
「第一王子のご命令です。苦情は第一王子に」
その言葉で察したらしい。離れたリアンはしばし考えていたが、あの第一王子相手では分が悪いと判断しのか地団駄を踏み出した。
「もうっ! もうっ! このくらいいいと思いませんか? 思いますよねフィー!」
「……第一王子のご命令ですので」
多分文句を言いに行っても聞き入れられないだろうし、言われていること自体は正しい。プライベートまではとも思うが、これほど傍においてもらえるなら、ある程度聞き入れておくのも礼儀だろう。
「リアン様、お元気になられたようで何よりです」
「ペローナぁ……」
後ろに控えていた侍女が声をかけると、リアンはそちらにも愚痴りだした。馬車でも一緒だったのだろうか。やけに仲が良い。
「仰っていることが正しいのはわかりますけどっ! でもひどいですよね?」
「全くです。あの方は人の心がないんですよ」
酷い会話が行われているような気がする。ともすれば不敬に当たりそうだが。
「割と女性には人気なのかと思っていましたが」
「フィー様、勘違いしてはいけません。あれはかなり遠くからの観賞用です。関わりを持つのは愚か者のすることです」
私には敬語は不要ですよ、と前置きをした上で自嘲するようにペローナは続ける。
「……フィー様、反聖女派が着るようなローブの着心地はいかがでした?」
「ああ、あれはペローナが作ってくれたのか」
着心地を問われても普通の肌触りの普通の衣服だったが……。ん、反聖女派が着るような?
「逆女神のエンブレムがあったはずだけど……」
「そう……そうなんですよ! あのやたらと細かいデザインの逆女神!」
合点がいった。アレは反聖女派のローブではなく、そこのへんのローブにペローナが夜通し刺繍をして作ってくれたものだったのだ。
「リアン様達が出発される前日の! 夜中! 急に声をかけられてちくちくちくちく朝までかかってようやくできたあの女神!」
なんの気無しに着ていたが、こいつはかなりの怨念がこもっていそうなものだった。知らぬが花だったのかもしれない。
「あの第一王子なんて言ったと思います? 適当で良いって言ったのに、持っていったら『驚いた、君の適当とはこの程度を指すのか。すまない、言葉選びを間違ったようだ』って! ひどすぎません? ひどすぎますよね!」
ギリギリになって馬車に何か運び込まれていると思ったら、あれはペローナが死ぬ気でやり遂げた証だったのか。やる気を出すのには成功したようだが、後にかなりの遺恨を残してしまっている気もする。
「フィー様が苦手とされる理由も婚約者に逃げられた理由もよくよくよくよく分かりました。山は遠くから見れば綺麗だけれど近くではただの岩肌とはよく言ったものです」
「ペローナ、落ち着きましょう。ね。深呼吸です。息を吸って、吐いてー」
あまりの怒りにリアンが止めに入る。そういえば聖女の急死問題がある前に隣国の姫君から婚約破棄されてたっけ。並び立つ自信がありませんとかなんとか。国家間の決め事をそれだけで破棄するのは相当ではあるが、まあ納得できる理由ではある。
「ものすごく悪い方ではありませんよ。それに、フィーがノア様を苦手とするのは、私が小さい頃、ノア様って格好良いですね。って言ったからっていうだけですし」
「おい、リアン」
「……うわぁ」
「そんな目で見るな」
「私は覚えていないんですけれどね」
唐突な話に早速リアンへの敬語が崩れてしまった上に、器の小さい男と言わんばかりにペローナからは蔑みを感じる視線を送られた。なんだこの状況は。
「フィー様、心掛けはご立派ですがさすがにノア様とは勝負になりませんよ」
「私が好きなのはフィーですけどね」
「確かにフィー様の方が性格はまだマシですね」
好き勝手言ってくれる。顔はともかく性格まで比べてくれるな。まだってなんだまだって。
「その話は終わりで。聖女様、お体の具合はいかがですか?」
「……その話し方は納得はしていませんからね」
「苦情は」
「ノア様に伝えておきます」
むくれるリアンは別れた時に比べると、肌の色も健康的になっている。聖女の自己回復能力が役立っているのだろう。ここまで体を作り替えられるのは薄気味悪くもあるが、聖女とはそういうものだ。……紛い物であったとしても。
「私よりもフィーです! 私がきちんと考えて行動をしなかったばかりに危険な目に遭わせてしまって……ごめんなさい」
「あの状況では仕方がありませんよ。無視すれば冷たい聖女という印象がつきますし。一応角が立たないようには収まったかと」
馬車でのノア様との話をかいつまんで説明すると、リアンも安心したようだ。赤ちゃんを含め、治療できなかった人達のことも気になるが、それはあの村に限った話ではない。
「結界の強化に合わせて、優先度の高い人から手当していけばきっと今回のようなこともなくなりますよ」
「そうですね! 最近は力も大分使えるようになりましたし、もっと頑張って国全体を元気にしないと」
そうして、湯浴みのために賑々しくリアンとペローナは出て行った。
「聖女様、か」
特別な力が使えて、皆を助けることができる国の守護者。力のためなら、国のためなら身を粉にして働き、食事も排泄も、人間としての機能を止めても動き続けられる。聖女様。
「死因は、なんだったんでしょうね」
前聖女。人間離れした力を持ち、国のために全てを捧げた。リアン・ペリアーナの叔母にあたるその人は。
俺の瞳の先で、静かに微笑んでいる。