49.会話の内容についていけん。
ニルの周囲に集まる人だかり。絵を描く精霊という物珍しい光景を何も考えず見物する観光客に混じって、数人の魔術師がひそひそと話し合っている姿も見えた。魔術師にとってもこの光景は好奇の対象なのだろう。
いっそ見物料でも頂いてやろうかとマルクスが考えたその矢先、ギャラリーの中から一歩抜きん出てこちらに歩み寄ってくる一人の人影があった。
日差しの眩しい野外においては見ている側も暑くなるようなぴっしりとした礼服姿の、白髪を後ろにまとめた老紳士だ。
彼はマルクスの隣に立ち、再び描画に勤しんでいるニルの姿を見てひとことつぶやいた。
「これは素敵な光景ですね」
興味深いとか珍しいとかはともかくとして、『素敵』とは。なんともロマンチックな表現だ。
そんなことを考えるマルクスの方に続けて振り向きながら、老紳士は聞いてきた。
「はじめまして。この方は、貴方が召喚された精霊ですか?」
「え?あぁ、こちらこそはじめまして。いえ、自分ではなくて、この子です」
そう応えながらオウルの方を指し示す。
「ホムンクルスですか。今日は日照りがよい、ご機嫌いかがですか」
にこやかにそう聞いてくる老紳士に、オウルがにっこりと返す。
「元気ですありがとう~!」
「朗らかなお嬢様だ、こちらも明るくなりますねえ」
かくいう老紳士の声こそ、聞いているだけでこっちも穏やかになるような優しい声音だ。
その声で彼は続けてオウルに聞く。
「この方と少しお話してもよろしいですか?」
「こっちはいいけど、ニルには迷惑かけないでね」
「ニルさんとおっしゃるのですか」
召喚士であるオウルからの許しを得た老紳士は、改めてニルの方へと眼を向け、彼女に語りかける。
「はじめましてニルさん。手は休めなくて結構ですので、この老体と少しお話でもしませんか」
それにニルは、言われた通り絵を描く手は止めることなく応えた。
「もちろんよろしいですわ!他の方とお話しながら作業するのはとても楽しいですもの」
「そうですか!絵を描くことはとても楽しいですか。ははは。
ニルさんは、どうして絵を描いておられるのですか?」
単刀直入な質問だ。
その問いにニルは、
「コクマーという方が描いた、《魔術都市を見下ろして》という作品を見て、わたくしはとても感銘を受けました。あのような絵をわたくしも描けるようになるのかしらと思いまして、お勉強させていただいておりますの」
以前美術館で観た、風景画のことだ。
コクマー独特の極彩色の作風から離れた、当たり障りのない(ように見える)作品である。
「あの作品を……?」
その名を聞いた老紳士が、わずかに息を呑んだ。
二人のやり取りを傍からぼんやり眺めているマルクスの肩が、ぽんぽんと叩かれた。テトさんだ。
彼女の方に振り向いてみると、なぜだか威容にイライラした顔を浮かべていた。一体どうしたのだろうか、もしや特に理由もないが無性にマルクスに苛立っているだとか?もしそうだとしたらもう彼にはどうすることもできないが。
彼女が、話をしているニル達には聞こえない程度の小さな声でマルクスに耳打ちする。
「またすごい人と知り合いになって、ホントなんなのよアンタ達は」
「いや、俺も知り合いじゃないよ、初対面だ。誰なんだあの人は?」
「美術館の館長よ、アンタがこの間行った。世界中を回って芸術家を援助したり、引き取り手がいなくて劣化していた作品を買い取って保全したり、この魔術都市で活動してる芸術家達にも作品を展示するスペースを提供したりしてるの。あそこに展示してあるのはそういう作品なのよ。
ともすれば単なる娯楽、生きることそのものには不要と切り捨てられかねない芸術を守り、その素晴らしさを人々に伝える。命位持ちだとかではないけど、素晴らしい方よ」
「へえ、すごい人なんだなぁ」
「なによその間の抜けた反応はっ。《法皇》のゲブラー先生といいまったく羨ま―――いや、羨ましくはないけどっ」
二人の口論も耳に入れず(聞こえないように話をしているので当然だが)、ニルと老紳士は話を続けていた。
「あの作品を観て、貴方はどう感じられましたか」
「……あれに描かれているのはただの絵ですわ。ただ絵の具が紙の上に塗られているだけ。だっていうのに、あれを眼にした時、わたくしには色鮮やかな生命の姿が見えました」
「生命の姿」老紳士がそう繰り返す。
「ふむ、コクマー先生には物事の本質を視覚として認識する能力があるというのはご存知ですね?あの方はその力を使い人の情念を読み取り、それを表現するという作風を長年取られていた。そこに描かれているのは常人の視界には決して映らぬ精神世界の具象です」
それは、《愚者》の命位を授けられた魔術師に対する復習だった。
マルクスとしては、あの時眼にした極彩色の絵の数々が脳裏に浮かぶ。
「しかし、あの《魔術都市を見下ろして》はそれまでの作風から一転、一般的な風景画の手法により描かれました。彼の能力を反映した技法は一切見られなくなったのです。
あの絵が公表された時、様々な議論がされました。
『彼は能力を失ったのではないか』
『人間の情念を暴き出すその作風に批判が投じられ、封印せざるを得なくなったのでは』
『あるいは彼自身が人の心を覗き見ることに耐えられなくなったのでは』
『はたまた単なる気まぐれか』……
結局、その答えは今でもはっきりとは分かりません。あの絵に込められた真意を言葉として語ることもなく、また次の作品を描くこともなく、コクマー先生はこの世界より旅立たれたから。
ともかくとして、あの《魔術都市を見下ろして》という作品からは、むしろ彼本来の生命のあり方をさらけ出すような作風は失われています。だというのに貴方はあの絵に―――むしろあの絵にこそ、生命の鮮やかさを見た」
「でも、見えましたもの。あの絵に描かれている細い路地だとか建物の中だとかから、そこに生きている人の息吹まで感じられるようでした。
わたくし達は精霊です。水を司るわたくしには、この世界に遍く水の根源たる魔力の流れが見えますわ。あなた様の身体に流れる血潮だって見えますわ。でも、生きるものの心は見えません。それを、あの絵は活き活きと見せてくださったのですわ。この街で生きる人々の豊かさを。
わたくしは精霊として、ヒトの―――みなさまの世界に呼ばれました。だからみなさまのことを良く知りたい。それなら、コクマー様のような絵を描けば、生きとし生けるものの心を知ることができるのではと、そう思いましたの」
その言葉に、老紳士はしばらく応えることはなかった。
彼はしばらくの間沈黙した後、もうひとつ、まるで試すような問いかけをニルにした。
「では、そのために貴方はこの絵に何を描きます?この絵は、大魔術師ケテア様の像と、その周囲を描いた風景画ですね。書き上がるのはまだ先そうだ。もしよろしければその完成した姿がどうなるか、手前に少しだけ教えてくださいませんか」
「んー。そうですわね。ここの段差のところに、人の姿を加えたいですわ。何人も」
「今そこには誰もいません。いない人を絵に加えるのですか」
「だって絵画ってそういうものでしょう?今、こうやっていろんな人と一緒になって絵を描いて思いつきましたわ。そうした方がきっと楽しい絵になりますわよ!」
そうしてまた、しばらくの沈黙が続いた。
老紳士は一瞬どこか思いつめたような表情を浮かべた後、ふっと笑みを浮かべた。
「もうしばらくここで、見物させて頂いてよろしいですか?」
「もちろん!」




