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祝炎の英雄  作者:
第一章 炎の御子 第二節 不撓不屈

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十三 残された問題

「殿下、ご無事で……!」


 屋根の上から慌てるように祝融の背後に飛び降りてきたのは、毛将軍だった。祝融の背後に降り立つなり、祝融の剣を見て驚いている。祝融は何気なくだったのだが、炎が灯ったままだったのだ。

 ふっと、蝋燭でも吹き消すように炎は消えて、軽く血を拭いとると剣を鞘に納めた。そして、何事もなかったように毛将軍へと向き直る。


「毛将軍も無事で良かった」


 毛将軍の青かった髪は血に塗れ、今は見る影もない。しかし怪我はないらしく、軽々と歩く姿に違和感はない――とも思ったが、少々、挙動には違和感がある。驚いたように、祝融を見て、しかし次の瞬間みは平常心を取り戻していた。


「……殿下、お怪我は?」


 毛将軍は訝しむように祝融に問う。猳国からも山神からも、一撃たりとも喰らっていない。全くの無傷だ。祝融は軽く流すように、「無い」と答えて辺りを見回す。未だ姿を表さない薙琳が気になったのだ。

 

「それよりも、薙琳は……」

「私は大丈夫ですよ」


 その声は、とある家々の隙間からだった。暗く翳ったそこから、何やら気配がある。が、それは人の足音ではない。恐らく獣だが、猳国や山神の蹄ともまた違う。

 祝融はそれが薙琳と理解しながらも、思わず身構えずにはいられなかった。此処に近づくにつれ、猛々し気配がそうさせるのだ。そしてぬるりと影から現れたのは、黒と芥子色の入り混じった虎だった。


「あら殿下、怪我がなさそうで何よりです」


 見た目の猛々しさとは反対に、ゆるりとした女の声が虎から溢れる。なんともちぐはぐで、思わず肩の力が抜けそうになりそう。だが、虎もまた、血に塗れ、今も勇猛な姿を見せそうなまでに興奮冷めやらぬ状態の荒い呼吸が、その気を逸らした。


「お前は大丈夫なのか」

「ええ、この姿だと血の臭いでどうしても……」


 と、含んで笑っているようにも見える。何より、そう言いつつも、人の姿には戻ろうとしない。


「猳国は去ったのか?」

「ええ、山神の命が解けて、森へ。元の領分へと帰って行きました。しばらくは奥深くに潜り込んで、帰って来ないでしょう。ですが――」

「問題が?」

「猳国が繁殖行動に出る前に、消えた人達を探しませんと」


 一瞬、祝融は薙琳が何を言っているか理解できなかった。


「……え?」

「あら、ご存知ありません? 猳国は雌雄存在しますが、時に人の(はら)も使うんですよ。これだけ数を減らしたとなると、次に行うのは――」


 祝融はようやく言わんとしていることを理解した。それ以上は聞きたくはない。薙琳の口を止めるように「わかったからそれ以上話してくれるな」と遮って、今度は、毛将軍へと向いた。

 

「今、軍の手は借りれるだろうか」

「直ぐにでも……だが、山神の領域に取り込まれた者達は……その……生きているのか?」


 毛将軍の薙琳を見る目は、希望を見出そうとしつつも出来ずにいる。村人はもう死んでいる――と最初に言ってのは毛将軍だ。その上、部下も。しかし、どこかで生きているのではとも願っていたのだろう。


「こればかりは運です。その場で殺さず攫ったのであれば、食料として保管しておく可能性もあります。正直、最初に攫われた人は……難しいかもしれませんが」


 薙琳が初めて見せた弱気な発言だった。それほど、可能性は低いのだろう。しかし生きている者もいる。


「……そうか、一人でも生きているのであれば、迅速に動くように手配する」 


 そう言って、毛将軍は一度宿へと入る。かと思えば、紙と筆を手に出て来た。


「霊符です。使ったことは?」

「ある。これが俺が使える唯一の仙術だ」


 霊符は主に、呪符を作るのに使われる特別な紙だ。そこに、気を込めた筆で書き込めば、人と言葉と気の力に左右されるが、術具として使える。

 祝融はこれを手紙の代わり程度でしか使えない。

 毛将軍が筆を握ると、筆先が墨をつけたように黒く滲んだ。筆もまた、気を練り込むことで使える特別性である。そのまま霊符へと筆を落とし、さらさらと数文字を起こしていく。さながら、手紙を書いているようだ。

