第七話 あの二人は大食いだからなあ、ってクロエもか。そうだ、これでガレットをぜんぶ売ってくれ!
「お母様がやってらした頃から、無許可営業は三年目でしたか。とうぜん、過去の営業分も払っていただきませんとねえ」
商人ギルドのギルド長は、ニンマリと笑いながら詰め寄る。
口元に手を当てて震え出し、目に涙を浮かべるガレット売りの少女。
そういえばこの子、見た目は清潔だけど服はところどころツギハギが当てられてる。
ガレットの単価は安かった。
薄利多売って言っても、利益はたかが知れてるだろう。
ギルド長が取り出した書類をチラッと見ると、支払わないといけない金額はそれなりの料金だ。
異世界手当がついた俺の給料の半月分ぐらい。
つまり三年目の会社員の平均月給ぐらい。
俺けっこうもらってるんすよ。かわりに異世界に送り込まれたけど。あとこっちのお金で一部支払われてるけど。
「そんな……。お母さんが病気になって、わたし、自分にできることを精一杯って……」
「それは素晴らしい心がけですねえ。ですが、規則は規則。きちんと守っていただきませんと」
商人ギルドのギルド長は、さらに一歩女の子に近づいた。
女の子は、ついにはらりと涙を落とす。
「で、でも、うちにそんなお金は……」
俺は何も言わない。
どんな事情があれ、規則として決まってるなら営業許可は必要だ。
有料ならとうぜんお金を払って営業するべき、いや、お金を払って営業しなきゃならないだろう。
もしこの子がアイヲンモール異世界店の敷地で無許可営業したら、ちゃんと手続きさせてテナント料もらうし。手続きしないで無許可営業を続けるなら追い出すし。
「払えない場合は……私も鬼ではありません。そうですねえ、働き先を紹介しましょうか。一括ではなく分割でお給金から支払っていただくということで」
「そ、それなら!」
「なあに、お嬢さんならすぐに払いきれますよ。垢抜けていませんが、娼館のお客さまにはそういう女性を好む方もいますからねえ」
「しょ、娼館だと! お金が払えないなら娼館で働かせるだと! ゲスめッ!」
「おや、どうされました失格エルフさん? 騎士ともあろう方が、規則を破ってもいいとは言いませんよねえ? 無許可で営業して、しかもお金を踏み倒してもいいと?」
「くっ! だ、だが! 望んでいないのに娼館で働かせるなどッ!」
「おやあ? 腰の剣に手をかけて、どうされたのです? まさか規則通り場所代を求める商人ギルドの者を斬るつもりですか?」
ギルド長に煽られて、クロエの白い肌が怒りで赤く染まる。
クロエの右手は剣の柄にかけられて、いまにも精霊剣なんちゃらを抜きそうだ。
にんまりと嗤ったギルド長がクロエに近づく。
「それとも……規則を破ったけれども支払う当てがないお嬢さんを、いっそ一思いに斬ってあげるんでしょうかねえ?」
「うう……たとえ規則通りであろうとも! 不幸になる民をそのままにはしておけん!」
黙って見てたけど、これ以上は放置できない。
クロエはポンコツでエルフにしてはちょっと変わってるけど、アイヲンモール異世界店の従業員だから。
俺はクロエとギルド長の間に割り込んだ。
「落ち着け、クロエ」
「だがナオヤ! このままでは何の罪もない少女が!」
「おやあ? アイヲンモールの店長は、規則を守れない方を擁護するんでしょうか?」
「いえ、そんなことはありませんよ、ギルド長。無許可営業で支払うべきお金を支払わないなど、許されることではないでしょう」
「ナオヤ! そんなッ!」
「ほうほう、お若いのにわかってらっしゃるようだ。では行きましょうか、お嬢さん」
ガレット売りの少女に近づいて手を差し出すギルド長。
俺は近づこうとしたクロエを背中でさえぎった。
クロエが俺の肩をつかむ。
そこをどけ、と言わんばかりに。
「なあクロエ、俺ももうちょっとガレット食べたくなったわ」
「ナ、ナオヤ? この状況で何を?」
俺を押しのけようとしたクロエの力が緩む。
ギルド長も少女も、とつぜんの俺の言葉にこっちを見た。
「クロエも食べるって言ってたろ? そうそう、留守番してるバルベラとアンナさんにも買って帰ってやろうか」
ちょっと香ばしい臭いがするマントの陰からサイフを取り出す。
俺はまだ今月の給料日を迎えていない。
つまり年収が倍になった分の給料は受け取ってなくて、この世界で使えるお金で支給される分も受け取ってない。
給料は。
「あの二人は大食いだからなあ、ってクロエもか。そうだ、これでガレットをぜんぶ売ってくれ!」
俺はサイフに残っていたこの世界のお金を、すべて少女に渡す。
給料のおよそ一ヶ月分から、街で買い物や食事した分を引いたお金を。
つまり、ギルド長が請求しているよりちょっと多い金額を。
とつぜん渡された大金に目を丸くするガレット売りの少女。
「えっ? で、でもガレットをぜんぶ売ってもこれじゃもらいすぎで」
そう。
今月の給料日はまだだ。
だけど、俺はこの世界のお金を持っていた。
株式会社アイヲンに支給された、異世界支度金だ。
さすがに体と私物だけで異世界に放り出されたわけじゃないから! 日本円の貯金はあるけどこっちで引き出せないし! そもそもこっちのお金を渡されてなきゃ給料日まで生きていけないし!
上がった給料の一ヶ月分が「支度金」として支給されました!
ありがとうアイヲン! でもいきなり異世界に送り込まれたからやっぱりいまの感謝はナシで!
「おっと、ジャムの料金も入ってるぞ? この季節には採れない果物のジャムで、買い占めたらしばらく営業できなくなっちゃうもんなあ! 迷惑料も込みだ!」
ちなみにアイヲンモールの野菜を買うのに給料から天引きしてたのは、食料以外の物価がわからなかったからだ。
支度金が足りなくなったら、給料日まで俺が使える現金がなくなる。
いや俺が店長で責任者で、一部支給されるこの世界のお金を用意するのは俺だから、売上から貸し付ければいいんだけど。
でも給料日まで、異世界で使える現金をできるだけ減らしたくなかった俺のチキンっぷりが役に立った。
「ナ、ナオヤ……?」
「おやあ? ですがナオヤさん、ガレットとジャムの代金、臨時休業させる慰謝料としても多すぎるんじゃないですかねえ」
「くっ……そうだ! なあキミ、このガレットのレシピを売ってくれないかな? 主力商品の大事なレシピを売るんだ、これぐらい必要だろう? むしろ足りるか?」
「えっ……あの、お母さんに教わった家庭料理で、特別なことはないと思うんですけど……こんなにもらうわけには」
「いやいやいや! これだけおいしくて、ほら3年も続けられたんだろ? キミとお母さんが当たり前だと思ってるだけでこれぐらい価値があるんだよ! なあクロエ?」
「そうなのかナオヤ?」
空気読めよポンコツ騎士ィ!
せめて「このガレットはおいしいからな」程度でよかったのに!
俺の脳内ツッコミはクロエに届かない。
クロエはとつぜんの展開についてこれなかったらしい。
少女は戸惑ったままで、俺はちょっと焦る。
助けは、意外なところからやってきた。