56.愚者の昔語りをしよう。
これにはマルクスも少しばかり驚いた。
とはいえ、魔術都市で芸術品を集めて展示しているような者なのだ、そういうこともあり得るだろう。それに彼自身コクマーがどうだという話には食指が動かないので、リアクションは薄い。
「そうだったんですか」
とはいえ、オウルとニルの二人は固唾をのんで話に聞き入る姿勢だ。それを見守りながら、館長は続ける。
「パトロンと言っても、結局のところは私自身の金稼ぎのためでした。コクマーさんの絵を各地の好事家や他の芸術家に売って、その金を元手に彼に絵を描くための環境を提供させていただいていたのです。当時は絵画というものがその技術を尊重され、ひとつの分野として認められるに至る黎明期にありました。そのため、絵を売り物にするという商いにも多くの機会があったのです」
いつぞやオウルがテトさんからの受け売りで語っていたことを思い出す。
あくまで現実の模写でしかなかった絵画はやがてそこに用いられている技術の繊細さを認められた。そうして、ある種魔術と同じようにその特異さを世界的に求められるようになった。
「特に、コクマー先生の絵はすでにその黎明の先にあって黄金の夜明けを迎えているかのようでした。彼と巡り合ったのは偶然でありましたが、私はすぐに彼のその才能の価値と、そこから生じる利益を確信し、彼の協力者となることを申し出ました。彼はすぐにそれを承諾してくださいましたが、その当時はあくまで金を稼いで環境が整えば、絵を描くことに集中できるからという理由でしかなかったのでしょう。その時に、彼が会得した心読みの魔術のことも知りました。
私の確信はすぐに的中しました。コクマー先生のその独創的な色彩は好評を博し、描かれた絵はすぐにでも売れました、しかも高値でね。約束通り私は彼に専用のアトリエと、彼に馴染むように特注した画材を提供しました。それにより彼の腕前はさらに伸び、創り出される作品も増えました。コクマー先生はなおさら自らの創作に没入するようになり、その人生はすでに一人の芸術家として熟成されつつありました」
「順風満帆だな、あやかりたいぐらいだ」
マルクスが皮肉交じりな相槌を打つ。それに館長も、自嘲気味な笑みを漏らした。
「ふふ、それはどうでしょう。彼の絵は確かに多くの者に好かれました。しかしそれと同じほどに多くの者からの反感も買ったのです。コクマー先生の絵は、人の心を浮き彫りにし、それをあるがままに描き出すものです。一部の魔術師には彼の心読みの技術が知られ、それと共に彼の作品をヒトを冒涜する露悪的なものだという批判がありました。彼は芸術家として他の者達から卓犖していながらも、同時に多くの者達からヒトとして侮蔑されてきたのです」
「そんな……」
館長の話を聞くニルの表情は、まるで我が事のように鎮痛だった。
「それでもコクマー先生は、ただ黙々と絵を描き続けました。彼は元来、どちらかといえば寡黙で、他者との関わりに頓着しない方でした。だからこそ、私が彼と出会うまでその才能が見出されることもなかったのでしょう。ともすれば、彼は他人からの評価など気にしない。ただ自らの手で作品を生み出し続ければそれでいいのかもしれない。私はそう感じました。
―――ですがそれは違った。逆だったのです」
「逆?」
オウルがオウム返しに聞く。
「コクマー先生が描いていたのは、心読みにより知ったヒトの精神性、……ではなかった。彼の描く絵にあるのは、むしろコクマー先生自身の想いだったのです。ヒトの心を垣間見て、自分の心に沸き起こった情念。怒りに対する恐れ、悲しみ対する共感、愛情に対する羨望、そしてそれら全てに対する同調。
彼は決して他者をないがしろにしているのではない。むしろ彼は自らが出会う全ての者に対し、自らの想いを伝えようとしていた。言葉ではなく、絵によって」
「言葉ではなく、絵で」
素人のマルクスであっても、そこまで説明として聞かせられれば、あの時美術館で見たコクマーの作品から見えてくるものがる。
「しかし、私がそのことを知った時には、もうコクマー先生は老い先短かった。彼が出会ったその時には、すでに彼は壮年だったのです。それからどれだけひたむきに芸術にその人生を捧げたとしても、彼の想いが人々に伝わることはついにありませんでした。それは、私を含めてもです。彼の芸術家としての地位は不動のものとなり、命位を頂くという名誉も得ました。しかし彼は結局ヒトとしては、最期まで孤独だったのです。
ある日彼は、あの『魔術都市を見下ろして』を描きました。しかし、その絵の評価を彼が知ることはありませんでした。それを描き終えてからほどなくして、コクマー先生は永久の眠りについたのです。あの絵が、彼の最期の作品です。誰にもその本心を理解されることのなかったコクマーという一人のヒトの、最期の言葉なき言葉です。そしてそれに対する人々からの評価は―――以前説明した通りです。彼が愛した人々にとってあの絵は、“謎”にしかならなかった。そしてその解答に、未だ誰も行き着いていない。
ニルさん、あの絵を見た時、貴方は何を感じましたか」
再びそう問いかけられたニルは、わずかに顔をうつむけ、その時の気持ちを思い出しながら応えた。
「とても、暖かったですわ」
その応えを聞く、館長のは泣いているように見えた。涙は流さない。嗚咽もなく、ただ静かに、それと分からないようにひっそりと泣いていた。
「そうです……。人生を捧げて伝えようとした想いが、ついぞ誰にも伝わらなかった。そんな仕打ちへの、あれは返事だったのです。だというのにそこには、暖かさが満ちていた。そこにはなんの怒りも悲しみもなかった。彼はただ、自分がこの世界に生まれてきたことの感謝を、作品に乗せたのです。
ニルさん。貴方があの絵に何を感じたのか話してくださった時、私は本当に嬉しかった。そしてあの絵を見た貴方が芸術の道を志した理由を聞いて、もっと嬉しくなった。この世界に生まれ、ヒトの中で生きて、そこで感じたもの。それを伝えたい。それは、コクマーさんが最期まで忘れることのなかった想いと、同じものなのです。
私は、……私は貴方に感謝したい。コクマーさんにはヒトとしての生を終えたその後になって、ようやくその道に並び立って歩いてくれる者が現れてくれた。今は、そんな気持ちがしているのです。ニルさん、あるいは私などではなく貴方が彼と出会っていればよかった」
そんな言葉を最後に、館長はわずかに眼を伏せ言葉を終えた。
そこには過去を思い出し懐かしむような。そして文字通り過ぎ去っていった者に追いつきすがりつこうとしてもそれも叶わない、そんな寂しさがあった。
それを感じられるだけで、マルクス達にはもう返す言葉がなくなる。
しばらくの間、冷たく、しかし重くはない沈黙が監視塔の中を流れていた。




