65.怪物
ドレークは思わず声を漏らした。
「汝は、何だ?」
眼の前のこのホムンクルス。何かがおかしい。否、何もかもがおかしい。これは本当に先程までと同じ生物なのか。
ホムンクルスの肉体にさらなる変化が生じていた。何か仮面のようなものが背中か、あるいは首の後ろか、どこでもいいがとにかくせり出してきて、カシッという乾いた音と共に彼女の顔に張り付いた。
その仮面は、何の装飾もないのっぺりした表面に糸のような溝が二つ刻まれただけのものだった。溝はおそらく視界を確保するための覗き穴でしかないのだろう。その溝の奥底で、何かがギラリと光を発した。
その瞬間だった。仮面が上に大きくせり上がり、彼女の顔が横に裂けた。
いや、そうではない。裂けたのではない、開いただけだ。裂けたように見えたのは彼女の顎であり、口だった。
しかしその口腔はもはや、ヒトのそれではなかった。鋭利な棘のような歯―――もとい牙が無数に並び、芋虫のように太く長い舌が蠢いている。こんなものがヒトの、あるいはそれを模したものの口であるはずがない。
ずるりと宙を舐めずる舌の奥にある、虚空のような喉の奥で、何かが発せられていた。それが笑い声であると判断できたものは、この瞬間においては誰もいない。
「ゲ……ゲ……ゲ」
これは何だ。
これは本当にホムンクルスなのか。そもそも、生物なのか、この“怪物”は。
そんな疑問を誰が投げかけたところで解答はないし、そもそも疑問を抱くこと自体を、状況は許してくれなかった。
ドレークの炎の両腕が、胴体から千切れた。“怪物”がその異形の腕の異常な膂力をもって引きちぎったのだ。
イェソド、そしてティファレッテ達に、心臓が凍りつくような戦慄が奔る。
「え……?」
「馬鹿なっ!」
これにはドレークも顔を歪ませ、苦悶の声をあげるしかなかった。
しかしその声をあげる頭ごと、千切れた腕をそのまま投げ飛ばした“怪物”の巌のような拳が叩き潰した。
そう、ドレークの身体が、潰れた。今まで立ちはだかる全ての障害を、それこそ炎に飛び込む羽虫のように焼き尽くしてきたドレークが、無双の力をもった火精の王が、瞬きするほどの間に消え失せたのだ。
「……」
ティファレッテには、何が起こったのか分からなかった。ただ眼だけを見開き、それ以外は全て死んだような表情で固まっていた。
そして、身体が崩壊し焚き火の燃え滓が吹き消されるように散っていくドレークの姿を一瞥することすらなく、“怪物”は続けて彼女の方へとその眼を、仮面(のようなもの)の奥で怪しく輝く双眸を向けた。
喉の奥から響く、枯れ木がきしむようなその音が、言葉を紡いでいるように聞こえた。その言葉は。
「オ、マ、エ、カァ……!」
―――『オマエカ』。
『お前か』?
それは一体どういう意味だろう。この騒動の首謀者?ドレークの召喚者?
あるいは、
次に殺すべき者?
そんなことを考える猶予もなかった。
“怪物”は地面を蹴って、凄まじい速さでティファレッテの方へと迫ってきた。間違いない、次なる標的は彼女だ。
イェソドは半ば思考の埒外から反射的に叫んでいた。
「エアリィ止めろ!!」
その命令が発せられるのと、エアリィが引き絞った矢無しの弓を放つのは同時だった。すでに彼女も無意識の内にあの“怪物”を止めようと動いていたのだろう。
連続で放たれる無数の風の刃。だが、そんなものは無意味だ。先程も、切り裂いた肉体がその場で再生し、何のダメージも与えていなかった。それが今更になって通用するわけがないのだ。
“怪物”の身体を通過する不可視の斬撃だが、所詮それまでだった。身体を引き裂くどころか、その突進を止めることすらできない。為す術がない。
「ティファレッテさん逃げて!」
あの“怪物”が何をしようとしているのかは知らない。だが、間違いなくそれはロクなことではない。せめてあれがティファレッテに触れることは阻止しなければ。
エアリィは身を呈し、迫り来る“怪物”の前に立ちはだかりティファレッテをかばった。
が、それこそなおさら無意味な行為だった。エアリィは判断を誤った。
先程見たところではないか、あの“怪物”はドレークの腕を濡れた紙を破るように引きちぎり、泡を割るかのように頭を砕いてみせた。その力はもはや、暴力そのものに形容できるほどのものだった。
振り抜いた“怪物”の右腕が、エアリィの身体を吹き飛ばした。正しく表現すれば抉り飛ばした。彼女の右胸から肩にかけてが陥没し、そのまま腐ったトマトのように先に繋がっている腕もろとも飛び散った。その勢いのままエアリィはイェソドの足元にズタ袋のように投げ出された。
“怪物”は一切止まらない。そのスピードを緩めることせない。それは放心したまま固まるティファレッテの目前にまで迫り、今しがたエアリィの身体をえぐった右腕で彼女の左腕を掴み、なおも前進を続けた。
そうして、家屋か商店か、とにかく何かの建物に勢いよく叩きつけた。
我に返ったその瞬間にティファレッテを襲ったのは、建物の壁にめり込んだ腕から伝う激痛だった。
「あ、がああああっ!?」
彼女の絶叫は、逃げ惑う召喚士達の喚きが重なる阿鼻叫喚の中にあっても、ひときわ大きく響いた。
叩きつけられたティファレッテの身体はわずかに宙に浮き上がるような形になっており、じたばたと動く両足は地面につかない。
イェソドが顔の筋肉を引きつらせながら、必死の形相で叫ぶ。
「やめろ!!」
その声は届かない。届いたところで“怪物”は聞かない。
それは壁にめり込んだティファレッテの腕から手を離し、そして握りしめて拳を作った。
「マズハ、ゲゲッ、アバラカラ、イッテ、ミルカ」
そんな愉快そうな笑みの後に、“怪物”は拳をティファレッテの脇腹に打ち込んだ。




