可愛そうなフォルクハルト
本を読んだとき、あまりの残酷さに心が固まった。
ライラティーヌの人生は救いがなさすぎた。
そんな中、フォルクハルト ・レームクールの存在だけが『沙夜』の心を軽くしてくれた。
ライラティーヌにも、命を賭してまで護ろうとしてくれた人がいたこと。
結局は命を落としてしまうのだけれど、最期まで共にあろうとしてくれたフォルクハルトの存在は、どれほどライラティーヌの心を救っただろうか、と。
勝手に壮年の騎士、そう騎士団長ゲルルフのような人物を想像していたが、こんな年若い騎士だったとは。
もしかしたらロマンスめいたものもあったのかもしれない。そう考えると、さらにフォルクハルト への感謝の念が膨らんだ。
辛いばかりのライラティーヌの人生に、喜びを与えてくれたかもしれない人。
「ライラティーヌ様?」
我に返ると、急に固まったライラティーヌを不思議そうな顔で覗き込むフォルクハルトがいた。
「あ……、いえ。なんでもないのです。とても楽しませていただきました。ありがとう存じます」
慌てて取り繕う。『ありがとう』のところに心を込めながら。
「こいつはまだ修行が足りませんが、なかなか見所があるのです。いずれはライラティーヌ様の護衛につくこともあるでしょう」
ゲルルフがフォルクハルトの肩を叩きながら言った。
「そうなのですか? 楽しみですわ」
「先の話です。もっと研鑽をつまなければ」
フォルクハルトが謙遜する。
「もう十分お強いではありませんか。どうやったらあんなに早く動けるのでしょう?」
「身体強化です。私は身体強化は得意なのですが、強化された肉体に剣技が追い付いていないので、宝の持ち腐れなのですよ」
―――身体強化とな?
「初めて聞きましたわ。どのような技術なのですか?」
首を傾げてゲルルフを見る。
「その名の通り魔力で身体を強化致します。ある程度の魔力量がなければ出来ぬ技です。強化に魔力をすべて使ってしまっては、実際の戦いでは使い物になりませんから」
「魔力が多い方が有利なのですね」
「はい。強化しつつ魔術も使えれば戦闘の幅が広がります」
「ではわたくしにも出来るでしょうか?」
「!」
騎士たちが固まった。
何を言い出すんだこの餓鬼は、という顔と、この勘違いを早く修正しないと大変な事になるぞ、という顔が混ざっている。
何人かいる脳筋っぽい騎士は「面白い娘だなぁ」という顔でニヤニヤしている。一番ニコニコしているのは、赤い髪をポニーテールにしている女騎士だ。
―――だって、この乏しい運動神経を魔力で底上げできるのなら、自衛力強化にもってこいじゃない。
「無理かしら? 魔力は多い方だと言われてきたのですが」
「魔力操作を学ばれた後であれば、良い使い手になるかもしれませぬな。ですがライラティーヌ様は我々がお護り致しますのでご心配召されますな」
一番最初に立ち直ったのはゲルルフだ。流石騎士団長、年の功である。
「でもわたくしが動けた方が護りやすいでしょう?」
「そんな半端な心構えで護衛につく騎士がいたら、私が鍛え直しますよ」
「では、わたくしが騎士を志望するのはどうかしら?」
「!」
これには全員が「早く黙らせろ」という顔になった。
「……ライラティーヌ様は領主になる教育を受けるのではないのですか」
「そんな面倒なものになる気は毛頭ございません。お兄様をお支えするのであれば、騎士となる道もあるかと思うのですが」
こうやってあちこちで「なる気はない」と宣言して回ることはきっと大事だ、と思う。
「……ライラティーヌ様、あんまり騎士の皆さまを困らせてはいけません。本当になさりたいのであれば、クラウディア様からの了承を得て下さい」
それまで黙って事の成り行きを見ていたアンヌが、堪りかねたように口を挟んできた。
ゲルルフが途端にほっとした顔になった。
「ライラティーヌ様に言われたら、騎士の方々は断れないのですよ。身分を盾に我儘を通すのは美しくありません」
アイヌらしからぬ正論に、ぐっと詰まる。
「ううう。そうですわね」
ライラティーヌは騎士団に向き直ると、ちょこんと頭を下げた。
「興奮のあまり無理を申しました。お許し下さい」
「い、いや。頭をお上げください。領主一族が軽々しく頭を下げてはいけませんぞ」
ゲルルフがあわてて謝意を受け取った。
ライラティーヌが頭をあげるのを確認し、安心したように一つ頷くと、今度はアンヌに向かった。
「そこのメイド、礼を言う。が、他者がいる前で主の非を咎めるのもまた美しくない。次からは自室に戻ったときに教えて差し上げるようにすると良い」
「なるほど。貴重なご教授、感謝いたします」
駄目なメイドに駄目な主人。
駄目駄目で、意外とお似合いの主従なのではと思いながら、すごすごと訓練場を後にした。
――――――――――――
翌日、動きやすい服装に身を包んだライラティーヌが訓練場に現れると、騎士団の面々は目を丸くした。
丁度休憩時間だったのだろう。観覧席で汗を拭いていたフォルクハルトを見つけ、ちょこんと隣に腰を下ろした。
