64.異形の腕
『あいつを殺せ』。そう命じればドレークは動いてくれる。
だが、ティファレッテにはその一言が言えなかった。例えどれだけの殺戮の当事者であろうと、生命あるものを殺すことにはまだ迷いがあったのだ。
その動揺を感じ取ったのか、イェソドがその背中を押すように声をかける。
「彼女は普通のホムンクルスではない!詳しく説明している時間はないが、殺すつもりで攻撃しなければ足を止めることさえできない、ティファレッテ、心を決めてほしい!」
「そ、そうは言っても……」
「彼女を野放しにしていては、また精霊がやられてしまう」
その強い語気に応えたのは、ティファレッテではなく彼女の相棒であるドレークの方だった。
「その通りだ!」
「ドレーク!?」
彼はその炎を勢いよく吹き上げながら、一瞬の内にホムンクルスに接近する。そのまま、その頭部を赤々と燃える右手の平で掴んだ。
「ん?」
間の抜けた声をあげるホムンクルス。その次の瞬間には、ドレークの手から発せられた膨大な炎の魔力が彼女の頭どころか、胸にかけてまでを一瞬にして爆発させた。溶解した身体が水風船を割ったように飛び散り、かろうじて残っている肩に繋がっていた左腕がだらりと地面に向かって垂れた。
その光景は、精霊が死んでいくのとは違う、ヒトの姿をしたものの身体が溶けているおぞましいものだった。
「う……っ」
ティファレッテは思わずうめき声をあげる。
しかし、これであのホムンクルスも無力化された、はずだ。
「ドレーク、あなたは……」
「此奴は我が同胞を消した。その報復はせねばならぬ。もとよりホムンクルスなど人形、その名のごとく人の形を模しただけのものにすぎない。ティファレッテ、許しは請わぬぞ」
分かっている。事が済んだ後なら、これが一番正しい選択だったと思える。とにかく迅速に敵を無力化して、こちらの被害を抑えるべきだった。
とにかく、このまま他のホムンクルスも撃退して、管理局へと向かおう。
―――いや。まだだ。
険しく細めた眼で、肉体の半分が焼け落ちたホムンクルスを睨視するイェソドの顔が、そう物語っていた。
「それでは足りない。もっと完膚なきまでに肉体を破壊し尽くすんだ。エアリィ、頼む!」
「……!」
エアリィはその声に応える間もなく、引き絞った矢無しの弓の弦を立て続けに数度放った。ギャリギャリと金属が削れるような音を立て撃ち出された風の魔力が、刃となってホムンクルスの、もはや物言わぬ身体を狙う。
それらは全て残らずその身を通り過ぎ、不可視の刃は肉体をずたずたの細切れに引き裂くだろう。
しかしそうはならなかった。
「イェソドさん、そんな死体に鞭打つような!
―――え?」
ティファレッテのイェソドを非難する声は、その途中で戸惑いの色に変わった。
確かに風の魔力で切り裂かれたはずのホムンクルスの身体に、傷一つついていない。そのまま無数の部品に分かれずるりと地面に散らばるはずの身体は、未だ繋がったままだった。まるで、切断されたそばからもう一度くっつけたかのように。
イェソドが驚嘆する。
「切断面を瞬時に再生させ、癒着している!やはり彼女は生きている。ティファレッテの代わりに私が希う!火精の王よ、眼前のその敵を完膚なきまでに燃やし尽くせ!」
「薄気味悪い人形が!」
ドレークがトドメの一撃を放たんと手をかざす。
その時だった。その手が何かに掴まれた。その何かは、目の前にいる死体としか思えぬホムンクルスの身体から伸びていた。
腕だ。彼女の腕が伸び、ドレークの腕をがっしりと掴んでいた。しかし、ドレークの身体は並大抵の人のそれより一回りは大きく強靭だ。女の姿をしたホムンクルスの、その細腕ごときで掴めるほどのものではないはずだ。
だが、そのホムンクルスは確かに自らの手でこちらの腕を掴み、その動きを封じてた。
長い。そして太い。
それはもう、先程までの彼女の腕ではなくなっていた。その長さはホムンクルスの体躯ほどになり、肩口から徐々に太くなっていて、前腕部の太さは細めの丸太のようだ。指一本がすでにティファレッテの前腕と同じほどの大きさをしていた。
とてもそれが、ヒトの、ヒトを模した生物の腕であるとは思えない。
「……なにこれ」
ティファレッテはその光景をただ、呆然と眺めているしかなかった。
胸が、頭が、先程確かにドレークの手で燃やされ、先程まで確かになくなっていたはずの頭が、あった。ホムンクルスの身体に戻っていたのだ。
これにはさすがのドレークも呻いた。
「此奴……」
掴まれた手の平から、再び火の魔力を放出する。もう一度その身体を溶かしてやる。
だが、それが叶わない。至近距離から高熱量の火焔を浴びせても、肥大化したホムンクルスの腕は離れてくれない。
再生しているのだ。燃やされ溶解した細胞が、それと同時に次々と増殖して無理やり形を保っている。燃やされた頭部と胸も、こうやって元に戻ったのか。
発せられる熱量によって周囲の空気が赤く染まるなか、ホムンクルスはその顔にうっすらと笑みを浮かべる。
「創造主がワタシをここに送った理由がなんとなく分かった。久しぶりに、自らの性能を最大限に発揮できる、よい機会だ。
サラマンダー。オマエはここで殺す」




