大きな策略
ダミアン・アーレントは自宅の一室でグラスを傾けていた。
今宵は深酒をする訳にはいかなかった。
薄い果実酒では物足りないが、これから起こる事を考えるだけで充分酔い心地になることが出来た。
ほくそ笑んでいると、窓の外から声が忍んできた。
ダミアンが個人で飼っている赤毛の男だ。
「ライラティーヌの処分は完了したぜ」
「生かして捕らえて来いと言った筈だが?」
「抵抗すれば殺しても構わない、とも言っていたな」
「……ご苦労。あの娘の悔しがる顔が見たがったが、まあ仕方ない」
先日の、ライラティーヌとの苦い会話を思いだすと、腸が煮えくり返りそうだ。
真っすぐに見据えてくる紫の瞳。この世は正義が勝つと信じ切っているような青二才に一泡吹かせてやりたかった。
理想は捕縛して、クレメンスが失脚する姿を見てから死んでもらう事だったが、死んでしまったのは仕方がない。
「まあ良い。監視の者からの報告はどうなっている」
クレメンスの顔が歪むのを見て溜飲を下げることにする。
「クレメンスが屋敷に戻ってから随分と経つぜ。そろそろ調薬も終わる頃だろう」
「くくく。では行こうか」
―――自ら動いてみろ、とあの娘はのたまった。くくく。良いぞ。私自らの手で、クレメンスを捕縛してやろう。
――――――――――
クレメンスは自宅のマニュエルの自室で、父親と向かい合っていた。
そっとグラスを差し出す。
「これは?」
「薬です。万病に効くらしいです。真偽の程は分かりませんが」
「ふむ。お前まで私を病人扱いか」
マニュエルが苦笑した。
更にグラスを差し出すと、マニュエルは観念した様に手に取った。
「鮮やかな色だな」
グラスの中の液体は、美しい紫色をしている。
確かに、口にするには少し躊躇う色ではある。
「見た目は我慢してでも、飲んで戴かなければ困ります」
「分かったよ」
マニュエルがグラスを口に運びかけたとき、外に稲妻が走った。
「今夜は荒れそうだな」
「ええ」
クレメンスはカーテンを閉めるため、窓辺に寄った。
ふと眼下を見降ろすと、屋敷の囲いの後ろに人影が見えた気がした。
ガシャーン!
グラスの割れる音が響いた。
振り向くと、マニュエルが胸を押さえて苦しんでいた。
「なっ?!」
慌てて駆け寄る。額には脂汗が滲み、息が荒くなっている。
「父上! どうされたのですか?」
床に広がるグラスの破片。零れた薬が絨毯を汚す。
―――なんだ?! 薬の副作用か? これはそんな危険な代物ではない筈だ!
考えている内にマニュエルが激しく痙攣を始めた。
「父上! 父上! しっかりなさって下さい! 今医師を……」
激しく痙攣するマニュエルを抑えながら必死で叫ぶ。
手から、急にパタリと抵抗感が消えた。
「……父上?」
マニュエルは動かなくなった。
―――なんだこれは。まるで毒を飲んだかのような……。とにかく医師だ。
「誰かいないか!」
医師を呼ぶために部屋を出ようとした時、階下からドアを打ち破るような音が響いた。
「クレメンスは二階だ! 逃がすな!」
階段を駆け上ってくる音が聞こえある。
クレメンスは慌ててサーベルを手に取った。
「なんなんだ! こんな時に!」
侵入者の目的はクレメンス自身のようだ。
―――窓から逃げるか。いや父を置いてはいけない。それに先ほどの人影。外も包囲されていると思った方が良い。
これだけの騒ぎだ。すぐに周囲が聞きつけて衛兵が来る。それまでこの部屋で持ちこたえるしかない。
そう結論付けると、クレメンスはサーベルを構えてドアに対峙した。
バンッ
乱暴にドアが開かれ、数人の男がなだれ込んできた。
―――騎士だと?! 賊じゃないのか?
乱入してきた者達は、騎士の制服を身に纏っていた。
クレメンスは混乱した。
混乱の中、騎士の中央を悠然と、一人の男が歩み出てきた。
「ダミアン殿?」
入って来たのはダミアン・アーレントだった。
蛇のような酷薄な目は弓形になり、舌なめずりをしながら正面に立った。
「やあクレメンス。突然失礼するよ」
「こんな夜更けに大勢で押し入るなど、いったい何の冗談か」
「たまたま屋敷の前を通りかかってね。君の叫び声が聞こえた為、賊でも出たのかと心配になって駆けつけたのだよ」
いけしゃあしゃあと嘘を吐く。
では何故騎士を伴い、腰に剣を佩いているのかと叫びそうになるのを、グッと堪える。
「だがしかし」
ダミアンは爬虫類の目で笑った。
「まさかこんな場面に出くわすとは」
ベッドの上で、身動き一つしないマニュエルを顎で刺す。
「父親を毒殺するなど。落ちたものだな、クレメンス」
「なっ?!」
反論しようにも、足元の割れたグラス、溢れた薬、胸を押さえて生き絶えたマニュエル。
どこからどう見ても、クレメンスが毒を盛ったとしか言えない状況だった。
―――このタイミング。まるで今日薬を飲ませる事が分かっていたみたいじゃないか。いったいどういう事なんだ。
「医師を呼びたい。そこをどいてくれ」
「今更手遅れさ。飲ませたのだろう。ラフレモーサから作った毒を」
「!」
勝ち誇ったダミアンの顔を見て、クレメンスはようやく、自分が何か大きな策略に嵌められたのだと気付いた。




