67.とんでもないことしてるなこいつ。
次の瞬間、怪物―――もといホムンクルスのアインはオウルの眼前にまで迫っていた。待っている時間も、攻撃をやめるように説得する猶予もない。
「きたっ!」
掴みかかってくる両手を、オウルが咄嗟に受け止める。互いに手を組み合う姿勢となった。
「うぬぬ……!」
先程は上位互換と表現したが、実際のところオウルも負けてはいない。筋力のステータスについてはそれなりに拮抗している。すぐに力負けするということはなさそうだ。
とはいえ、それもいつまで保つかは分からない。マルクスの胸中を焦燥が駆け巡る。本当は彼女もろともこの場から退散するのが正しい判断だろう。
しかし、それもできない。
「逃げろと言いたいけど、俺も|ティファレッテ(この子)をなんとかしないと。……やるしかないのか!」
重症のティファレッテを置いてはいけない。いち早く治療しなければ、破れた肺からの出血と呼吸困難で間もなく死んでしまうだろう。
マルクスの手に支えられて、やっと立っている状態だ。すでにその意識も朦朧としている。ひとまずはまずはこの場で寝かせて、安静にするべきか。
彼はティファレッテに呼びかける。
「ティファレッテ、大丈夫か?今からその怪我を治療する。心配いらない、俺に任せてくれ」
だがその呼びかけに対する彼女の返事は、あまりに意外なものだった。
「いい……」
「え?」
「今は、いいです。治療をするのは、この戦いが終わった後で……」
「―――なんだって?」
唖然とするマルクスを他所に、ティファレッテは片方の肺が潰れ荒くなった息を血の混じった咳の合間に喘がせながらも、その眼で前を見据えていた。アインの姿を視界に捉え、決して離さなかったのだ。
ティファレッテはまだ戦意を失っていない。しかし、もうドレークはいない。
なによりもまず治療を優先しなければならないというのに、マルクスもまた釣られてティファレッテの視線の先に眼を向けてしまった。
オウルの力は相手と拮抗している。しかしその上で、アインにはオウルが持たない強大なアドバンテージがあった。異質なまでの細胞増殖だ。これにより、彼女にはもはや一つの定まった形態など存在しないも同然なのだ。
もし相手が自分と互角の能力を有しているのなら、それを上回る力を得てしまえばいい。もしオウルが二本の腕でこちらの腕を食い止めているのなら、もう一本増やしてしまえばいい。アインにはそれができた。
彼女の腰の辺りから、どことなく植物の蔦を彷彿とさせるような細長い尻尾が伸びてきた。その先端は鋭利に尖っており、さながら刃のようだ。自由に動くその尻尾を止められるものはいない。すでにオウルの腕は塞がっている。
もはやアインの魂胆など考えるまでもなく察せられる。
「マズイ……っ!」
このままあの尻尾でオウルの身体を突き刺せば、それで一巻の終わりだ。
ゆらゆらと異形のホムンクルスの背後で揺れていた尻尾は、やがてその先端をぴたりと止めてオウルの身体に狙いを定める。
そして―――
肺が潰れているとは思えないほどの叫び声が、ティファレッテの口から発せられた。
「ドレーーク!!」
アインの尻尾が、何かに掴まれた。その節々から煌々と炎を燻らせる手。
ドレークだ。先程確かに消え失せたはずの火精の王がアインの背後に立ち、今まさにオウルを仕留めようとしていた尻尾を掴んだ。
彼はそのまま勢いよく尻尾を握りつぶす。超高温の炎にあぶられた尻尾はたやすく溶断され、千切れた先がぼとりと地面に落ちた。
繰り返しになるが、精霊には厳密にいえば死は存在しない。目に見える肉体が破壊されたとしても、それはあくまで魔力が拡散しただけであり、時間がたてばその魔力は再び収束し、場合によれば再召喚することだってできる。
だからそうした。ティファレッテは消え失せたドレークの身体をすぐさま呼び戻したのだ。
とはいえ、死んではいないといっても魔力がバラバラに散らばってしまった。それが再び精霊の形を為せるほどにまで集まるには、本来ならばかなりの時間と優れた召喚術の才能が必要になる。
それをたった数分足らずの内に行えたのは、ひとえにティファレッテの類まれなる天賦の才と、彼女に召喚されたドレークの、例えかき消されたとしてもなお余りあるほどの膨大な魔力があってこそのことだろう。
いうなれば半分反則行為のようなものだ。これができるのは世界中の召喚士を探しても数人といないだろう。
「ティファレッテ、君は……」
戸惑いながら再びティファレッテの方に眼を向けるマルクスに、彼女は力強い声で応えた。
「ドレークはまだ戦える。それなら、わたしだってやめるわけにはいかない。精霊の仲間たちが大勢やられた。わたしたち召喚士の身勝手な革命だとかのために傷ついた。だっていうのに、途中で諦めて逃げ出すわけにはいかない」
よく眼を凝らしてみると、―――いや、よく見てみるまでもない。アインによって砕かれた脇腹に、炎が灯っていた。
これは、火の魔術により無理やり身体を守っているのだ。破れた肺の穴を塞ぎ空気が漏れるのを防ぎ、切れた血管を癒着させ出血を止め、折れた肋骨まで接合している。気体が発熱する現象でしかないはずの炎が、肉体を物理的に繋ぎとめている。驚異的なことだ。
これならば、もうしばらく死にはしないだろう。こんなことが純粋な魔力でできるなんて。
「……すごい」
マルクスは思わず感嘆した。もはや彼にはティファレッテの固い決意を覆す方法は思い浮かばなかった。
「こんなわたしたちのためについてきた精霊のためにも、最後までやりとげる。倒れるのはその後でいい!マルクスさん、後でいいんです」
マルクスとしては頷くしかなかった。現状、ティファレッテの身体は火の魔力によって保全されている。下手に外科処置で手を加えるよりも、今の方が余程安全だと判断できた。
「分かった。今は好きにするといい。だが捨て鉢にはなるな。いよいよ危なくなった時には、無理矢理にでも君を安静にして治療する」
その返事に、ティファレッテの横顔が僅かに安堵したように見えたが、それも一瞬のことだ。
「ドレーク。改めて召喚者としてわたしが命じる。そのホムンクルスを全力で倒して。
でも、決して殺さないで」
この期に及んで、なおも死者は出さないというつもりだ。それはもはや綺麗事の類ではない。立派な覚悟だ。だからこそドレークもそれに応える。
「その命、聞き受けた!
人形、先は随分と愉快なことをしてくれたな」
炎の拳を力強く握りしめる。
「しかし、あれしきでこの我を、仕留められると……
思うでないわァッ!!」
より一層強く炎を燃え上がらせながら、振り抜かれた拳が怪物の頭を再び吹き飛ばした。