「ラ、ライラティーヌ様、その恰好どうなされたのですか?」
慌てて立ち上がろうとするフォルクハルトを、右手を振って押し留める。
「ご想像の通りですわ」
「……クラウディア様の許可は頂けたのですか」
「勿論、却下されました」
「では……」
「ですから!」
ライラティーヌはずいっと身を乗り出して、フォルクハルトに詰め寄った。
「自分で何とか致します。基本的な方法だけ教えてくださいませ」
「そんな!」
目を白黒させるフォルクハルトにさらに詰め寄る。
フォルクハルトの膝に手を置き、逃げられないようにホールドしながら顔を寄せるように目配せする。
フォルクハルトと八歳のライラティーヌでは体格差がすごい。
躊躇いながらも屈みこむように耳を寄せてきた。
周囲に人はいるが、皆少し遠巻きに事の成り行きを見守っている。一番近い人でも十メートル程離れていることを確認して、ライラティーヌは声を落とした。
「お母様には『魔力操作が出来るようになるまでは』と禁止されました。ですがわたくし、もう出来るのです。だから教えてください」
「出来るのですか?」
「出来ます。独学なので本当に出来ているかも怪しいのですが、魔術を発動させることは出来ます。実際今も発動中です」
手に握り込んだ防音の魔術具をそっと見せる。
服も魔術具も用意してくれたのはアンヌだ。昨日の今日で良く準備してくれたと思う。こういうトコロは有能だ。
「……それはクラウディア様にお伝えになったのですか?」
「言っていません」
「何故ですか」
「わたくしは有能であってはいけないからです」
「それは……」
フォルクハルトが何かを問い正そうとして、止めた。
分を超えていると思ったのか、深く知るべきではないと思ったのか。おそらく両方だろう。
「ですからわたくしが魔術を使えることは口外法度ですよ。さあ、教えてくださいませ」
「……ですが身体強化を行えば、即ち魔力操作が出来ているという事になります。すぐに皆の知るところになりますよ」
「そうですね。昨日のわたくしは考えが足りませんでした。ですからわたくしは隠れて練習いたします。フォルクハルトはただ、身体強化の方法を教え、わたくしが森に抜けだすのを見逃してくれれば良いのです」
訓練所の脇にある、森へと抜ける扉を視線で指してみせると、フォルクハルトは盛大な溜息をついて髪を掻きむしった。
「出来ませんよ。クラウディア様からの許可が下りなかったならば、領主から禁止されているという事になります。私は騎士です。主の命令に背くことは出来ません」
取り乱していた時は少年のようだったのに、『騎士』という言葉を口にするときだけ男の顔になった。茶色い瞳は真摯な光を湛えている。
「……そうでした。貴方は騎士の中の騎士でしたわね。無理を申しました」
「ご希望に沿えず申し訳ございません」
「いいのです。お時間を取らせてしまいましたね。お許しください」
―――仕方がないわ。勝手にシンパシーを感じちゃってたけど、今のフォルクハルトにとって私は、風変わりで面倒くさい娘でしかないんだから。
ライラティーヌはぴょこんと立ち上がると、一礼してスタスタと訓練場の端に向けて歩き出した。
「え? ちょっ……お待ち下さい。どちらへ行かれるのです」
フォルクハルトが慌てて追いかけてくる。
「決まっています。裏の森ですよ。ただのお散歩なのでお気になさらずに」
「お待ちください、せめて護衛を……」
「必要ありません。プライベートな時間を干渉されたくありません」
静止の声を聞き流しつつ扉をくぐる。扉の向こうは広場になっており、向こうに城壁が見えた。
―――さて、どうやって門を突破しよう。
「ライラティーヌ様? このような場所に何か御用ですか?」
当然門番に止められた。
ライラティーヌは渾身の笑顔で応える。
「お散歩です。通してくださいな」
「お散歩、ですか? しかし伴は……」
「私だ」
振り向くと、フォルクハルトが肩で息をしながら立っていた。ものすごく不本意そうな顔をしている。
慌てて騎士団長に報告すると、お前が行ってこいと押し付けられたそうだ。生贄にされたと言った方が正しいかもしれない。
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫だ。ダノ爺の小屋の手前までしか行かないから」
気遣う門番と一言二言言葉を交わす横顔が、何とも痛ましい。
―――可哀そうなフォルクハルト。でもグッジョブだ騎士団長!
門を抜け疲れ切った顔でついてくるフォルクハルトに、首を傾ける。
「よく騎士団長が許しましたね」
「昨日の事がありますから、やはり変わったお人だと皆納得しているのだと思います」
―――む。失礼な。
「なんだか受け入れ難い言葉もありますが、まあいいでしょう。行きますよ」
「……教えませんよ」
「分かっております」
「お願いしますよ。貴方に何かあれば私の首が飛びます」
「安心してください。わたくしの回復薬はすごいですからね」
「全然安心できません!」
半泣きのフォルクハルトを引き連れて、さあ、身体強化だ!