47.王を従える者 ティファレッテ
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それからまた、何度か日が沈み、そして昇ってくる。そんなことを繰り返し。
管理局内にある試験場。
厳重に結界が張り巡らされたその外から、数人の召喚士が結界の中で起こっている光景を呆然と眺めていた。
「……異常だ」
誰かがそう呟く声が聞こえる。
結界の中で繰り広げられているのは、炎熱の狂宴だった。
円形の見えない壁の向こうは、まるで色のついたすりガラスを通したかのように薄ら赤く染まっている。石畳を敷き詰められた足場は溶解し、一面がマグマだまりと化していた。
その溶岩の中に、溶けかけの氷のように半ば形が崩れつつある鋼鉄の塊がいくつか点在していた。が、それもしばらくすれば完全に溶けてなくなり、マグマの中へと一体化していった。
本来ならば内部で発生したありとあらゆる物事を決して外には伝えないはずの結界ですら防ぎきることのできないほどの熱量が、召喚士達の頬を煽る。
この光景は一体なにか。
端的に言えば、これを作り出したのは田舎町から魔術都市へとやってきた素人召喚士のティファレッテ、彼女が召喚した火の精サラマンダーだった。
煮えたぎるマグマの中央に、それは立っていた。
彼女がそれを召喚するのに立ち会った《恋人》の命位持ちであるイェソド達召喚士が、かの火精の能力を確認するために試験を行ったのだ。
サラマンダーの操る火属性の魔力、その威力を見極めるために鉄製の標的をいくつか用意した上で、それは行なわれた。
そして、その結果がこれだった。
これはもはや試験ではない。鋼鉄を、それどころか自らの立つ地面すら溶解させるほどの炎の力を、一体どうやって見極めろというのか。
結界の奥に佇む火精の姿を見据えながら、イェソドは傍らに立つティファレッテに語りかけた。安全のために念の為彼女も結界の外に出しておいたのだが、その判断は正しかったようだ。あんな異常な空間に人が入り込めば、まず生きてはいられまい。
「精霊の―――彼らが使う力の根源がどこにあるか、知っていますか」
「……いえ」
ティファレッテはうわ言のような声音で応える。
「自然そのものに対する、あらゆる生きとし生けるものからの畏敬。それこそが精霊の力です。畏れ、敬う心があるところに、精霊達は自然という力の代行者として姿を見せる。それが私の考える、精霊召喚術の根本的な原理です。そしてその畏敬の念が強くあればあるほど、精霊は力を増す。
あるいは、生物達の畏敬を一心に受けた強力な精霊、精霊の王とも呼べる存在が、自らを操るにふさわしい者の元に姿を現す」
「……」
「かの者こそ、その王の一人だ。火精の王。数多の生物が持つ炎、熱……、この世の始まりと共にあった原初の火への畏れ、その体現者。
ティファレッテさん、貴方がかの者を呼び出したのです。これは誇るべき偉業だ、貴方は自信を持っていい。あの力を制御する術は、これから我々と共に模索していきましょう」
その言葉をぼんやりと聞いていたティファレッテが、不意に右手を前へと出し、その手のひらで結界の表面に触れようとした。のみならず、そのまま結界を通過し中へと入ろうとしていたのだ。
あの、さながら地獄の体現かさもなくば生命の始原を再現するかのような炎の海の中に。
そんなことを黙ってみているわけがない。
数人の召喚士が彼女を止めようと駆け寄ってきた。
「危ない、やめなさい!」
「君ではまだあの力を制御しきれるかどうか分からない!」
しかし、そんな彼らをイェソドが制止した。
「イェソド様!?」
「……もう少し様子を見てみよう」
言われるがまま、ティファレッテの行為を黙って見守る召喚士達。とはいえ、万が一のことがあれば全力で彼女の身の安全を確保する腹積もりではあった。それは彼らを止めたイェソドも例外ではない。
ティファレッテは、自らをも焼き尽くさんとするほどの熱量をかろうじて阻んでいる結界にわずかに手を触れ、そしてその先にいる炎の塊のような存在に向けて呼びかけた。
「今からわたしがこの中に入る。あなたが精霊の王と呼ばれるほどの者なら、どうすればいいかは分かるわね」
火精の王は何も応えない。そして、来るかも分からない返事を待つこともなく彼女はさらに一歩足を踏み出し、ついにその手が結界を通りすぎ中へと入った。
ティファレッテの顔が僅かに苦悶する。それには思わず、状況を静観しようと言った張本人であるイェソドすら息を呑んだ。
「……!」
結界を抜けた彼女の手は、焼けるような熱気に包まれた。
だが、それだけだ。『ような』であって、本当に焼けるわけではない。先にこの地獄の炎の中で消えていった鉄の標的のように、消えてなくなるということはない。
ティファレッテは意を決して、さらに歩を進めた。やがて彼女の全身が結界の中へと入る。踏み出した足がどろどろに溶けた石畳の中へと浸かっていく―――
いや、そうではない。
彼女の足が触れる直前、そこから急速に熱量が失われ、液体と化していたはずの足場が再び固体に戻った。歪に固まった足場を、彼女の足が確かに踏みしめる。
熱が、炎が避けていた。ティファレッテの身体の周りだけを、全てを焼き尽くすほどの火の魔力が避けていたのだ。彼女の足が離れたそばから、冷えた足場は再び溶けたマグマになる。
そのまま彼女は炎の中ゆっくりと歩を進め、やがて宙に佇むサラマンダーの前に立った。
「ようやく、わたしの会いたかった者に少しでも近づいたようね。
なんにもかも飲み込むようで、本当に大切なものは決して焼かない。そんな炎にわたしは守られた。それにわたしはもう一度会いたかった」
それを聞いて、今まで黙り込んでいた火の精霊はフッと笑みを零した。ヒトのそれではない爬虫類の口元がわずかに引きつるのが確かに見えた。
その不敵な笑みに向けて開いた右手のひらを差し出しながら、ティファレッテは続ける。
「あなたの名前を決めたよ。イェソド様のエアリィみたいに、わたしだけの精霊だっていうなら名前がなくちゃ。
―――“ドレーク”。それがあなたの名よ。いい名前だと思うし、気に入らなくてもわたしはそう呼ぶから」
「好きにするがいい。我もそう名乗るとしよう」
火精の王ドレークは、差し出されたあの女の右手を握り返した。
結界の外でどよめきが起こる。鱗の皮膚から炎を吹き出すサラマンダーに直接手を触れたのだ、何が起こってもおかしくはない。
しかし、あるいはやはりというべきか、それでもティファレッテの身体には火傷一つできない。
「やればできるじゃない。はじめっからそうやって力を制御していればよかったのに、だらしないなあ」
「我が召喚主ながら不敬である。我を何と心得るか」
「わたしの精霊だよ」
彼らのやり取りを見守りながら、イェソドが小さくつぶやいた。
「これならば、……いける」