 そうやって綴った一枚の紙を半分に折ると、紙は毛将軍の掌の上で形を変え、一羽の白い鳥になった。目までが白い尾長のような鳥が、つぶらな瞳で毛将軍見つめる。一つ瞬きをしたかと思えば、羽を広げて飛び去っていく。方角は、藍州軍のある方だろうか。


「近くに駐屯地へ送りました。手早く動いてくれるはずです。ともかく、我々は先行して再度山へと入りましょう」

「ええ。今我々の臭いは殆ど猳国ですし、丁度良い。しかも殿下は山神の臭い。恐らく、襲ってこようなんて山魅は一体もいませんよ」


 言われて、祝融は己の身体を見回す。臭いは既に麻痺して、気が付かなかったが、所々に猳国や山神の血で濡れている。あれほど動き回ったのだ、致し方ない……のだが、気にかかることが一つ。


「薙琳、今、我々は相当な臭いを放っている……ということか?」


 麻痺してしまった祝融の鼻では判断ができない。祝融は恐る恐るといった具合に尋ねたのだが、薙琳は盛大に吹き出して言った。

 

「何を今更」



 ◆◇◆◇◆



 山は静かだ。しかし、今はまだ真夜中だというのに、昼間のような薄気味悪さはない。ただ、有象無象の視線が祝融達を遠目で見ていることだけは確かだった。

 そう今、祝融達は山神の領分を走り抜けている。虎の背を追いながら。

 どの道を行くかは簡単だと薙琳は言う。領分へと逃げた猳国の後を追えば良いのだ。その道がわかるのは、獣の感覚を持ち合わせている獣人族だからだろう。恐らく、薙琳が生き残った猳国を逃がしたのは、この為だったのだ。

 本来であれば、山神の領分に入り込むのは命懸けだ。

 ある時は、山神が棲まう深山幽谷に秘薬を求めて。

 ある時は、山神の持つ力と知恵を求めて。

 仙術士達がわざわざ入山することもあるとか――領分に入り込むということはそれだけ危険も伴う行為。

 そもそも、山神とは山の数百年の時、精気を蓄えて生きてきた山魅だ。だから、此度の山神は、猳国にも似ていたのだろう。数百年生きた猳国は、力のある存在すらも喰らい、段々と力をつけていく。龍の鱗もその一環として手に入れたのかもしれない。


 ――龍の鱗は相当に硬いと聞くが、あの山神はまだそこまでだった。もし最近手に入れた物だったとすれば……。


 喰らった命ばかりは、どうやっても取り戻せないだろう。祝融は、一人でも多くの人が生きていることを願うばかりだった。


 どれほど進んだ頃か、薙琳の足がピタリと止まった。獣の姿だと表情はわかり辛いが、どこと無く重苦しい空気を携えている。

 そこからは、猳国に気取られないように慎重に動いた。薙琳が先行し、その後に祝融と毛将軍が続く。山を登ったかと思えば、今度は谷だ。覗き込めば、吸い込まれそうな暗闇ばかりで何があるかは知れない。薙琳曰く、急峻な崖の下は川が流れているそうだ。だが、全てが水域というわけではなく、岩肌の直ぐそばは浜になっているらしい。おおよその位置を目測にして、先に薙琳が飛ぶように岩肌を降りていく。祝融と毛将軍もまた、それに続いた。その岩肌を降りた先――川面の流れがそよそよと響く浜の上に降り立つと、一つの岩窟があった。

 およそ、二間はある入り口。深い闇を携えているようで、奥底に何があるかは知れない。しかし、薙琳は何も言わずに岩窟へと入っていく。祝融も続くが、嫌な臭いが鼻について仕方がなかった。


 ――血の臭い……。


 腐敗が混じったような臭いだ。山神の臭いともまた違う。お陰で、洞内の空気は冷えているのに、酷く澱んでいるようでならなかった。

 そうして、洞の外の光が遠くなった頃、それは起こった。

 ふと、薙琳が走り出した。最早、洞内に響く足音など微塵も気にしていない走り方だ。

 何かが起こっている――薙琳が何も言わずとも、祝融の耳にも金属音が届くのに時間はかからなかった。祝融もまた、剣を抜いた。

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